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『第三ミレニアム・スタア 』
高杉・奏0367)&光月・羽澄(1282)

 その仕事は、思いのほか長引いた。
 ――いや、まだ過去形にはできない。提供した楽曲がメディアに乗り、人々の耳に心に届き、正直で残酷な評価を受け、なにがしかの成果を見いだすまでは、プロデューサー高杉奏の仕事は終わらないのだから。
 今回、関わった歌い手は、アーティストと呼ばれることを嫌った。「日本のニューミュージックの草分け的存在」であった彼女は、ビッグスターとなった今でも、いささか古めかしくなった「シンガーソングライター」という肩書きに、愛と誇りを持っていたからである。
 身のうちから湧く詩に自ら曲をつけ、独特のハスキーヴォイスで歌い上げることのできる彼女は、今まで一度として、他人の作った楽曲を、余興ですら扱ったことはなかった。
 そんな気難かしさでも有名なスターから、奏は、突然に楽曲提供を依頼されたのだ。当然名前は知っていたものの、一面識もない相手だったので、面食らったし不思議でもあった。
 最初は、有能マネージャーの暗躍によるものかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
 あくまでも、彼女個人の希望から発した企画だということが判ったのは、プロ同士の激しい応酬を経て、楽曲が完成した後だった。
 ――いちど、あなたにプロデュースされてみたかったのよ。……さんみたいに。
 今は亡き懐かしい女性の名前を言ってから、ビッグスターは茶目っ気たっぷりに笑ったのである。

 ☆ ☆
 
 クリスマスが過ぎた新宿は、今度は年末の慌ただしさに追われている。
 しかし胡弓堂のたたずまいは、ふだんと何ら変わらぬ時を刻み、銀の髪の店員もまた、悪戯っ子めいた笑みを見せてその中に溶け込んでいた。
「凄いじゃない、大物をプロデュースしたんですって?」
 ふらりと現れた奏を見るなり、光月羽澄はそう言った。
 一応はまだ水面下で進行している極秘企画であり、正式発表は先なのだが、羽澄の情報網をかいくぐることはできないようだ。
「あのひとの歌、わりと好きよ。ね、サイン貰ってくれた?」
「普通の女子高生みたいなこと言って」
「だって、普通の女子高生だもん。……なぁんだ、貰ってないんだ。気が利かないの」
「ははは」
 吹き出す奏に、羽澄はわざと怒った顔をしてみせる。
「それで敏腕プロデューサーさまは、一介の女子高生に何の御用なのかしら?」
「羽澄お嬢さまにおかれましては二学期も無事終了した由、恐れながら成績表など拝見いたしたく、参上つかまつりました」
 奏はうやうやしく腰をかがめた。
「上手いね、演技。俳優でもいけるんじゃない? やってみたら?」
「俺は他の分野で忙しい」
「忙しいっていうのは、やらない理由にはならないのよ。だってみんな、忙しいんだもの。ところで、成績表って、そんなに見たいものなの?」
「保護者としては、当然だろ?」
「……ふうん」
 小首を傾げて笑いを噛み殺してから、羽澄は、磨き込まれたテーブルの上を指さした。
 学校名とクラス名、「光月羽澄」と記された二つ折りの厚紙――非常に古典的な体裁の成績表が置いてある。
 奏の来訪を予期し、先回りして準備してあったのだ。
 手を伸ばして開き、記載事項を確認した奏は、思わずひゅう、と口笛を吹いた。
 羽澄には、いくつもの顔がある。
 情報調達屋『lirva』、そして、同名の謎めいた人気歌手――にも関わらず、この好成績はどうだ。なるほど、忙しさに甘えぬ少女がここにいる。
「世間の親が、子どもの成績の善し悪しにこだわる理由がよくわかるよ。良い結果の成績表を見るというのは、ちょっと他にない喜びだ」
「ね、ずっと持ってるその包みは、いつくれるの? さっきから手を広げて待ってるんだけど」
「っと、悪かったな」
 奏が胡弓堂を訪れたのは、無論、成績表を見るためでもあったが、とあるプレゼントを渡すためでもあった。弟分や妹分たちに毎年恒例で進呈している、渾身の手編み作品である。それが、奏と疑似家族のように親しくしている、羽澄を含む彼ら彼女らの、大きな楽しみとなっているらしいのが嬉しい。
「はいよ、良い子にご褒美だ」
 柔らかな包みが、ふわりと宙を飛ぶ。水色の包装紙でラッピングされ、細い銀のリボンがあしらわれたそれを、羽澄はぎゅっと受け止めた。
 リボンを解いて、歓声を上げる。
「ワンピだ! 可愛い。ちょうど欲しかったの」
 繊細に重ねられた網目模様が美しい、オフホワイトのニットワンピースだった。羽澄の髪の色と、鮮やかな緑の瞳によく映える。
「プロポーションに自信がないと着こなせないデザインになってるが、大丈夫だよな?」
「あたりまえでしょ。着替えてくるね」
 ワンピースを抱えて、いったん羽澄は奧へ消えた。
 やがて、グリーンの靴とバッグを合わせて華やかに現れた少女は、その年代らしからぬ、はっと目を惹く清楚な色香を漂わせていた。
「……似合うな」
「どうもありがとう。もっとご褒美をくださってもよろしくてよ、プロデューサー?」
「もちろんですとも、我が歌姫。それでは、エスコートをお許しください」
 差し出した腕に、羽澄はすまし顔で手を添える。
「どこに連れて行ってくださるの?」
「『銀林庵』など、いかがでしょう?」
「やったー! あそこの胡麻麩と蓬麩の田楽、評判だよね?」
 創作和食で定評のある店を挙げるや、お芝居もそこそこに、羽澄は目を輝かせる。色香の匂い立つ女の顔はかき消え、無邪気な子どもの表情になった。

 ☆ ☆

 壁いっぱいを占める一枚硝子の向こうには、竹林のあしらわれた日本庭園が見える。
 都心に立地する店のこと、さして広い地所ではないはずなのだが、巧みな視覚効果をともなう演出により、『銀林庵』にはまるで広大な庭園のただ中に建つ東屋のような趣きがあった。
 コースメニューは頼まずに、いちおしの麩の田楽や、ハーブと焼霜河豚のバジルサラダ、雲丹と湯葉の玉〆銀林庵風、和牛と茸の朴葉焼きなどを適当に選び、店特製のノンアルコールドリンクを添えてもらった。
 銀林庵は全国各地の地酒の品揃えも豊富であったから、奏としては『加賀鳶』の純米大吟醸あたりを合わせたかったのだが、いかんせん、ここには車で来たことだし、連れの羽澄は未成年者である。涙を呑んであきらめるしかない。
 サラダを取り分けながら、たわいもない話に紛れて、奏はさりげなく聞く。
「で、イブはどうだった?」
 ちょっとぎくりとして、羽澄は奏を見た。からかうような視線がそこにあった。
「どうって、何が」
「いやぁ、さぞ楽しかったんだろうなと思ってさ。いいねー、若い子たちは」
「……もちろん、たのしかったよ」
 何も知らないはずなのに、何もかも見透かされている感じが少々癪だ。羽澄は奏の手からドリンクメニューを取り上げ、店員を呼ぶ。
「すみませーん。この、『黒帯』って、山廃仕込みですか?」
「左様でございます。重厚なこくのある味わいと切れ味の良さが特長です」
「油を使った料理に合わせるといいんですよね」
「仰るとおりです。素材の旨さを引き立てて、相性が良うございます」
「ありがとう。もう少し考えてみるわ」
 注文はせずにメニューを戻した羽澄に、奏は苦笑する。
「そのトシで、何でそんなに詳しいんだよ」
「ナイショ」
「ほーお。俺の前で山廃の超辛口なんざ注文してみろ、速攻で胡弓堂に強制送還してやる」
「やだ。このあと、まだ行きたいところ、あるのに」
「ん? どこだ? スイーツの美味い店か? それなら」
 違う違う、と、羽澄は髪を揺らす。
「もっと、空に近いところ」

 ☆ ☆

 年の暮れを迎えようとする街を、蒼く紅く、電飾が彩っている。
 イルミネーションを縫い、彗星のような軌跡を見せて、コルベットは走った。
 止まったのは新宿の、ひときわ目立つしゃれたビル――勝手知ったる事務所の前である。
 車から降りるやいなや、羽澄は自販機で缶コーヒーをふたつ買った。取り出して抱えるなり、非常階段を駆け上る。
「おいおい」
 小鳥のような身軽さで、少女は高みへと走って行く。奏が追いついたときには、すでに羽澄は屋上の手すりに身をもたせかけ、プルトップを開けていた。
 隣に立つ奏に、もう片方の缶を投げてよこす。
「あげる。私のおごり」
「それは光栄」
 食事のあと羽澄が行きたがったところというのは、事務所の屋上であった。それが少し面映ゆい。
 ここは昔、奏が羽澄に教えた場所であったからだ。
「今でも、私の一番のお気に入りなの。眺めもそうだけど、風の流れがいい感じ」
 冬の風に髪をなびかせ、見渡す限りの光の渦を眺めて、羽澄は目を細める。このままで、プロモーション映像が作れそうな絵だ。もっともlirvaのプロモに、本人が出演することはあり得ないのだけれど。
(大きく――なったな)
「娘」はいつか、生さぬ仲の「父親」のもとを飛び去っていくのだろうか。
 らしくもない感傷がよぎるのは、今年ももうすぐ終わりだからということにしておこう。
「何にせよ、目指すんなら頂点に行けよ」
 憧れだったかのひとよりも、遙かなる高みへ。
 そして、あのビッグスターすら手の届かぬほどの、伝説の星へ。
 この千年紀に、大きな足跡を残すほどに。
「それは、プロデューサー次第じゃない?」
 髪を掻き上げて、銀色の星が微笑んだ。
 

 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年01月05日

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