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『陽気な雨上がり 』
唐島・灰師4697)&草間・武彦(NPCA001)


 やけに威勢のいい声がホールを駆け巡る。ここはさびれた商店街の一角にある粗末な作りのパチンコ店。導入機種もそれほど新しくなく、客を迎える椅子も少し固めの質素なものだ。お客は若い店員の達者な台詞回しに耳を傾けることもなく、薄汚れた店の雰囲気もさほど気にはしない。ただじっと『この台で大当たりを引く!』と気合を込めるだけだ。ひとたびリーチがかかれば、ハンドルを持つ手に力がこもる。沸々と湧き上がる熱気がそこかしこで感じられる不思議な空間、それがパーラーである。
 そんな場所にオカルト探偵の草間 武彦が、やけに古いパチンコ台のハンドルを握って座っていた。彼はよく出るように釘が開けてあると噂される角台に座り、ちょこちょこと周囲の様子を伺っている。実は彼、出ない台とオサラバしようとしているわけではない。ここへは調査で来ているのだ。一週間前、パチンコ屋の隣に居を構えた酔狂な旦那の身辺調査を奥さんから依頼された。つまり草間がここに座っているのはその旦那の様子が伺える場所であり、大当たりを引くために来たわけではない。しかし何もせずに椅子に座っているだけでは、ターゲットの旦那はおろか店員にも怪しまれてしまう。だから仕方なしに今も横見しながらパチンコを打っているのだ。草間は自分でも『器用なもんだな』と感心した。
 そうこうしているうちにターゲットがドル箱をざっくり担いで店内を凱旋するかのように歩き出した。一方の草間は数時間で大当たりが一度もなく、すっかり懐が寂しくなってしまった。今回の依頼はまったくもって割に合わない。草間の運さえよければ依頼料にボーナスの上積みもあり得たが、今日も負けてついに3連敗。明日からの調査方法を変えようかと考えながら余り玉を手に持ち、景品のタバコと換えようと相手に気づかれぬようにそーっと歩いた。一方の旦那は上機嫌でカウンターの女性店員と喋っている。相手の笑顔を見ればすぐにわかる。彼は間違いなくここの常連だ。草間は報告書の内容を頭の中で描きつつ、愛飲するタバコをもらってすぐさまフィルムを全部はがす。これは彼の癖だ。旦那は景品交換所へと向かうが、草間は先に外へ出た。彼の行き先はわかっている。家に帰っても怪しまれない時間まで近くの喫茶店で暇つぶしするはずだ。ここ数日で行動パターンはほとんど熟知した。

 ヤドカリのようにパチンコ店の中で閉じこもっていると、外の天気に気づかないのも当然である。草間は旦那の尾行を始めつつ、入店中に少し雨が降っていたことに気づいた。アスファルトの路面はしっとりと雨に濡れ、ところどころに小さな水たまりを作っている。だが草間が空を見上げると、わずかな雲間から光が幾筋も差し込んでいる……通り雨だったのだろうか。そんなことを思いながら、景品のタバコを一本取り出そうとした。何気ない動作というものは常に隙だらけなのである。草間は忍び寄る影に気づかないまま、その時を迎えてしまった。

 「うーーーわぁおぉぉっ!」
 「は! おうっ?!」

 草間は背後で響いた突然の大声に驚く。尾行中だと言うのにデカい声を出した上、さらにタバコと名のつくものはすべて地面に散らかしてしまった。しかもケースは運悪く哀れ水たまりの中へ……草間にとってこれは泣くに泣けない状況だが、ショックで声が出ないことが幸いした。目標は探偵の声でとっさに振り返ったが、すぐにまた前を向いて歩き出す。草間はそれだけはしっかり確認すると、身を屈めてすかさずタバコを回収し被害状況を確認し始めた。さすがはプロ、タバコよりも仕事が最優先である。すると彼の肩あたりから声がした。彼が大声の犯人である。

 「うん、戦艦の上部は全壊。低部の浸水はなし。よかったじゃん!」
 「やっぱり灰師か……おまえな、ちょっとは大人になれ。」
 「久しぶりに会いにきてやったのにそんな態度するのかよー。」
 「おまえ、ちょっとは空気を読め。俺は今、仕事中なんだ。」
 「ああ、仕事中なんだ!」
 「し、しーっ! 大きな声で言うんじゃない!!」

 どうやら犯人の灰師は草間と知り合いらしい。一見するとかなり年下の、豪快な性格を持つ青年・唐島 灰師に説教をしている立派な大人・草間 武彦という構図が出来上がるかもしれない。しかし、その見方は正しくない。なぜなら灰師の年齢は草間とひとつしか変わらないのだ。これなら彼の説教も納得できるだろう。大人は悲しそうな顔をして小破したタバコをゆっくり取り出そうとするが、横からさっと洒落たタバコ入れが出てきたかと思うと一本だけ顔を出す。

 「……いらないんなら戻すぞ。」
 「貰いタバコは恥ずかしいことなんだぞ、わかってるのか……ったく。」

 説教を続けながらもちゃっかりそれを頂戴した草間は安物のライターで火をつけると心なしか表情がやわらかくなった。一方の灰師も何気ない仕草を重ねながらいつものように白い煙を勢いよく口から吐き出す。煙の行き先は草間の頭。不定期に髪の毛を揺らされながらも大人の彼は我慢して仕事に徹することを決心した。すると灰師も後ろからついてくる。このまま草間をからかって楽しもうという魂胆らしい。

 「言っておくが、仕事の邪魔だけはするなよ。今はあの男を尾行中なんだ。」
 「喫茶店に入ったな。あいつの監視をするのにふたりでタバコとコーヒー楽しむのは邪魔するうちに入らないよな?」
 「手伝っても金は出ないぞ。」
 「金に困ってるのなら、助けてやるぞ。」

 自分がパチンコ屋にいるところを灰師は見ていたのだろうか……草間は懐に乾いた隙間風が吹いた気がした。しかし調査に付き合うとは意外なセリフだ。草間は素直な感想を述べる。

 「おまえのことだから『灰皿を使うついでに行くぜ』とか言うかと思ったが、意外に素直だったな。」
 「……俺のかわいい一面が見れて嬉しいのか?」
 「気持ち悪いこと言ってんなよ、とにかく早く行くぞ。」

 ハードボイルドを完全に崩された草間と相手を自分のペースに引き込んだ灰師は並んで喫茶店へと入った。店内は少し明るめの雰囲気だからか、客もそこそこ入っている。ふたりは奥の小さなテーブルに腰掛け、向かい合って座った。もちろん草間の視線の先には旦那がいる。着席すると私服にエプロン姿のウエイトレスがやってきた。彼女はカウンターにいるマスターの娘だそうだ。大学の空き時間を利用して自宅でアルバイトがてらお手伝いをしているらしい。これは草間が例の旦那とマスターの会話から入手した情報だ。灰師はそれを聞くや、喜び勇んで注文を取りに来た娘に対して「かわいいね」とか「大学生か〜、どこの大学?」とか「何学部?」などと根掘り葉掘り聞き始める。草間のターゲットは若い女性ではない。カウンターにいるむさいオッサンだ。しかし尾行している相手を油断させるには、灰師と娘のやり取りは絶好の隠れ蓑となった。草間は心の中で『絶対に計算でやってるわけじゃないな』と思いつつも、シケモクと化したタバコを取り出して火をつけた。真新しい白い煙はほんの少し店のあちこちに設置された太陽を曇らせる。
 灰師は彼女から一通り話を聞き出すと、ホットコーヒーをふたつ頼んだ。草間にとってこれからどれだけ頼まなければならないかわからない商品がこれである。旦那はすでにマスターと話し込んでいる。今からだと2時間ほどはここに居座るだろう。お喋りの後は店に置いてある新聞とマンガを読んで家に帰るはずだ。とりあえず目標の取った行動を手帳に書き込む草間を見た灰師はにんまりと笑った。

 「つまんない依頼で、もう飽きただろ?」
 「つまらなくても、一応は仕事だからな。」
 「でも今日のお仕事はハードボイルドっていうか、スクランブルエッグだな。」
 「お前がいろいろと掻き回してるってことさえ覚えててくれれば、俺は何と言われようともそれで十分だ。」

 灰師は草間の表情が崩れるたびに喜びというものを感じる。彼にとって草間をからかうことは生きがいなのだ。相手もそれを知っているからやりがいがある。今日はどんな風に困らせてやろうかと、小学校に必ずいるいじめっ子のような性格の灰師。一方の草間はお客様としてもオカルトな依頼などで活躍してもらう手前、童顔の青年を適当に扱うわけにもいかない。無視できないから仕方なく相手をする。こんな感じでふたりの関係は長く続いている。ただ不思議と険悪なムードにはならないし、どちらかと言えば悪友同士がたまに顔を合わせているような感じだった。奇妙かもしれないが、長い時間はふたりを親密にさせていたらしい。
 娘がコーヒーを持ってくると、ふたりは同じタイミングで紫煙と一緒にじっくりと味わった。味覚も似ているのだろうか、鏡に映したかのように同じ表情でふたりは微笑んだ。それを契機にしばしコーヒーについての雑談が始まる。草間は灰師を挟んで向こうにいる旦那を目で追いながらも、話はしっかりと聞いていた。どこでトゲのある言葉が飛び出すかわからないからだ。しかし灰師もそんなことはとっくの昔にお見通しである。彼はすでに別の手を実行しようとしていた。彼は白砂糖の入ったビンを取ろうと腕を伸ばし、わざとオーダーの書かれたプレートを床に落とす。しかも地面と平行に。

  バシッ!
 「あーあー、悪い悪い。これ、腕に引っかかっちゃってさ〜。ああ、俺が取る取る……」

 旦那の視線が一瞬こっちに向いたのを確認した灰師は目を光らせる。その反応は彼のいたずら心をくすぐるには十分すぎた。そして今度はある程度の高さまでプレートを持つと、すっと手の力を抜いて今度は角から垂直に落とす。その時すでに草間の顔色は青から白へと変わっていた。

  コーン! ガシャッ!!
 「バ、バカ野郎……おまえ、わざとやってるな!」
 「おっと、手が滑っちゃって。ごめんごめん。」

 ふたりの声量の違いは説明するまでもないだろう。草間が小声で悲鳴をあげるのを聞き、灰師はにんまりしながらプレートを元の場所に置いた。こういういたずらはとことんまでやらないのが一番である。なぜかというと、ひとつのことをしつこく繰り返すとどこかで相手が本気で怒ってしまうからだ。ところがこれを一度で終えてしまうと、今度は相手が『こいつは自分を追い込むまでのことはしないだろう』という安堵感を与えてしまう。この微妙なラインを見切った灰師は、最近の草間に対して『いくつかのいたずらを用意して、二度三度まで繰り返す』という必殺パターンを編み出したのだ。もし草間がこれに気づいても、彼はまた他の手段を考えるだけなのだからたまらない。
 灰師の笑みは勝者の笑み、草間の落胆は敗者の落胆。はたして今回の尾行は成功するのだろうか。その結果は、もしかしたら灰師の気分次第なのかもしれない。彼の手のひらで見事に転がされている草間のタバコはいつの間にかフィルター近くまで熱が迫っていた。まるでダイナマイトの導火線のように。

 外は路面がゆっくりと夕日に照らされ、乾いた匂いを発している。明日もいい天気のようだ。

PCシチュエーションノベル(シングル) -
市川智彦 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年01月05日

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