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『spate of words 』
村上・涼0381)&水城・司(0922)

 着払い税込み59,924円。
 某日本人大リーガーサイン入りバット・高級ソバ殻枕・羊毛布団一式・抱き枕・パジャマ・目覚まし時計・布団圧縮袋・衣類圧縮袋Sサイズ・衣類圧縮袋Mサイズ・釘百本という世にもお買い得なセットを村上涼が買い込んだのは一昨日の午前三時の事だ。
 居間の片隅に小山を作る……注文品の梱包を解こうともせず、涼が一心に見詰めるのは冷蔵庫の中。
 中には食べかけの激辛キムチと脱臭剤……そして砂糖水を凍らせた氷があるのみ、食材と呼べる食材は存在しない。
 甘い氷を舌で転がし、餓えと乾きを誤魔化しながら、涼はそっと開いた握り締めた掌を開いた。
 体温で暖まった小銭は、何度数えても七十六円しかない。
 物質的な豊かさは、金銭的な豊かさに繋がらない事を痛感し、果たしてそれは幸せなどではないのだと、えらく哲学的な思考を頭の隅に巡らせながら、涼は溜息と共に冷蔵庫を閉じた。
 次の仕送りまで十日以上、救いは光熱費が自動引き落としで既に支払われている為、水と電気とガスを憂いなくてもいい……しかしお約束のように米は尽きており、パンも乾麺の備蓄もなく、炭水化物が皆無の状態で、握り締めた小銭で残る日々を過ごす自信は毛頭無い。
「興信所も、ねぇ……」
救いの臨時収入……最悪、前借りをかまそうと思って電話をかけた興信所は、黒電話だというのに器用な留守電に繋がる。
『北の海にバカンスに出掛ける為、三ヶ月は戻れません』
との旨告げられ、事務所存続の浮沈をかけてマグロ漁に身を売ったかと、十中八九の確信を持てる推測のみだ。
「どこもかしこも……不況よね」
がっくりと首を前に倒して、それ以外に収入を見込めそうなアルバイトを想像してみる。
 因みにアルバイト情報誌を買う金は既にない。
 街を彷徨いて店先に貼りだしてあるアルバイト広告に飛びついてみるものの、どれも月給制のものばかりで、即現金に繋がらないのがまた痛い。
 氷を舐め、無料で貰えるパンの耳を食事代りに堪え忍ぶ事既に三日。
 最後の最後の手段として……転がり込める知人の顔が具体的に浮かばないでもないが、その誘惑はぶんぶんと頭を振って振り払い、正に進退窮まる事態に彼女はついに決意した。
 日中の講義に差し支えず、必要な資格は女であるという事のみ、行き着くトコまで行ってしまった感の強いその職種は。
 深夜営業を主とし、俗に水商売と呼ばれるそれであった。


「って、そんなに深く考える必要はないんですよー、実は」
薄暗い照明とアルコール、そして煙草の臭いに満ちて、お世辞にも空気が良いと言えない空間で、涼は借り物のタイトなワンピースを身に着けながらマドラーで水割りをかき混ぜていた。
「僕らみたいな旧い年代から見ると、こういう所で働いてると苦労してるんだろうなと思うんだけどなー」
どこかでれでれと歯切れ悪く聞こえるのは、鼻の下が伸びているからだろう……涼の正面、ソファに座るのは父親ほどの年齢のサラリーマンだ。
 それに受け答えしているのは涼ではない。彼女は飲み物を作り、灰皿を片付け、空いた皿を引くという仕事に従事する、ヘルプと呼ばれる職である。
「え〜、そんな固いんじゃなくって。もう少しお小遣いが欲しいなとか。仕送りが苦しいなとか。後はお客様と過ごす時間が楽しいなとか。理由はそんなモノですよぉ」
場の流れを掴むのは飽くまでもホステス……涼の学友であり、無理から頼み込んだ自分の顔を立ててバイトの口入れをしてくれた彼女は、大学一年生の時から自らの学費を稼ぐ為に昼夜の顔を使い分ける猛者だ。
「えぇ〜、ホントかい?」
「そうですよぉ〜、それを証拠に今とっても楽しいですもん♪」
実情を確かに知るだけに、軽い会話を装おう話術に舌を巻き……そして、実際の所生活費を使い込んだ己には、その明るい会話が妙に身に摘まされてひたすらグラスの中身の減りに気を配る。
 直ぐにでもお金が要るのだと……あまり深くを語りたくないが故に理由を告げずに強引にバイトの紹介を頼んだ涼に、ならば自分の顔でと勤め先に掛け合い日払いで紹介してくれた彼女の面目を潰す訳にはいかないと、涼は未だ嘗て無い忍耐で以て仕事に勤しんでいた。
 グラスが空になると見るや、話の邪魔にならぬようそっとグラスを持ち上げて目配せでお代わりの是非を確認する、灰皿をすっと自然に入れ替える、テーブルの上で邪魔になる皿を片付けてすかさずその後を布巾で清める、とヘルプは教えられた事を黙々とこなせばよく、客との会話を強要されないだけ気は楽だ。
 最も、他のテーブルに見る限り、級友が自分に接待の過重が負担とならぬよう気を払ってくれているのがよく解るだけに、キレて暴れ出さない事が此度の涼の課題である。
「やー、リーちゃんだっけ? よく気が付くねぇ」
然れども、無口に気働きに集中すればするでそれがしとやかだと好意的に映るらしい……勤め始めてほんの三日で、涼こと、りーちゃんの名前は秘かに常連客の間に浸透して行ってるらしい。
 話題を向けられそうになるのに涼はしとやかな微笑みで答えるに止め、ボーイを片手で呼んで灰皿を下げさせる。
「やぁん、リーちゃんだけじゃないですよぅ。アタシだってよく気が利くでしょ?」
フルーツの盛り合わせからパイナップルをフルーツピックで刺し、わざわざ客の口元に運んで可愛らしい対抗意識を見せてみたりする。
 女の武器を駆使する級友にとても敵わない、と涼は内心で汗をかきつつもこっそり感謝の意を向けていた。
 級友に甘えてばかりいないで、やはり自分でもある程度の接客はすべきかと、己の不甲斐なさに思いはする涼だが、今はまだ脳内シミュレーションをするのみに止まる……知り合いに見られでもしたら二度と外を歩けない、という恥じらいが最後の一線を踏み止まらせるのだが、シミュレーションの中で客の顔がある特定の人物に限定されているのも、涼に二の足を踏ませる一因だ。
 黒い髪と瞳と持って高い背の。想像の中だけで苦々しい表情をしてみせる、彼……と呼ぶには業腹な生涯最大の敵の姿を思い浮かべるだけで、色んな意味で早まったかと後悔の念が押し寄せそうになる。
 もし、当事者にこの現場を発見されたらと思うだけで恐ろしい。
 それ以上は自主規制の入りそうに、想像が暴走しかけていた涼は、新たな来店があった際に「いらっしゃいませ!」と店内の従業員全員が唱和するというルールに一拍の遅れを生じさせた。
「いら……ッ」
そして慌てて出入り口を向いて涼はその場で凍り付いた。
 今最も忌避すべき存在No.1の座に輝く男。
 水城司の姿を戸口に認めた涼が、思わず天を仰いだとても、神は決して咎めたてはすまい。


 ぷちり、と何かが切れる音が聞こえるよう、背に揺らぐ怒気は目に見えるようであった司だが……取引先の接待で来店した手前、その場で涼を怒鳴りつけるような真似は流石にしなかった。
 だが、涼はそれを幸いと思える所の騒ぎではない。
 最も見られたくない相手に出会した驚愕も冷めやらぬ内に、大人数での来店に同じテーブルに配され、司の一挙一足答に過剰反応をする始末だ。
 しかもそれだけで済めばいいのだが、若くて男前が来店したとあって、ホステス嬢が俄に活気づいたのがこれまた気に障る。
 やれ飲み物が、果物が、ゲームをしませんか、お仕事は何ですか、と矢継ぎ早、司の両脇の席を奪い合うようにして群がるのに、己でも理由は解せぬが腹立たしくて仕方ない……涼の立場はヘルプ、飽くまでもホステスに接客に支障を来させない為の雑事を行うサポートがメインなのだ。
 笑顔の奥で苦虫を噛みつぶし。針の筵に座る心地で閉店時間まで粘る一行、というか司に耐えきって漸く涼はその日の報酬を得る事が出来た。
 日当で一万円。
 本来なら時給換算なのだが、飛び込みで急場凌ぎのみと言う事で設定された値段だと事前に説明はうけている。
 最も、普通の相場が如何ほどなのかは謎のままだが、実質四時間程度の勤務でこの金額は涼にとって破格としかいいようがない。
 この世界から抜け出せなくなる人間が多いのも道理だと妙な感心をしながら、涼は薄い封筒に入れられた現金を有り難く頂いた。
 後三日勤めれば、赤字も補填出来、次の仕送りまで心安らかな日が過ごせるだろう、と心労の濃かったその日一日の勤めを記憶の彼方に放りかけた涼だったが、裏口から出ようとして足を止めた。
「村上嬢」
吐き出す息の白さに、何時から戸外に居たものか。
 街灯の下に司の姿を見出して、涼は未だ一波乱をる事を覚悟しない訳にはいかなかった。


「何故あんな店に居る」
「キミこそなんであの店に来たのよ」
司の呼びかけは左、涼の答えは右。
 駅へと向かう歩道の端と端に分れて歩く二人の問答は、多いとは言えないが少なくはない通行人越しに交わされ、奇妙としか言いようがない。
「俺は仕事の関係だ」
「そう、私も仕事よ」
歉然とした司の物言いに、不機嫌も顕わにした涼が渋面で答え、両者の間には木枯らしよりも冷たい空気が漂っていた。
「だから何故あんな店で仕事をしているのか聞いている」
「私も何であのお店と仕事が関係するのかが聞きたいな」
大股でざかざか歩く涼に歩幅を合わせた司の足音も苛立ちに荒く、革靴の底とヒールの踵とがアスファルトに接して立てる靴音が、行進の如く唱和する。
「だから仕事だと言ってるだろうが!」
「私も仕事だと言ってるでしょうが!」
そして声も見事に重なっていた。
 間を抜ける通行人を居たたまれない気持ちにしながら、涼と司は互いの意見をぶつけ合う。
「大体何だ嫁入り前の若い娘が盛り場なんかを彷徨いて何か間違いでもあったらどうするつもりだ!」
「大体何よ女の子に囲まれてでれでれしちゃって鼻の下伸ばしてみっともないったらありゃしない!」
開口も閉口も同時、身体を前に向け、迷いのない前進を続けながらも口論……というよりはただ単なる主張は息を合わせたかのように全く同時に吐き出される。
「誰が何時鼻の下を伸ばした! 俺はお前がヘマをしないかひやひやし通しで酒の味も解ったもんじゃなかったんだぞ!」
「何をどうしたら間違うのよ! 接客業ってだけでそういう方向に思考が走るのは自分が欲求不満なだけじゃないのよ!」
間。
「欲求不満とは何だ! 俺はお前の身を心配しているだけで、そう悪し様に言われる事をした覚えは皆目無いぞ!」
「ヘマなんて失礼な! こう見えても才能があるとか気配りが利いて今時珍しい大和撫子なんて言われてるのよ!」
また、間。
「リップサービスに調子に乗るな!」
「自分の胸に手を当ててみなさい!」
ぜぇはぁと肩で息をしながら、涼と司は全く同時に足を止めた
 主張を重ねる毎に何故か両者の距離が縮まり、今や互いの肩が触れんばかり……そして目の前には当座の目的地である駅。
 終電の時間はとうに過ぎているが、駅前が一番タクシーを掴まえやすい。
 とはいえ、怒鳴り合う男女に客待ちのタクシーも警戒して、扉を閉めたまま様子を伺うばかりだ。
「……頭を冷やそう」
ふぅ、と息を吐き出し、司は懐に手を入れた。
「取り敢えず、金がないんじゃないのか?」
単刀直入、真実のみを言い当てられて涼は返答に詰まる。
「俺が用立てるから、あの店で働くのはよしにしろ。幾らだ? 十万か? 二十万か?」
何気なく言って、二つ折りの財布の札入れから分厚い札束を覗かせる司に、涼が思わず足をふらつかせる……が、手袋を引き抜き、ぐ、と握り締めた手の、爪が掌に食い込む痛みに理性を取り戻す。
「……いらない」
譲歩策を一蹴され、頭を冷やす、と言いながら沸点は先の言い合いの影響で低いままだった司は苛立ちを顕わにしようとした。
 が、涼はそれに先制し、司の顔に手袋の片方を叩き付けた。
「キミは敵よ! 敵から塩なんて受ける筈がないでしょ!」
これには司もかちんと来る。
「なら好きにしろ、この分からず屋!」
「勝手にするわよこのあんぽんたん!」
絵に描いたような捨て台詞を応酬させて、両者はふんっ!とそっぽを向くと互い違い、右と左に別れてその場を後にした。
 客を逃して良かったのか、それとも悪かったのか……タクシー運転手の煩悶のみが、後には残るのみである。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2006年01月05日

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