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『冬椿辿りなば 』
瀬崎・耀司4487)&早津田・玄(5430)

 人が成長するという事は、それだけ死に近付くという事に他ならない。
 子供は大人になり、やがて老い死んでゆく。
 それに気が付いたのは、僕がまだ両親を見上げて、単純に背が伸びるのを心待ちにしていた頃だ。
 ――だったら大人にならなければ、死なずにすむじゃないか。
 今から思えば、それはまるきり子供の理屈だった。
 老衰以外にも死の要因はたくさんあっただろうに。
 僕の戯言を聞いていた母は、「そうだね」と相槌を打った。
「死にたくないね、耀司」
 見上げた母の上、仏間の天井近くには、かつてこの家に住んでいた瀬崎の者が写真となって並んでいる。
 写真には僕と同じ位の子供の写真も多かった。
 ――ああ、子供でも死ぬんだ。大人になる前でも。
 僕は考えを改めた。
 幼い意識ながらも、仏間に大勢の大人が集まって悲しんでいるのは誰かが亡くなった時――それが『いなくなった』と当時の僕は解釈していたのだが……幼心にも思い出が残る程、葬儀は頻繁にあった。
 ――僕もいつか、いなくなって、あの写真に入るのだろうか。
 そう考えるととても寂しかった。
 写真の子供たちはうつろな目でこちらを見下ろしているばかりだったから。
「……死にたくないね」
 そう呟いた母は、喪服を着ていた。


 年の瀬も押し迫ったある日。
 坂の途中、風呂敷に包んだ日本酒の重みに瀬崎耀司は白い息を吐いた。
 考古学者として海外での発掘調査も多い耀司だ。
 一升瓶の重さなど苦にならないのだが、手の平に食い込む風呂敷の持ち手が痛かった。
 どうせ二重回しの懐に手を入れるのが常だ、と手袋を持たずに出たのが災いした。
 坂の上にかかる雲は灰色に濁り、粉雪の予感を孕んでいる。
 ――降り出す前に着けるか?
 凍え始めた指へ気休めに息を吐きかけ、風呂敷を持ち替えると耀司は石畳の道を急ぐ。
 古い日本家屋と木塀が軒を連ねる先に、懇意にしている早津田家があった。
 門松の添えられた引き戸を開けて声をかけると、中から太い声が返ってくる。
「おお、上がんな。
ウチのは出ちまって、大したもてなしァ出来んがな」
 冷えた板張りの廊下から玄関先へと出てきたのは、早津田の当主、玄だった。
 年末のこの時期、家人は正月の準備で忙しいのだろう。
「玄さんが手ずから茶菓子を出してくれるなんて、僕も思っていませんよ」
「馬鹿にすんじゃねェよ。菓子の在り処くらいわかってらァ」
 耀司の皮肉を軽くいなした玄は白髪混じりの髪を後ろで一つにまとめ、顎鬚をたくわえた精悍な顔付きで耀司の知る面影と相違ない。
 ――息災に過ごしているようだ。 
 親しい人間が変わらずにいるのは嬉しいものだ。
 耀司は履物をそろえ、風呂敷を解いて日本酒を渡した。
 辛党の玄に合わせて、耀司は低温で熟成された辛口の大吟醸を選んでいた。
「今年も御世話になりました」
「こいつァすまねェな」
 顔をほころばせた玄が応接間の襖を開けた。
 床の間は既に新年を迎えるべく、旭日と青波の掛け軸が掛けられていた。
 日本間の畳の上、墨の赤く燃える火鉢が温もりを添えている。
「まあ菓子よりそいつを一杯やるのが先だ」
 一度奥へと引っ込んだ玄は二つぐい飲みを片手に戻ってきた。
「正月用にと思ってきたんですが」
 苦笑する耀司をよそに、
「久しぶりだ、お前と飲み交わすの悪かねェさ」 
玄は封を切って清酒を注いだ。
 瑞々しく、艶のある香りがぐい飲みから香る。
 誘われるまま耀司もそれに口を付けた。
 喉を滑る酒は柔らかな苦さを持って身体に染み渡る。
「……酒も飲めねェ歳だったな」
「何がですか?」
 ふと玄が漏らす言葉を耀司は聞き返した。
「お前がこの家に初めて来てから、もう随分と経ったなってェ事さ」
 早津田家の門をくぐったのは、父母が亡くなってからだ。
 ――そんなに経つか……。
 二十代に入るか入らないか、といった年だっと耀司は記憶している。
 ちょうど今時期、新たな年が迫ってきている頃だった。
「玄さんだって、そう変わらない歳だったでしょう」
 玄は冷酒を掲げながら瞳を細めて見せた。
「俺ァとっくに独り立ちしてたぜ」
「……そうでしたね」
 玄は呪医を生業としている。
 あらゆる呪いに関する知識を持ち、時には相手の呪いさえ請け負うという玄の話を口伝に聞き、耀司はこの家を訪ねたのだった。
「正直、こんなに長く生きられると思ってませんでしたよ」
「そいつァ今だから言えるこった。
死んじまったら何も言えや死ねェ」
 あの頃の玄が聞いたら、「腑抜けてんじゃねェ!」と一喝されたに違いない。
 耀司は過去へと思いをめぐらせた。


 早逝の宿業は、かつて瀬崎の始祖が蛇神を手にかけた為だと言われていた。
 始祖となった者と蛇神との間にどんな確執があったのか、それを知る手掛かりは少ない。
 何しろ真実を伝える者が呪いを受けて次々と亡くなってゆくのだから。 
 末代全ての者が倒れるまで、その呪いは深く瀬崎の血に染み付いていた。
 呪いから解放される術はなかった。
 ……耀司の代になるまでは。
 耀司が高校生になったその年、両親が二人とも事故死した。
 葬儀の間、耀司の耳には「やはり呪いが……」という参列者の声が届く。
 何もかもを呪いのせいにする理不尽さに耀司は憤りを感じていたが、同時に恐怖も覚えていた。
 ――次は、僕の番なのか。
 そう思うと些細な出来事全てが蛇神の引き起こしたものに思えてくる。
 歴代の瀬崎の中には、その恐怖に耐えかねて命を喪う者もいた。
 それこそが、蛇神が仕掛けた呪いだった。
 直接手を下さずとも、人の脆い心は恐怖に壊れてゆく。
 神たる己に楯突いた人間をあざ笑う声が、耀司には聞こえそうだった。
 ――こうして僕も……内側から壊れてゆくのか。
 そして死を迎える日まで。
 恐怖が限界まで高まると、訳もなく笑い出しそうになる自分がいた。
 しかし耀司生来の知識欲は、己が受けた呪いにも向けられた。
 長きに渡って人を殺す、その呪法はどう作用しているのか。
 どこかに、呪いを打破する糸口はないのか。
 そんな折、呪医という玄の話を聞いたのだった。
 玄は耀司の紡ぐ言葉を黙って最後まで聞いていた。
 恐怖にさらされながらも、強く蛇神とその呪いを知りたいという言葉を。
「浄化なんて出来やしねェな。それだけ強けりゃ」
 と、玄は言った。
 半ば予想していた言葉に、耀司は不思議と取り乱しもせず「そうですか」と答えた。
 玄は暫く耀司の表情を見つめ、何かを決めたように膝を打って立ち上がった。 
「来な。引き出してやるよ、お前がそいつと向き合いてェってんならな。
その上で片ァつけるがいいさ」
 玄に促されて足を踏み入れた板の間は、何かの稽古場のように広く、そして清廉な空気で満たされていた。
 身を清め、向かい合った耀司と玄は正座する。
 冬の太陽は既に傾き、差し込む光は紅かった。
「……静かに息吐いてな」
「はい」
 静寂の中、清澄なその場にそぐわない禍々しさが耀司の皮膚を食い破って流れ出る。
 声を上げそうになりながらも耀司は膝を崩さず、うねる流れがやがて蛇の形を取って玄と耀司の間に横たわった。
 シュウ、とかすれる音が絶えず蛇の口から漏れ、蛇は牙を剥くのだが耀司は視線を外さない。
 耀司は好奇の瞳をそらせずにいたのだ。
 ――霊的存在の実体化、それがこんなに近くで……!
 恐怖よりも、人智を超えたものに対する歓喜に満たされていた。
 ――ああ、少しでも長くこの者を知りたい。
    その為には少しでも長く、生きなくては。
 どれだけの時間が経ったのか、蛇は牙をおさめ、耀司の心に語り掛けてきた。
 ――貴様は知りたいのだな。
    狂おしい程この世界を、人の業を。
    恐怖さえも、智の対象とするか。
    秘匿された禁忌に触れる事は即ち、人である己を捨てる事に他ならぬ。
    承知ならば、片目を寄越すがいい。
    貴様は人の垣間見る世界を半分失くし、代わりに我が身と同じ世界を覗く。 
    我も一時、貴様と共に人の世界を垣間見るも一興……。
 蛇神が耀司の前から消えた後、耀司の左目は契約の代償として紅く染まっていた。
 それ以後耀司は、人ならざる世界に半ば身を置く事になる。


 玄に暇を告げ、外に出ると雪が積もっていた。
 薄っすらと石畳や木塀、その奥に植えられた寒椿に淡い白雪が掛かっている。
 ――あの頃も、寒椿に雪は積もっていただろうか。
 たぶん積もっていたのだろう。
 この辺りはずっと変わらぬ佇まいでいるのだから。
 塀よりせり出した寒椿の花びらが、雪の上に紅く散っている。
 それを一ひら拾い上げ、束の間手触りを楽しんだ後耀司は思った。
 ――以前は気付かなかった事にも目を向けられる、それは生きていればこそか……。
 耀司は二重回しの中に腕を仕舞い、家路を辿った。


(終)
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東京怪談
2005年12月29日

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