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『雪の日の格闘、その理由 』
高峯・弧呂丸4583)&高峯・燎(4584)


 あの日も今と同じように雪がちらついていた。

 東京近辺の交通事情は、少しばかりの積雪を前にしただけで、あっさりと脆く麻痺してしまう。
 夕べの早い時間からちらつき始めた冬の使者は、今朝にはくるぶしが埋もれるまでに達した。
 電車が遅れ、車道を行く車はいつもよりもその数を潜めている。車ばかりではなく、歩き行く人間達もまた、いつもに比べればその数は断然に少ない。
 弧呂丸は、この積雪の中にあってもなお、和装で身をかためている。コート代わりに羽織っている丹前に、雪を避けるための和傘。息は吐く傍から白い蒸気と化して雪景色の中へと溶けこんだ。
(程があるっつうの)
 電車の遅れを知らせるため、弧呂丸は燎の携帯電話に連絡をいれていた。双子の兄である燎は、弟の訪問を危惧しながらも、しかしそういった素振りは微塵も見せず、そう笑って言い放っていた。

 クリスマスイブ。元来の目的を離れ、ちょっとしたお祭りのようになってしまったこのイベントは、日本のあちらこちらを賑やかな色彩で染めていく。
 弧呂丸が今この雪の中、兄の部屋へと足を向けているのも、実はこのイベントの名残である酒類を届けようというものでもある。――――じつのところ、そんな理由などは口実にすぎないのだけれど。

 和傘に積もった雪を払い落とし、ついでにふと空を仰ぐ。雪はまだ止む気配も見せず、次から次へと地表めがけて舞い降りてくる。
 ――――あの日も今と同じように雪がちらついていた。
 こぼしたため息は、白い息となって昇っていく。


 兄弟が未だ少年と呼ぶに相応しい年であった頃。
 それは、兄弟の間にある溝が、未だ深く、色濃いものであった頃の事。

「ハア? 野郎の兄弟ふたりでクリスマス? 馬鹿かお前。なんだって俺がお前なんかと一緒に」
 自宅の、庭に面した長廊下。燎は、黒いコートに腕を通しながら、早足気味に進み歩く。
 長躯の上に、武道を心得ている者に特有の、無駄のない引き締まった体格。睨み見下ろされれば、それだけで言い知れぬ威圧感を見る者に与えるであろうその面立ちで、彼は小走り気味に縋りついてくる弧呂丸の姿を確かめた。
「でも、クリスマスは大切な人と一緒に過ごすものだって云うじゃないか。わ、私は、おまえとまた子供の頃のように仲良く」
 そこまで言い掛けた時、前を歩いていた燎が、その歩みをひたりと留めた。
 弧呂丸は、兄が自分の提案を聞き入れてくれたのだと、ほんの一瞬、ひどく顔を紅潮させた。だが、その願望は、次の時にはあえなく踏み壊されたのだった。
「お前、いつまでガキの気分を味わいたいんだ? クリスマスなんてのは、女との時間を存分に愉しむためのモンに決まってんだろ? お前はひとりでケーキでもつついてな」
 鼻先にかすかな嘲笑を浮かべ、弧呂丸を見下ろしてそう告げる。その声音は低く、そして冷ややかなものだった。
「……でも、私は……!」
 再び縋りつきかけた弧呂丸を、燎は片手で引き剥がして押しのけた。
「仲良くしよう。一緒にクリスマスを過ごそう。一緒にいよう。――ッハ、気味悪ィ!」
 押しのけた拍子に転げてしまった弟を、一瞥すると、燎は再び踵を返した。
 去っていくその後姿に、弧呂丸は懸命に声をかける。
「明日、昼の1時! 駅前のロータリーのツリー下で待ってるから……!」
 足を止める事なく歩き去っていく兄を、弧呂丸は、ただ見送るしかなかった。

 翌日。
 朝から降り始めた雪は、存外に積もりだしていた。
 駅前のロータリーについた弧呂丸は、時計塔が示している時間を確かめて、小さな白いため息をひとつ吐き出した。
 時刻は、兄に告げた13時よりも半時ほど早い12時半を示している。
 駅前は見事なイルミネーションが飾られており、夜ともなればそれは美しい光彩を放つのだろうと思わせた。
 積雪は、道行く子供達にとってはもの珍しいおもちゃのようなものに過ぎない。
 イルミネーションを背中に肩を竦めて佇む弧呂丸の前を、父母の真ん中で満面に幸福そうな笑みをのせた子供が歩き過ぎていく。
 見れば、今弧呂丸が立っているその場所は、待ち合わせの場所としてもうってつけの場であるらしい。弧呂丸が到着してから、もう既に3組のカップルが待ち合わせを済ませて去っていった。

 肩に降り積もった雪を払い落としながら、時計塔に目を向ける。
 時刻は既に14時をまわっていた。
 折れそうになる心を奮い立たせるため、弧呂丸は大きくかぶりを振った。
 耳がひどく冷えている。

 雪は止む事なく振り続け、気がつけば、イルミネーションには明かりが宿されだしていた。
 クリスマスイブを楽しむ人の群れは、親子連れやカップルに限らず、賑やかな友人同士というものもあった。なんにせよ、そのいずれもが、暖かそうに寄り添い語り合っている。
 時計塔は既に16時をさしていた。
 どこからか流れ始めたクリスマスソングに、弧呂丸は、知らず瞳を細ませる。

 弧呂丸と燎は、今でこそ見目も性格もまるで異なる兄弟であるのだが、幼い時分にはたびたび見間違えられるほどにそっくりな双子であった。
 ふたりで揃いの着物をまとい、寄り添い、手を繋いでいる写真が、当時のふたりを物語っている。
 ふたりは、とても仲の良い兄弟だった。
 ――――だが、いつからだったろうか。そうため息を吐き、弧呂丸は雪の降る灰色の空を眺め仰いだ。
 いつからか、ふたりの間には薄い溝が出来はじめていた。その溝は時を重ねるごとにその色を深め、深く刻みこまれていったのだ。
 ――――だから、その溝を、埋めたかったんだ

 雪が頬にあたり、溶けて流れた。

 結局、燎が来る事はなかった。
 弧呂丸は、それでもいつまでも兄を待っていようと思っていた。それは、もはや半ば意地のようなものでもあったかもしれない。
 ともかくも、弧呂丸がその場を後にしたのは、夜の帳があたり一面に広がり充ちた後だった。
 時計塔は19時をさしていた。
 全身が雪で濡れ、冷え切っていた。しかし、冷たさは既に感じなかった。麻痺していたのかもしれない。反し、頭のどこかがひどくぼうやりと熱っぽいような気がした。
 自宅までの帰路が、ひどく長いものであるように感じられた。


 燎の部屋につき、冷え切った体を温めるため、弧呂丸は急須に茶葉をいれていた。
「さすがにこれだけ降れば、街中を歩く人の姿も少なくなるね」
 湯気のたつ湯呑を燎に向けて差し伸べながら、弧呂丸は小さく首を傾げた。
「ハ。まあ、そうだろうな、普通」
 燎は弟の言葉に応じてそう返し、湯呑を口に運んで、その熱さに目をしばかたせる。
「――――ああー、でも、いたよな、確か。雪ん中、クソ真面目に6時間も立ってたヤツが」
「……?」
 燎の言葉に、弧呂丸は身を強張らせて片眉を跳ね上げた。
 訝しげに表情を曇らせている弟の心情などには気を向ける事もなく、燎はソファに身を沈ませる。
「ああ、そうだ。確か七年前だったよな。あれ、イブだったよな。お前、俺に縋りついてきやがってなあ。ホント犬っころみてえで」
 ソファに腰を落ちつかせ、湯呑を口にしつつ、燎はヒヤヒヤと笑った。
「……6時間……?」
「ああ、そうだ、ハッキリ思い出したぜ、コロ助! 12時半について、帰ったのが7時過ぎだったよな。すげ、7時間近いじゃねえか! ハチ公もビックリだな、おい」
 弧呂丸が身を震わせているのにも気がつかず、燎はさらにそう告げた。
「……まさか、おまえ、あの時、来てたのか……?」
 声が震え、びんと跳ね上がったままの片眉の下の眼光が静かな怒気を滲ませる。
 燎は、そこでようやく弟の異変に気がついて、のんびりとした表情で弧呂丸の顔を確かめた。
「お前、ホントよく待ってたよな、6時間以上も」
 笑みさえのせてそう告げた、その時。燎の顔面に、淹れたての緑茶がぶちまけられた。
「うぉち! おま、ちょ、コロ助!」
 転げ回る燎の上に、すかさずまたがった弧呂丸が、言葉もなく拳を振り上げる。
「うぉあ、おま、ちょ、落ちつけって! いて、痛ぇっての!」

 繰り広げられるネコパンチの理由を、燎は未だ気がついてはいないようだった。


―― 了 ――
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東京怪談
2005年12月29日

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