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『第五話 探求者の抱く五徳の薔薇 』
伏見・夜刀5653)&ルーカ・バルトロメオ(5951)

 緑青の浮く門扉の奥、魔術ソサエティ<矢車菊の守り手>の所有する洋館がひっそりと佇んでいる。
 門扉にはソサエティの呼び名の一つ、たおやかな花びらを持つ矢車菊の意匠が施されている。
 伏見夜刀は教会を離れ、一人この会館へとやってきた。
 会館には夜刀の他にも、更なる智の探求を求めて魔術の資料を閲覧しに訪れる人間が絶えず出入りしている。
 彼らは夜刀の瞳の色に一様に驚いたが、その後の態度は様々だった。
 <黄金の暁>としてうやうやしく振舞う者、夜刀に取り入ろうと言葉巧みに近付こうとする者、強大な潜在魔力を恐れて遠巻きに見守る者など――夜刀が両親と暮らしていた頃にもあった事だが、今はそれらから守ってくれた父母がいない。
 元より他人と打ち解けるには時間を要する夜刀が、知らず知らず表情を暗くしていったのも無理はなかった。
 年齢も離れた彼らとは常に一線引いたまま、夜刀は会館で過ごしていた。
 何もわからない子供を演じていれば、彼らはやがて離れていく。
 ――何もわかっていないのは、本当かも知れないけれど……。
 温かな陽射しがステンドグラスを通して窓際の夜刀に注いでいたが、その表情は重い。
 会館の蔵書室から持ち出した魔術書を読み解いても、自分に合ったものがなかなか見つけられなかったのだ。
 あらゆる魔術系統を取り入れたソサエティの資料で、夜刀はかえって混乱していた。
 ――僕にできる事は、何なんだろう……。
 ソサエティに師とすべき人間を探してもらう一方で、自分に適した魔術系統を調べていたのだが……。
 ステンドグラスには三羽の燕が舞っている。
 季節を告げる渡り鳥がこの地を訪れるまで、まだ時間があった。


 コピー機のない時代には、文献を一つ一つ写し取るしかなかった。
 その目的で作られた浄書室は他に出入りする者もなく、夜刀はそこで過ごす事が多くなっていた。
 ふと、夜刀はその暖炉の奥に光るものを見つけた。
 会館の各部屋には暖炉が備え付けられていたが、今はほとんど使われず、オイルヒーターが用いられている。
 外から差し込む光の加減で偶然光っているようだ。
 好奇心のままに近付いて、灰の中に埋もれる物を夜刀は拾い上げた。
 蜻蛉の翅を付けた金細工の女性が中央に青い輝石を抱え、その下には長い針が伸びている。
 どうやらハットピンのようだ。
「……どうして、こんな所で」
 呟く夜刀の指先に小さく鋭い痛みが走った。
 ハットピンの先端が柔らかな肌に傷を付け、見る間に紅い滴を結ぶ。
 ――……!!
 鼓動が大きく跳ねた。
 紅い記憶が再生される。
 夜刀の意志とは関係なく、過去は生々しさを伴ってその場に展開されてゆく。
 懐かしいはずの家は、今は最も遠くに追いやりたい場所になってしまっていた。
 ――僕は何度、父さまと……母さまに手をかけなくちゃならないんだ……!
 夜刀の意志は最奥へと押しやられ、代わりにハットピン『蜻蛉の女』に込められた魔術がその場に展開する。
 『蜻蛉の女』は対象者の過去を辿り、その場にいる人間にまで見せる事ができる。
 蜻蛉の翅は夜刀の心を無視し、時を遡る。
 ――……もう、これ以上見せないで!
 自分の意志ではハットピンを持つ手に力が入らず、それを手から落とす事もできない。
「おい! お前何やってる!?」
 扉を開ける音と、怒鳴り声が聞こえた。
 声の持ち主は二十代半ばの青年で、長めの金髪を揺らし、薄い青の瞳に怒りを宿している。
 ――誰だろう……初めて見る……。
 反応の返らない夜刀に苛立った青年が、ち、と舌打ちして呪文の詠唱を始めた。
「……我は、汝を召喚す!
我が同胞にして最愛の隣人アレクシエルよ、至高の天主よりの力を持ちて我は力をこめ汝に命ず!
彷徨える羊飼いの杖。
六番目の指を持つ子供。
泉に落ちる乙女の髪。
安寧にまどろむ緑滴るかの地の名により。
絶対封魔の護り手シャンク・ランク、デルエル、および全ての翼あるものの名によりて!
および白鍵騎士団における第二騎長・滅紫ヴォズハーンの名によりて!」
 よどみなく詠唱を続ける青年の背後、空間が一点を目指して凝縮されていく。
「ここに汝、アレクシエルを召喚す!!」
 青年の背後に翼を広げた者が降り立つ。
 その性別や表情は、光のまぶしさでよくわからない。
 ――……天使?
 温かな光が夜刀の指先に点り、止まらなかった傷が塞がってゆく。
 それと同時に、再生され続ける過去の映像は止まり、夜刀は意識を手放した。


 ルーカ・バルトロメオは気を失った夜刀を担いで階段を降り、とりあえず談話室のソファに転がした。
 ルーカはイタリア国防省傘下の治安部隊・カラビニエリの隊員で、不正流出したイタリアの美術品を追い、日本とイタリアを行き来している。
 ルーカも魔術ソサエティに属しているが、会館に立ち寄ったのは偶然で、浄書室の隣で資料を探している最中だった。
 突然魔力の奔流を感じて扉を開けた先には、男女に手をかける少年の映像が展開されていた。
 夜刀の過去だ。
 その手に握られているのが『蜻蛉の女』と気付いたが、アレクシエルの治癒能力が夜刀の心を落ち着かせられるかは一つの賭けだった。
 魔術は万能ではない。
 ――このガキ何やらかしたんだ?
 ソファで眠る夜刀は線の細いただの少年に見える。
 が、過去に展開された姿には別の雰囲気が漂っていた。
 支配者の傲慢、不遜、高潔。
 ――別人格?
 ルーカがネクタイをゆるめて考え込んでいると、会館に常勤している老齢の管理人が慌てて現われた。
「ふ、伏見様はご無事ですか!?」
「あ? 様ァ?
こいつ何様だよ。二階で勝手に暴走してたぜ?」
 管理人は夜刀の呼吸が規則正しいのに安堵し、上掛けを持ってきてそっと掛けた。
「この方は伏見夜刀様。
バルトロメオ様もご存知かと思いますが、<黄金の暁>となる方です」
 ルーカはあからさまにうんざりした表情を作った。
 かつて何人もの『再来』が現われていたからだ。
「それ、ホントかよ?
ちょっと魔力があるからって、勝手にそう呼んじまっていいのか?」
 夜刀の頬にかかる髪をよけてやりながら、管理人は答えた。
「彼は黄金の瞳を持っています」
「ふぅん……」
 確かにその潜在的な魔力はルーカにも感じられた。
 が、それだけに何の手段も用いずに魔力を暴走させた夜刀に苛立つ。
「おい、こいつの師匠出せ。
媒介で魔力抑えてやるのが普通だろ? 
あんだけ感じやすけりゃ怖くて物にも触れねぇ」
 ルーカもまた魔力を制御するために魔術媒介を用いている。
 彼の場合は眼鏡で、髪を上げスーツに身を包むと研究者のような理知的な雰囲気を持つ。
 が、その荒い口調で全ての印象を裏切るのだが。
「この方はまだ師に付いていません」
「あ?」
「まだ、彼に見合う師がいないのです……」
 師となる人間の選別には、能力、魔力、そういった理由の他に、ソサエティ内の発言力なども関係しているのだろう。
「胸クソ悪ィ」
 吐き捨てるようにルーカは言った。
 その横で夜刀が軽くうめいて目を覚ます。
「伏見様、ご気分は?」
「……平気、です」
 ゆっくりと開いた夜刀の瞳に、ルーカは「確かに金色だな」と思った。
「こちらはルーカ・バルトロメオ様です。
我がソサエティの<白鍵騎士団>所属、『白の第二鍵』とも呼ばれる方です。
先程、伏見様を助けて頂いたのですよ」
 管理人の言葉に、夜刀はぼんやりルーカに視線を合わせた。
「よ、坊主。ガキが一人で何やってんだ?」
「バルトロメオ様!」
 夜刀の周りには基本的に丁寧に話す人間が多かった。
 生まれ育った家では主の息子として、また教会では守られるべき幼子として。
 ――何て言葉が汚いんだ!
 む、と眉を寄せた夜刀は、殊更丁寧に礼を言った。
「……助けて下さって、ありがとうございました」
「別に。どうって事ねぇよ。ガキの面倒見るの嫌いじゃないしな」
 さらりと夜刀の皮肉を流して、ルーカは管理人に珈琲を頼んでいる。
 子供扱いされた夜刀は内心腹立たしさで一杯だった。
 ――ば、馬鹿にして……!
「所で師匠がまだいないって?」
 管理人が用意した珈琲を飲みながらルーカが聞いた。
「俺が手伝おうか?」
「結構です!」
 夜刀は即座に断った。
 ――こんな人についてたんじゃ、立派な魔術師になんてなれないよ!
「伏見様!」
 普段はおっとりとした夜刀が感情をあらわにしているのを見て、管理人ははらはらと気をもんだ。
「伏見様……バルトロメオ様は今ではメンバーも数少ない、白鍵騎士団の一員です。
ご助言を頂くのも良いかと思いますが」
「……とにかく、僕一人で何とかします!」
 夜刀はそう言い放つと立ち上がった。
 くらり、と頭に痛みが走るが、それを無理におして扉に向かう。
「さっきは『一人で何とか』なってなかったろ?」
 背後からルーカがそう一言投げたので、夜刀は怒りと羞恥に顔を赤らめる。
 言い返せない自分が悔しくて、夜刀は扉を強く音立てて閉めた。


「あの人何だよ! 偉そうに!」
 クッションに八つ当たりしながら、自室に戻った夜刀はルーカの態度に腹を立てていた。
 実際は思うように進まない魔術修養も理由に含まれているのだが、夜刀はルーカに怒りの矛先を向けていた。
 が、ひとしきり苛立ちをぶつけると、今度は自己嫌悪に襲われだした。
 ――さっきのは、確かに僕も……子供っぽかったような……。
 ベッドの上でごろごろとクッションを抱えて先程の場面を反芻する程、自分とルーカの格差にいたたまれなくなる。
「おい、入るぞ」
 ノックは一応しているが、夜刀の返事を待たずにルーカが部屋に入ってきた。
「は、入っていいって、言ってないじゃないですか!」
「鍵かかってねぇんだし、いいだろ」
 そう言ってルーカは文庫程の大きさの本を投げ寄越した。
 ベッドの上、夜刀はそれを手に取る。
 黒い革の表紙に、金と赤で五枚の花びらを持つ薔薇が刻印されている。
「……何ですか、これ」
「探求者に向ける栞、『五徳の薔薇』。俺が師匠に最初にもらった本だ。
ここの資料室にもあったから持ってきた。
自分に何が向いてるのか、少しは参考になるはずだ」
 薄い紙で出来たページを開くと、魔術系統を様々な角度からまとめた文章が続いている。
「……僕はバルトロメオさんのようには」
「いく訳ねぇよ。単純に修練してる年月だって俺のが上だし。」
 そこでルーカは神妙な表情を作る夜刀に笑いかけた。
「俺みたいに、全てを屈服させるやり方は合わねぇんだろ?
アレクシエルも、まあ半分は力ずくで呼んでるしな。
だったら別のやり方で目指せよ。お前のやりたいものをさ」
 ――僕は……何にこだわってたのかな。
 夜刀はようやく素直に礼を口にした。 
「……ありがとうございます」
 ルーカが笑いながら夜刀の頭を上から撫でた。
「一応、後輩の面倒見るのは騎士団の規律にあるしな」
 その言葉にまた子供扱いされている自分を感じ、夜刀は眉を寄せてルーカを睨んだ。
「一応ですか」
「ハハ、まあ、面白いと思うぜ。その本」
 夜刀が手近なクッションを投げそうな気配を感じ、ルーカは会話を切り上げて出て行った。

 
 五弁の薔薇が持つ聖痕のイメージと、金星が描く幾何学模様の魔術的意味合いをも語りながら、『五徳の薔薇』最後のページには中世ヨーロッパにおける五徳――思いやりの心、親切、謙遜、優しさ、広い心などが記されていた。
 ――バルトロメオさんが、先生に初めてもらった本か……あの人にも、師になる人が居たんだな……。どんな人だったんだろう。
 夜刀はページを捲りながら自分に見合う魔術、いや自分が魔術で見つけたいものを考えていた。
 ――僕は……僕の中に誰かが眠っているように、物に宿る魔力、それが何か訴えたいのなら、知ってあげたい。
 それがいつか、自分自身を知る鍵にもなるように夜刀は思った。
 探索、探求の魔術。
 より深く、広く、世界を瞳におさめるための魔術を夜刀は選んだ。


(終)
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東京怪談
2005年12月29日

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