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『クリスマスローズを、あなたに 』
藤井・雄一郎2072)&藤井・せりな(3332)

 花屋というのは一年中忙しいものだが、ことに、12月も半ばを過ぎてからはぶっちぎりの戦場が続く。
 クリスマスイブの今日もまた、売れ筋商品であるところのポインセチアやシクラメン、シンビジュームが並んだ店頭には客足が絶えない。プレゼント用の小さなアレンジメントやクリスマスリース、スタンダードな薔薇の花束もよく売れていく。
 藤井雄一郎は、全開営業中であった。
「すみませーん。白いシクラメンが欲しいんだけど、どの鉢がいいかな? 誰かにあげるんじゃなくて、部屋に置きたいの」
 セーラー服の少女に問われ、雄一郎は真剣に物色する。
「ウチのは、シクラメン育成にかけては達人の斎藤さんから仕入れてるからどれも悪くはないが――長く楽しみたいんだったら、小さな蕾がいっぱいついてるのがいいぞ。これなんかどうだ?」
 あまり花が開いておらず、見た目は目立たない鉢を選び取る。 少女は、こっくんと素直に頷いて受け取った。
「ん、いいかも。シクラメンの蕾って、小鳥のくちばしみたいで可愛いよね」
「長持ちさせるコツは、直射日光に当てないこと、水をやるときはいったん汲み置きしてから使うことだ。冬場の水道水は冷たくて、そのままだと根っこに低温障害が起きることがあるから気をつけてな。……よし出来た。はい、どうぞ!」
 管理方法を手短につたえながら、持ち運びしやすいように梱包する。持ち手の邪魔にならぬ場所に、赤と緑のリボンをつけることも忘れない。少女は自宅用と言ったが、何しろ今日はイブだ。
「どうもありがと。花屋さんて、こんな日でも仕事休めなくて大変だね」
「はっはっは! サンタクロースを筆頭に、そんな大人は世界中にいるさ。ご心配なく。良いクリスマスをな、お嬢さん」
「うん、花屋さんも」
 レジを終えた少女はぺこりと頭を下げて、鉢を大事そうにかかえ、イルミネーションの輝く歩道に戻っていった。
(……あれくらいの年頃だとまだあどけないなぁ。もうちょっとすれば、プレゼント用の花を買いにくるようになるのかも知れんが……。可愛い娘を持った親御さんはさぞ心配だろうな。いきなり彼氏とか連れてきたりしたら……うわぁ、許さんぞ父さんは! 結婚なんて認めんッ!)
 少女の後ろ姿を見送りながら、雄一郎はクリスマスカラーのリボンの切れ端をぐぐっと握りしめる。
「これ、店主。わしにもポインセチアをおくれな」
 横合いからエプロンをちょいちょいと引っぱる、枯れ枝のような手があった。おかげさまで、妄想モードに突入しかけた雄一郎は現実に帰還することができた。
「あれ、おばば。いらっしゃい。ウチに買い物にくるなんて珍しいなぁ」
 近所で昔懐かしい煙草屋を営んでいるおばば――皆がそう呼んでいるので、本名はとんと判らない――が、曲がった腰を伸ばし伸ばし、ポインセチアコーナーを物色している。
「世間様は華やかじゃで、煙草屋の店先にもなんぞ置きとうなっての」
「ほほお。ありがたいけど、2、3日経ってからのほうが、値下げしてっからお得だぞ?」
「店主みずから、そんな商売っけのないことを言うでない。こういうものはレア感が大事じゃ。……とはいえ、まとめ買いはやめておこう」
 今日はこれを一鉢だけ、と、おばばは指さす。
「シクラメンとシンビジュームは5、6鉢、後日見繕って届けてもらおう。3割がた値下げした後でな」
「せこ……じゃなくて、買い物上手だなあ。ところで、何で今日買うのがポインセチアなんだ?」
「花言葉が気に入っておる」
「ええっと。赤いポインセチアの花言葉って、たしか……」
「『私の心は燃えている』じゃ!」
「……すまん、おばば。俺、修行不足でどう突っ込んでいいかわからんッ」
「ふっ。店主は、わしから見ればまだまだヤングボーイじゃの。それはそうと、別嬪の恋女房の姿を見かけぬが、どこに行った?」 
 腰のあたりに手を当てて、おばばは店内を見回した。
 丁重にディスプレイされた花々も、趣向を凝らしたアレンジメントの花束も、センスの良いリースも、藤井せりなの手によるものである。だが肝心のせりなは、どこにも見あたらない。
「よりによってイブに愛想をつかされたか? 気の毒に」
「縁起でもない。せりなは今、配達に行ってるんだよ」
 おばばお買いあげの色鮮やかなポインセチアの鉢に、リボンをぐるぐると巻きつけながら雄一郎は言う。
「薔薇を100本、注文してくれたお客さんがいてな。戻ってきたら、今日は店じまいだ」
 
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 せりなとすれ違いざま、きららかな街を往くひとびとは次々に振り返った。
 店のロゴ付きバンから降り、エプロンをつけたまま運んでいるので、ああ仕事中の花屋さんだな、というのは一見してわかる。それでも、大輪の薔薇の花束のボリュームは圧倒的な迫力があった。
 抱えて歩いているせりなは、顔面まで薔薇で隠され、前が見えない。ふらつきながら無理な体勢で建物を確かめつつ、ようやく目的のマンションに到着した。

 真紅の薔薇を100本という豪儀な発注は、この時期のフラワーショップには、必ずといっていいほど1、2件は舞い込んでくる。
(クリスマスですから、彼女に薔薇を贈ろうと思いまして)
 この薔薇の注文主である青年も、照れくさそうな声で、そう電話を掛けてきた。
 ベツレヘムに住む羊飼いの少女が、救い主の生誕の夜に摘んだという『クリスマスローズ』。それは、薔薇ではなくキンポウゲ科ヘレボルス属に含まれる植物の総称である、ということなど、今どきの利口な若者たちは皆知っている。
 しかしなお、特別な日に贈る花として人気なのは、やはり薔薇だった。
 ひとくちに真紅の薔薇といっても、品種によってかなり個性が違う。その選択はプロにまかせます、鮮やかで華麗なものであれば――注文主にそう言われ、雄一郎が選んだのは『オスカー』という品種であった。
(新しい品種ね。満足してくださるかしら? 真紅系の大輪は、『ローテローゼ』が定番じゃない?)
(そうなんだがな。今、注文をくれた青年の彼女には、これがいいような気がするんだ)
(どうして?)
(勘!)
 はっきりきっぱり揺るぎなく夫が言い切ったので、せりなも頷いたのだった。
(わかったわ。あなたの勘を信じましょ)

「届けてくださってありがとうございます。最初は取りに伺うつもりだったんですけど、彼女が早めに来ちゃって」
 チャイムを押すか押さないかのうちに、玄関の扉が開けられた。爽やかな雰囲気の長身の青年が、花束を受け取る。
 ドアの隙間からは、スパイスの利いたチキンの香りと、甘いガトーショコラの匂いが流れてきた。
 恋人たちのイブは、つい先刻、始まったばかりらしい。薔薇の香りと色合いに、注文主は目を細めた。
「綺麗ですね。ローテローゼよりも、少し明るめかな」
「気に入ってくださるといいんだけど。この品種、『オスカー』って言うんです」
「ああ、それは」
 そっと室内を振り返り、青年は微笑む。
「ぴったりだ。彼女、女優なんですよ。まだ新人ですけれどね」

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 せりなが帰ってからにすればいいものを、青年は恋人を玄関先に呼び寄せて、花束を渡した。
 真紅の薔薇に勝るとも劣らない新人女優は、満面の笑顔で、青年と、そしてせりなに礼を言った。
 これがフラワーショップの、イブの仕事納めだと聞いた女優は、せりなに耳打ちをする。
「ケーキの用意がまだなら、このマンションに入ってるお店で買うといいですよ。美味しいし、デコレーションも素敵だし、おまけでつけてくれるキャンドルが可愛いの」

 ――そしてせりなは、我が恋人のために、小さなケーキをひとつ買った。

  ☆.:*☆*:.☆   ☆.:*☆*:.☆ ☆.:*☆*:.☆

 夕食は、オレンジペッパー風味のチキンのグリルに、鶏皮と水菜のサラダ。
 いつもよりはほんの少し華やぎのある食卓に、雄一郎が買い置きしていたロゼのスパークリングワインが添えられる。
「あら、おいし。やっぱりドンペリは違うわね」
「……国産だ。シャンパンじゃないぞ」
「そういう気分ってことよ。ね、私にも薔薇をちょうだい?」
「ええっ!」
 雄一郎は飲みかけのワインにむせた。くすくす笑いながら、せりなはテーブルに落ちた飛沫を拭く。
「冗談冗談。お花なら、毎日もらってるもの」
「あ? ああそうか。店で見飽きてるよな、うんうん」
 違うのよ、とせりなは声に出さずに言う。
 鮮やかに紅い、雄一郎の心の炎。
 真っ正直に語りかけてくる花束を、私はいつも受け取っている。

「ケーキ、食べましょうか?」
 ひととおり食事を終えてから、ラッピングされた箱を開ける。紅い小花が散ったような、ブルーベリー、ラズベリー、クランベリーで飾られたケーキが現れた。
「おっ。キャンドルがついてるぞ。年の数だけもらったのか?」
「お誕生日のケーキじゃないんだから。あかり、消すわよ」
 小さなケーキにふさわしい華奢なキャンドルをセットしてから、リビングダイニングの照明を消す。

 ふ、と。
 真っ暗になった部屋に、キャンドルの灯がともる。
 せりなが放った、炎だった。

 炎は、純白の花のかたちをしていた。
 ベツレヘムの羊飼いの少女が雪の中から見いだした、クリスマスローズ――

「プレゼントよ。いつも、もらってばかりだから」

 ケーキの上で、炎の花が揺れた。
 

 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年12月26日

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