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『Working X'mas 』
榊・遠夜0642)&小石川・雨(5332)


「榊くん、12月は別名なんていうか知ってる?」
 今年の冬は暖冬になる――だなんてこと、秋半ばに誰かが言っていたような気がする。しかし、実際に到来したのは。
「突然、何?」
 予想外の大寒波。連日、ニュースでは各地の大雪を報道している。
 もちろん雪の降らない地域だって、当然のごとく厳しい冷え込みに襲われており、日暮れ間際に手袋無しで街を歩けば、指先はまるで氷のように温度を失う。
「何、じゃなくって。とにかく、12月の別名は?」
 そんな木枯らし吹きすさぶ外界とは隔離された、ほんわかと温かな空間。馴染みのパン屋のレジの前。相変わらずの無表情のまま、不意の問いかけに疑問符を浮かべているのは榊・遠夜。
「……December」
「あぁ、なんでそっちいっちゃうの! もっと素直に」
「Dezember?」
「……榊くんってどこ生まれ?」
「師走?」
「そう、それ! それなのよ」
 レジの内側でようやく遠夜から納得の行く答えを引き出し、ちょっとだけ満足そうな顔をしているのは小石川・雨。このパン屋のアルバイト店員。面倒見のよさはピカ一で、それが遠夜との出会いのきっかけにもなっていたりする。
「小石川さん、手が止まってるよ」
「いいのよ、いま他にお客さんいないんだから。とにかく、今は師走なの。わかる? 師走。先生が走り回らなきゃいけないくらいに忙しい月なの。というわけで、24日って予定入ってる?」
 清潔感とどこか居心地のよさが漂う店内。勤め人が帰路につくには若干早い時間だからか、偶然にもプツリと客足が途絶えた――ひょっとすると目に見えない誰かの悪戯かもしれない――店の中に、雨の弾む声が響く。
 焼き上がったばかりのメロンパンの甘い香りが遠夜の鼻腔をくすぐる。女性にとっては魅惑的なそれに、遠夜も心を和ませながら頭の中に仕込んであるスケジュール帳をはらりとめくった。
「24日……何もないよ」
「そうなんだ! それじゃ榊くん、一緒にケーキを売るの手伝ってくれないかな?」
 12月24日。
 恋人同士にとっては年内最後の一大イベント。しかし、幸か不幸か遠夜にはとんとご縁がなかったらしい。雨にいたっては、どうやらこの日もばっちりバイトのようだ。
 なんと言うか、考えようによっては多少のわびしさも漂うのだが、遠夜の思考回路にはそんな思いは微塵も思い浮かばなかったらしい。
「別に、暇だからかまわないけど……だけど僕でいいの?」
 どうやら雨の「師走議論」はここに繋がるための布石だったらしいと理解しながら、彼女の背後、店の奥を覗き込む。そこにはせっせと次のパンを仕込む店長の姿。
 いくら遠夜が雨の誘いにOKを出したところで、肝心の責任者がどう判断するか――というかそもそも論、店長が臨時バイトを雇う気があるのかどうかも不明なところ。
 けれどそんな一抹の不安も、一瞬の後には払拭された。
 ぺこりとパン生地をこねる手をとめて下げられた頭、それは歓迎の意。
「じゃ、決まりね。24日は9時には来てね。お店は10時からだけど、その前にディスプレイや何やらで大忙しだから。それから――これ」
 はい、と雨の手から渡されたのはお店のロゴマークがプリントされた見慣れたビニール製の買い物袋。その中には、遠夜がチョイスして代金を支払ったパン。
「あれ?」
 一個、二個、と数えて、もう一度確認。
「僕、これは注文してないはずだけど」
 がさごそと袋の中に手を入れると、指先に触れたのは、ドキッとするほどの熱。
 予想していなかった衝撃に、思わず手を引いてしまった遠夜に、雨が快活な笑い声を上げた。
「揚げたてのコロッケパンよ、新作なの。それはアルバイト了承のお礼、ね、店長」
「え? でも」
「いいのいいの、榊くんったら薄いんだから、それでも食べてボリュームつけて。そうじゃないと24日もたないわよ」
 反論は、カランと扉につけた鈴が鳴る音に遮られた。
「いらっしゃいませー。今、メロンパンが焼きあがってますよ。それから新作のコロッケパンもコロッケ揚げたてでお勧めです――じゃ、榊くん。またね」


 かくして、12月24日。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませー! ……榊くん、声小さいよ」
 足元には小さなストーブ。
 寒空の下、店の前に作られた臨時のケーキ販売スペース。
 揃いのエプロンを身につけ、並んで接客に励んでいるのは言うまでもなく雨と遠夜。
 寒さから外出を控える人が増えるんじゃないか、と予想していた遠夜は、自分の考えが果てしなく甘かったことを痛感させられていた。
「小さいの一つに大きいの一つですね、あわせて3885円になります〜」
 開店どころか、ケーキを店の前に並べ始めた頃から人々が集まり始め、それからずっと人波は途絶えることなく続いていた。
 恐るべきは、日本人のイベント好き根性といったところか。
「5000円のお預かりですね、1115円のお返しになります。楽しいイヴになりますように」
 隣で満面笑顔を絶やさぬまま、接客を続ける雨に、遠夜は内心尊敬の念を覚える。
 いくら慣れているとはいえ、まったく疲弊感を漂わせないのはプロの仕事だ。もちろん、遠夜だって「人が苦手」なんて悠長なことを言っている場合ではない。
「いらっしゃいませ。えーっと、大きいの一つですね。それなら税込みで2310円になります」
 電卓を叩いて釣銭を数えるのは、とうの昔にやめていた。
 同じ金額なら、数回繰り返せば数字は頭の中に否が応でも叩き込まれる。あとはそれを活かしていかに素早く詰め掛ける客を捌くかだ。
 悪気があるわけではないのだが、どうにも不機嫌そうに見えてしまう遠夜の無表情に、時間に余裕のある客は雨の方に寄り付く。逆を言えば、遠夜の方に集まってくるのは時間を気にしていると思われる風情の人々ばかり。
 こうなっては、無心で販売マシンになるしかない――気分は既に自動販売機だ。最近じゃ、音楽が流れたり、音声で感謝の言葉を言う機種もあるらしいから、実際問題そう遠くはないかもしれない。
「ほら、榊くん頑張って。あと少しで休憩だから」
 慣れない仕事にどうしても浮かぶ疲れの色を隠せぬ遠夜に、雨が時折軽く背中を叩いてエールを送る。
 もちろん表情は常と変わらぬ――どころか、元気と明るさで輝きを増したようにも見える笑顔。
 その笑顔に、遠夜は表情は変えぬまま心の底から気合を奮い起こす。
 それでも遠夜の足は既に棒状態。
 歩いているなら、これくらいの時間じゃどうもないはずなのだが、一箇所に立ち尽くすというのは存外疲労が蓄積するものらしい。もちろん、遠夜の「本来の仕事」でなら、立ち続けるという経験がないわけではないが――状況が違うだけで、感じるものも大きく異なるわけで。
「あら、ケーキは僕が持つの? だいじょうぶかな〜? 気をつけて帰ってね。くつしたの準備も忘れちゃダメよ〜」
 小さな子供連れを接客していた雨の様子を、ちらりと盗み見すると、小さくバイバイと手を振っている。
 本当にたいしたものである。
 とにかく一人一人に応対するのが精一杯の遠夜に対し、雨にはちょっとした気遣いをする余裕があった。
 今の気持ちを素直に言葉にしたら、きっと「慣れているから」という返事が返ってくるだろうが、それでも凄いものは凄い。こんな彼女だからこそ、二人が知り合うきっかけを作ることが出来たのだろうか。
 疲労に比例して生まれてくるようやくの慣れ。
 少しだけ余裕が出てくると、ふとした瞬間に様々なことに思いや目を馳せる事ができるようになってくる。
 華やかなクリスマスイルミネーションにデコレートされた街路樹。次から次へと現れる人々は、よくよく見るといつもとどこか違う雰囲気。
 そんなクリスマス特有の雰囲気を身体で遠夜が感じられるようになったのは――疲弊感は除く――目の前のテーブルの上がほとんど空っぽになる頃だった。
「ありがとうございましたー! 素敵なクリスマスを」
 最後の一個を極上の笑みと共に、雨が客の手に渡したのは日暮れまではまだ時間のある頃。
「……クリスマスってすごいね」
「ウチのクリスマスケーキは素朴だけどあったかいって評判なの。まさに手作りパン屋さんの味ってとこかな」
「そうなんだ」
「そうなの。でも思ったより早く売り切れたかな、これも榊くんが手伝ってくれたおかげだよね」
 時々、遠夜くんの顔に見とれてるお客さんがいたんだよ。
 こそりと雨に耳打ちされたが、どうにも遠夜にはピンとこなかった。それよりむしろ、そんなところにまで目がいっていた雨の方に、感心する思いが先行する。
 外に出していたテーブルを二人で店内にしまい、店の前に少し早いが「本日のケーキ販売は終了しました」の札をかけた。
 ちょっと待っててね、と店の奥に消える雨を見送り、遠夜は一人店内に取り残される。
 普段は客として訪れるこの場所、半日に満たないほどだが手伝いをした今は、その風景がまた違って見えるような気がした。
 ガラス戸越しに外を見やれば、遠くからケーキの売り切れを惜しんでいるような姿がちらりほら。
 振り返るとガランとした空間。
 朝来た時は、本当に売り切れるのだろうかと不安になるほどの、大きなケーキの山があったのに。
「大丈夫?」
「え?」
 気付かぬうちに雨が戻ってきていた。
 些細な気配に気付けないほど、自分は疲れているのだろうか――なんてことを考える前に、思考回路は不意に頬に押し付けられた熱に道筋を奪われる。
「ごめんね、疲れたでしょ?」
 はい、と差し出されたのはマグカップに注がれた淹れたてのコーヒー。
 雨の空いている方にも同じもの。
「店長が疲れてるときにはこれが一番って。ちょっと甘めにしてあるけど平気?」
「……美味しい」
 ふわり。
 まさにその形容がぴったり――と言うか、そうとしか言えないような。
(「……なんだ、笑えるんじゃない」)
 今、自分が目撃したのが幻じゃないかと、不自然にならない程度に瞬きを繰り返し、雨は思わぬ遠夜の笑顔に、心の中だけで一人呟く。
 本当は、叫びたいくらいにビックリしたのだけれど――この雰囲気を壊してしまうのは、なぜだかとても勿体無いような気がしたから。
 自分の中の感情を誤魔化すように、カップの中のコーヒーを一気に飲み干す。
「どうかした?」
 気合で驚きを表に出さないように踏ん張ったつもりだが、雨の微妙な変化に気付いてしまったらしい遠夜が赤い瞳を覗き込む。
 普段は落ち着いた色合いにそまった双眸は、主の心境を汲み取ったかのように僅かに鮮やかさを増していた。
「ううん、なんでもないよ。あ、これ店長から」
 もちろん「榊くんの笑顔に驚いた」なんて言えるわけもなく、雨は慌ててカウンターの方へ向き直る。そこには先ほど売り切ったはずのケーキの箱が大小一つずつ。
「頑張ってくれたお礼に残しておいてくれたんだって。榊くんはおっきいのと小さいのとどっちがいい?」
「……女の子って甘いもの好きだよね?」
「もちろん♪」
「じゃ、僕は小さい方でいいよ」
「え? あ、別にそういう意味で言ったんじゃないよ。榊くんが大きい方もって帰ってもいいんだよ?」
 目の前で先ほどまでの仕事ぶりが嘘のようにオロオロし始めた少女に、再び遠夜の顔に普段は決して見ることの出来ない微笑が刻まれる。今度は、先ほどより少し甘めの。まるでケーキ全体をコーティングしてある生クリームのような。
「小石川さんは、今日一日楽しかった?」
「え?」
「僕は楽しかった。疲れたけど、普段やらない経験させてもらえたし、色々勉強になったし。だから大きい方は今日の感謝を込めて」
 だから、遠慮しないでと言われて、雨はちょっとばかり納得いかないような風情を残しながらも、遠夜に小さいほうのケーキを手渡す。
「そういってもらえて良かった。私も楽しかった……滅多に見れないものも見れちゃったし」
 最後に付け加えられた言葉は、聞き取れるか聞き取れないかギリギリの声で。しかし耳聡く聞きつけたらしい遠夜は、ケーキを受け取りながら笑顔を浮かべていた顔に、今度は疑問符を貼り付けた。
「解らなくても良いと思うよ。じゃ、そろそろ帰ろっか。早めに帰らないと満員電車でケーキつぶされちゃうかもだし」
 慣れた様子で雨は遠夜からエプロンを脱がし、代わりにハンガーフックにかけてあったコートを肩にかけてやる。
 それから奥に向かって一度声をかけると、自分も勢いよくコートを羽織った。
「ふわ〜…こうしてみるとやっぱり外は寒いねぇ。さっきまでは全然寒さなんか感じなかったのに」
「小石川さん」
 一歩、店から外へ出た雨を遠夜の声が呼び止める。
「何?」
 振り返り、目を見張った。
 ちょうど目の前に突き出されていたのは、軽く握られた遠夜の拳。
「メリークリスマス」
「え? えぇ?」
 ぱっと開かれた手の平、零れ落ちる一握りサイズの小箱。
 それは条件反射で手を差し出した雨の手の中にすとんと納まった。
「いつもお世話になってるお礼です。気にいってもらえればいいんだけど……」
 何が起きたのかいまいち理解できないまま、視線で遠夜に促され、雨がそっと包み紙を開ける。
 透明なケース、中にあったのはとろりと優しい月色の懐中時計。取り出して蓋を開けると、銀光を音にしたらきっとこんな風、と思わせるオルゴールが響き始めた。
「可愛い……本当にもらってもいいの?」
「僕がこれ以上薄くならないようにいつも気を使ってもらってるお礼だから」
 真顔でそんなことを言ってのける遠夜に、思わず雨は吹き出す。
 文字盤は夜の湖面のような深い藍色。その上に淡い月が浮かんでゆるやかに流れ行く時を静かに刻んでいる。それからチェーンの先にはまるで本物の月をサイズダウンしたかのような、綺麗なつるりとした真珠が一粒。
 女の子であれば誰でも喜びそうな、ロマンティックを詰め込んだ懐中時計に、雨の顔に自然と喜びの色が溢れてくる。
 どんな顔をして、これを選んだのかと考えると、胸の奥の辺りがほわりとした温かさに包まれるのを感じた。
「ありがとう。大事にするね――って、こっちはやっぱり榊くんに持って返ってもらわないと」
 ほんのり朱に染まった頬は嬉しさからか、それとも照れからか。雨ははにかんだように微笑むと、自分の持っていたケーキと遠夜の持っているケーキを取り替える。
「私、なにも準備してこなかったから。だから、この懐中時計のお礼に、ね?」
「そういう事なら……せっかくだからもらっておこうかな」
「うん、そうして。そしてぜひもう少し厚くなってね」
「言われるほど僕は薄くないと思うんだけどな」
「薄い人ほどそんな風に言うのよね。できればそれ丸ごと一個一人で食べてほしいくらいなんだけど」
 ぽつり、ぽつり。
 二人の歩く道に植えられた街路樹に飾り付けられたクリスマス用の電飾に、光が点り始める。
 あと少しすれば、世界はこの日だけの特別な輝きに満たされていく。
 そんな予兆を感じながら、遠夜と雨はゆっくりと歩を進め始めた。

「改めて、メリークリスマス。小石川さん」
「メリークリスマス、榊くん。来年も手伝ってね」
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東京怪談
2005年12月19日

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