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『Merry? 』
二階堂・裏社5130)&人造六面王・羅火(1538)


 この世界の半数の国が、12月24日の夜を祝うのだという。二階堂裏社はこの世のものではなかったから、当然、そんな習わしがあるということを知らなかった。彼はこの世界の、日本という国の、東京に来てから、そう日が経っていないのだ。観光“竜”という立場であるから、見るものすべてが目新しい。それにしても、世界規模の『祭り』を経験するのはこれが初めてで、さすがの裏社も驚き呆れた。なにを祝うものなのかと聞けば、二千数年前に生まれた人間の誕生日前夜というではないか。
 ――そいつってすごい有名人なんだな。よっぽど強かったのか。
 草間興信所やアトラス編集部、あやかし荘に集う面々から『クリスマス』及び『クリスマス・イヴ』について学んだ裏社は、そういった間違ったような結論を出した。強いやつが生まれた日の前日、12月24日の夜は、家族や恋人といった、特別な存在と一緒に楽しく過ごすものらしい、と。
 具体的にどう楽しく過ごすのか。裏社はそれも詳しく聞いた。
・大量の肉をはじめとした美味いものをたらふく食べる。
・いつもよりひと回り大きいケーキをたらふく食べる。
・一緒に過ごす者と欲しいものを交換しあう。
・歌ったり踊ったりする。
・シャンパンという酒を浴びるほど飲む。
・最終的にこたつで寝る。
 ――うん、それは確かに楽しいかも。せっかくだから俺も祝うか。その強いやつのこと全然知らないけど。
 認識の方向は間違っている裏社だったが、得た知識には素直に従うことにした。従えば楽しいものになるはずだと思った。
 12月24日の夜は、特別に親しい者と過ごさなければならない。ペットはいるが――それはどうも、違うだろう。裏社が親しい者としてはじめに思いついたのは――というよりも、その1名しか思いつかなかった――血を分けた存在に他ならなかった。
 今夜は彼と、ごちそうを食べて欲しいものを交換しあってこたつで寝る。
 そうと決めた裏社の行動は早かった。彼はてきぱきと買い物をすませ、浮かれている繁華街を抜けて、親しい者が住む家に向かっていった。



 捨てられた。

 傾き、すきま風に気を許しすぎのあばら家の中で、羅火という名の竜が、人間の姿をとり、卓袱台に突っ伏していた。彼は3日間もの間、その体勢を崩していなかった。崩せなかったとも言う。彼は打ちのめされていた。
 彼の使い魔である狗鷲は、時折主の顔を覗きこみ、その生死を確認してから、よちよちとおんぼろの家の中を歩き回っている。食事は自己調達だ。幸いこの家にはネズミが多い。
「う゛ー」
 3日目にして、ようやく羅火は呻き声を上げた。
「生き地獄じゃ……これは放置プレイというものではない……わしは捨てられたのじゃ……」
 そう、彼はどうやら捨てられた。羅火を置いて仕事に出かけていた多忙な恋人(♂)は、姿を見せなくなり、ついには連絡さえよこさなくなった。きわめつけに、羅火はその彼氏に新しい恋人ができたらしいということを小耳に挟んでしまったのだ。
 ――わ、わしは……待っておったわしは……わしは道化かなにかか……。
「お、おおお……」
 普段ならなにか自分に都合の悪いことが起きると暴れだす男だったが、失恋のパワーは驚異的なものだった。炎と光をつかさどる竜をも打ちのめしたのだ。人間とは比べるべくもない強靭な身体の持ち主であったから、3日間くらいなにも口にしなくとも命にはまったく危険がないのだが――羅火は衰弱していた。
 そんな満身創痍の彼に追い討ちをかけたのは、このあばら家の前を通っていく親子の会話である。この家は壁も窓も薄く、風のみならず音に対しても気を許しすぎていた。
「ままー、ぱぱいつかえってくる?」
「今日は早く帰ってくるわよ、クリスマス・イヴだもの」
「わーい! じゃあみんなでいっしょにくりすますできるねー!」
「そうよー、ケーキとチキン、たっくさんあるからねえ」
「けーき! けーき!」

 ず――――――ん。

 ――な、な、なんじゃと……いまなんと言ったそこな母子……くっ、く、くくく、クリスマスじゃとおおおお!?
 羅火はこの世界に来て長い。クリスマスがどんなものか知っている。しかし失恋のショックで打ちのめされているすきに、世間がクリスマス・イヴを迎えようとしていることは知らなかった。
 クリスマスとは……クリスマスとは……クリスマスとは、恋人と……!!
「ぬぅおおおおおおがあああああーーーーー!!」
 近所も震える雄叫びを上げて顔を上げた羅火は、そのまま額を卓袱台に叩きつけた。卓袱台はまっぷたつになり、血の涙を流しながら、羅火はうつ伏せになって倒れこんでいた。


 右手にローストターキー1尾、右の小脇にシャンパン2本、左手に7号の生デコをたずさえ、兄の家を訪れた裏社は驚いた。卓袱台はまっぷたつになっているし、兄はうつ伏せになって倒れているのだから。裏社は持っていたごちそうたちを放り投げると、羅火に駆け寄った。
「兄貴! どうしたんだよ、なにかあった? 頭突きの練習か?」
「……」
「兄貴!」
「……」
「兄貴、今日は『クリスマス・イヴ』だろ、メシ食って欲しいもの交換してこたつで寝ようって」
「ええい、やかましいわい!」
 がばと起き上がった羅火は、怒号を上げるやいなや、弟を突き飛ばした。
「なにすんだよ、乱暴だなー! 今日はクリスマスだろ、ケンカする日じゃないんだろ! 仲良くする日のはずじゃないか」
「クリスマスなぞ、糞でも食らえ!」
 羅火は再び突っ伏した。
 裏社はため息をつき、わずかな間途方に暮れた。仕方がないので、彼は無言でまっぷたつになった卓袱台をガムテープで直した。なんとか卓の形を取り戻した卓袱台に、ターキーと形が崩れたケーキを置き、シャンパンを置いて、湯呑みをふたつ(グラスというものがこの家にはなかった)置く。
 ケーキの甘い匂いと、ターキーの香ばしい匂いが、すきま風が入りこむ居間に立ちこめた。羅火がどんよりとした顔を上げる。
 裏社は、無邪気に笑っていた。
「あーにーき。楽しくやろうよ」
「……これはぬしが手に入れてきたのか」
「そうだよ。ちゃんと金払ったって」
「……酒でも呑まんとやってられぬ」
「そう来なくちゃ。……で、この瓶のフタ、どうやって開けるんだ?」
「む、貸せ。それは少々コツが要るのじゃ」
 がたがたと、古く薄い窓が冬の風で揺れている。その風がしたり顔で行き交うこの居間は、寒々としているはずだった。現に、ここ3日間は冷え切っていた。けれども、今夜の温度は、少しだけ暖かくなっている――。

 ターキーもケーキもシャンパンも、あっと言う間に消えた。古いテレビはだいぶ前から壊れたままで、居間には兄弟の談笑しか音がない。
 羅火がターキーの骨をがりがりとしゃぶっていると、裏社が不意に手を叩いた。
「そうだ! 欲しいものだ」
「なぬ?」
「今日は欲しいものを交換しあうんだろ。兄貴の欲しいものは?」
「ぬしはなにも知らんのだな。この日に交換するものは前もって訊いておくものじゃ」
「え、そうだったのか。……まあ、いいだろ。兄貴の欲しいものってどうせころころ変わるんだしさ」
「『どうせ』とはなんじゃ、失礼な! ……わしがいま欲しいものは……」
 愛。
 その一文字、その概念、その情熱が即座に脳裏に浮かび、羅火は大きくため息をついた。
「……湯たんぽじゃ」
「あー、この家寒いもんな、暖房ないし壁に穴開いてるし」
「しろ! ぬしが湯たんぽになれ。狼の姿のぬしを抱いて眠れば多少はぬくいわ」
「そんなもんでいいのか? いくらでも身体貸してやるよ」
「……妙な言い方はよさんか」
 羅火は性癖として同性に擦り寄られても嫌悪感は抱かないたちではあるが、弟となれば話はべつだ。
 渋面で弟に言い放ってから、羅火は気がついた。「クリスマスのプレゼントは前もって相手から欲しいものを聞き出しておくもの」と弟に説いたはいいが、羅火は裏社に、欲しいものをいままで尋ねたことがなかった。てまはこんな家に住んでいるが、金ならいくらでも工面できるのだし、弟が欲しがるものがこの世界にあれば、なんでも与えてやりたいと思っていた。
 それなのに、自分は、聞いていなかったのだ。
「……しろ。……ぬしは」
「うん?」
「ぬしが欲するものはなんじゃ。くれてやるぞ」

 羅火は照れている。裏社にはそれがわかった。そっぽを向いているし、うつむいているし、すこし顔が赤い。
 自分が欲しいものを、裏社は考えていなかった。そもそも欲しいものがなかった。
 ――そうだ。欲しいものがないのに、どうして俺は、『交換しよう』なんて思ったんだろう。
 欲しいものなど、かたちにならない。
 裏社が欲するのは、はるか遠い昔にあった、兄との穏やかな時間だけだ。ここではない世界で、ふたりで、夜と昼を動かして――。

「俺さ、兄貴が欲しいな」

 兄貴と一緒に帰りたい。けれどそれは、『もの』ではない。交換できるものでは、ない。
 それに羅火は、もといた世界のことを、思い出せずにいるのだから――
 言えない。欲しているのは、もとの世界での兄との時間だ、などとは。

「……! …………! …………!」
 兄貴が欲しい。兄貴が欲しい。兄貴が欲しい。
 裏社の苦しい心境とは裏腹に、羅火は悶絶し、言葉を失って突っ伏した。裏社は妙なことを考えていないのだろうが(と、羅火は希望を持った)、裏社のあっけらかんとした衝撃告白はかなり効いた。
「ぬ……ぬしは、な……なんということを……!」
「いや、だって」
「ええい! わかったわかった! 近いうちにこのあばら家は引き払うつもりでおった。隣に広い家があるじゃろう」
「ああ、あるね。ここの5倍は広いかな」
「そこに引っ越すのじゃ。独り身には広すぎるからの、ぬしも来い」
「……それって、一緒に住むってことか?」
「そうじゃ! た、ただし、ぬしが湯たんぽになるのが条件よ」
「――ありがとう、兄貴! 俺毎日メシ作――」
「だあッ! もうひとつ条件がある!」
 羅火は目を見開き、凄まじい形相で裏社に詰め寄った。
「ぬしの作るげてものはぬしひとりで食え! 味のわからぬ輩が作る飯ほど不味いものはないからの!」
「でも、いっぺんにたくさん作ったほうが安く上がるん――」
「お断りじゃ! わしは食わんぞッ!」
 がおう、と羅火は炎の息を吐く。傾き、冷えきったこの家が、束の間熱気に満ちた。炙られたターキーの骨が、かりりと香ばしい匂いを放つ。
 12月24日は、まだ終わらない。
 終わらなければいい、とどちらが思っただろうか。どちらも、そう思ったか。
 豪勢なツリーやモールの飾りはなくとも、クリスマス・イヴの祭りはここにもやってきていた。




〈了〉
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東京怪談
2005年12月14日

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