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『 こと幸く、花笑う 』
リラ・サファト1879)&藤野 羽月(1989)

 リラ・サファトは、庭の花たちよりも早く目覚めた。
 まだ寝ている『腕枕』に気づかれぬよう、そっと布団を抜け出すと、服を着替えて顔を洗う。そして、空模様を確かめた。
 雲はない。澄みきった空に、星が浮かんでいた。この調子なら、雨が来ることはないだろう。出かけるには、これ以上とない天候になりそうだ。
「太陽がのぼる頃には、終わらせなくちゃ」
 うんと頷き、リラは鍋の柄を握りしめた。
 まずは、一番に時間のかかる米炊きから取りかかった。お湯を作って、油揚げの油を抜き、菊の花をゆでる。鮭を焼き、たらこをほぐした。柚子は千切りに切る。根三つ葉は軽く湯がいておく。梅干しは種を抜き、ペースト状にしてシソと混ぜた。
 具材の乗ったざるや皿を持ち、置き場を探して右往左往する。台所はあっと言う間に、昼食を彩る材料で溢れていった。
「次は、なんだっけ……」
 することが山のようにあって、度々、頭が真っ白になる。
 米が炊きあがると、それを二つに取り分け、片方を酢飯にして、一部に高菜を混ぜた。
 鞠のように丸く握った一口サイズのお握りは、海苔ではなくスモークサーモンで包む。俵型のものには千枚漬けを巻き、三つ葉で結んだ。花束のような形の手巻き寿司や、具をまぶしたおにぎりも作った。お稲荷には、高菜ご飯を詰めた。
 水筒を用意し、敷物やナプキンと一緒に、バスケットにいれる。この他に、編みかけのカーディガンを持てば、準備は万端だ。
 リラは、ホッと息をついた。窓から青白い光が射し込んでいる。
「良かった。間に合って……」
 お弁当のことも、リラの考えた計画も、藤野羽月はまだ知らない。全ては内緒で進めてきた。この光景を目にしたら、きっと驚くだろう。
「羽月さん、喜んでくれると良いな……」
 リラの脳裏に、羽月の横顔が浮かぶ。
 一週間も前のことだ。
 明け方、衣擦れの音で、リラは目を覚ました。
 寝返りを打つと、布団の上に身を起こした羽月の姿があった。苦い顔をしていた。
 心配に思って尋ねたリラに、羽月はなんでもないとかぶりを振った。
 その場は頷き横になったが、やはり気になるものである。
 朝食の会話は途切れがちになり、リラの視線は気遣わしげに、羽月の顔とテーブルの上を行ったり来たりした。
 黙っていることの方が、心配をかけると気づいたのだろう。羽月は申し訳なさそうに、夢を見たのだと話してくれた。
「斬れども斬れぬ闇がいた。『非天』でも斬れぬ、闇が」
「闇……?」
「ああ。ただ昏い、大きな黒雲のような――それに飲み込まれた途端、目が覚めた」
 愚にもつかない話だと、羽月は苦笑したが、リラは笑う気になれなかった。
 心が、身体が、安息を欲しがっている。夢は、その現れのような気がしたのだ。
 羽月は縁側に座り、長いこと庭を見つめた末、花の世話を終えて隣に腰を下ろしたリラに言った。
「たまには二人で、のんびりしたい。誰も居ない、静かな場所があれば……」
 背負う『血』の疲弊を漏らさぬ羽月の微笑に、青が滲む。剣を振るうことに疲れた顔だった。
「うん。そう、ですね……」
 リラは頷き、羽月と共に、庭の花を見やった。
 穏やかな陽光が、小さな顔に降り注いでいる。冬の花壇に、ビオラが寄り添い咲いていた。ぬくもりの中で、花たちは笑っているようだ。
「あ」
 リラは小さな声を上げた。
 良い場所があったのを、思い出したのだ。それは卯月の知らない森の奥にあった。リラが見つけて、黙っていた秘密の場所である。この庭と同じように花が咲き、そして、暖かい。きっと、あそこなら、羽月も気に入ってくれるだろう。
「羽月さん」
「うん?」
「あのね」
 見下ろしてくる浅葱の色を、リラはじっと見つめ返した。ホッとする眼差しだ。疲れていても、その優しさは変わらない。
 羽月のためにできること、してあげたいことが、次から次へと止まらずに溢れだしてきた。
 喜ばせたい。
 楽しませたい。
 なにより、安らげる時間を作りたい。
 そう言えば、羽月の誕生日も一週間後に迫っていた。
「どうした?」
 口の端まで出かかっていた言葉を押し止め、リラは言った。
「探しておきます。二人で、のんびりと出来る場所……」
 あの場所のことは伏せた。羽月を驚かせたかったのだ。
 余裕のある口ぶりに、羽月は破顔した。
「じゃあ、リラに任せよう」
 なんとも幸せそうな顔だった。
 ただの一日だけ、魔が差したように呟いたあの言葉を、羽月は繰り返さなかった。
 変わらぬ日々が過ぎてゆく。
 のんびりしたいと言ったことさえ、羽月は忘れているように見えた。リラにその後を尋ねてもこない。
 そして、決行日がやってきた。羽月の誕生日である。
 リラは羽月を起こしに、寝間へ向かった。足下には、茶虎の従者を付き従えた。
「羽月さん、起きてください」
 布団の上から手をかけて、羽月の身体をそっと揺する。羽月は、うんと唸って、眩しそうに目を開けた。
「おはよう、リラ……」
 上半身を起こした羽月は、膝を揃えて、ちょんと座っているリラに首をひねった。
「さて……。今日は、リラが早起きをしなければいけないような約束を、なにかしていたかな」
「約束はしていません。でも……」
「でも?」
「羽月さんに、任されました」
 ニッコリとリラは笑う。
 羽月が答えに到達するまで、たっぷり八秒はかかった。
 
 空を見上げる。
 羽月の視界は、厚い葉の天井で覆われている。
 冬の森は寒い。ただでさえ弱い陽光を、木々が遮ってしまうのだ。光を知らない地面は、冷たい空気を漂わせていた。
「羽月さん、もうちょっとです」
 リラは無邪気に言って、腕に下げた籐かごを右手から左手に持ちかえた。
 羽月は片方の手にバスケット、もう片方の手で胸にしがみついている猫を支えている。
 弁当のことも、秘密の場所を見つけてあると言うことも、羽月にとっては寝耳に水であった。しかし、さらに羽月を驚かせる出来事が、草木を掻き分け進んだ先に待っていたのだ。
「つきました」
 リラはここへ辿り着くまで、どんな場所であるのかを告げていなかった。
「……リラ、ここは……」
 呆然と立ちつくす羽月を、リラは微笑って見守る。
 それまで続いた、森の翳りは失せていた。
 それどころか、光が溢れ、花が咲き乱れている。美しい鳥のさえずりまで聞こえた。
 羽月は空を仰いだ。
 頭上を覆う葉がない。
 遠めがねで空を見ているように、丸く開いた空間の中を、ゆっくりと雲が流れている。そこから差す陽光が眩しかった。
「暖かい……」
 生い茂る草木が壁となり、寒気を断絶している。足下には青々とした草の絨毯が敷き詰められ、まるで腰掛けのように切り株が三つあった。
「見てください。この花……」
 リラの指が指し示す先へ、羽月は目をやった。一角に群生する薄紫は、リラの髪に良く似ている。
「……ライラック? まさか――」
 羽月はバスケットを切り株の一つに預け、花の傍へ歩み寄った。花弁も葉も、間違いなく、愛するひとと同じ名の別名を持つ花だ。
「そのまさかなんです。春にしか咲かない花なのに、不思議ですよね。他にも、レンゲやスズランがあって……」
 羽月はぐるりと周囲を見回した。
 白、桃、青に朱の彩りが映える。全て、冬には見られない花たちであった。
「信じられないな……。ここは一体……」
 甘い香りは、花々から発せられるものだ。
 リラは何も言わず、花々を見回す羽月の傍に立っていた。
 羽月の面もちが、徐々に和らいでくる。
 羽月は深く息を吸った。目を閉じて、それを吐き出す。
 リラはそんな羽月に微笑み、昼食の準備を始めた。
 切り株の傍に敷物を敷き、早起きして作った食事を並べる。
「羽月さん、ご飯の用意ができました……」
 羽月の背中に、リラは声をかけた。広げられた料理に、羽月がまた絶句する。
「これをリラが全部一人で?」
「はい。今日はお誕生日だから、頑張りました」
「まだなにか、驚かされることがあるのだろうか」
「ううん」
 リラは笑って、籐かごを引き寄せ、編みかけのカーディガンを引っ張り出した。袖をつなぎ合わせ、襟を作れば完成する。
「これは、羽月さんも知ってるから……」
 羽月はリラの傍らに腰を下ろし、藍色の毛糸を見つめた。そして、リラへ顔を向ける。
「ありがとう……。他にもっと、上手い言葉があれば良いのだが……」
「その言葉だけで、十分ですよ……」
 リラは優しく首を振った。
「お腹、空きませんか? おにぎりにお稲荷さんに、手巻き寿司と、手鞠寿司もあります……」
「じゃあ、手鞠寿司から頂こうかな」
 一口かぶりつき、羽月は「美味しい」と言った。それがお世辞ではない証拠に、次から次へと手が伸びる。
 二人だけの時間が、ゆっくりと流れてゆく。
「リラは、『楽園』を見つけたのかもしれないな」
 二人でライラックの花を眺めていると、羽月が言った。
 じわじわと滲むようなぬくもりが背中を包む。まるで、誰かの腕の中にいるような、優しい暖かさだ。
「『らくえん』?」
 リラは羽月に問い返した。
「危険のない、穏やかで幸せな場所……と、言ったら良いのかな」
「ふぅん」
 少し、考えたあと、リラは家の中にも楽園があることを思い出した。
「花壇は、『らくえん』、ですよね……?」
「花壇か。確かに、そうだな……」
 羽月は目を細めて頷いた。
 茶虎は、二人が話している間、花と戯れていた。花びらに顔を寄せ、匂いを嗅ぎ、花群の中へと消えてゆく。戻ってきた鼻先には、あちこちの花から拾い集めた、花粉がたくさんついていた。
「あまり、おいたをしては駄目ですよ」
 リラは、編み物の手を休め、背中の縞を撫でながら言った。茶虎もすっかりくつろいでいるようだ。二人の間に寝そべり、うつらうつらと舟を漕ぎ始めた。
「あれは、なんと言う鳥だろう……」
 羽月は鳥のさえずりを見上げて言った。
 青い小柄な鳥が、枝の上に留まっている。尾は虹色で、柳の枝のように長く垂れ下がっていた。
「見たことがないですね……」
 鳥はリラと目があった途端、厚い葉の中へと隠れて見えなくなった。声だけが、頭上から降ってくる。二人は顔を見合わせて笑んだ。
 リラは羽月と会話をしながらも、せっせと手を動かした。身頃をとじ、襟を作る。最後の糸を縫い込んで、カーディガンは完成した。
「羽月さん、できました……!」
「じゃあ、早速、着てみよう」
 ところどころ、継ぎ足した糸の先端が飛び出している。左右の腕の長さも違う。だが、羽月は気にもしない。袖を通したそれをまじまじと見下ろし、心から嬉しそうに微笑った。
「暖かい。ありがとう、リラ」
「うん。ごめんね……羽月さん。ちょっと、長すぎちゃったみたい」
 リラは少しだけ残念そうに、羽月の手を隠してしまう左の袖を、玩んでいる。
「まくってしまえばなんてことはない」
 羽月はそこに、リラの手をそっと引き込んだ。羽月のぬくもりが、リラの指先に流れ込んでくる。
「それに、手を繋ぐのにちょうど良い」
 そう言って、羽月は笑った。
 大きな目もある。詰まった目もある。数も抜けたり増えたりと、一定ではない。同じものを作れと言われても、きっとできないだろう。たった一つしか存在しない。リラが一生懸命に編んだ、カーディガンである。
「ありがとう。大事にする」
 優しい声音に、リラは頷いた。
「羽月さん……。他に、欲しいものはないですか? して欲しいこととか……」
「いや、もうなにも……」
 まだ、なにかしたりなさそうなリラに、羽月はゆるりと首をふる。
「こんなに長い時間、二人でのんびりと過ごしたのは久しぶりだった。今日は本当に幸せな一日だった」
 羽月の言葉で、リラは気づかされた。
 家に帰れば待っているであろう花たちの世話も、店のことも、雑事も、ここにはなにもない。リラはこの場所に足を踏み入れてから、羽月のことだけを考えていた。それだけ、日々に流されていたのだろう。
「そう言えば、私がお店を持つようになってから、羽月さんといる時間が、減っちゃいましたね……」
 リラは申し訳ない気持ちになった。
「羽月さん、ごめんなさい」
「謝ることはない。確かに、少し寂しいと思うことはあるが……。だからこそ、わかる幸せもあると言うものだ」
「……うん」
 穏やかに笑む羽月を、リラはじっと見つめる。
「もっともっと、羽月さんを喜ばせてあげたいな……」
「ならば」
 羽月の腕が、そっとリラを抱き寄せた。
「しばらく、このままで……」
 リラは小さく頷き、目を閉じる。
 平穏で、暖かで、優しい気持ちになれる場所だ。
 花たちが日溜まりで笑うように、羽月の腕の中で、薄紫の花は幸せそうに微笑んだ。



                           終
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聖獣界ソーン
2005年12月14日

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