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『『くるみ割り人形と魔女』 』
シン・ユーン2829


「クリスマス、ね」
 紫陽花の君はくすりと笑った。
 クリスマスとはどこぞの神の誕生日を祝う日だとか、何とか聞いた事があるけど、どうも見ていてそれは違うように感じる。
 ただそういうのに便乗して人間の男女が面白おかしく楽しんでいるだけ。
 まあ、いいけどね。
 人間ってのは神を敬う気持ちなんかもう忘れ去ってしまって、何でも自分たちが楽しむ理由にして、自分たちがそうやって楽しめればそれでいいんだからさ。
「ああ、じゃあさ、あたしがそのクリマスとやらに便乗してあたしが楽しむために何かやっちゃっても、それはクリスマスだから許されちゃったりもするのよね? だって楽しんだ者勝ちなんでしょう? あなたたちはその場のノリで何でも笑っちゃうんでしょう?」
 そう、あたしは紫陽花の君。
 あたしはうつろぎ。
 昨日は味方でも、今日は敵。
 あたしはあたしが一番。
 あたしは自分が楽しめれば良い。
「さぁー、さてさて。どうやって遊ぼうかしら? ねえ、白亜に冥府、あなたたちは、今度は何処の世界に、どのような物語に逃げたのかしら? そのあなた方が逃げた物語、使える? ああ、使えるわね。うん♪ じゃあ、それを利用して、あたしはあたしのクリスマスを楽しみましょう♪」



 ああ、でも誤解しないでね?
 あたしはあなたの敵であり、味方でもある。
 要はあたしが楽しめればそれで良い訳であって、それがあなたにとって悲劇、という訳でもなく、だからといってハッピー、という訳でもまあ、無いんだけど。
 そう、あたしにとってもっとも重要なのは、あたしが楽しめる事♪
 まあ、いいわ。さあ、物語を始めましょうか?
 今回は色んな世界に手を伸ばしちゃうのも、まあ、いいかもね♪



 やれやれ。紫陽花の君もクリスマスの日ぐらい、静かにできないものだろうか?
 私は兎渡。
 物語から物語へと渡る旅人。
 君の元へとくるみ割り人形が贈られてきただろう?
 そのくるみ割り人形は、紫陽花の君によって作られた物語への鍵。
 それが誘うのは彼女が創造した物語。
 君はそのくるみ割り人形たちとネズミたちの戦いに巻き込まれる。
 ネズミたちは知将の下にそれは見事な作戦を立てて戦いを仕掛けてくるよ。玩具の兵隊たちはもう残り数体だ。君が助っ人となってもそれは難しいだろう。そう、それは見事な作戦を立てぬとね。
 戦場は台所だ。
 さあ、君はどうやって戦う?



 +++


 時計屋『羈絏堂』の台所。
 そこで大きなため息が漏れたのは、レシピを書き綴ったノートがどこかに隠され、ついでに冷蔵庫に入れておいたイチゴ、バナナ、ミカン、キィウイなどがすべて食べられてしまっていたから。
 そして他のケーキの食材も食べられてしまっている。
 極めつけは冷蔵庫の扉に張られた手紙、

 ユーンへ。
 ケーキはケーキ屋さんのケーキで。
 チキンはお肉屋さんのチキンで。
 絶対だよ!!!

 思わず苦笑が浮かんでしまう。
 遠慮する事なんて無いのに。
 子どもは親の愛情に甘えていれば良い。
 ひょい、とユーンは肩を竦めた。
「それにしてもレシピ…」
 ユーンは雑然と物が散らかった台所を見回す。
 レシピを隠すべく荒らされた跡だ。
 なら一番荒らされた場所を探せば見つけられるのではないだろうか?
「というのは陽動かな?」
 また苦笑。
 悪知恵は利くはず。
 だったらこんな見た目でばれるような真似はしない。
 ユーンは顎を触りながら考える。
「物が荒らされているのはフェイク。隠し場所は別の所、かな?」
 一番の安全な隠し場所は、隠す、ではなく、自分たちで所持する事だが、それはあくまで阻止するための方法で、だけど如何せん彼らはただの悪戯っ子だ。
 当初の目的はクリスマスぐらい出来合い物で済ませても良いよ、ユーン、という子ども心なのだろうが(最近は味覚が治ってきているが、しかしそれでもまだ普通の味覚ではないために、ユーンに料理をさせない計画なのだが、実は…)、しかし物を荒らしている内に悪戯心が芽生えて、隠し場所を考えて、隠す、というとても甘い誘惑に負けたであろう事は容易に想像がついた。
 二人でくすくすと笑いながらレシピとこの『羈絏堂』の色んな場所を見回して、隠す場所を相談している姿が目に浮かぶ。
 そして二人の考えなんて手に取るように浮かぶ。
「木を隠すのなら林の中かな?」
 ユーンは時計の専門書やら、これまで直してきた時計の故障の原因の記述と、それの修理の仕方を記述したノートやら、ありとあらゆる時計の設計図などが置かれている棚を探した。案の定、レシピはそこにあった。しかもレシピにはぐるぐるにテープが巻かれている。まるで何か呪われた書物のようだ。
 ユーンはくすりと笑って、肩を竦める。
「まだまだだな」
 と、しかしフルーツケーキの材料となるべくフルーツは食べられてしまったし、バターも小麦粉もどうやら食べられてしまったらしい(そういえば昨日、二人でお好み焼きを作って食べていたな)。
「さてと、どうするかな?」
 これからケーキの材料を買いに行こうか? しかしそうするとケーキを作る時間が無くなるな。
 顎に軽く握った拳を当ててユーンは考え込む。
 とにかく台所にある品を確認してそれで考えてみようか?
 引き出しの中や冷蔵庫を確認する。
 ケーキという言葉がつくのはホットケーキミックスのみ。
 だがユーンは冷蔵庫の中のサツマイモを見て嬉しそうに笑う。
 ホットケーキとサツマイモ、この二つを使ってサツマイモケーキを作ってやろう。これなら手軽に作ってもやれるし。
 ぽん、と手を叩くユーン。レシピを脇に挟み、左手にホットケーキミックス、右手にサツマイモを取る。
「サツマイモケーキ、作ってやるか」
 きっと物珍しさも手伝って喜ぶだろう。バターの代わりにマーガリンを使えばいいし。ウィスキーも師匠が残していった奴がある。
 ユーンは喜ぶ彼らの顔を想像しながらそれの調理に入ろうとした。その背後から声をかけられる。
「あら、ホットケーキを焼くの? 美味しそうね。あたしは蜂蜜をたっぷりとかけたのが好きだわ♪」
 ころころと笑うような声。
 振り返るとそこに紫陽花の君が居た。
「やだぁー♪ そんな怖い顔をしないでよぉー♪ 今日は前のお詫びにと素敵なクリスマスプレゼントを持ってきたんだから♪ はい、プレゼント」
 と、肩に乗せられたのはくるみ割り人形で、その肩に座った人形の重みを感じた瞬間、ユーンは物語の世界へと飛ばされていた。



 ――――――――――――――――――『くるみ割り人形と魔女』
【ネズミたちの助っ人】


 手渡されたくるみ割り人形を見て、大方の予想はついていたが、周りを見回して、三人はやっぱりと納得する。
 そこは何もかもが巨大な台所であった。
 過去に紫陽花の君と出会い、そのうつろぎな性格の犠牲となっている三人は何だか慣れっこというか、実際にこれまでにも色んな怪事件にも巻き込まれているしで、これぐらいの事では動じなかった。
 シュライン・エマ、セレスティ・カーニンガム、シン・ユーンは冷静だ。
 というよりも互いに顔を見合わせあって苦笑する。
 一体今度はまたどのような気まぐれを起こしたのであろうか、あのうつろぎな紫陽花の君は、と。
 そしてそこに大きな叫び声が上がった。
「な、なんじゃこりゃー?」
 どうやらその叫び声の持ち主は新しい紫陽花の君の犠牲者らしい。
 その彼を見て、セレスティとシュラインは顔を見合わせて懐かしそうな表情をする。
「オーマ。オーマ・シュヴァルツ」
 セレスティが上品にそう呼びかける。
 周りにあるあまりにも巨大な台所の風景に頭を抱えて驚いていたオーマはその声に振り返り、細めた目で杖をついて立つセレスティと、その横で手をひらひらと振っているシュラインを見て、顔を崩した。
 懐かしげに二人に微笑みかける。
「よう、セレスティに、それにシュラインの嬢ちゃんじゃねーか。久しぶりだなー」
「ええ。こんにちは、オーマさん。久しぶりね」
 オーマは軽くあげた右手をひらひらと振り、それからシュラインの横に居るユーンの顔を覗き込んだ。
「こっちの兄ちゃんは初めてだよな。俺様はオーマ・シュヴァルツってーんだ。よろしくな」
 ウインクするオーマにユーンも穏やかに微笑んだ。
「俺はシン・ユーンと言います。こちらこそよろしくお願いします」
 ユーンは右手を差し出し、オーマはその右手を漢気溢れる笑みを浮かべながら握り締めた。
 そして改めてオーマは周りを見回す。
「でもなんだ、また随分とでかい台所だな、ここは。あの白亜と冥府が関わっているのなら、ここは物語の世界という事なんだろうが」
 小首を傾げるオーマにセレスティは頷いた。
 頭脳明晰な彼ならば誰よりもわかりやすく現在の状況を把握でき、そしてそれをわかりやすく周りに説明できる。
「オーマ、キミがここに居るという事は、キミはあの紫陽花の君に会っていますね」
「ああ。あのお譲ちゃんもまた変な気配をさせていたな」
「彼女は白亜や冥府と同じような存在であり、そして非なる者」
 セレスティは紫陽花の君こと十六夜の事を説明した。そして白亜が自分の存在の意味を知り、冥府が彼女を連れて逃げている事も。
「なるほどな。二人が行く所、物語が壊れ、そしてそれを楽しむ紫陽花の君か。しかも時には味方で、時には敵。なんともな」
 頭を掻くオーマにシュラインも苦笑混じりに肩を竦める。
「うつろぎ。要するに本人は自分が楽しめればそれで良いみたいなんだけどね。悪い娘ではないと思うんだけど」
 ユーンは何やら過去に紫陽花の君とあったようで、ただにこにこと微笑んでいた。それはもう、ものすごく良い笑みで。
「にしてもだ。じゃあ、ここはどの物語の世界なんだ? 俺様にはそっちの世界の物語はさっぱりとわからねーからな」
 ぶらぶらとくるみ割り人形の両手を持ってそれを揺らすオーマにユーンがにこりと微笑んだ。
 それから懐かしそうにくるみ割り人形を見つめる。
「これはくるみ割り人形でしょうね」
 懐かしげにそう言ったユーンに、オーマは不思議そうな顔をした。
「ん? おう、くるみ割り人形だな」
 そんなオーマにシュラインがくすりと笑い、そして伸ばした右手の人差し指をリズム良く左右に振る。
「くるみ割り人形。それがこの物語の名前なのよ。オーマさん」
「おう、そうなのか!」
 パン、と両手を叩くオーマ。
「クリスマスの夜、シュタリバウム家の娘マーシャは人形遣いの叔父ドロッセルマイヤーから、くるみ割り人形をプレゼントされました。その夜、マーシャは、夢の中で鉛の兵隊を指揮してネズミの軍勢と戦うくるみ割り人形を助けます。戦いが終わると、くるみ割り人形は素敵な王子に変身して、マーシャをお菓子の国へと案内します。そこで、二人は世界中のいろいろなお菓子とともに楽しい時を過ごします。それがこの物語のおおまかなあらすじですね」
 ユーンが懐かしそうに説明してくれる。
「なるほど。じゃあ、紫陽花の君がドロッセルマイヤーなんだな」
 顎に手をやってふふんと笑うオーマ。
 セレスティは静かに言葉を紡ぐ。
「クラシックバレエの中で『くるみ割り人形』ほど世界中で上演され、大人にも子どもにも愛されている作品は例をみないでしょうね。欧米では、家族そろって、『くるみ割り人形』 を観に行くことが、クリスマスの過ごし方として定着しています。子どもたちはこの日に初めて劇場に行き、大人の世界への仲間入りをするのです」
「なるほどな」
 オーマはうんうんと頷く。その横顔には父親らしい表情が張り付いていた。
「ちなみにドロッセルマイヤーの扱い方はバレー団によって扱いが違いますし、それにお菓子の妖精はその国のお菓子がモチーフに扱われることが多いんですよ。日本だったら和菓子。中国だったら中華菓子という具合にね」
 にこりと微笑むユーン。
「さてと、それにしてもここがくるみ割り人形の世界だとするのであれば、彼女は私たちにネズミと戦わせるつもりなのですかね?」
 小首を傾げるセレスティ。さらりと揺れた銀色の髪の下にある美貌に浮かぶ表情は楽しげだった。
 高らかにラッパの音が鳴り響いたのはその時だ。
 台所の出入り口の扉が開き、鉛の兵隊たちが行進して入ってくる。
 シュラインはその愛らしさに女性らしくくすりと微笑んだ。
 そして兵隊たちは4人の前で整列し、敬礼する。
「我らは誉れ高き鉛の兵隊でございます。今宵は敵のネズミたちと戦うべく、ここに馳せ参じました。もしもよろしければどうかあなた方も我々に力をお貸しください」
 オーマは豪快に胸を叩く。
「おう、任せておきな」
 兵隊たちから歓喜の声が上がった。
「良かった。ほんとうにありがとうございます。これで助かります。実はネズミたちは今夜のために助っ人を呼んでいるんです」
「助っ人を? それはまた難儀な。それでその助っ人とはできるネズミなんですか?」
 ユーンが問う。敵を知る事は大切だ。
 兵隊の隊長は顔を横に振った。
「いえ、ネズミは脅威ではありません。煙草で雇われた人間の男です」
 煙草、という言葉を聞いてセレスティの顔に珍しく呆気に取られたような表情が浮かんだ。
 それから彼は苦笑する。
 煙草、と聞いて想像せずにはいられない人物が居る。
 あの彼ならば、
「やりますかね」
 形の良い口元に手を当ててくすりと悪戯っぽく微笑むセレスティ。
 そして彼は同じく頭痛を堪えているような表情をしているシュラインに視線を向ける。
 二人で苦笑。
「んで、どうする?」
 オーマは腕を組みながらニヒルな笑みを浮かべた顔を傾げる。
「向こうの戦力は今ひとつわかりませんが、とりあえずは下準備をしておきましょう」
 セレスティはにこりと微笑み、知性派の彼らしく兵隊たちを分けていき、その小隊毎に作戦を立てるように指示する。
「じゃあ、皆、手伝ってくれるかしら?」
 シュラインは台所の棚の扉を開けて、まずは一般家庭なら当然買い置きされているであろうその食材を発見し、にこりと笑いながらこくこくと頷く兵隊たちにウインクした。
「よし、こちらもこれで良いな。後は…」
 ユーンも額に浮かんだ汗を手の甲で拭って、爽やかな笑みを浮かべる。
 本来の身体なら簡単な事も、このサイズだと辛い。
 そして自分が仕掛けたトラップを上手く活かせる場所を探すべく、ユーンは台所を見回した。
 そうして各々準備し終えた頃、今度は空き缶の下を叩くような太鼓の音がした。台所の上にある棚の扉が開き、そこからまるまるとしたぬいぐるみのネズミたちが降ってきた。
 最後に煙草を口にくわえて、巨大なネズミのぬいぐるみを馬のように扱って、飛び出してきたのは案の定、
「武彦さん………。あなたという人は………」
 頭痛を堪えるようなシュラインの前に、白馬の王子さまならぬ、ネズミのぬいぐるみの王子様、草間武彦が現れた。



【台所の戦争】


「おわぁ。おまえたち、どうしてこんな場所にぃ!?」
 草間武彦はサングラスの奥にある双眸を大きく見開いた。
 そして腰に両手を置いてしっかりとお説教モードのシュラインをばつの悪そうな顔で見る。
「用事ってこの事だったの、武彦さん?」
「え、あ、いや、だから依頼だろう。依頼!」
「依頼って、じゃあ、依頼料は?」
 にこりととても良い笑みを浮かべて切り返すシュラインに武彦は何かを言い返そうとするが、しかし結局は口をつぐみ、恨めしそうな目でいつの間にか居た紫陽花の君を睨む。
 彼女はくすくすと笑っていた。
「本当にもう、馬鹿ですね、キミは」
 と、セレスティが苦笑混じりに言う。
 武彦は思いっきり渋い表情をした。
「ひょっとしなくてもあれはおめえさんたちの知り合いなのかい?」
「ええ、まあ」
 ユーンも思いっきり苦笑しながら頷いた。
「草間武彦。探偵ですよ。こちらの世界では名の通った怪奇探偵で、俺たち能力者のリーダー的な存在でもあります」
「ほぉー。ってー事は、これはちぃーっとばかしやり辛れーんじゃないのかい?」
 腕組みするオーマにシュラインがにこりと微笑む。
「いえいえ、大丈夫。どーんと本気でやちゃってちょうだい。ちょっとばかし武彦さん、お悪戯がすぎちゃってるみたいだから。零ちゃんや私が心配して煙草の本数制限してるのに、中学生みたいに陰でこそこそと煙草を吸って。ちょっとばかし罰ゲームよ、武彦さん!」
「うぅ」
 親の前に引きずりだされた子どものような顔をする武彦に、セレスティもくすりと笑う。手の平に水の珠を作り出して。
「という事です、草間さん。こうして敵と味方に別れてしまった悲運を私は恨みながら、血の涙を流し、キミと戦いましょう」
 ウインクすると同時に水の珠を放つ。
 武彦は間一髪でネズミの耳を引っ張って、それを避けた。
 もちろんわざと避けられるであろうスピードとタイミングで水の珠を投げた悪戯っ子のセレスティに武彦は渋い表情をしながら前髪を掻きあげる。
「まあ、確かに人の善意を無碍にするのはひどいですね。しかも子どもの気持ちを袖にするのは親の立場から見てもあまり快い物でもありません。よってこちらはくるみ割り人形たちの助っ人でもありますし、ならばネズミたちの助っ人である草間さん、あなたと戦わざるを得ない」
 ユーンは銀時計の刻を銀の薙刀へと変えて、その切っ先をネズミたちに向けた。
 何やら殺伐とした空気。しかしオーマはおどけたように両手をあげてにやりと笑う。
「まあ、喧嘩するほど仲がいいってな。これもあんたらのリラクゼーションって事なんだろう。今回はこの俺様もそのリラクゼーション、混ぜてもらうぜ。それに要はあんたが楽しめればそれでいいって事らしいしな、紫陽花の君よ」
 ウインクするオーマ。
 その飛んできたハートが見えているように紫陽花の君はパラソルでそれを防御すると、「奥さんに言っちゃうわよ♪」と悪戯っぽく笑い、そして軽やかにジャンプして、壁にかけられているフライパンの裏を閉じたパラソルで、
「さあ、じゃあ、皆。楽しんでね。あたしからのクリスマスプレゼント。ゲームスタート♪」
 叩いた。
 台所には高らかにゴングが鳴り響き、その音がこの台所という場所が戦場へと変わった事を告げる。
 反響するゴングの音にセレスティはくすりと笑い、あらゆる方向に水珠を撃ちまくる。
 その水珠の撃たれた方向へと兵士も向かっていく。
 ユーンも銀の薙刀を振るい、先陣を切って立ち向かう。
 勇敢な彼の後に続けと兵士たちも槍や剣を振るい、その後へとついていく。
「さてと、んじゃ、俺様もきばらねーとな」
 指をぼきぼきと鳴らしながらオーマはにやりと笑い、お得意の具現化によって大砲を創り出し、その砲口を天井へと向けて、トリガーを引き絞る。
 それはクラッカーだ。台所に火薬の香りが充満して、紙吹雪が舞う。
 シュラインは肩にかかる髪を後ろに払い艶っぽく小首を傾げる。
 武彦は拳を握り締める。
「むむむ。おまえら本気だな? 本気で俺たちとやりあうつもりか? 面白い。だったらこちらも本気を出すまでだ。いでよ、ネズミ部隊の小隊長たちよ!」
 武彦のその叫びに誘われて、扉が開けっ放しの棚から新たなネズミの一団が現れる。その四つんばいとなったネズミたちの背に乗っているのは、
「三下君に嬉璃嬢」
 セレスティの前に現れたのはいひひひと笑う嬉璃、そして泣いている三下だ。
 さらには、
「鍵屋智子さん、桂さん」
 ユーンの前にはその二人。
 ユーンは足を止める。
 さらにはオーマに迫る影。その手に持つ大砲が途中で斬られて落ちた。
「巨人の騎士レーヴェ、不死の王レイド」
 オーマは戦慄と共に呟いた。そしてぺろりと舌で唇を舐める。
「そちらこそ本気ね」
 シュラインは冷たい笑みを浮かべ、前髪を払った。
 武彦は煙草を口にくわえて、にやりと笑う。
「勝ったらネズミたちが煙草をくれるんだ。負けられるか」
「あら、そう。なら何が何でも勝たなくっちゃね」
 シュラインと武彦はにやりと笑いあい、そして武彦は高らかにあげた手を振り下ろす。
 完全なる戦いの開始。
 どこぞから聞こえるリュートの音色。
 ネズミたちはそれぞれの小隊長たちの指揮の下に進軍を始めた。
「では私たちは小隊長を倒しましょう。ネズミの兵たちはキミたちに任せます。良いですか?」
 問うセレスティに兵隊たちはこくこくと頷いた。
「じゃあ、俺が行きます。援護、お願いします」
 ユーンが言う。
 そして銀の薙刀を振り上げてユーンが突っ込む。
「ああ、シン・ユーン君。あなたとボクは時計を能力の発動条件としている。あなたと戦えるの、楽しみにしていたんですよ」
 桂は時間と空間を越えられる時計を取り出し、そしてその能力を開放する。
「消えた。時間を、それとも空間を移動したのか?」
 ユーンが呟く。
 その足が止まったのは後ろに何かが掻き現れた気配を感じたからだ。
 後ろを振り返るユーン。
 しかしその時にはそこに現れた桂率いるネズミの一個部隊がユーンが率いていた兵隊たちを倒していた。
「空間を越えた?」
「いいえ、違いますよ。あんな物が使われる前にあなたを倒しに来たのです」
 桂はにこりと笑う。
「未来から来た?」
 桂の笑みが深くなる。
 まったくの予想外の方向からの攻撃にユーンの指揮する部隊の兵隊が浮き足立った。
 それを打破するべく冷蔵庫の上に陣取っていたオーマが動いた。
「ユーン」
 オーマが高らかに叫び、
 シュラインとセレスティは頷きあう。
「ユーン氏の事はオーマ氏に任せましょう」
「ええ。こちらも動きましょう。セレスティさん。こっちの援護もよろしくね」
「ええ、お任せを」
 シュラインはにこりと笑い、兵隊たちを引き連れて走り出す。
 電子レンジの上に陣取るセレスティは真っ直ぐ上に向けた手を振り下ろした。



 この台所で一番見晴らしのいい棚はネズミたちに占領されている。
 ならば次に見晴らしが良く、また台所の隅々まで砲撃をできる冷蔵庫の頂上をオーマは自分の場所とし、兵隊たちと共に作ったお玉の投卵器の砲台としたのだ。
 無論そのお玉の投卵器から飛ばされる卵は………



「いけない。あの卵か、ネズミたちを――――」
 桂が戦慄に叫んだ。
 彼は未来から来ているのだ。ならばこの先に起こる事を知っていた。
 しかしこの時間の彼は、空間移動の最中で、その過程を見てはいなかったから、だからそれを回避できなかった。もしもこれがセレスティであったのなら、これを回避できるのであろうが、彼は決して明晰な頭脳を持ち、百戦錬磨の軍師でもなかった。
 オーマが飛ばした卵が飛来し、それは桂率いるネズミたちの真ん中に落ち、そしてその割れた卵から現れたそれこそが、桂率いるネズミたちの悪夢であった。
 卵から現れたのは天使であった。その天使はしかし麗しき美貌の持ち主の天使ではなく、筋骨隆々のアニキと呼ぶべき天使で、まるで筋肉をアピールするようなポーズで現れたそれは歯をきらりと輝かせてスマイルを浮かべ、
 そしてネズミたちに抱擁を仕掛ける。抱きしめられたネズミたちはその天使の悪夢のような愛情表現に次々と昇天していく。
 桂は、その光景に絶句し、
 そして――――




「今だぜぇー、ユーン」
 というオーマの叫び声に、桂が我に返った時には遅かった。
 銀の薙刀を振るい上げるユーンが桂に肉薄しており、それが横薙ぎに振るわれて、
 その刃は桂が胸にさしている薔薇を散らさんと―――
「くぅ。ここは撤退させてもらいます、ユーンさん」
 桂は消える。
 そしてそれと同時に現れた桂は、この時間の桂だ。
 彼はユーンの前でネズミたちとマッスル天使とが繰りなす光景に絶句したような表情を浮かべて、
「これは何という…。えーい、ではこんな兵器が遣われる前の時間に戻って」
 時計を使い、桂は消える。
 それからユーンは鍵屋智子率いる残りのネズミたちを自分に引き付けて走り出す。
 ここだ!
 ユーンは全速力で走っていったが、おもむろに銀の薙刀を台所の床に突き刺して、それで強引に全速力で走る自分を止めた。
 鍵屋智子もネズミたちもそんな事は夢にも思っていなかったので走るスピードを止められず、そして彼女たちはユーンがあらかじめ台所洗剤をまいておいた場所に走りこんでしまい、
 彼女たちは滑って、転んで、起き上がれない。
 ユーンはにこりと笑い、台所の時計の刻を使い、巨大なネットを作り出すと共に、そのネットを洗剤で滑って、転んで、起き上がれない鍵屋智子たちの上に投げて、彼女らを捕らえた。



「な、鍵屋ぁー」
 武彦は悔しげに歯軋りした。
 それを横目で視界に映し、シュラインはふふんと笑う。
「これでまずは私たちの一勝ね」
 この戦争は互いの隊長の胸にある薔薇を散らすか、それとも身動き不可能にしてしまった方の勝ちなのだ。
「煙草は諦めなさいな、武彦さん。健康のために言ってるのよ?」
「ぬ、ぬぬぬぬ。諦められるかぁー」
 駄々っ子のような武彦にシュラインも目を細める。
「あら、そう。ならばその野望。やはり叩き潰すしかないわね」
 走る速度をあげる。
 シュラインの一個中隊が大将に迫るのを嬉璃は見逃さなかった。
「させるか、おんしに。三下よ、行けぇー」
 シュラインを指差して嬉璃が叫んだその命令の余韻も消えぬうちに、三下の「ぇぇぇえええー」、と悲鳴のような叫び声があがる。
 そんな彼の態度に嬉璃の目が酷薄にきらーん、と光った。
「良いのか、三下。おんしが前にあやかし荘の冷蔵庫の中にあった恵が大切に取っておいたぷちプリンを食べてしまった事を言うてやるぞ?」
「そ、そんな〜〜〜」
 あからさまに士気が落ちるような情けない声を出す三下。
 それにそれは無理やり嬉璃が、自分がぷちプリンを食べている光景を不幸にも目撃してしまった三下の口を封じるために食べさせたのではないか!
 だけどそう反論できないのが三下で、そして彼は嬉璃に逆らうことも出来ず、かといってシュラインに突っ込むことも出来ずで、立ち往生………
 苦笑混じりに肩を竦めるセレスティは、軽く右手を上げる。
 その動きに合わせて兵士たちも、数人がかりでそれぞれ両端を持ったゴム紐(輪ゴムをきって、一本にし、それを何重にも束ねて編みこんだ)を、これまた数人がかりで真ん中を掴み、最大まで引っ張る。
 そのしなったゴムに仕掛けるのは何本もの爪楊枝を束ねた強力な武器だ。しかもまだそれには秘密がある。
「ぬぉー、おのれ、セレスティ、おんし、この嬉璃を討ち取るというか。ならばやってみせるがよい」
 嬉璃もまたネズミの兵を引き連れてセレスティへと向かってくるが、しかしセレスティはにこりと笑うと共に、手を振り下ろした。
 ネズミの兵たちのど真ん中にそれは落ち、無事であった兵たちもにわかに浮き足立ったその時に、さらにその爪楊枝を束ねた武器に隠されていたもう一つの仕掛けが本性をむき出した。
「な、なんぢゃ、これはぁ?」
 爪楊枝の砲弾を上手くかわした嬉璃であったが、しかしそれからは容易には逃げられるものではない。
 なんとそれには胡椒や一味が仕掛けられていたのだ。
 さすがの嬉璃も目から涙を出しながらくしゃみをし続け、三下は慌てて嬉璃たちを救いに来る。
 だがそれにセレスティは肩を竦めた。
「三下君、判断ミスですよ。それこそ飛んで火に入る夏の虫です、キミは。まあ、キミのそういうところ、嫌いではありませんがね」
 くすりと笑って、セレスティは水の珠を天井に向かって…正確に言えば、何やら天井から吊り下げられているくす玉めがけてそれを放った。もちろん直撃した。そしてそれの中身が二つに割れたそれの残骸と一緒に真下に居る嬉璃たちの上に落ちるのだ。
 べちょ、という音がした。
「んぬわぁ、これは蜂蜜かぁー」
 嬉璃が頭からかぶった蜂蜜をぺろりと舐めて言う。
「ええ、そうです。そしてこれをこうしてやれば」
 まるで魔法使いが魔法のステッキを軽やかに振るうようにセレスティは右手を振った。
 転瞬、なめらかだった蜂蜜が練り上げた水あめのようにその粘性を増して、最後には凝固する。
「ひゃぁー」
 身動きできない三下が悲鳴を上げた。
 セレスティはくすりと笑う。
「水の操作はお手のものでしてね」
「ぐぅぅぅぅー」
 悔しそうに歯軋りしていた嬉璃はしかし、ふぅーとため息を吐いて、面目なさそうに笑う。
「おんしの勝ちぢゃ」
 潔いその言葉にセレスティは優雅に一礼をして見せて、
 そして兵たちは心得たように台所にあったタコ糸で、動けない嬉璃や三下たちをぐるぐる巻きにした。



「お、おのれー」
 ますます現状の不利に武彦は歯軋りする。
 このままではネズミたちに一匹一本の約束で貰う事になっていた煙草がぱぁーである。
「くぅそぉ」
 こうなれば自ら兵を率いて!
 武彦はネズミの手綱を引いて、走らせる。向かうはいつの間にか立ち止まっているシュラインだ。
 シュラインはにこにこと笑いながら手を振っている。
 それに迷いが無かった訳ではない。相手はシュラインなのだ。
 しかしだからこそ彼女の胸にある薔薇は自分が散らさねばと武彦は想う。散っていた部下たちのためにもあえて自分は鬼とならねばならぬ。
 それが上に立つ者の責務。
 そんな彼を見据え、シュラインは切なげに馬鹿ね、と呟いた。
 そして彼女は髪を掻きあげる。しかしその光景を見て、武彦だけが手綱を引いた。慌てて。
 シュラインの目が見開かれる。
 果たしてその行動の真意は?



 オーマは冷蔵庫の上から卵を発射し、マッスル兄貴と呼ぶべき天使を召還して、ネズミたちを撃破し続けていた。
 そのオーマを狙いネズミたちは冷蔵庫を制圧するべく襲い掛かるが、しかしそのネズミたちを迎え撃つのはユーンだ。
 ユーンは時計の刻を使い、障害物を作り出し、それでネズミたちを分断し、そこをオーマはさらに爪楊枝の先を潰し矢として、竹櫛で作った弓で、その矢を放ち、分断されたネズミを倒していく。
 その矢には桜大根の削った奴がくっつけられていて、それを食ったネズミたちは次々と倒れていく。しかも何やらネズミたちは様子が、おかしい。
 そう、その桜大根を食べてネズミたちは秘密の親父菌ビバXに当たり、イブを熱く過ごす為ラブダーリンハニーゲッチュに目覚めたのだ。
 オーマの遠距離攻撃、それは大きな力となっていた。
 しかしそれの脅威性を身をもって知っている者はまだ脱落していない。
 そして、それが、
「オーマ・シュヴァルツ」
 レイドがネズミを駆り、オーマへと肉薄する。
「レイドぉー」
 そしてそれを迎え撃つオーマ。
 両雄が激突するその瞬間、大気が揺らいだ。
 セレスティの口元に微笑が浮かぶ。
 ユーンも、動いた。



 武彦はネズミを止めた。それは彼だからわかったのだ。
「全軍とまれぇー」
 しかし叫んだ時には遅かった。
 ネズミたちがシュラインに襲い掛かる。
 が、しかし彼らが突っ込んだそれは、
「罠か、シュライン」
 武彦が振り返る。
 そこに本物の彼女は居る。
「よく見破れたわね、武彦さん」
 ウインクするシュライン。そう、彼女はシンクに映る自分の姿でネズミたちを誘き寄せたのだ。それは正面からでは映りこまないが、しかし絶妙に反射するその位置を計算し尽くしてシュラインが立った場所では、その姿がシンクに映りこむのだ。それを彼女は利用した。
 だがシンクに映りこむ彼女に激突して気絶したネズミたちは半分で、まだ半分動いている。
「全軍、右回れ右ぃー」
 武彦が叫び、ネズミたちは右回れ右。
「す」
 進め、と言いたかったのだろうか?
 しかしその彼の言葉の先を聞く事は永遠に叶わない。何故なら、彼の頭上に、水で練って丸められた小麦粉が落ちてきて、それが直撃したからだ。
 それがシュラインの次なる一手であり、そしてそれは完全に武彦率いる大隊を撃破したのだった。
 丸められた小麦粉に潰された武彦の前に兵隊たちを引き連れてシュラインが立ち、しゃがみこむ。
 ん? と小首を傾げたシュラインに武彦は渋面を浮かべた。
「嬉しかったわよ。あれがシンクに映った私だと見破ってくれて」
「………当たり前だ」
 思春期の子どものようにぶっきらぼうにそう言う武彦にシュラインはくすくすと笑い、そして武彦の口にくわえていた煙草を左手で取り上げて、本当に玩具を取り上げられた子どものような顔をした武彦にシュラインは唇の前で右手の人差し指を立てた。
「零ちゃんには内緒にしといてあげるわ。でもその代わり当分禁煙ね、武彦さん」
 にっこりと笑うシュラインに、武彦はぱたりと顔を床に埋めた。



 武彦がやられてもそれは止まらなかった。
 オーマとレイドの戦いは熾烈を極める。
 横薙ぎのレイドの剣撃を、しかしオーマは自らの身体を滑らせる事で避けた。
 髪の毛が数本宙を舞うがそれは気にしない。
 そしてそのまま滑り倒れる身体を、冷蔵庫のてっぺんについた両手で支えて、ブレイクダンスを踊る要領で、レイドに下段蹴りを叩き込んだ。
 たまらずレイドはバランスを崩し、
 そしてオーマはバネ仕掛けの玩具のように腕の筋肉だけで冷蔵庫の上を押しやって、宙に飛ぶと、その頭のてっぺんを、レイドの顎に叩き込んだ。
 がん、と鈍い音がし、そして後ろにたたらを踏んだレイドの左胸にある薔薇をオーマの手が取った………
 ように見えたが、しかしレイドは足を踏み外して、冷蔵庫から落ちていく。
「レイドぉ」
 オーマは腕を伸ばし、落ちていくレイドが伸ばした手を掴んだ。
 そのまま彼は踏ん張って、レイドを引き上げようとし、
 そしてそのオーマをネズミの兵が襲う。
 それは卑怯では無い。レイドがそう教育し、そしてこれは戦争なのだ。
「させるかぁー」
 しかしそこに飛び込むユーン。銀の薙刀を振るい、次々とネズミたちを倒していく。
 それはまるで舞いを披露するかのように軽やかな戦いであった。
 とん、と冷蔵庫を蹴って、空に舞い、ぶん、と銀の薙刀を振るい、冷蔵庫のてっぺんを制圧しかけていたネズミたちはユーンが倒した。
「悪いな、ネズミたちよ。しかし今回は敵同士であったけれど、次に会う時は良い仲間でいたいものだね。よければ『羈絏堂』においで。俺が作った美味しい物を食べさせあげるから」
 ユーンは銀の薙刀を戻し、こくこくとそれはもう嬉しそうに頷くネズミたちににこりと微笑んだ。



 セレスティは目を閉じている。
 その両の手の平は、天井に向けられている。
 彼はこの台所にある空気の鳴動を感じている。
 そして、わずかなその動きを感じた。
「そこです」
 細めた涼しげな目で見据えた場所、そこに桂が現れる。
「セレスティさん!!! そうか大気中の水を支配して」
 ならばもはや時間移動しようが、意味は無い。
 水の魔術師セレスティ・カーニンガムの虚をつく事は自分にはできぬだろう。
 それでも彼は、
「む。そう来ますか」
 移動する。火のついた暖炉の前に。
「これならあなたは来られない、セレスティさん」
「そう思われますか?」
 しかしそれにセレスティはクールに微笑んで、そしてネズミの兵隊を水の鞭で巻くと共に、それをコマをまわすように、
「な」
 驚愕する桂に次々とネズミのコマを撃ち放つセレスティ。
 桂はとうとうそれを避けきれずに、ネズミのコマの直撃を許し、その胸の薔薇をセレスティの水によって取られてしまった。
 降参、と両手をあげる桂にセレスティは優雅に微笑む。薔薇の香りを楽しみながら。
「やはり薔薇は散らすものではなく、愛でるものですね」
 そう笑うセレスティに、タコ糸で括り付けられている嬉璃が悪戯っぽく笑った。
「おんしも本当に悪戯っ子ぢゃな。最初から能力を使っておれば、簡単に済んだぢゃろうに」
「それはお互い様でしょう。嬉璃嬢」
 くすくすと笑いあう二人に三下は泣き言をあげる。
「笑ってないで、解放してくださいよぉー」
 また笑うセレスティたちの声が楽しげな響きを増したのは言うまでも無い。



 オーマはレーヴェと戦っていた。
 振るわれる刃をかわしざまに銀の獅子へとその姿を変えて、強靭な四肢で、床を蹴り、レーヴェを翻弄する。
 この広い台所も、しかしその姿のオーマの前では狭い。
 走り回る翼在りし銀の獅子の動きにすっかりと翻弄されたレーヴェは目を回し、
 獅子から青年ヴァージョンへと変わったオーマはレーヴェの懐に飛び込んで、その薔薇を手に取った。
「レーヴェ、おめえさんの負けだぜ」
「う、うむ。そのようだ。無念」
 座り込むレーヴェにオーマはニヒルに笑う。
「まあ、またソーンに帰ったら一杯やろうや、な♪」



 残りわずかなネズミたちの動きは凄まじく均整が取れていた。
 それはこのリュートの音色によるものだ。
 音声入力で機械を動かすように、このリュートの魔性の音色はネズミたちを動かしている。
「やるわね、まあやちゃん。でも負けないわよ」
 そう。まあやが音の魔女であるように、シュラインも音のエキスパートで、そして彼女にはこの能力があった。
 ネズミたちの攻撃を、パンやチーズの盾で回避しながら、まあやが奏でる音を記憶する。
 そう、彼女は音の記憶力に長けているのだ。
 そして、シュラインは、立ち止まり、大きく息を吸うと共に、
「♪♪♪♪♪♪」
 まあやのリュートの音色を声帯模写で再現して見せたのだ。
 まあやのリュートの音で動かされていたネズミたちは、今度は逆にシュラインの声帯模写のリュートの音色で操られて、棚に隠れていたまあやを追い立てて、そこから引きずり出し、
「これで終わりよ、まあやちゃん」
 走るまあや目掛けて、フライパン返しを利用して、スリッパを放った。
 それを紫暗の瞳に映したまあやの顔に悲壮げな表情は無い。自分の運動神経ならば避けきれる、そう思ったのだろう。
 しかし彼女の視線は空を舞うスリッパに行っていて、足元に転がされた竹串には行かず、まあやは、
「きゃぁ」
 竹串で滑って、転んで、
 そしてこつん、と尻餅ついた彼女の頭にスリッパが落ちてきて、ぐぅえ、とそれに潰された。
 シュラインはくすくすと笑って、スリッパの下敷きとなったまあやに手を伸ばした。
「これで私たちの勝ちね」



【お菓子の国へ】


 戦いの後の台所に紫陽花の君の拍手が奏でられた。
「すごいすごい。おめでとう。今宵のくるみ割り人形率いる鉛の兵士と、ネズミたちの戦いも、あなたたちのおかげで、くるみ割り人形たちの勝利だわ。そしてその功労者たるあなたたちはこの世界へと行く権利が与えられる。まあ、楽しんでいってよ♪」
 ウインクした紫陽花の君に、皆が嫌な予感を覚えたその瞬間にはしかし、皆はそこに居た。
 そこはお菓子の国。
 そしてそこには4人のお菓子の妖精たちが居る。
「零ちゃん」
 シュラインの前に砂糖菓子の妖精の零が躍り出る。
「雫嬢」
 セレスティの前にはチョコレートの妖精の雫が舞い躍り出て。
「蓬莱さん」
 中華菓子の妖精は蓬莱。楽しそうに踊りながらユーンの前に進み出る。
「エルファリア王女」
 ワッフルの妖精はエルファリア王女。彼女は優雅にオーマの前に躍り出る。
 そしてそこへ舞い現れる紫陽花の君。
 彼女は閉じていたパラソルを開いて、それをくるくると回した。
「ここはお菓子の国。でも普通のくるみ割り人形と違うのは、ここであなた方を接待するのは、子どもとなった魔女。お菓子の家のね。魔女のお菓子の家へと赴いて、今宵、この紫陽花の君を楽しませてくれたお礼として、好きなお菓子を持っていってくださいな♪」



 そしてそれを眺めている兎渡は呆れた。
「本当に一体何をしだすのかと思えばキミは。紫陽花の君よ。キミはまだ彼らで楽しむつもりなのだね。よりにもよってあの魔女のお菓子の家へと行かせるだなんて」
 兎渡がほとほと呆れているのはそのお菓子の家の魔女こそ、この物語で白亜によって願いを叶えられた者であるから。
 お菓子の家の魔女は子どもとなっている。それは普通なら自分の家を食べられちゃった魔女の方こそが犠牲者で、おまえらは空腹だったのを魔女のお菓子の家を食べて救われたのだから、お礼に食われてやれよ、っていう感じの子どもたちが上手く逃げおおせるのは酷い! と思っていた魔女が、だから考えた。子どもは子どもだというだけで礼儀を返さずとも許される。だから自分も子どもとなってしまえ♪ と。それを白亜が叶えた。そういう事。
 さてさてどうなる事やら。



 これは皆で行くのではなく、カップル同士順番に。
 シュライン組み、セレスティ組み、ユーン組み、オーマ組みの順。
 相手は子どもとなって何でも許される、できると思っている魔女。向こうはどうやらこちらを食べる気満々で、このお菓子の国でも自由気ままにやっているらしい。
 何も知らずに零と手を繋いで出発したシュラインはその件のお菓子の家へと到着した。
 そこに居たのは小さな女の子の魔女だった。
 赤い髪に縁取られた幼い美貌に嬉しそうな笑みを浮かべながら、シュラインの前に進み出る。
「あの、こんにちは。もしもよかったらケーキ作りしませんか? 美味しいケーキを作る材料が揃っていますよ♪」
 嬉しそうに言う魔女。しかし彼女の作戦はこうだ!
 美味しいケーキ作りの材料を提供したのだから、今度はあなたたちがあたしのご飯の材料になってね♪ と。これこそ等価交換の原則!!! 何も間違ったことは言ってはいない!!! しかもあたし、何でも許される子どもだし!!!!!
 笑いがこみ上げてくる。
 しかしシュラインは優しい笑顔を浮かべて、やんわりとそれを断った。
「ありがとう。でもいいわ。お気遣い嬉しいけど、家に帰れば手作りのケーキがあるから」
「ふぅえ?」思わず目が点になった。「あ、わ、でも美味しいですよ! 美味しいケーキが作れるんですよ!!!」
 魔女は一生懸命言う。壊れた玩具のように両手をあわわわわと振りながら。
「うーん」
 シュラインは形の良い口元に軽く握った拳を当てて、考え込む。
 それからぽん、と手を叩いた。
 そして彼女はこれこれ、こういうお菓子は作れる? と、魔女に訊く。魔女は笑顔でこくこくと頷いて、スキップを踏むような足取りでお菓子の家へと入って、そのお菓子作りの材料を持ってきて、そうしてシュラインと零の前に並べた。
 零はきょとん、と小首を傾げる。
「えっと、何を作るんです、お姉さん?」
「ええ。煙草を模したね、お菓子を作りたいの」
 シュラインはにこりと笑って答え、零も笑顔で頷いた。
「いいですね、それ」
 そして二人で魔女に教えてもらいながら、それを完成させる。
 完成品を前に喜ぶシュラインと零に魔女はキラリーン、と目を輝かせた。
 さあ、第二作戦の始まりだ! 魔女が口を開こうとした、その瞬間、しかし………
「これ、クリスマスプレゼントにどうぞ、と言うにはちょっとあれなんだけど、受け取ってもらえるかしら?」
 ふわり、と魔女の身体を包み込んだのはシュラインが身に付けていたボンチョであった。
「え、あ、あの?」
 口をパクパクとさせる魔女にシュラインは優しく微笑む。
「だってあなたからはこのお菓子を作るための材料を貰ったんですもの。だからお返しに。私のお下がりで悪いんだけど」
 苦笑するシュラインに魔女はふるふると顔を横に振った。
「温かい! それに良い匂い!!!」
 無邪気に微笑む魔女にシュラインは嬉しそうに微笑み、そして零と手を繋いで帰っていくシュラインを笑顔で見送って、
 そしてはっ、と気づいた。
「しまった! あの二人を食べるの忘れてたぁー!」
 どっちの女もすごくふわふわとしていて、美味しそうだったのに!!!
 だけどもうシュラインたちは帰ってしまった。
 きぃーっと、その場で地団太を踏んで、だけど、シュラインから貰ったボンチョに嬉しそうに微笑む。
「大丈夫。食べるなら女の子の方が美味しいけど、まあ、美味しそうな美形の男の子たちが居たから、そっちを食べましょう。うん、そうしましょう♪」
 魔女はにこにこと微笑む。



 セレスティが座る車椅子を雫が押して、二人で楽しそうにお喋りをしていた。
「何だかクリスマスイブにこうして二人で歩いているなんて、デートしてるみたいですね♪」
 雫が嬉しそうに言う。
 それにセレスティも上品にクスクスと笑って答えた。
「そうですね。デートのようですね」
 それに雫が顔を赤くする。
「きゃぁー。もう、セレスティさん」
 ぱしん、とセレスティの肩を叩いて、きゃっきゃっと喜ぶ雫にセレスティも楽しげに微笑んだ。
 それを見つめる魔女。
 先ほどは上手くごまかされてしまったが、次はそうはいかないぞ!
 拳を握って、よし、とポーズをとる魔女。
 次の作戦はこうだ! やはりここは原点に返って、奴らにお菓子の家を食べさせて、それで怒って泣いて、二人にその謝罪として身体を出させるのだ! 前は老婆で、向こうは子どもだったから、それは通じなかったけど、でも今はあたし、子どもだし!!!
 男も女も美味しそう♪
 そして到着したセレスティと雫の前に魔女はスキップを踏みながら進み出る。
「あの、もしも良かったら、あたしの家を食べませんか?」
 そう言われて、くすり、と口だけで笑うセレスティ。その顔はとても綺麗な微笑だった。
 雫の方は胸の前で両手を合わせて、目を輝かせた。
「良いんですか、魔女さん」
「はい。遠慮せずにどんどん食べてくださいね♪」
「じゃあ、遠慮せずに食べさせていただきますね♪」
 雫は喜んでお菓子の家を見る。
「すごいですね、セレスティさん! ど、どこから食べますか!!! あたしはまずは扉のチョコレートから食べたいです♪」
 くすくすとセレスティは笑う。
 ――ここに彼が居たら、きっと雫嬢と一緒になって、喜んで食べていたのでしょうね。
 女の子は甘い物は別腹、とはよく聞くが、雫はよく食べた。セレスティがチョコレート、クリームケーキ、飴、それぞれ少量ずつ食べている間に雫はほとんどお菓子の家を食べてしまった。
 セレスティは肩を竦める。
「すごいものですね、雫嬢。キミの食欲は」
「美味しい物は別腹です。お土産も貰いましたし」
 にこりと笑って、パックに入れたお菓子を見つめる雫。
「では帰りましょうか、雫嬢」
「はい」
 雫はビニール袋の持つところをセレスティの車椅子の取っ手に引っ掛けて、魔女に頭を下げた。
「魔女さん、本当にお菓子の家を食べさせてもらって、ありがとうございました。夢が叶って、嬉しかったです」
 ご機嫌な声でそう言って、雫は車椅子を押そうとして、それを魔女が制しようと口を開こうとしたら、
「本当にキミが遠慮せずに食べてくださいね、と言ってくれたから、こちらも遠慮せずにお菓子の家を食べられました。ええ、キミが遠慮せずに食べても良い、と言ってくれたんですものね」
「ふぅえ」
 魔女の目が点となる。
 それからセレスティは魔女を手招きして呼んで、彼女の耳に雫には聞こえぬように、まるで百戦錬磨の敏腕弁護士のようにこちらがお菓子の家を遠慮なく食べれた法律的理由を説明してやった。
 そして彼女から口を離し、その美貌にとても人好きのする笑みを浮かべるのだ、セレスティ・カーニンガムは。
 魔女は呆然としながらそれを見送って、きぃーっとその場で地団太を踏んだ。
「どうしてこうなるのよ、もう」
 ふぅー、と大きくため息を吐いて、魔女はその場にぺたんと腰を下ろす。
「あー、もう。つぎつぎ!」
 投げやりな魔女の叫び声が世界に木霊した。



 次なるカップルはユーンと蓬莱。
「でもくるみ割り人形のような物語に中華菓子なんて何か変じゃないでしょうか?」
 自分の中華菓子の格好を見回して、蓬莱は苦笑を浮かべながら小首を傾げる。
「いや、そんな事は無いよ」
 ユーンは優しく彼女に微笑んだ。
「くるみ割り人形はクリスマスにはとても有名な話で、お菓子の妖精は上演される国によって違うのだから」
「そうなんですか?」
「ああ。日本なら和菓子。中国なら中華菓子という具合にね」
 ほのぼのとユーンのお菓子の妖精の説明や、ドロッセルマイヤーの説明などが語られる。
 蓬莱は楽しそうにそれを聞いていた。
 そして二人が魔女の前に到着する。
 魔女はにこにこと二人に言う。
「見てください。あたしのお菓子の家は食べられてしまいました。それで思ったんです。美味しいお菓子の家だから、食べられちゃうんだと。だから不味いお菓子の家にしようと思うんです。だから不味いお菓子の家を作っていただけませんか?」
 その魔女の言葉にユーンと蓬莱は顔を見合わせた。
 そう、魔女の作戦とはこうだ! 
 人は不味い料理を作るとげんなりとする。
 さらには本当に不味いのか、彼らに味見をさせる。
 さらにさらにげんなりとする彼らに今度は魔女がお礼に美味しい料理を食べさせてあげると申し出るのだ!
 そしたら彼らは喜ぶから、その喜ぶ彼らに、これは美味しい料理を食べる礼節です、とかなんとか言って、自分からバターやら、なんやらをつけてもらって、最後にはあつあつの………
 くすくすと魔女は笑う。
「ささ、お願いします」
 魔女は、お菓子の材料やら道具のある場所にユーンと蓬莱を案内した。
 ユーンと蓬莱は顔を見合わせて、苦笑を浮かべる。
「本当に不味いお菓子の家で良いのかい?」
「はい」
 魔女は笑顔で言う。
 そしてそれにユーンも心を決めて頷いた。
「よし。じゃあ、俺が腕によりをかけて不味いお菓子の家を作ろう」
 それからユーンは、余った材料で、自分の分のケーキも作って良いかを訊き、それを魔女は快諾した。それはこいつらを食った後に食べるデザートにしようと思ったのだ。
 そうしてユーンは時折味見をして、それが不味い事を確認しながら、お菓子を作り出す。
 しかし魔女は眉根を寄せた。
 何故だかユーンが作るお菓子の匂いがとても美味しそうなのだ。
 何で!? だって味見しながら不味いものを作っているはずなのに!!!!
 魔女は知らない。ユーンの味覚が少し、しか機能していないのを。それでも彼の舌は回復してきているのだが、しかし………
「さあ、味見をしてくれ、魔女よ。きっと不味いはずだよ」
「え、ええ」
 魔女は緊張しながらお菓子の家の材料の余りを口にした。
 とてもまろやかで美味で、上品な味の飴細工が口の中で溶ける。それは極上のお菓子であった。
「ああ、やっぱり」
 魔女はとても幸せそうな顔をしながら涙を流した。美味しいお菓子を食べれた幸せ、そして作戦が失敗した涙。
 魔女はユーンの作ったお菓子の家を我慢できずに食べだしてしまう。だってそれはあまりにも美味しいんですもの!!!
 だがユーンは慌てる。だってそれは彼が腕によりをかけて作った、それはもう! とても!! ものすごくデンジャラスなぐらいに不味いお菓子なのだから!!!
 しかし魔女はやめない。そしてユーンはそれに感動した。
「ありがとう、魔女よ。これは君に貰った材料で作ったケーキと一緒に作っておいたサツマイモケーキなのだが、これを貰っておくれ。こちらこそ俺が腕によりをかけて君のために作ったとても美味しいケーキなのだから」
「ええ」
 魔女は顔を輝かせて、そのサツマイモケーキを受け取って、ユーンたちをご機嫌で見送って、そしてそのサツマイモケーキを食べて、
「ぐぅえ」
 あまりもの不味さに気絶した………。



 オーマとエルファリア王女は、すっかりとやさぐれた魔女にとても心配そうな顔をした。
「え、えっと、オーマ。これは。こういう時はどうすればいいのでしょうか?」
 慌てるエルファリアの肩をぽんぽんと叩いてオーマはまずは彼女を落ち着かせようとする。
「まあ、なんだ、こういう時は慌てちゃ駄目よ、エルファリア王女。えっと、まずはやさぐれている理由を聞いてやろう」
 オーマは言う。
 それから地面の上で大の字になってぶすぅーっと寝転がっている魔女の顔を覗き込む。
「どうしたんでい、魔女ちゃんよ。しっかりと飯は食ったのかい?」
「いっぱい食べたわよ、ケーキを」
「お、そいつはいけねー。ケーキなんかで腹を膨らせてちゃ、大きくはなれねーぜ」
 オーマはにやりと笑って、魔女の腰を両手で支えて、魔女を抱えあげる。
 そのオーマの顔を見て、魔女はきらりーんと顔を輝かせた。
「お腹一杯?」
「ああ。そうだ。お腹一杯食べればでかくなれるし、それに元気も出るってもんさ。それは素敵なレディーになれるぜ。そこに居るエルファリア王女のようにバン、キュッ、ボーンってな」
 オーマはにやりと笑った。
 エルファリア王女は顔を真っ赤にして俯いてしまう。
 オーマはいっひっひっひと笑う。
 しかし魔女はオーマは自分から腹いっぱい食べろと言ったのだから、これはセレスティに囁かれたあの法律的根拠が使えると、それはもう心のうちで喜んだ。
 大きく鼻の穴を広げて、魔女は右手の人差し指を楽しそうに立てて、オーマに彼自身が言った言葉による、これから魔女が言う事の正当性(セレスティの時とはまったく違うのだが)を主張するべく、その立てた右手の人差し指をリズミカルに振ろうとして、だけどそうする事も叶わずに彼女は固まった。
 オーマはいつの間にかエプロン姿に変身していて、台所でもう既に何やら料理を始めている。しかもすさまじく手際が良い。
 魔女は唖然とする。
 違う。違うのだ。魔女が食べたいのは、オーマが作る料理ではなく、オーマを使った料理なのだ! しかもこのエルファリア王女、色白で、ふわふわとしていて、それはもうすごく肉が柔らかそうで、美味しそうなのに!!!
 魔女はオーマに話しかけようとした。違う! 全然違う! あたしが食べたいのはあなたとこの女の人! と。
 でもそんな魔女を後ろから抱きしめて、どこかずれている天然の王女様は、オーマに任せておきなさい、とかなんとかものすごく上品な笑みを浮かべて言って、その笑みでごまかされるように魔女は何も言えなくなるのだ。
 そうして出来上がったお料理を魔女は渋々口に運んだ。
 それはやっぱりとても美味しかった。
 そして魔女の口からくすくすと笑いが零れる。
「本当にこれは美味しい。本当に」
 魔女はくすくすと笑い、そしてオーマとエルファリアは嬉しそうに顔を見合わせる。
「さてと、んじゃ、次はお菓子の家作りだな」
 腰に両手を置いて、オーマは食べかけのお菓子の家を見た。
 だがすべてを食べ尽くした魔女は、顔をふるふると横に振った。
「もう良い。何やらあなたたちを見ていたら、つまらぬ物語の法則を恨んで、白亜に祈りを捧げた事が馬鹿らしくなった。どうしてどうして、何故あなた方は人のために何かが出来るのか」
 魔女は瞼を閉じて、その魔女の前に文字が書き記される。
 それは蝶となって、飛んで行き、魔女は幼い姿から麗しき妙齢の女性となった。
 オーマはその彼女にウインクする。
「な。腹いっぱいに食えば、ばん、きゅっ、ぼーん、となるって言っただろう?」
 そしてオーマは具現化能力によって素晴らしい家を作り出し、魔女を喜ばせた。



 +++


 翼在りし銀の獅子、その背中に乗って皆は物語の世界から現実世界へと帰ってきた。
 もちろん、その後に夜の雪舞う中でのスカイXmasも楽しんで。
 夜の空に咲いた花火を銀の獅子に変身したオーマの背に乗り、皆はそれを眺め、そしてそれぞれの居場所へとまた帰っていくのだ。
 オーマから貰った友情の証である輝石(ルベリアの花を具現で輝石化した)を手にして。



【ラスト】


 家へ帰ってくると、店は綺麗に掃除されていた。
 時計の精霊たちは気持ち良さげに店内を走り回っている。
 その嬉しそうな時計の精霊たちの様子にユーンも嬉しそうに微笑む。
 そして店内にはとても美味しそうな匂いがした。
 匂いからすると醤油、砂糖、生姜、ニンニク、そういう匂い。それから肉が美味しく焼けた匂い。
 ユーンはわずかに驚く。どうやら三人で、自分が出かけている間に料理を作ってくれたようだ。
「ケーキはどうかな?」
 自分が持つケーキを見て、それからユーンはくすりと笑う。
「食べられるか。他に作ってあったり、買ってきてあっても」
 くすくすと楽しそうに笑うユーンを時計の精霊たちが見上げる。
 そして小首を傾げたのはユーンの顔が泣きそうに見えたから。
「君は、今はどうしているんだい?」
 そう、問いかける。
 今もどこかで生きているあの子。
 それだけで嬉しい。
 そしてその姿を見たい。
 抱きしめたい。
 ただそれだけ。
 それは小さな願い。
 願う事や、それを叶えようとするのが確かに誰かを傷つけるかもしれないが、しかし彼はそうしたいと願った。
 その願いを叶えたら、自分は、それで泣いた人を必ず笑わせて見せるから、と誓う。
 そう、泣かせるのはこの時だけ。
 その願いを叶えたら、もう我侭は言わない。それが彼のこの聖夜に願う、小さな小さな願い。
 聖夜にそれを想い、誓う。シン・ユーンは。
 だけど今日だけは。
 そう、今日だけは。
「おーい、皆ぁー。ただいま。俺が焼いたケーキを持ってきたよ」
 ユーンは自分を出迎えてくれた家族に幸せそうに微笑んだ。


【END】


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2829 / シン・ユーン / 男性 / 626歳 /  時計職人】


【1883 / セレスティ・カーニンガム / 男性 / 725歳 /財閥総帥・占い師・水霊使い】


【1953 / オーマ・シュヴァルツ / 男性 / 39歳(実年齢999歳) / 医者兼ヴァンサー(ガンナー)腹黒副業有り】


【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】



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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、シン・ユーンさま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はご依頼ありがとうございました。^^
 えっと、大丈夫です! ちゃんと持ち帰ったケーキは美味しかったそうです! ものすごく!!! (笑い
 ユーンさんの味覚は回復の兆しを見せていて、作るお料理も美味しくなってきているのは、前に書かせていただいたので、知っていたのですが、今回はちょっと笑いに走りたくって、設定をそのままに。。。。。[岩蔭|]_・)ソォーッ
 PLさまに笑っていただけていたら嬉しいのですが。


 対ネズミ戦。ユーンさんには突撃隊長として、銀の薙刀を振るって、戦ってもらいました。^^
 結構、オーマさんに迫るネズミ軍団へと果敢に挑んだシーンはお気に入りです。^^
 そのあとにもちろん、ネズミたちに、手料理を食べにおいで、というシーンも好きですね。そして本当に食べに行ったネズミたちのその後を想像なんかしたりすると楽しいです。果たして、ネズミたちは!!!<おい

 あとはラストシーンかな。
 温かな家に帰ってきて、そこで自分を待ってくれている人たちの温もりを感じて、だけどどうしても見ないフリをする事の出来ない感情に泣きそうな顔をして、
 でも今日だけは、そこにある温もりに包まれたいと望むユーンさんを書けて、本当に嬉しかったし、感動しましたし、後は色んな事を想いました。
 本当にユーンさんには心から幸せになってもらいたいなー、とすごく想います。
 ご依頼、本当にありがとうございました。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。
クリスマス・聖なる夜の物語2005 -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年12月05日

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