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『お日様とお月様 』
榊・紗耶1711)&小石川・雨(5332)


 それは水に似ていた。
 寄る辺なく漂う感覚に、水の浮遊感を感じて雨は目を開ける。そして、小さく息を飲んだ。
闇だ。暗闇が辺りに満ちている。
怖い、と思い身を起こす。足場も見えないのに、確かに自分が身を起こせた事が不思議ではあったが、悩んだら負けだと意味もなく思った。
 足元の浮遊感は未だ続いている。どうやら、いきなり落ちる心配はないらしい。
 これが本当に水の上だったら、かなり不思議な光景ね。
 そんな事を思う余裕さえ出て来る。それは闇の中でも自分の姿を見る事が出来るせいだろうか。
「こんなに暗いのに、どうして?」
 目を凝らして見回すとそれがようやく完全なる闇ではない事に気付けた。小さくかすかな光がそこかしこに瞬いている。まるで星空だ。
都会に住む雨にとって、それは滅多に見る事が出来ない程、素晴らしい星空だった。
 ――にも見せたいな。
 ふと思い描いた面影は家族のものではなくて。しかし、それを疑問に思うより先に、星が一つ雨の元に舞い降りる。すると、瞬く間にそれはドアの形になる。
 白く、無個性なドアに目を丸くした雨はようやくこれが雨の夢である事に思い至った。
「不思議な夢だなあ。ドアがあるって事はここに入れって事よね?」
 なんだか楽しくなってきて、雨は一人呟く。そして、躊躇う事なくノブを回した。


 それは白い部屋だった。
 病室みたいだと雨は思う。病室だと断じきれないのは、その部屋にある物のせいだ。
例えば、病室ならベッドやロッカーと来客用のベンチや小さなテーブル程度だろう。
言うなれば、病室には生活臭がない。
しかし、雨が今見ている部屋は、生活臭と言う程ではないにしろ、人が長く暮らしている気配があった。
カレンダーや、本、花瓶と花。
それらは勿論、病室にあったとしてもおかしくはないかもしれない。だが、それは私室のような雰囲気に一役買っていた。そのせいか病室だ、ではなく病室みたいだ、と雨は思ったのだ。
「どなた?」
 ベッドの上の少女から誰何の声があがる。そこでようやく雨は部屋からその部屋の主へと視線を切り替えた。
 長い黒髪の少女は物怖じせずにまっすぐに雨を見つめていた。
 ――あれぇ? 何時の間に女になったの!?
 最初に思ったのはそんな事だ。よく知った――と言い切れるのかは別として――少年によく似た少女がベッドに座している。
無論、きちんとみれば様々な差異はあるのだけど、彼女は彼によく似ていたのだ。
そんな事をつらつら考えながら、ぼぅっと少女を見ていると、少女は僅かに首を傾げてもう一度繰り返した。
「どなた?」
「……あ。私?」
 驚いて聞き返してから雨は気付いた。
そうか、これは夢だから、こんな事もあるんだ。
彼が女の子になる事も、初めて会うみたいな態度を取られる事も、夢だからだ。
雨は気を取り直して笑顔を浮かべる。まずは自己紹介からだろう。
「えーっと、雨だよ。小石川雨」
「雨さん、貴方、どうしてここに?」
 問われて首を傾げる。夜空を通ってここへ来ましたなんて、ちょっとマヌケな言い方だろうか。それにそもそもあの夜空がなんだったのか問われても雨には判らない。雨は思わず唸った。
「んー、よく判らない。ね、今って夜なのかな?」
「雨さんって変な事聞くのね。……よかったら、ここに座らない?」
 こくりと頷いた雨はベッドの脇の椅子に腰掛けた。
「私、あまり外に出られなくて。よかったら、色々聞かせてもらえる?」
「いいよ。何の話が良い?」
「そうね。じゃあ学校の事とか」
 うーん、と雨は首を傾げた。
「何か支障が?」
「そうじゃなくて。私、定時制に通ってるんだ。だから普通の高校の話は出来ないと思うケド、いい?」
「ええ。私が聞きたいのは雨さんが通っている学校の事よ」
 雨の問いかけに少女は真面目な表情で頷いた。それじゃ、と雨は頬に指を当てた。
「まず一番違うのはね、定時制だと生徒の年齢がばらばらなんだ。家の親より年上の人だっているのよ。色々教えてもらえて楽しいんだ」
「色々って?」
「美味しいお弁当のおかずの作り方とか、中々外れない紐の結び方とか。ホントに色々。中にはどうしてこの人がこんな事を知ってるの? なーんて事もあってね」
 雨はあれこれとクラスメイトの事を思いつくままに話し始めた。


 こんな事があるなんて、と紗耶は思う。
 迷い込んだこの少女はどうやら、兄の知り合いであるらしい。雨の話にしばしば登場する少年が、自分の兄であると気付いた時にはこの奇妙なめぐり合わせに驚いた。
ただ聞き流してしまえば、どこか乱暴にも聞こえる雨の表現は紗耶にとって不快なものではなかった。それはむしろ雨の人柄を如実にうかがわせて、紗耶に雨に対する興味を深める結果になった。
迷い込んできた少女に対するそれではなく、小石川雨という目の前の少女に対する興味だ。赤の他人に対する興味と雨に対するそれが大きく違う事に気付きつつ紗耶は熱心に雨の話に聞き入った。
「雨さんは、そのパン屋さんでいつもそんな調子なの?」
「そういう訳じゃないけど……、なんでだろ。どうしても気になっちゃうんだよね」
「そう。そう言えばそのパン屋さん、今は冬のメニューが追加されたって言ったよね」
 どんなメニューなのかと問えば、何故か誇らしげな笑みが返ってくる。
「あ、それがね。カボチャを使ったパンがとっても美味しいんだよ」
「南瓜って、冬だったかしら?」
「冬至にカボチャ食べるからじゃなかったかな? カボチャアンパンが特にお薦めなんだ。後は……あ、あれ! 大福パン。面白いんだよ」
 紗耶はパンの中に大福餅が入っている様を想像して、確かに面白いかもと思う。そしてそれよりも強く思う事は。
「雨さんって、そのパン屋さんがとても好きなのね」
「当然じゃない。そりゃ、たまには嫌なお客さんに当たって落ち込んだりするケド、それも後で思い出せば笑えたりするんだ」
 笑顔を浮かべる雨の様子に一つも嘘が入る要素はなさそうで、紗耶は眩しい思いを抱いた。
 この人はいつもそうなのだろうか。
 雨に対する興味がますます深まり、好意もまた生まれていく。
 そんな思いを抱いてどうなるものでもないのに。
 そう思いつつも紗耶は雨に対する問いかけを止める事が出来なかった。
「ね。雨さんって家族は何人?」
「え、えーっとね……」
 問われて雨は指を折り始める。それを見守っていた紗耶はその指が全て折り曲げられてもまだ終わらない事に驚いた。
「雨さん、今10人を越さなかった?」
「うん。家、家族が多いんだ。弟と妹が多くってね。……あ」
 何かを思いついたように雨の動きが止まった。何を思い出したのか、微妙な表情で雨は頬に指を当てた。
「あのね、子沢山とかそういうのじゃなくてね。家って孤児院なんだ」
「……え」
「私が一番上なんだ。一番下はまだまだ小さいから、もう毎日賑やかで、少しも退屈する暇がないの!」
 どう言おう、そう迷う紗耶が言葉を見つけるより先に、雨は朗らかに笑った。
「毎月あれこれあるしね。誕生会とか、色んな行事もあるでしょ? もうすぐクリスマスツリーを飾るんだよ。あ、それから、この間のハロウィンパーティはすっごく楽しかったの!」
 にこにこと何番目の弟がどんなお化けの仮装をしたなんて事を話す雨には、少しの翳りも見られなかった。
 いいえ、翳りどころか眩しい位。
 もう随分と見ていないお日様のように暖かく眩しい。それも、夏の暴力的なまでに強力な太陽ではなくて、寒い冬の日に燦々と差し込むやさしい輝きだ。
 紗耶の頬が自然と緩み、それはやがてこぼれるような笑顔になった。
「貴方はまるでお日様みたいね」
「え? やだな、そんな事ないよ」
 首を振る雨に紗耶は笑みを深くして、小さく呟いた。
「良かった……」
「何が?」
 きょとんとした雨ははたと何かに気付いた様子で両手を合わせた。
「あ、ゴメン。私ばっかり話しちゃって」
「いいの。貴方の事が聞きたかったから」
「じゃあ、今度はあなたの事、聞かせて欲しいな……あ、あれ?」
 ふと視界が揺らいだ気がした。
「そろそろ夢が醒めるみたいね」
「え、そんな……あ、そうだ! 良かったらクリスマス会においでよ」
「ごめんなさい。私、ここから出られないから」
「そうなの? じゃあ、私が会いにいくよ」
 何でもない事のように言う雨に紗耶は目を閉じた。それは決して叶わない事だ。けれど――。
「……また逢えたらお話してくれる?」
「いつでも!」
 その笑顔と共に、雨は光となって消えた。


 あれ? あの子が二人?
 もう一人の少女はベッドに横たわり目を閉じていた。どんどんそちらの紗耶が鮮明になっていく。日光を浴びる事が少ないのか、肌はぬけるように白い――否、それを通り越しているのかもしれない。長く患って病室の外に出られない、そんな風にも見えた。
「榊、紗耶……?」
 あの部屋にはなかったネームプレートが紗耶の枕元に見える。これが彼女の名前だろうか。
 遠ざかる景色の中で、最後に見えたのは白い大きな建物。
 あれは、どこかで見た事ある――。
 ――天井。
「え? あれ?」
 雨は慌てて身を起こす。いつも通りの自分の部屋だ。あの少女はいない。
 けれど。
 カーテンを開くと柔らかな朝日が、雨を照らす。
「まだ、あなたの話を聞いてないよ」
 あの病院を見たのは多分テレビでだ。きっと調べれば見つかる筈。ダメなら電話帳で病院を調べて片っ端から電話すれば良い。
「会いに行くって約束したんだから。待っててね」
 雨はまだ告げていない。もしも雨がお日様なら、優しく静かに雨の話を聞いてくれた少女はまるでお月様みたいだと思った事を。
 それに何よりも。
「まだちゃんと名前も聞いてないしね」
 今度はお互いきちんと名乗るところから始めて。
 そうして友達になりたい。
 そんな事を言ったら、あの子はどんな顔をするだろう?
 雨はきっと来るその時を想像して、明るい笑顔を浮かべた。


fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
小夜曲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年12月02日

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