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『■いつかまた逢おう■ 』
白姫・すみれ3684

 死んだあとには何もない、なんて。
 そんなこと、あってほしくない。
 神様、
 もしいるのなら。願いをきいてくれるのなら。
 きいて、くれるのなら───



 その時期、新しく入った同僚の「本当の意味での初仕事」とも言える、コンビニ強盗犯を追跡する、その元からの担当が、奇しくもすみれだった。
「署長! こんな雑魚相手にわたしだけでもあの区域の担当はできます!」
 文句を言ったすみれに、「だがいつまでも夜中のコンビニ周辺を女性一人で張らせるわけにも、と思ってね」と、すみれにはきつい一言が返ってくる。
 「女性」を持ち出されたら、すみれは言い返せない。彼女のコンプレックスだから言い返せない。そこにふらりといた彼は、自分は盾くらいにはなれるから、とすみれに言ったものだ。
 かっ、とすみれの頭に血がのぼる。
「ああ、そう。じゃあ盾として頑張ってね。盾としてね!」

 本気では、なかった。
 ただ、日常のやりとりのように。
 ちょっとしたいざこざのときに、つい言ってしまうものと同じように。
 すみれは、そう言っただけなのに。



 彼と張り込みをしてから三日目の夜。
 未だにまともに口をきかないすみれに、彼はなんの裏もなく変わらぬ笑顔を見せ、張り込み中の食事の買い出しをしたり、気さくに話しかけてきたりと、ちっとも無理のない姿勢でいた。
(ちょっとだけ、話してみようか)
 そんな気が、自然に起きるほど。彼は、頑張っていた。
 口を開きかけたとき、

 ぽつ───………

 予測していなかった、雨が降り始めた。
 店のひさしに入ろうとした、その時だ。
「あ───!!」
 コンビニ強盗の犯人が、すみれの視界を走って通り過ぎる。反射的に、身体が動いていた。
 彼の自分の名を呼ぶ声が、背中をたたく。けれど、すみれにはその声さえ、聞こえていなかった。逃したら。今、逃してしまったら。次の偶然を待つ、ということはこの仕事に極力あってはならないこと。
「待ちなさい───!」
 追われていると、知っているその走り方に。すみれが言った、その瞬間に。
 犯人が、くるりと振り向いた。
 顔は真っ青で、がたがたと震えている。麻薬にでも、手を出しているのだろうか。

 ざっ

 激しいほどの靴音と共に、広い白のシャツで、すみれの視界はさえぎられた。
 彼だ。
 彼がこんなに近くにいても。
(こわく、ない)
 どんな場合でも男性に対して恐怖を感じてしまうすみれには、「それ」は不思議なことだった。「これ」はなんだろう。不思議な、安堵感。まもられて───いる、から?
 自然に、彼の背中に触れていた。引き寄せられたように。こんなときなのに。
(あたたかい)
 だが、そのふわふわした安堵感を引き裂くように、
 轟音が、
 夜の雨の中、とどろいた。

 ───
 ────
 ─────

 するりと、
 自分の手から滑っていく背中。
 彼の、かすれ声。
 地面に倒れるときに、ちらりと見えた───やさしいえがお。
 なにも、かわらない。
 かわらない、のに。
 背中に触れていたすみれの手が、何故か真っ赤だ。
 彼が、何か言っている。
 白いシャツを、赤くそめて、何か言っている。
 そして彼は目を、

 とじた。

 もうひとつ、轟音と共に自分の腰骨の上あたりを貫いていった、小さく、何もかもを崩していった、弾丸。
 銃の所持なんて、伝えられていなかった。
 情報の中に、なかった。
 彼のすぐ脇に崩れ落ちるすみれの耳に、今ようやっと、無線から、犯人が銃を所持していることが分かった、と聞こえてくる。
(おそすぎる)
 犯人が、逃げていく。
 そう、
 ───おそすぎた。
 どうして、こんなときに。
 彼は、「あんなことをいったのだろう」。
 この、わたしなんかに。
(どうして、わたしは)
 どうして、
 彼に、つらくあたっていたのだろう。素直になれなかったのだろう。
 彼の身体から、どんどん血が流れ出てゆく。
「───!!」
 彼の名を、さけぶ。
 おきて、とさけぶ。
 視界がにじむのは、雨だけのせいではないだろう。
 目が、痛かった。
 胸が、痛かった。
 銃弾が貫いていった、
 腰骨の傷よりも、もっと強い、痛みだった。



 どうする? その傷、すっかり傷跡もなくすこともできるけど。

 知り合いの、腕のいい医者に、そんなことを言われたけれど。
「いい、だめ」
 何かにとりつかれたように、すみれはそうこたえた。
 だめ───だって「これ」は、「彼に対しての罪の証」だから。
 そして、

 ───



「今時、銭湯でのぼせるやつがいるのかね」
 些かあきれたように言ったのは、友人の草間武彦だ。
 ああ───いやに、過去の夢なんてみると思った。
 お風呂がこわれて、銭湯に久々に行って───考え事をしていて、のぼせて。そういえばあの銭湯、この興信所の近くだった。聞くと、たまたま依頼帰りだった武彦が、すっかり目を回して前後不覚になっていたすみれを一時的に「保護」してくれたのだという。
「わたし───何か、言ってた?」
「ん?」
 毛布をかけられた下、何気なく、今もくっきりと残っている腰骨の上の弾痕を撫でるように、すみれは手で探る。
「そうだなあ───神様がどうとか。まさか変な宗教にでもハマッたんじゃないかって心配してたとこだよ」
「そんなわけないじゃない」
 わざとらしい冗談を言った武彦に、すみれは笑う。
 きっと───ほかにも、すみれはうなされたのだ。
 恐らく、彼の名前も。
 武彦はそれを、聞かなかったふりをしてくれている。
「わたしね、」
 このときの、すみれは。
 きっと、
 誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。
「同僚に告白されちゃった」
「ふうん?」
 武彦は、煙草を吸いながら少しわざとらしく眉を上げる。そう、知っているはず。武彦は。すみれとも、すみれの腐れ縁の刑事とも仲が良いのだから。
 だから、こんな茶番につきあってくれるのだ。
「どんなヤツに?」
 つきあってくれて、こんなふうにきいてきてくれる。
「ふたつ年下で、夢をかなえて、いつもやさしい笑顔で、背中があたたかいひと」
「へえ。いいやつだな」
「うん。すごくいい人。でも、死んじゃった」
「そうか」
「うん」
 そう、彼は。
 あの時───死ぬと分かっていたのだろうか。自分が死んでゆくと、分かっていたのだろうか。だから、あんなことを言ったのだろうか。すみれに微笑みながら。文字通り、「盾」になりながら。

 ───すみれさん、ぼくはね……、
 それでね、ぼくはすみれさんを───…………

 それがあのときに聞いた、彼の言葉のすべて。
(すみれさんを───その続き、わたしまだ、きいてないよ)
 彼は、何を言いたかったのだろう。
 もっとちゃんと、彼と話しておけばよかった。ちゃんと笑いあって、仲良くして。同僚として、向かい合っていれば。
 こんなに深く後悔することも、なかった。
 彼を死なせることも、きっと、なかった。
「聞き取れなかったんだ、告白の続き」
 ぽつりとつぶやいたすみれに、武彦はちらりとサングラス越しに視線をやる。
「でもね、きっと傷跡には、彼がいるから」
 あのとき。
 あのときに言った彼の言葉を、この傷跡はきっと聴いている。彼の言葉と共にきざまれた、傷だから。
 だからすみれは、この傷跡を残さない。
 これが、彼の生きていた、証だから。すみれの身にしっかりと、一緒に生きている、証だから。
「草間さん、来世って。
 来世って、しんじる?」
 すみれの質問に、武彦はぼんやりしたように、「さあな」とおぼろげに返事をする。信じて、いないような気もするし、案外信じているような気もする。
 すみれにはどちらでも、よかった。
 こうして、聞いてくれているのだから。ぽろぽろといつの間にか流れていた涙にも、気付かぬふりをして、それでも話の続きを促してくれているのだから。
「誰かに言ったら、きっとわらわれる。でも、いいの。わたしの命と引き換えにしてもいい、願いだから」
 あんなふうに。
 奪われた命が、未来が。
 そこまでで終わってしまうなんて、あってほしくないから。
 わらわれてもいい。
 すみれは、あのときから、願い続けているのだ。

 どうか、来世というものがありますように。
 奪われた命が、未来が、夢が、きっとそこで笑顔とともにありますように。

 それが実現しているのであれば、するのであれば。すみれは何を奪われてもかまわない。
 そいつを好きだったのか? なんて言葉も、武彦は聞かない。
 何もかもが、早すぎて。遅すぎたから。
 奪われたものは、決して戻ってこないところまで、いってしまったから。
「それでも、いいな」
 ふと言った武彦に、すみれは振り返る。
「お前は人のために、生き続けることができるから」
「………うん」
 うん、そうだよ、草間さん。
 わたしは今、彼の命と共に、生きてるの。
 だからわたしは、この仕事を、やめるわけにはいかないんだわ。

 確かにその心には、今でも癒えぬ過去の傷がくっきりと、弾痕と同じように残っている。
 けれども、
 けれども───………

 ───ここに、いるよ。いつかまた、きっと逢おうね。

 すみれを置いて、駆け足に逝ってしまった彼へ。
 服の上から傷跡をなでながらそっと、彼女はつぶやくのだった。



《END》

【執筆者:東圭真喜愛】
2005/11/24 Makito Touko
PCシチュエーションノベル(シングル) -
東圭真喜愛 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年11月24日

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