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『■+ 久遠の楽土 +■ 』
シオン・レ・ハイ0375)&キウィ・シラト(0347)

 すやすやと眠る我が子を見ていると、やはり心は暖まるものだ。
 穏やかな風貌は、ともすれば、だらしなく弛んでしまいそうである。
 長い黒髪を一括りにした大層体格の良い男性は、優しげな青い瞳を柔らかにして、彼の前で熟睡している息子──と言っても、義理なのだが──を、慈愛に満ちた視線で見つめた。
 白い雪の様な長い髪は、今は散らばってベッドに吸い込まれている。閉じた瞳を開けば、そこには柘榴の様な赤い瞳があることを、彼──シオン・レ・ハイは、知っていた。
 ウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、無垢な天使の様に眠る我が子を見つめていると、シオンは時間を忘れてしまう。
 親馬鹿と言われても仕方ないかもしれない。
 だがそろそろ起こさねばならないだろう。この寝顔を見れなくなるのは、ちょっと哀しいが。
 今日は彼の息子、キウィ・シラトが、クリスマスの用品を買いに行きたいと言っていた。そしてシオンは、それに付き合うつもりだったのである。
 この日の為の準備は、万端であった。
 予定していた屋根の修理を別の日に振り替え、大家さんから頼まれていた草むしりを伸ばして貰い、晩に入っていた用心棒の仕事までお断りし、色々と調整を計って本日と言う日に臨んだのだ。ちなみに大家さんからは、草むしりを伸ばす代わり、家内のお掃除も承ることになってしまったのだが、そんなことは些細な問題だった。
 何より、『キウィのお願い』が最優先なのだから。
 「それにしても、起こすのは可哀想ですよねぇ……」
 ほろり、と。
 涙……ではなく、涎が垂れそうになってしまって、シオンは焦りつつ拭き拭きした。
 「違います違います。食べたくなるほど可愛いと言う表現があるのは知ってますが、私はキウィを食べたくなる程可愛いと思ってても、食べたくはありませんっ」
 誰も聞いていないのに、シオンはそう慌てて否定する。一人慌てていても、キウィは気持ちよく寝息を立てて眠ったままだ。それにほっと安心すると、シオンの相好が崩れる。
 「……そう言えば、最初はこんな風になるなんて、思いも寄らなかったのですよねぇ」
 この身には暖かい血が通っていた時代だった。
 まだこのセフィロトには仮初めの居すらも構えていなかった。
 そしてあれは、──寒い寒い土地だった。
 ゆっくりと、ベッドの脇にある椅子へと腰を下ろすと、寝顔を見つつ、シオンは今はもう遠くなってしまった過去を振り返った。



 雪が。……降っている。
 きゅっきゅとなる音は、降り積もる雪を踏みしめている音だった。
 この寒い中、どうして自分は外を歩いているのだろう。このヨーロッパと言う地方の冬は、以前と違って厳しいものに変わっているのに。
 マフラーを巻き、黒い皮のコートに包まれたシオンは、むっつりとした表情で黙々と歩いていた。困惑しているのだが、その貌から解りはしない。
 行き交う人々も少ないのは、やはりこの寒さで出かける気にもなれないからだろうか。そんなどうでも良い様なことを考えてしまう。
 もう約束の場所は見えている。そこに入れば、シオンはあろう事か、子持ちになってしまうのだ。子供は苦手だと言うのに。
 はぁ…とばかり溜息を吐きつつ歩き続けたシオンは、漸く目指す場所へと辿り着いた。覚悟を決める様に、ぐっと持ち手を握りしめると勢い良く開ける。
 ギギィっと言う重そうな音が聞こえ、中からは暖かい空気が流れて来た。思わずその落差に安堵の溜息を吐き、空気を逃さぬ様、慌てて彼は扉を閉める。
 そこにいたのはこのクソ寒いのに汗をかいている中年の男と、まだ小さな子供であった。
 一瞬、そこにウサギがいるのかと思ってしまった。
 何故なら、その子供は目の覚める様な白い白い髪を持っていたからだ。振り返ると、大きな赤い瞳が見える。肌が黒いけれど、それでも小さく縮こまっている様は、やはり大きな人に怯える小動物に思えてしまう。
 『……怯えている?』
 自分が怖いのだろうかと思ってしまうシオンだが、愛想良く微笑もうとしてもぎこちない笑みが出るだけで、益々怖がらせてしまうだろうことは、想像に難くない。少しばかりばつの悪い思いをするが、顔には出さない。
 黙り込んだままのシオンに、その中年の男は、キウィのことを一頻り可哀想な境遇の子だと強調している。
 そんなこと、知ってるとも。
 言われずとも、良く。
 そんな気持ちを胸に貯めるシオンの顔が怖かったのか、男はこの子を宜しくと言い残してそそくさと去って行く。
 ちろと見ると、見上げていた瞳を逸らし、キウィは俯いてしまった。
 『ああ、何だかもう……』
 再度言うが、子供は苦手だ。
 自分にもああ言った時代があったなど、全く以て信じられない。何を考えているのかが解らない。
 なのにこれからはその苦手と、毎日一緒の日々である。
 どうしようかと溜息を吐きそうになり、何とか堪えた。
 キウィと暮らす。そう決めたのは自分だ。
 それが例え、過去の感傷からだとしても、決めたのは自分なのだ。
 シオンは不器用ながらも出来うる限り優しく、キウィに着いてくる様、短く言った。



 『何て大きい人なんだろう』
 シオンと初めて会った時、キウィの最初の感想はそれだった。
 黒い皮のコートに身を包んだシオンがこちらを見た時、青い瞳は鋭い針だと思ってしまった。思わず顔を背けてしまうが、それは怖かったからではないことは確かだ。
 何故かは解らない。
 けれど何処かこの人になら、着いて行っても大丈夫だと言う気がしていた。
 「来なさい」
 短く言われた言葉を理解するのは、僅かばかりの時を要した。
 困った様な顔をされ、彼がドアの方へと歩き出そうとしているのを認め、初めて『この人と暮らすのだ』と言う意識が芽生える。
 抱きしめているのは、多分昔に買ってもらったウサギのぬいぐるみ。酷い状況をくぐり抜けて来た所為で、可成り汚れてしまっているが、それでも手放せないものだ。これを抱きしめていると、怖いことだって哀しいことだって、何とかやり過ごすことが出来た。
 今も、怖くはなかったし哀しくもなかったが、それでも、新しい生活に向け、キウィはぬいぐるみをぎゅっと抱きしめると、シオンの後ろについて行った。
 部屋を出ると、一挙に寒さが襲って来る。
 自分はあまり暖かと言い難い格好だ。
 ふと気付いた様に、シオンが自分の捲いていたマフラーを手渡した。
 「……?」
 小首を傾げて見返すと、微かに眉間に皺が寄ったのが見える。
 怒らせたのだろうか。びくりと身を竦ませるが、次の瞬間、ふわりとした感触が自分を包む。マフラーで包み込まれたのだ。シオンが捲いていた時には、さほど大きいとは感じられなかったそれだが、キウィの細く小さな身体には、十分すぎる程に大きかった。
 ショールの様に羽織りつつ、キウィはぼんやりと『暖かい……』と感じる。
 「……ありがと、ございます」
 そう呟くと、シオンは驚いた様に見返した。
 何故驚いたのか。それは良く解らない。言い方が悪かったのだろうかと考えるも、頭をポンと撫でられて、その大きな手にも温かさを感じた。
 キウィは、微かに安堵した自分に気付かずにいる。
 そしてそんなキウィを見て、シオンが何処か淋しげに微笑んだことにも、気がつかなかった。



 毎日が戦争だ。
 そんなことを言ったのは、一体誰だっただろうか。
 まさしく、キウィを引き取ってからのシオンの日常は、ある意味戦場であった。
 慣れぬ子育て。
 料理なんぞ、未だ嘗て真面目にやったことなどなかった。
 掃除は……取り敢えず、不衛生にならない程度にやっていたから、まあこれは良い。
 繕い物も、細かい作業が得意なことが幸いし、美味くできたと思う。
 ただ、そうただ。
 料理は要修行だと、シオンは出来上がった卵焼きを見て思ってしまう。
 「……不味そうだな」
 思わず顔を顰めてしまうが、もう家に卵は残っていない。取り敢えず、食べられないものは入れていないから、これを朝食にするしかないだろう。
 問題は、この卵焼きをキウィが食べてくれるかだった。
 シオンはテーブルに並べた朝食をじっと見やる。
 キウィが黙って席に着き、頂きますと小声で呟くのを、まるでオーディション結果を待つ俳優の様に見つめていた。
 握ったフォークを見て、『ああ、こう言うのは躾ないといけないのだろうか』と悩みつつも、一口が入るのを待っている。
 「っ………」
 微妙な表情だ。
 だが不味いとは言わない。黙々と、キウィは並べられた朝食を食べている。
 取り敢えず、スープやサラダも並んでいるが、スープはレトルトだし、サラダも毟って切って盛り合わせただけのもの。パンに至っては、買ってきたものそのままを積んである。
 唯一手を入れているのが、その卵焼きだ。
 シオンは、文句一つ言わずに黙々と食べているキウィを見つつ、その卵焼きを食べてみた。
 「…………」
 ──不味過ぎる。
 我ながら酷い出来だと、半ば感心してしまいそうになる程に。
 こんなものを食べさせては、味覚障害になってしまうかもしれないと不安になってしまう。シオンは料理の本を買って来ることを決意した。
 そんな味なのに、何故文句を言わないのだろう。
 このくらいの子供は、多分に我が儘であると言うことを、キウィを引き取ってから周囲の子供のいる家庭を観察し始めていたシオンは、知識として知っていた。
 そう言えば、同じ世代の子供に比べ、キウィは可成り大人びていて、そして我が儘一つ言わなかった。
 口数も少ないと言うことは、物静かと言っても良いのだろう。
 何故だろうかと、シオンは疑問に思った。
 そしてその疑問は、余り遠くない未来に、答えを見つけることが出来たのだ。



 シオンが買い物に行くと言う。
 扉から出て行こうとした彼を見て、キウィは不意に、不安になった。
 「あの……」
 消え入りそうなくらいな己のか細い声に、更に不安が募った。
 何だとばかり振り返るシオンに向けて、キウィは持ち合わせているありったけの勇気を込めて、着いていきたいと伝える。
 「良いですよ」
 困った様に見つめ返すシオンだったが、それでも暫しの時の後、了承をしてくれた。
 安堵をし、ちらと椅子に座らせているぬいぐるみを見ると、その子も良かったねと言ってくれた様な気がする。
 外に出るなら支度をしなさいとシオンに言われ、ぬいぐるみから視線を外し、慌てて身支度をした。時折、待ってくれているかと心配になったキウィがシオンを盗み見ると、手持ちぶさただが、ドアの前で立っているのが解る。
 『良かった……』
 待っている、ただそれだけのことに、不安が薄れて行くのを感じる。
 ずっと物心ついてから一人だったから、取り残されるのが怖いのかもしれない。自覚はないまでも、無意識の領域で感じていたキウィだからこそ、些細なことであったとしても、敏感に反応してしまうのだろう。
 困らせない様に、嫌われない様に、そして見捨てられない様に。
 良い子にしようと、手の掛からない子でいようと、そんな風に振る舞っていることすら、キウィには自覚がなかった。
 手早く身支度を終え、シオンの側へと歩み寄る。
 「行きましょうか」
 こくりと頷くと、キウィは一歩先に出たシオンに従った。
 買い物をするにも、店には少しばかりの道のりがある。子供の足では、遠い距離だ。
 それでもキウィは、黙ってシオンの後を歩いて行く。
 三歩歩いたところで、シオンとの距離が縮まった。
 何故だろうと見上げるが、見えたのはシオンの背中だけだ。
 「あ」
 「どうしました?」
 「……いえ、何でも」
 ふと気がついた。
 シオンの歩調が落ちたことに。
 自分に合わせてくれているのだと知って、少し嬉しかった。それでも小さなキウィと、大柄なシオンだ。歩幅が違い過ぎる。そして十歩も歩かない内に、いきなり視界が一変した。
 「──?!」
 シオンが肩に抱き上げたのだ。
 彼にしてみれば、あまりに違う歩幅に業を煮やした結果なのだが、キウィにとって、それは己の世界が広がったことにしか感じられなかった。
 今まで見えていた世界は、本当に小さなものだったのだと、そうキウィは思う。
 自分が見ていた世界と、シオンが見えていた世界が、こんなにも違うものだとは、思いも寄らないことだった。
 こんな風にシオンには見えていたのだと、キウィは感嘆の思いを込めて、そっとシオンを盗み見する。
 そしてその顔は、最初に見た時より、随分身近に見えたのだった。



 シオンは難しい顔で、その本を睨み付けていた。
 格好は、フリルのエプロンとしまらないものだったが、それはまあ、仕方がないだろう。
 今彼は、当初と比べて幾分上がった料理の腕を試そうと、お子様ランチを作っていたからだ。
 『子供が喜ぶ一品』と銘打たれたそれには、チキンライスとハンバーグ、スパゲッティ、プリンと言ったものが、綺麗に盛り合わされている写真が添えられていた。
 今作った自分のそれと、写真のそれが、皿の柄だけ違うものの、大して遜色ない出来に仕上がっていることを確認する。
 いや、それだけではなかった。
 シオンの作ったそれには、林檎で作った可愛らしいウサギがあったのだ。
 初めて作ったにしては、なかなかに上出来。
 そんな風に己を褒める。
 「完璧だ。……さて、キウィは何処でしょうかねぇ」
 少しばかり弾む気持ちを抑えつつリビングを見るが、シオンは先程まで、そこで眠っていた筈のキウィがいないことに気がついた。
 「……。何処に行った?」
 微かに、眉間に皺が寄る。
 庭にでもいるのだろうかと、リビングの窓を開けて見回すが、見当たらない。
 このご時世、小さな子供がひょこひょこ歩いていて安全な訳がなかった。
 シオンの心に、黒い染みの様な不安が広がっていく。
 取り敢えず、近辺を探すも姿は見えない。
 まさか連れ去られてしまったのだろうか。
 思考は、悪い方へ悪い方へと転がってしまうが、頭を振って、それを追い払った。まずは落ち着くこと。自分が慌ててしまっては、見つかるものも見つからない。
 シオンは大きく深呼吸。
 近辺にはいない。ならば……。
 「まさか、家に?」
 呟くシオンは身を翻し、再度家の中を捜索する。もう一度リビングへ。寝ていたのはソファだ。まさかソファと壁に挟まってしまった訳でもあるまい。落ちるにしても、テーブルとの間なら解るが、背もたれを越えて落ち込む訳でもないだろう。
 だが念には念をとばかり、シオンがそこを確かめると──。
 「キウィ……」
 思わず腰が抜けそうになった。
 毛布を出して来たキウィが、狭いそこで安らかに眠っていたのだ。
 起こそうかどうかと迷っていると、小さく呻いて、自然に彼が目を覚ます。珍しいこともある。キウィは良く眠る子で、そして一旦眠ると、自分が満足するまで起きないのだ。
 「……シオン?」
 寝ぼけ眼で言うキウィに、シオンは怒る気がしなくなってしまう。
 気付かれぬ様、小さく溜息を吐いた後、彼は漸くお子様ランチのことを思い出した。冷めてしまったそれは、暖め直すことが必要だ。
 とまれ。
 「キウィ、ご飯ですよ。キッチンに来なさい」
 頷くのを確認すると、シオンは冷めてしまったお子様ランチを暖め直すべく、キッチンへと戻って行った。



 出てきたそれに、キウィは目を丸くした。
 色鮮やかなそれは、物資の不足している今、可成り豪勢に見えたのだ。
 旗の刺さったオレンジのチキンライス、トマトソースのかかったハンバーグ、グリンピースののっかったスパゲッティ、可愛らしくヒヨコの形を模したプリンなど。
 そして何より、キウィの目を引いたのは、添えられているフルーツだ。
 尤も、フルーツと言っても林檎だけだったのだが、その林檎がキウィに取って、大層嬉しいものだった。
 「ウサギ……さんですよね?」
 確認するかの様に問いかける。
 瞳はウサギに釘付けだ。
 今にも、ぴょんと跳ねそうに見えると思ったのは、ちょっとした欲目なのかもしれない。
 ウサギは大好きだった。
 あのふんわりとした手触りと、くりっとした赤い瞳、ひくひく動く耳。
 どれもこれも、キウィが大好きな要素だ。
 これをシオンが作ってくれた。
 そう思うと、キウィの顔に、自然と微笑みが浮かぶ。
 「あの、……ありがとう」
 はにかんでそう言うと、シオンの驚きつつも酷く嬉しそうな顔が目に入った。
 シオンが義父となってから、こんな顔を見たのは初めてだ。
 そんな風に思っているのと同時、シオンもまた、同じ様に思っていたことなど、キウィに解る筈もない。
 何だか大層感激している風なシオンを見ていると、キウィの笑みが次第に深くなって行く。
 「キウィ、もっと私に、色んな顔を見せて下さい。私達は家族なんですから、もっともっと、貴方の色んな顔が見たいんです。貴方が淋しい思いをさせない様にしますから、一人にはしませんから。……だから、今みたいに、ずっと笑っていて下さいね」
 何か難解なパズルを解いた様な顔をしているシオンが、穏やかに微笑みつつそう言う。
 そのシオンの瞳を見て、キウィはずっと側に置いていたぬいぐるみを、もう休ませてあげる決意をしたのだった。



 あの日。
 初めてキウィが笑ってくれた、あの日。
 シオンは漸く理解した。
 キウィがずっと不安を抱えていたことを。
 子育てに戸惑っていたシオンだが、キウィもまた、戸惑っていたことを。
 「私は、……こんなところで、何をして、いるんでしょう……ねぇ」
 何故こんなことになっているのだろうか。理解出来ない。
 酷く冷たかった。寒かった。そして暗かった。
 そう、シオンは今まさに、死に逝こうとしていたのだ。
 徐々に纏まらなくなる意識は、シオンを大層不安にさせる。
 けれど、その中でも未だ消えずにある思い。
 絶対に。
 絶対に帰る。
 キウィが待っているところに、帰る。
 シオンはそう決めていたのだ。
 「だから、……こんなところで、死ぬ訳にはいかないのですよ──っ」
 その為には、何だってする。どんなことだって、してみせる。
 死んでしまっては、キウィを守れはしない。
 そう。
 例えそれが、悪魔につけいられることになってしまっても構わなかった。
 喰いしばる口元から、獣の様な呻きが漏れる。限界だと、身体はそう叫んでいるが、シオンは諦めたくはなかった。
 諦めなければ、もう一度蘇ることが出来るのだと、この死から逃れられるのだと、そう言わんばかりに。
 不意に、影が落ちる。
 『ああ……』
 「キウィ……」
 呟く彼に、そっと囁かれる声。
 何と問われたのか、朦朧とする意識の中で、けれどその意図だけは伝わったのだ。
 まるでそれは、悪魔の囁き。
 ただ単なる生か死を囁かれたなら、シオンはこの誘いに乗ることはなかっただろう。
 けれど、シオンの死は、すなわちキウィを一人にすると言う事に繋がる。
 寂しがり屋のキウィ。
 一人になることを嫌うキウィ。
 捨てられてしまうのかもしれないと、怯えていたキウィ。
 『約束、しましたから……』
 シオンは躊躇わず、残り少ない力を振り絞って手を伸ばした──。



 「……色んなことが、ありましたよねぇ」
 しみじみそう呟くシオンの先にあったのは、過去の出来事なのか、それとも。
 「ああ、それにしても、全然見飽きませんね」
 しかしでれっとした顔でそう言うシオンは、見られたものではなかった。
 すやすやと眠りこけているキウィは、シオンが声をかけても、可愛らしく『後三分…』などと言って起きてはくれない。ちなみに『後三分』は、幾度となく繰り返され、もう三分処の話ではなくなっている。
 だがシオンは、それでも良かった。
 こうしてずっと、見つめていられるのなら。
 キウィが眠っている時間分、作った朝食は冷めて行くのだが、そんなものは暖め直せば良いだけだ。キウィの寝顔に比べれば、暖め直すことくらい、何程でもない。
 「ああ、何て私は幸せ者なのでしょう。息子がこんなに可愛く素直で良い子に育ってくれて。きっと私程幸せな者は、いないでしょうねぇ。幸せ自慢大会にでも、出たいくらいです」
 そんなものないから。
 などと突っ込んでくれる人は、生憎ここには存在しない。
 シオンとキウィ、二人だけの愛の巣……もとい、我が家である。
 シオンの顔が、だらしなく崩れていくのを止める者だって、当然の如く存在しないのだ。
 だが時間と言う名の砂は、誰の頭上にも平等に落ちていくもの。
 親馬鹿全開なシオンが、キウィと共に昼食を取ることが出来たのは、有に昼も回った時刻であった。


Ende
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
斎木涼 クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2005年11月24日

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