▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『鹿に紅葉 』
藤井・葛1312)&藤井・蘭(2163)&藍原・和馬(1533)


 色彩とは裏腹に、やはり山は寒かった。
熱気が満ちていた車を降りれば、さあっ、とつめたい風が肌を撫でていく。しかし、凍えるほどの寒さというわけではない。……いまは、秋なのだから。
 夏祭りのときがそうであったように、藤井葛と蘭、藍原和馬の3人が連れ立って出かけるのは、特別珍しいことではない。水族館にも行っているし、映画にも行っている。海にも行った。だから3人が郊外の山に紅葉狩りに来ていても、なにもおかしくはない。車を持っているのは和馬だけで、彼が長時間、短時間問わず運転をつとめることになるのもお約束だ。彼はべつにその運転を苦にはしていなかった。
「ひょうう! やっぱり山まで来ると寒いねェ!」
「上着持ってきてよかった。蘭、コート着な」
「わーい、もみじさんたち、きれいなのー!」
「あ、コラ、蘭! 人の話を……」
 落ち葉を踏み散らかしながら、早くも興奮気味の蘭をなんとか捕まえて、葛は小さな居候に深緑のコートを着せた。山は橙や赤で燃えている。その中で、いまだみずみずしい緑の色彩を放っているのは、蘭の髪と、葛の瞳くらいのものだった。
 歳の離れた姉弟のような緑のふたりの後ろで、和馬は呑気にマフラーを巻いている。車のバックミラーで確認しながら。
「これじゃライダーだよな、仮面の……」
 巻き直し。
「これじゃ少年だ。ジェットだ」
 巻き直し。
「これはペ様だし……」
「和馬……なにしてんの? 早く行こうよ」
「これじゃマチコ巻きか……」
「和馬ー」
「ちょっと待ってくれよぅ、カッコよく巻きたいんだよぅ」
 マフラーの巻き方を模索しながら、子供のように口を尖らせて和馬が振り向く。葛はべつに急いでいるわけではなかったが、早く紅葉の下を歩き出したいという気持ちもわかってほしかった。しかし葛は、和馬が振り向いた途端、あっと心中で声を上げて硬直する。
 和馬は道中、いったいどこにマフラーをしまっていたのか。ともかく、車中では見かけなかった。いつもと同じ黒スーツの和馬がいま首に(四苦八苦しながら)巻いているのは、鈍色のマフラーではないか。クリスマスに葛が贈った、手編みのマフラーだ。
「おい、なんだそのツラは――」
 小ばかにしようとした和馬もまた、葛の胸元を見てうっと硬直する。彼女が身につけているのは、紛れもなくインペリアル・グリーンのネックレスではないか。和馬が葛に贈った、ちょっとした曰くつきのネックレスだ。
 ――それ、まだ使っててくれたんだ。
 ――おまえそれ、つけてきてくれたのか。
 ふたりは互いに硬直したまま、ぼふ、と赤くなった。そんなふたりが棒立ちしていたのは、30秒あまり。ふたりはオリヅルランの声によって、現実に引き戻された。
「もちぬしさぁーん、かずまおにーさぁーん、はやくはやくぅー! はやくいこーなのー!」
「おっ」「あっ」
 ふたりが同時に振り向けば、ずいぶん遠くで蘭が手を振っていた。あの小さな緑の身体で、精一杯に大きく。
 かさかさかさ、とモミジたちがちいさく笑っていた。
「行こう」
 葛は和馬を見上げた。笑顔だ。
「おう」
 かさかさと落ち葉を踏みしめながら、ふたりは歩き出した。


(おう、この季に及んでも冬支度をせぬか)
(寒くはないのか)
(眠くもないというか)
 蘭を見下ろすモミジやナンテンたちが、口々に声をかけてくる。ざざざざざ、と身を震わせて。
 木々や山には、わかっているのだ。人間の手足と顔を持って歩いている蘭が、自分たちと同じものであるということが。蘭は木々を見上げて、にこりと笑う。
「ぼくはだいじょーぶなの! おうちもあるし、ふくもあるから!」
(そうかそうか)
(風邪を引くなよ、今日は格別冷えるでな)
(頂には行くなと連れに伝えよ、猪がうろついておる)
(野犬もいるぞ)
 ざざざざざ。
 木々は、動ける蘭を妬みもしない。動けぬ己のさだめを、多くが受け入れている。迫り来る冬からは逃れることができないから、せめて己が肉を落として耐えようとしている。蘭は大きな銀の目を瞬いて、きゅ、と口を結んだ。
 春になれば、なにごともなかったかのように、多くの木々や草花がよみがえる。しかしそれまで、凍えるような冷気の中で立ち尽くし、枝を折ろうと振り積む雪に堪えなければならない。沈黙と死を乗り越えなければならない。この赤い賑やかな色彩の祭りは、かれらにとって、一年の最後を締めくくる、華やかな宴なのだ。
「おぅ、チビ助。なんか言ってるか、木は」
「あっ、うん。ふゆのしたくをしてるなの。みんないそがしそうなの」
「じゃあ、邪魔しないように歩かないとな」
「だいじょーぶなの! モミジさんたち、すごくやさしいなの。きょうはさむくなるっていってるなの」
「そうか。そりゃア、あったまんのが楽しみだな。ぐふふもみじ鍋ぬふふ」
「まだ歩いてから5分で鍋のこと考えてんの? 少しは景色を楽しみなよ」
「これからイヤでも楽しめるわい!」
 ガイドブックを手にしているのは葛だ。この山の散策路を網羅したマップを開いて歩いている。マップには、彼女がネットで拾った情報が書きこまれていた。
 なんでもこのちいさな山には、知る人ぞ知る料亭があり、辿り着いた旅人には格別の美味さを誇るもみじ鍋を出してくれるらしい。一人前3000円と、ハンバーガーセットとは比べるべくもない価格をも誇っているが、そこは和馬が奢ることになっていた。割のいいバイトに当たったおかげで、いまのところ羽振りがいいのだ。
 目下問題は、その料亭に辿り着けるかどうかということだった。
「だが待ってろもみじ鍋どぅふふ」
「和馬。ヨダレ。」
「ねえねえ、もみじなべって、モミジさんをたべるなの? モミジさんてたべれないとおもうなの」
 くいくい、と葛のコートを引っ張る蘭が、もっともな疑問を口にして、小首を傾げた。蘭が知らなくても無理はない、と葛は微笑む。
「もみじ鍋っていうのはアダ名みたいなもんだよ。鹿の肉を入れた鍋のこと」
「しかなの? しかって、サンタさんのそりひいてる?」
「ありゃトナカイだ」
「めずらしいおなべなの! たのしみなのー!」
 ざくざくと、蘭は飛び跳ねながら進んでいく。その背を見守り、ふと和馬が眉を寄せた。
「なー、思ったんだが葛。オリヅルランが鹿食うって、なんか食物連鎖に反してるよーな……」
「植物は動物の死体食うだろ」
「ああ、肥やしね。……いやなんかそれもちょっと違わねエだろうか」
「いいんだよ、細かいことは。――もみじ鍋、俺も楽しみだな」
 和馬を見上げた葛の笑顔が、紅葉の光で輝いているように見えた。
「和馬。お酒も飲もう」


 日はまだ中天。
 燃える山は照らし出されている。しかし、油断はできない。もう季節は冬に向かい始めているのだから、太陽は驚くほどすぐに傾いて、西の向こうに沈んでしまう。
 散策路は、落ち葉に埋めつくされていた。油断すると、道を見失ってしまいそうだ。
 蘭はぴょこぴょこと跳ねるように、ちゅうちゅう園芸用の栄養剤を飲みながら歩いていく。蘭が進めば、かさかさかさ、と落ち葉たちが笑った。
 黄色と赤の原色が、自然の中にあふれているとは――。あらためて、葛と和馬は圧倒される。ポスターカラーやCG、アニメの中で見るようなビビッドな色彩は、人間が生み出したものではなかった。太古から、自然のものだった。
 いちいち「きれいだな」と口にするのも野暮だった。
 時折、山を降りてくる人々とすれ違う。多くは老夫婦だった。誰もが帽子やリュックにモミジの葉をつけたまま、それに気づかず下山していく。葛や和馬、蘭とすれ違うたび、にこやかに挨拶を残しながら。
 葛も、和馬も気がつく。さほど急な勾配が続いているわけでもないのに、身体はすっかりあたたまっているように感じる。もう、寒さを感じない。風は吹き続け、いまこうして歩いている間にも、枯れて落ちていく葉があるのだ。だというのに、もう、寒くない。
 それはきっと、原色で太陽を作り出そうとしているかのような、山の草木の努力が生んだ錯覚なのだろう。山が本当に燃えているのかもしれない。色が温もりを呼んでいるのだ。
「おい、ぼーっと歩いてっと道わかんなくなるぞー」
「あなたもぼけーっと口開けて歩いてると口の中に葉っぱが飛びこむよ」
「それについては心配御無用。モミジも美味しくいただいてやる」
「……」
「かずまおにーさん、そんなにおなかへったなの?」
「おお。イノシシが出てきたらそのまま食ってやるって勢いだ。うおー腹減ったヨー!」
「子供みたいに騒ぐんじゃないよ、もう」
「かずまおにーさん、もちぬしさん、こっちこっち!」
 蘭は相変わらずはしゃいでいる。栄養剤のおかげもあるだろうが、大したバイタリティだ。しかも跳ねるような足取りで、葛や和馬の前を歩いている。
 前を――。
 はっ、と葛は気がついた。

(我らの衣で、道が見えぬだろう)
(道を外れては大事じゃ。猪が出る。熊も出る)
(緑のものよ。道はこちらに)
(道を外れるな。我らの声を聞き逃すな)
(ほらほら、こっちこっち。もみじ鍋のお店でしょ?)
(こっちだ、ほら。道まちがえんなよ)
「もちぬしさーん、こっちこっちなの! かずまおにーさん、もうすこしでおみせなの!」

 葛はガイドブックを閉じ、かさかさと騒ぐモミジたちの声に耳を傾けようとした。蘭にはこのかさかさざわざわとした音が、なにもかも、『言葉』として聞こえているのだ。葛にとっては、ただの『音』――。

(翠の女。本など見るな。我らの宴を見るがいい)
(道は我らが、教えてやっている)

 ざあざ、ざ・ざ・ざ・ざ・ざ――。

「……和馬」
「ああ。道が……」
 どうしていままで、気づかなかったのだろう。きっと、マップを見ていたせいだ。本当に景色を見ていなかったということなのか。
マップなど見なくとも、道に迷うはずがなかった。道という道が落葉に包まれ、道などとても見出せない有り様であるのに、3人はけして道に迷っていない。
 なぜなら蘭がふたりを導き、落ち葉たちがひとりでに動いて、道をあけていっているからなのだ。それは注視しなければ、風が積もった落ち葉をもてあそんでいるようにしか見えない。しかし、間違いなく、蘭が進めば葉が退いている。
 蘭のまわりを、落ち葉が舞っている。渦を巻くように――包みこむように。
「なんて、」
 葛は思わず呟いた。
「なんてきれいなんだろ……」
 野暮であるはずのその言葉が、自然と口をついて出た。

 それから、5分ほど歩いた頃だろうか。すん、と不意に和馬が鼻をすって、がるるる、と牙を剥いた。彼の血に餓えた嗅覚が、枯れ葉と木々がかもし出す、芳醇な香りの中に――煮え立つだし汁と肉の匂いを嗅ぎ取ったのだ。
「葛、目的地は近いぞ!」
「和馬。ヨダレ。」
「もちぬしさーん、かずまおにーさーん、ほら、あったなの! もみじなべのおみせなのー!」
 ぱたぱたと両手を振る蘭を包む風が、ぶああ、と吹き荒れた。
 落ち葉が舞い上がり、どこからか、あたたかな食べ物の匂いが運ばれてくる。今度は葛も、その匂いに気がついた。
「おおっ、肉だ!」
「普通『おおっ、店だ』って言うところじゃないの……?」
「いいんだよ、細かいことは。行こうぜ」
 藁葺きの屋根に、まるで雪のように紅葉を積もらせた料亭が、3人の視界に飛びこんでくる。
料亭の女将は、新参の客そのものにも、顔ぶれがひどく若いものであることにも、驚いていた。よく道に迷わなかったものです、と感心してもいた。迷うことなく店に辿り着いた理由は、3人とも、顔を見合わせて微笑しただけで――話そうとはしなかった。


 ことこと、ぐつぐつと、四人前のもみじ鍋が煮えている。具材は言わずと知れた鹿肉、にんじん、こぼうに山菜。近くで採れたという舞茸。味つけはしっかりとしただし汁にこってり味噌。鹿肉はなるほど、物珍しい味だった。手作りのお碗によそわれて、サービスでつけてもらったごはんは、麦飯だ。
 卓に麦飯を並べながら、女将が心配そうに話しだす。
「近くにお宿もございますけど、お泊りで?」
「いえ、日帰りです」
「帰り道……大丈夫ですか? ふもとまでお送りしましょうか」
「いやいや、大丈夫っす。お気遣いどうもォ」
 3人は帰り道も迷うことはない。猪にも熊にも遭うことはない。
 窓の向こうから、モミジたちがざあざあかさかさと語り合いながら、葛と蘭と和馬を見つめている。
 有線の音楽もここにはない。
 ただ聞こえるのは――

(おいしい?)
(うまいか?)
(また来ておくれよ)
(待ってるからねえ)
(あたしたちは、ずっとここにいるからねえ)

 ざざざざあ、かさかさかさかさ…………。


 あれほど肉に餓えていたはずの和馬も、ごくんと麦飯を飲み下してから、しばらく窓の外の風景にみとれていた。
「ああぁ。いいもんだなア」
 知らず呟いていた和馬に、麦飯を口の周りにつけた蘭が笑顔を向けた。
 葛も、翠の目を細めて笑っている。
 その、翠の目の中でさえ、紅葉はあざやかな赤と橙と黄であった。




〈了〉

PCシチュエーションノベル(グループ3) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年11月16日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.