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『■笑っていてほしいから■ 』
十里楠・真雄3628)&十里楠・真癒圭(3629)

 初めて額に触れられた姉のゆびさきは、つめたかった。

 あめにぬれたの

 まだ赤ん坊の真雄を覗き込んで、涙をこらえるように笑った、姉の真癒圭。
 あのとき、ぽつりと真雄の頬に落ちたのは。
 ゆびさきが冷たかったのは。
 雨などではなく、涙だったのだ、と分かったのは、かなりの後のこと。



 夏になると、真癒圭の左腕にあるあざが気になり、真雄はよく、そこをなでた。
「いあーい?」
 舌のまわらない真雄に、優しいね、とつぶやいて真癒圭は抱きなおしてこういったものだ。
「痛くないの、ぜんぜん。これはね、もうすぎた傷だから。あとが、のこっているだけなの」
 

 そして季節が3回、5回とめぐるころ。
 真雄は「それ」を、目撃したのだ。


 もうすぐ小学校へあがる、という、春休みのこと。
 13年上の真癒圭は早生まれの誕生日もすぎ、18歳になっていた、と思う。
 真雄たちの両親は、よく外に出かけていた。旅行だったり、仕事だったり理由は様々だったが、よく真癒圭に真雄を預け、家を留守にした。
 この日も同じ───はずだった。
「まゆこ!」
 もうすぐ、台風がやってくる。雨風が強いのがやけにわくわくとして、真雄は息せき切って家の中に飛び込んだ。
 もうすぐ夕方、台風が近いということで暗くなっているというのに、電気もついていない。元からカンのよかった真雄は妙に思い、そろそろと足を忍ばせて真癒圭の部屋へあがっていった。
「……っ、……す、ぐ……もう、すぐ」
 苦しそうな、真癒圭の声。泣いて───いる?
「もうす、ぐ……まゆが、かえって───くる、から」
 それに声変わりしたばかりの声で応じたのは、真癒圭の両手首を片手で掴み、壁に押しつけている少年だった。
「それまでにはおわらせる」

 なにを?
 な に
     を───?

 扉の隙間から見える、光景。
 わずかな明かりで見える、少年の顔は。
 親戚の、もの。
「───!!!」
 何を叫んだか、真雄は覚えていない。
 そのような行為がこの世にあるということよりも、何よりも。
 真癒圭の苦しい涙が、あまりにも衝撃的で。
(まもられてたんだ)
 そのことが、なぜだかとても悔しくて。腹立たしくて。
 自分の大切な姉に、こんなにも苦しい顔をさせている少年が───自分でもわけが分からなくなるほど、憎くてたまらなくて。
「───真雄!」
 真癒圭の息を呑むような悲鳴で、真雄はようやく我に返った。
(あ───)
 そのとき、だ。
 真雄の「世界」が、「ひろがった」のは。
 真雄の外見が、一時的にでも───真癒圭に少しでも、ちかづいたのは。
 気がつけば、真雄がやったのだろう───少年は、血だらけになって倒れていた。
「真雄、」
「まゆこ」
 おびえているというよりは、驚いている真癒圭のはだけた身体ごと、包み込むように真雄は抱きしめる。
「ぼくが、まもるから。もうかくさないで。なんにもこわいことなんか、ないよ。ぼくが、いるんだから。ぼくがずっとそばにいて、」
「真雄、でもね、わたし」

 真雄・みたいに・やさしいこにそんなこと・言ってもらえるほど・きれいじゃ・ない・か・ら

 嗚咽と共に、13も年下の弟にすがりつくように、ひとりこらえてきたものを吐き出す、真癒圭。決定的なことはなかったけれど、もう小さな頃からこの少年に性的な悪戯を受けていたのだと。それからずっと男性恐怖にあるのだと。
 真癒圭も、限界にあったのかもしれない。
 真雄はそれを感じ取り、「きめた」。
「まゆこ。まゆこがきたないなら、ぼくがきれいにする。なんでもなおしてあげられる、せかいいちのいしゃになる。まゆこをわるくいうものから、きずつけるものから、ぼくがまもるから」

 つよくなるから

 けれど。
 このとき、真雄はまだ、
 『覚醒』した自分が如何に凶暴なちからをもつのか。
 分かって、
 いなかった。



 それから更に数年が過ぎると、真雄はすっかりおとなびた顔つきになっており、自分で決める服のセンスも抜群のものになった。
「あれ」
 ざわざわと、煩い大学構内を、真雄は見渡す。
 確かに、ここで待ってろって言ったのに。
 今日は、真癒圭の友達の大学の学園祭。
 よばれて、遊びにきたのだが───決してはぐれないようにと注意していたのに。
 何故なら、こういう「人間の集まり」には必ず、「邪悪」なものも紛れ込んでいるからだ。
 真雄にはもう、そんなものも難なく見えるようになっていた。
「───こっちかな」
 真癒圭ののこしたわずかな香りと共に、煙草のにおいをかぎとって、真雄は厳しい顔つきできびすを返した。
 ここ数年、「あの時」から。
 真癒圭は真雄のおかげで、「あぶないめ」にはあわないでこれていた。
 なのに。
(今になって、傷を蒸し返すなんてしたくない)
 イヤな予感に、自然と歩く足が速くなる。

 ガタリ

 音がしたのは、大学のグラウンド、その倉庫。
 今はもう使われていないのだろう。その中に。
 真癒圭は、いた。
 二人の男が煙草をくゆらしながら───真癒圭を小突いて遊んでいる。既に一枚、服ははぎとられていた。
 抵抗できるはずがない。
 真癒圭の男性恐怖は、重度のものなのだから。
 この、真雄にすら治せていないものなのだから。
「! 真雄!」
 開いた扉、そこから飛び込んできた弟が自分の前に、かばうように立ったのを見て、真癒圭はすがりついた。
 いつかのように。

 あ……───

 か・く・せ・い・す る  ───………



 覚えているのは、
 炎と、血のにおい。
 真癒圭の、自分をよぶ泣き声と、涙のにおい。
 『覚醒』したそのときには、まだ明確な殺意、というものは彼にはなかった。
 今、
 生まれて初めて。
 真雄は殺意を持ってしまったのだ。
 男達二人は、一生治らぬ傷を負い、病院に運ばれた。
 真雄は、まだ子供だから、ということで、それほどの事件には発展しなかった。
 煙草の火が不運にも、何かについて燃え広がり、危険物でも置いてあって爆発したのだろう───犠牲となった二人は気の毒にもすぐそばにいたのだろう───世間では、そういうことに、
 なった。



 あれ以来、真雄の『覚醒』を真雄を心配するがために恐れる真癒圭の、ために。
 真雄は、なるべく自分というものを隠すようにこころがけた。
「今じゃ、どれがホントの自分か分からないくらいだもんね」
 ふう、と、ゆうべ診た急患のカルテを作りながら、「こんなことをしてるなんて、ぼくもマメだね」とくすくす笑う、現在の真雄である。既にだいぶ前に家を出て、真癒圭と二人暮しをしている。
「なあに、ひとりで笑って」
 真癒圭が、お茶とお茶菓子を持って入ってくる。ノックをしなくても真雄の部屋に入れるのは、彼女だけだ。
「んー? 真癒圭のこの前の寝顔を思い出してたよ」
「なっ……わ、わたしそんなにおかしな寝顔、してる!?」
「うそうそ。相変わらずだよね、真癒圭は」
 軽快に───真癒圭以外には絶対に見せないだろうという、優しい微笑みをみせて真雄は姉の頭を優しく撫でる。
「もう、子供は真雄のほうなんだからねっ。少しはオトナ扱いしてくれてもいいんじゃない?」
「あれ。真癒圭、今夜の料理はぼくじゃなくてもいいの?」
「───意地悪」
「ありがとう」
 いつもこんなふうに、やり込められてしまう。けれど、どんな悪態をついても、真雄は「ありがとう」としか言わない。
 自分が悪人だと、充分に理解しているのだろう。色々な意味で。
 今も、あの時の二人は病院生活を送っているのだろう。
 けれど、真雄は決して治療してやろうとはしない。思いもしない。
「ぼくの大事なものを毀そうとするんだから、命ぐらいはもらわないとね」
 ぽつりとつぶやく真雄の言葉は、幸いにも心優しい姉の耳には届かなかったらしい。
「ねえ、真雄」
 真癒圭が、ふと心配そうにたずねてくる。
「もう、───『だいじょうぶ』?」
 それは、「あの事件」から何度も聞いた言葉。
 真雄が『覚醒』なんかするようになったのは、自分のせいだと思っているから。
 だから、真雄は笑ってみせる。
「心配いらないよ、ただ───」
 笑ってみせる───大切な、真癒圭のために。
 何故なら彼は、生まれ落ちて一番最初に自分のためにわらってくれた───まもってくれた、彼女に。
「この前真癒圭が料理した金平ゴボウの辛味が、未だに胃にきいててさ」
「っ……もう、真雄! 絶対二度と、料理なんかしないから!」
 ───笑っていて、ほしいから。
 ずっと、
 ずっと。
 そのためならば、自分は神にでも悪魔にでも、なろう。
 偽善者にでも、殺人鬼にでも、なろう。
 いつか、彼女を本当に「幸せに」してくれる伴侶が、あらわれるのは分かっている。
 けれど、今は。
 今は、まだ。
 真雄のそばに、真癒圭は、
 ───いる、から。



《END》

【執筆者:東圭真喜愛】
2005/11/15 Makito Touko
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年11月15日

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