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『藍玉はささやく 』
デリク・オーロフ3432


 デリク・オーロフは昨晩、夢を見たのかもしれない。
 その中で、甲高い共鳴音を聞いたのかもしれない。耳鳴りのような、はっきりと聞こえるようで聞こえない、不愉快な音を。
 そう、いまは忘れてしまったその黒き夢は、きっと楽しいものではなかった。魔術師は夢というものを往々にして神聖視する。夢の中で聞く音は、すべてが啓示であり、また警鐘なのだ。
 デリク・オーロフは、現代の魔術師である。しかし、彼は慎重だった。夢を盲信はしない。音の記憶さえ曖昧で、内容などひとつも覚えていない――或いは始めから内容など皆無なのかもしれない――夢に、頼るのは危険だとまで、思っていた。

 ――――。

 しかしその耳鳴りのような音を東京の街中で聞き取ったとき、デリクは足を止めていた。いまは白昼、ここは東京。音は時も場所も超越していた。
 ふ、と音にかき消されそうなほどちいさく、デリクは笑った。


 気の向くままに(もしくは、音に導かれるままに)進んだデリクは、一軒の妖しい店に辿り着いていた。
 アンティークショップ・レン。
 碧摩蓮が店主を務める、ある筋では有名な(悪名高い、ともいう)骨董品屋だ。この店内に並んでいるものは、曰くつきのもの『のみ』であるという。
 デリクは好奇心が織りなす笑みを押し殺し、ドアを開けた。
「おやァ、あんたは……。どうしたんだィ、なにか探し物かィ?」
「――イイエ、たまたま通りがかりマシてね」
「そうかィ? 本当に? ……ま、ゆっくりしてきな」
 蓮はカウンターの奥にいた。彼女はブティックの店員のように、客にいちいちつきまとわない。デリクは気兼ねなく店内を回ることができた。
 数分後、デリクは宝飾品が陳列されているショーケースを覗きこんでいた。この店の商品はどれもデリクの興味を惹くものだが、宝飾品はとりわけ彼を惹き付けた。ショーケースを眺めて数分経った、そのときに――

 ――――。

 また、耳鳴りが彼にささやきかけたのだ。
 そしてデリクは、自分を見つめる美しい青の光に気がついたのである。
「……これハ!」


 張りつめたデリクの声に、蓮が作業の手をとめて、すら、と立ち上がった。
「驚いたよ、あんたがそんな大きな声出すなんて。気になるものでもあったかィ?」
 それは、クリスタルのケースにおさめられた一対のピアスだ。あざやかなネオンブルーの光を放つ石があしらわれている。パライバトルマリン。アレキサンドライトにも匹敵する希少石だった。
「……パライバトルマリン、デスね?」
「ああ、そうだよ。こいつには曰くがあってねエ」
「こいつに『モ』でショウ?」
「フフ、それもそうだね。気になるようだから出してあげるよ」
「イエ……気にナル、というか……これハ……私も同じものを、持ってイルのデスよ」
 ショーケースの鍵を開けた蓮が、ぴくっ、と眉を跳ね上げた。
「あんた、なんともないのかィ? 今でも持ってるの?」
「ああ……それがデスね――」
 よく、覚えていないのだ。デリクは山ほど宝飾品を持っている。365日のコーディネートが重複しないように付け替えるにしても、まったく困らないほどの数だ。
 けれども彼は、見境なく買い集めているわけではない。気に入ったから、手に入れるのだ。買ったアクセサリーのことは、忘れない。
 そしてそのピアスは、格別印象的だったのだ。
「反りが合わナイ、とでも言いまショウか。気に入って買ったハズだというのに……二、三度つけただけデ、いまはモウ身に着けなくなっていたのデスよ」
 死蔵してから、何年経つだろうか。捨てたり売ったりしていないのは確かだが、どこにしまったのかの記憶は曖昧だ。
 デリクは青い輝きから、蓮の顔へと目を移した。
「このピアスにハ、どのようなイワクが?」
「いろいろ、さ」
 しゅう、と蓮は紫煙を吐いた。
「これをつけたら、悪い夢を見るだとか。夢に魂を抜かれちまうだとか。――この店にあるモンにしちゃ、そう大したモンじゃアないかもしれないけどねエ」
 デリクは眉をひそめ、曰くつきのピアスを見つめた。
 これと同じピアスをつけていたとき、特になにが起きたわけでもない。起きてはいたが、記憶にも残らない、些細なことだったのかもしれない。けれども、デリクは自然とあのピアスをつけなくなったのだ。長く魔に触れている者だからこそ感じえた、『直感』がそうさせたのだろうか。

 ――――。

「これハ……」
 デリクは目を細めた。
「呼んで、いマスね……。レンさん。なるべく穏便に済ませマスので――」
「わかったよ。引っ込んでいればいいんだろ?」
 くすくすと笑いながら、蓮が下がる。彼女の好奇心も、デリクに引けを取らないほど強い。デリクはピアスに手をかざした。その掌に、妖しい魔法陣が浮かび上がる。


「(永久に定められし汝の姿を現すべし)!」


 青い輝きの女が、ぞぅ、と光の中から――パライバトルマリンの中から――煙のように現れた。くるくるくる、という声は、笑い声なのか、嗚咽なのか。
(ふふふふふふ……デリクさま、お久し振り)
 パライバトルマリンの意志は、きらきらと青い光を振りまきながら、デリクの周りを泳ぐようにして飛び回る。デリクはうっすらと微笑んだ。
 彼女は、美しい。
「(あなたは、やはり、私のピアスでしたか)」
(そう。デリクさま、あなたはわたしの本質を好いてくれた、初めてのひと)
「(本質)」

 デリク・オーロフは、思い出した――。
 そのピアスをひとめ見たとき、彼は、その美しさに目を奪われたのだ。
 石の名前も価値も、値段すら、どうでもよかった。
 デリクはその青を、ずっと自分のそばに置き、身に着けたいとさえ思ったのだ。青が美しかった。ネオンブルーに、目を奪われた。
 しかしデリク以外の人間は、違ったのだ。石やピアスの美しさではなく、パライバトルマリンの価値に魅せられた。いまや産出されることもめったになくなったパライバトルマリンは、珍しいもの。高価なもの。誰も容易には手に入れられないもの――。

「(しかし……あなたはあまりに多くの人の手を渡りすぎましたね。そうして、意志を持っている)」
(そう。デリクさまはその意思に気づいてしまった。わたしの想いと声は、デリクさまには不愉快だったのね)
「(だからと言って、私のもとを去ることもないでしょうに)」
(掘り出され、磨かれ、ポストとキャッチを付けられた。わたしは、身につけられてこそのもの。誰かの手に渡り、デリクさまを忘れようとしました)
「……」
(けれど、忘れられなかったの……)

だれも、ピアスを本当に愛しはしなかった。
デリク・オーロフ以外の、誰も。
ピアスに悪気はなかったのだ。或いは、デリク・オーロフのもとを離れた後悔が生む波動が、人々の無意識下をかき乱したのかもしれない。

デリクは優しく、ピアスに手を差し伸べる。たちが悪ければ破壊もやむなしと思っていたが、野暮な力は必要なさそうだ。
ただ、抱擁してやればいい。

 きらきら、
 きらきらと、パライバトルマリンの意志は飛び回り、やがて消えていった。
 ネオンブルーの光の、最後の一粒が消えたとき、デリクは目を伏せてピアスのケースの蓋を閉じた。
「レンさん――」
「ああ、いいよ。持っていきな。それは、あんたのものなんだから」
「……ありがとうございマス!」
 クリスタルケースをしっかりと抱えて、デリクは蓮に頭を下げた。その耳で、しゃらしゃらといくつものピアスがぶつかり、音を立てた。
 なにもなかった彼の午後の予定が、埋まっていく。
 宝石箱の中で、彼を待ちわびている者たちに、手を触れ、謝り、磨くのだ。夢の中に、呼び声を捜しに行ってもいい。
 
ひょっとすると、いつの間にかなくなっているアクセサリーが、またまだたくさんあるかもしれないから。




〈了〉

PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年11月11日

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