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『すきやきの味  』
本郷・源1108

秋も深まり、陽が落ちた途端に身震いするような日が続いた。
 日中はともかく、夜になるとぬくもりが恋しくなる。
 本日昼間、源はとうとう部屋にこたつを出した。
 しばらくすれば背景の一部と化すのが習いとはいえ、今日ばかりは季節の移ろいとともに気分が変わるようでよい。
 そして夜。せまいこたつの天板には、ところせましと並べられた、肉、豆腐、白菜、しらたき、ふ、などの具。
 中央には、まだ火のない携帯ガスコンロ、その上にはからっぽのなべが置かれていた。
 源が、燗のようすを見る。ちょうど人肌よりいくらかぬるいくらいだろうか。温められた酒の香気が、ふんわりと立ち上る。
 源はにんまり笑った。
 こんな風に底冷えのする夜には、鍋を囲むにかぎる。今夜は特に上等の肉が入ったので、すきやきだ。
 こたつでぬくぬくしつつ、気の置けない相手とおいしいものを食べるのは、無上の喜びだ。
「では、まいろうかの」
 嬉璃の手により、コンロに火がついたのを合図に、向かいあった源と嬉璃は、小紋の袖をおさえ、かた膝を立てる。
 姿かたちは幼いながら、食い道楽のふたりのこと。
 箸さばきもみごとに、嬉璃は脂身を。
 源はなんら迷いなく割下の入ったビンを手にした。
 そこでふと、互いの手にしたものに目をとめる。
「――おんし、手に持っているのはなんぢゃ」
「――嬉璃殿こそ、なにをはじめるつもりじゃ。今宵はすきやきのはずよの」
 にらみあったまま、しばし無言。
「――念のため尋ねるが」
 嬉璃が眉根を寄せながらも最大限の譲歩をみせ、口を開いた。
「すきやきとは、まず脂をひいて、肉を焼き、材料を全て火を通してから、しょうゆと砂糖で味付けして、食べるものではないのかの?」
 源は割下のビンを手にしたまま、かたち良く整った眉を上げる。その表情は、幼い少女ながらに迫力があった。
「何をいうておるのじゃ。割下を先に入れるに決まっておろう。焼けた鍋の上に脂身などひかれては、煙とうてかなわぬ」
「しかし、そもそもすきやきの名は、鋤の上で肉を焼いて食べたことに由来しているのだからして、わしが正しのぢゃ。一度いためてから味付けをしたほうが、よく味がしみるのぢゃぞ」
 さりげなく博識を披露しつつ、嬉璃は相方を丸めこんだ――つもり、であった。
「ふん、では問うがの」
 源は形のいいあごを、こころもち上向ける。
「これだけの量の具じゃ。食べてはまた足りなくなった分を足しつつ、味をととのえて、ということになろうの」
 ここまではよいか。
 とでもいいたたげな源の表情が、嬉璃にはいつになく生意気に映った。
 ふたりの前では、空焚きになった鍋が、すでに煙をあげている。
 悠長に論議しているひまなどないのだが。
「それでは、後から足した具は、最初から割下で煮込んでゆくのとどう違う?」
「うっ……」
 理詰めで反撃され、嬉璃は箸の間から脂身をすべりおとした。
 それをみた源は満足げに、すでに味のととのえられた割下を注ぎいれた。
 熱せられた鍋の上に、ジュッっと高く、大きな音が踊る。
 次いで、砂糖の焦げるいいにおい。
 黙り込んだ嬉璃を尻目に、ひとりかいがいしく鍋の準備をする源を、嬉璃は恨みがましくみまもった。
 注ぎ込まれた割下は、すでに鍋半分ほどの水位を占めている。
 まんまといいまかされてしまったが、嬉璃は肉をたっぷりの水で煮るがごとき手法を好まないのだ。今宵は すきやきをするのであって、しゃぶしゃぶではないのだから。
 ここはやはり、もういちど異議を申し立てねばならぬ。
 頭の中で理論武装を終え、反論の決意をかため、嬉璃が顔をあげたそのとき。
 鍋の音に紛れ、源が何事かつぶやいた。
「これが正しいのじゃ。わしの祖父殿はよくこうしていたでの」
 ひとりごとを聞かれたとは露とも思わず、いそいそと準備をする源をみつめ、嬉璃はこたつ敷きの上に、ぺたんと腰をおろした。
 源は嬉璃の異状に気づかず、かわいらしく小首をかしげる。
「どうかしたのかの?」
 嬉璃はあっというまに両目に涙を浮かべ、部屋から駆け出した。



 で、駆け出した嬉璃がどうしたかというと。
 押入れにこもって、すんすん泣いていたのであった。やけに人間くさい。
 薄暗がりの中で膝をかかえ、嬉璃はしゃくりあげ続けていた。苦しい息の下で考える。
 いいたかないが、この程度のいさかい、源と嬉璃の間ではよくあることのはず。
 裏を返せば、いい争いができる程度には、信頼感があるといってもいい。
 しかし、このときの嬉璃は、どうしても源を許せない気持ちでいっぱいだった。
 自分でもよく原因がわからないままに。それがよけいに、嬉璃を混乱させる。
 ――どうして、せっかくのすきやきをふいにしてしまったんぢゃろうのう。
 ――わしぢゃって、たのしみにしておったのにのう。
 なんといっても今夜のすきやきが楽しみすぎて、昼間テレビでやっていた「関西の名店・こっそり教えるすきやきのつくりかた」を、画面に穴が開くほど見つめて、手順を覚えたくらいだ。
 なぜ、わしのやり方を尊重しないのぢゃ。おんしとて、旨いものを食したい、その気持ちに違いはなかろうに。
 ぶつぶつと源への恨み言をつぶやきながら泣き疲れ、つかの間嬉璃は眠ってしまったらしい。

 ぼすぼす。

 誰かが外からふすまを叩く、まぬけな音で目が覚めた。
 もちろん、押入れの外にいるのは源しかいない。
 半分、ぼやけたままの頭で、嬉璃は源の声を聞いていた。
「わしはもう休むことにした。嬉璃殿はおんしのやり方で、すきやきをすればよかろう。
 安心せい、材料はきっちり半分に分けておいたでの」
 告げる声は低く、すっかりしょげかえっている。
 うつむく相棒の姿が暗闇に浮かぶようだ。
 ――あの、源が。
 己の考えが絶対に正しいと言って、はばからない源が。
 嬉璃は寸前まで胸にたまっていたわだかまりを忘れ、がらりとふすまを引いた。驚いた源が、畳の上にぺたんと腰を下ろす。
 その姿は、すねて押入れにこもる前の嬉璃にそっくりだった。



 かくてこたつの上には、携帯用コンロとなべがふたつづつ。
 それぞれ自分のものと決めたすきやきなべに、思い思いの順番で材料を投入し、味を見ながら気の向くままに鍋を整える仕儀とあいなった。
もっとも、お互い、隣の鍋のようすが気になって仕方がないのはたしか。
 嬉璃が鍋を覗き込んで、
「少々水が足りんようぢゃ。そちらのみずさしをとってくれんかの」
 わざとらしく言えば、源は味を確かめながら、
「この割下では、ちと味付けが薄いようじゃ。しょうゆをこちらに」
 源が言う。
 双方ともまだ他愛ないケンカのなごりが恥ずかしく、嬉璃は水を、源は渡されたしょうゆを、手元もみずに鍋へと注ぎ込んだ。

 実際のところ、すきやきのつくりかたなんて地域性より、各家庭の裁量によるところがおおきい。
 材料を入れる順番はもとより、砂糖の量、もっというと入れる具さえ家によって違ったりする。
 それぞれの味を引き継いだ他人同士がが新たに家庭を設け、生活の中で、互いのもちよった味をすりあわせながら、新しい家庭独自の味をつくりあげていく。
 可能ならばその味はまた子ども達に引き継がれ、また必要とあらば自在に姿を変える、その程度のものなのだ。
 座敷童子の嬉璃にはそれがない。
 いつも一緒のくせに、嬉璃にはない己のルーツをさらりと垣間見せる源が、ほんのちょっぴり、ねたましかっただけだ。嬉璃本人は気付いていないようだが。
 しかし、両親やルーツといえるようなものこそないが、今の嬉璃には幸いにして、意見をぶつけ合い、遠慮なくケンカのできる相手がいる。なんだかむっとした顔で鍋に向かいつつ、それでも嬉璃を呼びに来たときより、ずっと元気を取り戻した源が。

 しばらくして、ふたりがほぼ同時に「これでよかろう」と声を上げた。
 ……出来を競いあっているわけでもないのに。
 続けてけん制するように、無言のまま小皿を差し出しあう。
 嬉璃が、源の鍋から味見用にわけてもらった小皿を手にし、ひとくち食べる。ついで自分の鍋からもひとくち。
 上等の肉の味をかみしめながら、嬉璃は、源がこちらを見ているのに気がついた。目が合うと眉を寄せてぎゅっと目をつぶる。そんな表情でも、源が気を悪くしていないのがわかったのは、嬉璃も同じ顔をしていたからだ。

 必死で、笑いを堪えていたのである。

 ふたりの鍋は、言い争いをしたのがバカらしくなるほどに、ほとんど同じ味になっていたのだった。

 源は湯を張りなおした手鍋からお銚子を引き上げ、ふたつのおちょこに注いだ。
 片方を向かい合う嬉璃によこす。
 ぐつぐつと軽快な音を立てる鍋をバックに、ふたりは照れてにっこり笑い、軽くおちょこを合わせた。
 
 湯気で曇る窓の外から、白い月が二人を見下ろしていた。

 了
PCシチュエーションノベル(シングル) -
橘そよぎ クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年11月08日

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