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『狙われた『マスター』 』
ユンナ2083)&ジュダ(2086)

「――ここ……ね」
 下から吹き上げた潮風に髪を煽られながら、ぽつりと呟くユンナ。
 周囲はほとんどが海。エルザードは遥か遠く、所々海面から突き出しているのは、大地になり損ねた岩礁。その海面下は恐らく山のように海底から盛り上がっているのだろうが……。
 この地は、この世界に住まう者たちにとって未踏の地である。いや、もしかしたら過去に誰かが訪れた事があったのかもしれない。けれど、それは記録に無く、かつ、この地に複雑に流れる海流を越えてここまで来る術も無いため、魔の海域と言われていた。
 そんな中、ユンナはすらりとしたその姿勢を、海面の上に置いていた。
 船は無い。足元には、ただ海面がたゆたっているだけ。
 人であれば不可能な体勢も、ユンナには問題なく出来る事らしい。そうして、海面から突き出た岩礁の向こうに見える、石で出来た建造物を眺めた。

 その『気配』に気付いたのは、今朝早くの事。
 最近ではなりを潜めていたVRS――ユンナの記憶にも忌まわしいものとして刻まれているそれが、まるで誘いをかけるように濃厚な気を漂わせて来ていたのだ。
 だが――例えそれが罠であろうと、行かねばならない。
 歪んだシステムを確立させてしまった自らの罪を償うためには、それしかないのだと思っていたのだから。
「それにしても奥ゆかしいこと。ここなら普通の人はまず来れないものね」
 VRSの事でなければ、ここまでは来なかったし、とユンナが苦々しげに吐き出して、すたすたと建物の入り口へ向かう。
 ユンナは、海に対してかなりの枷を負っている。その理由は定かではないのだが、海中に於いて具現の能力を使う事は、他のヴァンサーに比べ極端に制限されてしまい、手段を間違えば死に至る可能性を多分に秘めていた。
 ――嘗て自分が身を置いていた世界では、海というモノは既に死に絶えていたし、そもそも住んでいる土地が宙に浮いているのだから、海などという世界に身を投じる必要など全くと言っていいほどなかったと言うのに。
 気配が海の向こうからだと気付いた時、流石に躊躇したユンナだったが、諦めと決意の入り混じった表情で、ここまでやって来たのだった。
 船の出せないこの海域で、力の出せない状況に陥った時の事はなるべく考えないようにしながら。

*****

 ――不思議な事に、その都市の遺跡は、海面から上に全ての機能が備わっていた。海中の山をくり抜いて作られたものだと思っていたユンナも、それには不審を隠せずにいる。
 おまけに、これは。
「……ゼノビアの、失われた都市のひとつ……?」
 世界に『災厄』が起こってから、いくつもの巨大都市が空へと浮かび上がって難を逃れた。だが、世界全てを空へ逃がす事が無理だったように、浮遊する事が出来ずに、都市機能をストップさせて廃墟化した都市も多く存在した。
 その中で、浮遊大陸にある噂が流れた事がある。
 ――嘗て都市があった場所がいくつも、災厄の後その姿を消してしまった、と。
 大自然の変異により、飲み込まれたのではないか――そう言った言葉をはじめとして、様々な説が浮かび上がってきた事から、『都市が消えた』事は事実だったのだろうと言う認識が根を降ろしたのは当然だったのかもしれない。
 と言っても、ユンナ自身はあまりそうした噂は信じていなかった。
 説の中に、住んでいた住民ごと別の世界へ逃れ、そこで災厄から逃れて住み暮らしているのだと言う楽観視……言うなればゼノビアでは成しえなかった楽園説があったからかもしれない。
 都市機能は全て止まっているものの、目に見えてぼろぼろになっていない遺跡を歩きながら、ユンナがふとそんな事を思い出して苦笑した。
 ――VRSの気配は止む事無く、いよいよ濃厚にユンナの前方から漂って来ている。
 そんな緊張感の中で、何故かそんな他愛もない事を思い出してしまったからだろう。
 かつん、とユンナの足音がまた進む。
 その時、

 ――どぉん、と言う音と共に、地面が激しく振動した。一瞬地震かと思ったものの、今いる場所がどこだったかを思い出して、流石に青ざめたユンナが出口へ身体を向ける。
 その背中で、ちかちかと灯りが瞬いたかと思うと、耳障りな音と共に中央から放射状に次々と明かりがともり始めた。
「――!?」
 がくん、と足元が揺れる。気のせいか浮き上がっているような気さえしながら、足を早めて外へ向かおうとして、空の異常さにようやく気が付いた。
 巨大なドームが天井にかかっている。それは、都市の明かりを反射し、ゆらゆらと揺れる海水越しの太陽の輝きを補っていた。
「……沈んでる……」
 呆然と、現状を理解したユンナが呟く。
 自分が入って来た場所は見えているものの、そこも既に海の中。先程から揺れており、浮き上がる感覚は沈んでいるからか、と気付いたものの――ユンナの能力では、ここから外へ出る事は叶わない。
 いや、今のうちならばまだ、泳いで海面まで浮かぶ事は可能だろう。
 だが……それを許そうとしないモノがいる。
 それは、ユンナの背後からにじり寄り、VRSやウォズの気配を漂わせながら、彼女を囲もうと近寄って来ていた。
「もう、そんなぎらぎらした気配で寄って来るなんて。女の子に嫌われるわよ」
 逃げ道は無し。思った通り罠だったらしい。
 軽口めいた声を上げながら、くるりと振り返るユンナが、目の前に展開されたウォズたちを見て眉を寄せた。
 ウォズと言ってもこれは、純粋なウォズではない。そして、その手に持つ不釣合いなほど大きな武器、砲台などからは残らずVRSの『匂い』がする。
「…………」
 威嚇も無い。叫びも無い。ただ、ユンナを強い視線で見詰めながら近寄ってくるウォズたちの、意外に統制の取れた動きには見覚えがあった。
 まさか。
 声に出さず、それだけを呟くユンナ。
 ――彼らはヴァンサーではなかったか。
 そして、彼らの手に持つ『武器』、VRSも、元は――彼らのようなヴァンサー、あるいはヴァンサーが封じてきたウォズだと知っているユンナには、目の前の光景は悪夢としか言いようが無かった。
「……仕方、ないわね」
 こくりと喉を鳴らして、ユンナが神経を集中させる。
「あなたたち全てを、封じさせてもらうわ」
 そう、囁くように言った声は、どこか蠱惑的な響きを含んでいた。

*****

 じわりと腕に滲む痛みに軽く顔を顰めて、ユンナが残り少なくなった『彼ら』を眺めた。やはり、異質なVRSの存在は中に収めるだけでも厳しい。元々封印されていたモノなのだから、二重封印に近い事になり、仕方ないのだろうが。
 そして――当たり前だが、彼らも黙って封印はされていない。そのお陰で、ユンナは大事に着ている服の一部が切られていたり、髪留めが緩んで長い髪が顔にかかったりしている。
「参ったわねえ」
 きらきらと輝く都市の空は、気のせいか薄暗く感じられる。きっと随分深い所まで降りてきたのだろう。
 都市機能が生き返り、明かりも、ドーム状の天井も、そして循環機能による空気もある事はありがたいが、だからと言ってこの地で生きていくのは無理だろう。
 と言って、地上までを厚く覆っているこの海水が、ユンナにはどうしても越えがたい壁になってしまっている。
 ここで空気を作って溜め込んだとしても、海面に上がるまでにはどうしても足らなくなる。ウォズたちを撃退したとしても――無事に帰り着くのは、難しいだろう。
 ウォズが目に見えて減り、ユンナが少し気を抜いてしまった、その時。
 背中から小さな足音が聞こえて来て、ユンナは意識をそちらへと向けてしまった。
「そろそろかなぁと思って来てみりゃナニ? お姉さんはもう逃げる算段と来た。そんな堅実な人生ツマンネェだろ」
 ――見たところ、そんなに年はいっていない。少年、と言い換えてもいいくらいだ。
 その目と、少年が持つ『モノ』さえ無ければ。
「あなた……あなたが、この罠を?」
 後ろにいるウォズには構わず、鋭い目をして少年に問い掛けるユンナ。
「罠って程じゃないサ。言うなれば味付け?」
 くっくっ、と楽しそうに笑う少年。
「――まだちょっと残ってるけどまあいいや」
 きぃん、と耳鳴りのような音が聞こえる。
 それは、少年が力を誇示し始めた印。
「……ヴァレキュライン……最初から、私を狙っていたのね」
 ユンナがひたと相手に目を据えて問うと、
「そりゃそうだろ。ウォズをたっぷりと喰らったアンタは封じる相手にとって不足は無いよ、『マスター』」
「!?」
 その言葉の意味に気付いたユンナが軽く目を見開く。と、その表情が面白かったのか、少年がぺろりと舌なめずりをして、口を横に歪めながら笑い声を上げ、ゆっくりとユンナに狙いを定めた。
 獲物を狩る、獣さながらの瞳を彼女へ向けて。

*****

 喉に引っかかったような笑い声が、まだ耳の奥に残っている。
 それと同時に、苦い、苦い思いも。
 ――ユンナは嘗て、ソサエティの頂点に立つ者として祭り上げられていた。それは自らの思いに突き動かされて始めたものではあったが、老齢の域に達した人間の姿を形取り、威厳たっぷりの姿でいたにも関わらず、その大部分は傀儡としての存在でしかなかった。
 表向きの、住民を救う存在としての――特殊な能力は人々を守るためだと言う、そんなポーズを取らなければ、再び人間側の怯えと敵愾心が増幅され、再び不毛な争いに発展する……そんな綱渡りのような立場にあるヴァンサーを従えるトップは長い間ユンナの座する位置だった。名も姿もその当時は違っていたのだが、その頃はまだ、ユンナにとっては目指す理想があり、そこへ向かって進んでいる事を信じていたから、多少の不便さなどは問題ではなかった。
 裏で何が計画されていたか、気付かないまま。
 そして――気付いた時には、既に手遅れだった。
 最大の敵対存在である、人間至上主義思想のグループが代理団体を立ててまで、ソサエティの後ろ盾に成っていた事がひとつ。ヴァンサーの特性、そしてそれらを律するための法律……気付けば彼女は椅子に座りながら、がんじがらめに戒めを受けていた。
 ヴァレキュラインという存在すら、最初は存在しなかったのに、気付いた時にはそれを解体する事など不可能なくらい、それはシステムの中にしっかりと食い込んでいたのだから。
 だから、いつしかユンナは強権を発動する事が増えていた。
 ヴァレキュラインを手綱に取るための権限を握り、裏の取引にも顔を出し、吐き気を催す『実験』が行われていた事を知りながら、無理やり止める事は無かった。
 その代わり、極力実験が滞るように必死で対策を講じ、絶対法律の行使も全て自分の意志で許可を出した。
 ――反発は、当然来る。それも、一時は彼女と一緒に人の命を守る事に燃えて、今も自分の命をやり取りしながら仕事を続けている現役のヴァンサーたちから。
 鬼と呼ばれても良い。
 そう思いながら――やはり、聞こえて来る声には、内心がずたずたに引き裂かれるような思いをしていたものだ。
 その中でも、特に彼女が自分の無力さを痛感し続けたのが、ヴァレキュラインの存在である。
 気付けば、トップ数名を除き、いつの間にか様変わりしている顔ぶれ。マスターの命を聞かないと言う違反を犯したにも関わらず、血まみれの姿のままにこにことあどけない顔を浮かべる者たち。
 それは――ヴァレキュラインが、常に抱える問題だった。
 ヴァンサーのように個を封じるものとは違い、空間そのものを、その中に含まれるものを丸ごと封じる荒業を使う者は、具現侵食を拒む事が出来ない。それがどんなに優秀な者であれ、その技を使い続ければ、中から文字通り喰われ、消滅する運命にある。
 問題はそれだけではない。
 内から喰われ続ける事に、或いは巨大な空間を身の内に置く事に、そもそも『ひと』の身が精神を保ちつづける事など出来はしないのだ。ウォズを封じるだけのヴァンサーでさえ、その身を具現波動に蝕まれてウォズ化してしまうように、ヴァレキュラインは任務遂行出来る存在であっても、精神を蝕まれている者がほとんどである事がその事実を如実に語っている。
 その、結果が――目の前に、ある。
「……だから……やめなさいって言ったのに」
 ユンナが静かに呟いて、足元に蠢くそれに静かに視線を落とした。
 それは、ついさっきまでユンナを――誰かに命じられて、『マスター』の命を狙いに来た少年だったモノ。
 今はもう、生き物ですらない。とろりとした粘液の、ぷつぷつと泡立つその色も、タールを溶かし込んだように黒く、じわじわと床を染めて広がっていく。
 それこそが、最悪の形で現れるヴァレキュラインという存在のなれの果てだった。
「ごめんなさいね。あなたがこうなる事さえ予想出来たのに、止める事が出来なかった」
 侵食を止めるための存在が、ある意味で侵食を助長している。
 それは、非常に皮肉なシステムと言う他は無かった。

 びぃぃぃ! びぃぃぃ! びぃぃぃ!

 突如、耳障りな警報音が都市全体に流れ始める。
 ――侵食は、気付かれずにこの都市を喰らっていたらしい。『彼』が消えた事でその箍が外れたのか、
 ぴしり、と天井のドームにひびが入った。
「嘘でしょぉ……」
 海水がなだれ込むまでには、後どのくらいの猶予が残されているだろうか。
 慌てて駆け出したユンナの背に、ぴしぴしと言う不吉な音が次々と聞こえ――気付けば、ユンナの身体は空気を追い出すようになだれ込んで来た海水に揉みくちゃにされていた。
 上も下も、それどころか左右さえも分からない。
 ドームの外に出る事が出来たのかどうかも。
 明るいのは、都市の明かりが見えているからだろうか。それとも太陽の光を浴びているからか。
 ――空気、せめて少し持って来れたら……浮き上がれれば、助かったのに。
 ふぅ、と意識を失う前にユンナが見た光景は、何故か、黒一色に塗りつぶされた人間のようなものが空から降って来る、というものだった。
 だからだろうか。
 目を閉じる前のユンナは、薄らと微笑んでいた。

*****

 懐かしい声が聴こえた。耳に届くのは、在りし日の思い出――恐らく、自分が一番幸せだった頃の思い出だ、とぼんやりユンナは考えている。
 海の中に漂いながら、声が聞こえたり考える事が出来るのは、きっと自分が死んでしまったからだろうと思いながら。死んだからと言って考え事が出来るか、と問われれば答えに詰まってしまうのだろうが、あいにく自分の考えに突っ込めるだけの思考はまだ戻って来ていない。
「……ンナ。まだか」
 低い声。昔々どこかで聞いた事がある、声。
 何となく、頬を叩かれているような気もする。

 ――ふぅっっ。

 突如、自分のなかに思い切り空気が吹き込まれて、身体が悲鳴を上げた。
 そんな事をされたら、身体の機能が戻って――痛みが。
「っ!!」
 こみ上げて来た海水を吐き出した途端、何故だかぐいと顔が横に向けられる。……頬に触れるのは太陽を浴びて温まっている砂。ぺったりと額に張り付いた髪が、少し気持ち悪い。
「――っ、けほ、けほっ、――っ、は――あ」
 暫く咳き込む背が何度も撫でられ、ようやく息が付けるようになった時、じぃっと自分を覗きこんでいるジュダの目に気付いて跳ね起き――ようとして、ジュダに押さえつけられた。無言だったが、目が語っている。まだ動くな、と。
「気が付いたか」
「……なん、で」
 ここにいるの、と聞こうとしたが、ジュダはユンナの容態を見る方に意識を向けているからか、その問いには答えず、
「早めに気を失ったからか、それほど海水は飲んでいないなかったようだな」
 それだけを言って、濡れてへばりついているユンナの髪をくしゃりと撫でた。
「気を失って? ……あ……」
 先程の事を思い出したか、ユンナがちょっと苦しそうに身体を起こしながら、自分がいた方向を眺める。
「まだ、済んでいなかったのに。あれじゃ、侵食が広がってしまうわ」
「その事なら、問題は無い」
 ジュダが思わず振り返ったユンナの目を覗き込み、意識がはっきりと戻ったのを確認してゆっくりと抱き起こしてやり、
「……後始末は済んでいる。海は、もう普通の海だ」
 ぼそぼそと呟いていた。
 当然の事だったかもしれない。あれだけ濃い気配を覗かせているものに、ジュダが気付かないと思う事がそもそもの間違いだったのだろうから。
「そう……ありがとう」
「なに」
 ぽつんとそれだけを言って、張り付いた前髪を今度は後ろに流してやりながら、ジュダが押し黙る。
「……どうしたの?」
「いや。……気の聞いた言葉が、思いつかなくてな」
「――――ぷっ」
 やだ、何言ってるのよ、と軽く叩いて、あら? とユンナが目を丸くする。
「ジュダ、どうして服も髪も……そんなに濡れてるの?」
 ジュダなら、ここにいながらにして封印する事も出来るでしょうに、と訊ねようとしたユンナが、気を失う前に見た黒い人影の事をふっと思い出して、ジュダの顔を見上げた。
「――水中呼吸も出来ない癖に、海に出るような奴がいるから、な」
 それに対する答えは酷くそっけない。
「そっか。――ジュダ、ありがとう」
 助けに来てくれて、と微笑みながら言うと、何か忘れているような気がしつつ、ジュダに手を貸してもらって立ち上がる。
「良かったら、帰り、家に寄って。海水まみれじゃ後々大変でしょう?」
「いや……別にいい」
「駄目よ。ジュダが良くても、私の気持ちが済まないもの」
 そう言ったユンナが半ば強引に自分の住みかへとジュダを引きずって行く。
 そうやって、濡れ鼠になった二人がエルザードの中を歩くのを、目を丸くして眺めている者が何人もいた。

*****

 何かを忘れていたユンナがそれを思い出して、その場に誰もいなくて良かったと思いながら耳まで真っ赤になったのは、その夜の事。
 溺れたユンナへ人工呼吸を試みていたのが、誰あろうジュダだったと、僅かに記憶に残る感触と共に思い出してしまったからだ。
 いっそ忘れたままでいた方が良かったかも、とこれから顔を合わせた時の事を思って熱い頬を手で冷やすユンナ。
 ――その彼女の胸元で、ルベリアがごく淡い輝きを見せていた。


-END-
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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2005年11月07日

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