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『秋晴れ 』
門屋・将太郎1522)&門屋・将紀(2371)

 昨日までしとしとと降り続いた雨が止み、ぽかりと空いたような晴れの日。門屋・将太郎(かどや・しょうたろう)は静かに流れる白い雲をぼんやりと見上げていた。
「暇だな……」
 今日は心理相談所への訪問者もいない。どうせ今日も雨だろうと思っていた門屋はろくな計画も立てておらず、何かやらなければならないこととか、やりたいこととかあっただろうかと考えてみても、ぱっと思いつくものもなく。かと言って、アポなしの訪問者が来るかもしれないから相談所を閉めて外出するわけにもいかない。
「仕方ない。適当に暇を潰すか」
 門屋はぼそりと呟いて、書庫へと向かった。心理学や医学などの仕事上必要な知識を得るための書物や、自分の趣味で買い集めた本などがぎっしり詰め込まれている。
「何を読もうかな……」
 背表紙を指でなぞりながら、門屋が奥へと進む。と、その指が一冊の本で止まった。
「自分に潜む影……か」
 それは黒地のカバーに白い文字で『自分に潜む影』とタイトルの書かれた本だった。タイトルを強調するように付けられた赤い影が、何やら怖い雰囲気を出している。
 門屋はその本を取り出し、書庫にある椅子に座った。後ろのページを捲り、発売された日を見る。
「初版は二年前か……二年前と言えば、俺が臨床心理士になった頃だな」
 窓の外から、和やかな鳥の声が聞こえた。

 二年前。大学院修士課程を終えた門屋は、とある総合病院で臨床経験を経た後、臨床心理試験に合格をした。そして、その病院の臨床心理士として精神科医のサポートをすることになった。
「早速で悪いんだが、少し難しいケースを受け持って貰うよ」
 病院長にそう言われて、門屋はその患者の担当医と共に、病室へと向かった。汚れ一つ見えない真っ白の廊下を歩き、辿りついた一室にはベッドに腰掛けて窓の外を見ている一人の少女がいた。
「おはよう。今日は気分はどうだい?」
 担当医に話しかけられて、少女は笑顔で振り向いた。
「おはよう御座います! 先生。あれ? そっちの人は誰?」
「門屋先生だよ。これから一緒にお話して下さるようになったんだ」
「そうなんだ。宜しくお願いします、門屋先生」
「こちらこそ。宜しくお願いします」
 にこにこと笑いながら話しかけてくる少女に、病院長の言葉で緊張していた門屋は、思わずほっと安堵した。臨床心理士として、どんな患者にも向き合う覚悟はしていたが、初めての患者にプレッシャーを感じずにはいられなかった。そんな門屋の目の前にいる少女は、難しいケースと言われるような子には見えず、正直に言えば「これなら大丈夫そうだ」と思ったのも事実だった。
 けれど、その少女は一人ではなかったのだ。
 翌日、やって来た門屋は病室の惨状に目を剥いた。ナースに呼ばれて担当医と共に慌ててやって来た門屋の鼻先を、投げつけられた花瓶が掠め、壁にぶつかって粉々になった。
「うぜぇんだよ! 触るんじゃねぇ! 殺すぞ!」
「やめなさい! 落ち着いて!」
「こんなところに閉じ込めやがって! こんなことしても俺は消えねぇぞ! 精々無駄な足掻きをすればいいさ! いつか俺はあいつを乗っ取って、この世界から出てやる! そのときは邪魔なてめぇらを全部殺して行ってやるよ!」
 鬼のような形相で担当医の頭を蹴り飛ばす少女の姿に、門屋は恐怖を覚えた。昨日見た少女の笑顔など嘘のようなその醜い顔に、門屋は少女のカルテに書かれた文字を思い出す。

『解離性同一性障害』

 それはいわゆる『多重人格』と呼ばれる、一人の人間に複数の人格が存在するという病態であった。幼児期に、虐待やトラウマを持つほどの恐怖などを体験した人間が作り出してしまう多数の人格。回復可能と言われてはいるが、かなりの時間を要する障害である。
 慌てて止めに入ろうとする門屋の目の前で突然、少女の身体から力が抜けた。がっくりと床に膝をつく少女は、先ほどの様相とは一転して、無気力な感じだった。昨日の笑顔の少女とも違う、非常に大人しい、というよりは暗い雰囲気だ。
「久しぶりに戻ったみたいだな。……今の状態がこの子の主人格だ」
 ぽつりと門屋に呟く担当医は、脱力している少女をベッドに寝かせた。
 少女がこの障害になってしまったのは、母親の虐待を受けたためだろうと担当医は語った。少女を溺愛する反面、自分の思い通りにならないとすぐに暴力を振るう母親に、好まれようとして出来たのが明るく元気な人格。暴力を一手に引き受け、鬱屈した憎しみが弾けて出来た攻撃的な人格。そして、二つの人格に全てを任せ、殻に閉じこもってしまった主人格。
 二年前に少女がこの病院にやって来たとき、二つの二次人格は既に確立していた。母親が買い物中、足を挫いて階段から転げ落ち、首の骨を折って死亡したことで、普段人付き合いも少なかった少女の病状が明らかになったのである。
 担当医はこの少女の障害を直すため、三つの方法を思案していた。一つ目は主人格をしっかりと目覚めさせること。二つ目は攻撃的な人格に支配されること。三つ目は主人格とも攻撃的な人格とも違う、明るく元気な人格を表に出すこと。
 この中で、二つ目は早々に却下された。理由は言わずもがなである。しかし、一つ目の方法は二次人格より弱い状態にある主人格を見れば、難しいことは明らかだった。主人格を少しずつ強くするという方法は、非常に時間がかかる上に、成功率も低い。
 担当医と門屋は幾度も話し合い、最終的に三つ目の方法を選ぶことにした。あの明るい性格であれば、再び社会に出ることも不可能ではない。全ての性格を統合し、少女を新たな人間として、新しい人生を歩ませようと、二人はそう決めたのだった。
 そうして治療を始め、少しずつだが病状はよくなって来ているという。事情により、その病院で勤めることが出来なくなってしまった門屋だが、少女のことは忘れることはなかった。それは臨床心理士になって初めての患者ということもあるが、それだけではない、何か自分に通じるものを持っているような感覚が、忘れられなかった。

 門屋は回想にふと目を開け、手に持っていた本を読もうとページを捲った。と、そのとき、玄関から「ただいまー」という元気な男の子の声が聞こえた。それは門屋の甥っ子である、門屋・将紀(かどや・まさき)だった。ぱたぱたと廊下を走って来る足音が聞こえる。
「おかえり」
「なんや、叔父さん。ここにおったんか。今日は相談所、閑古鳥やな」
 元気に笑って部屋に向かう将紀に、門屋は口元を緩めて本を見下ろした。そう言えばあの少女も、当時は将紀と同じ歳だった筈だ。元気だろうか。そう考えると急に懐かしさを覚えて、門屋は本を机に置いて、電話機へと向かった。少女が今も治療を受けているという病院の電話番号を調べ、受話器を取る。コールが鳴る間、門屋は無意識に口元を緩めていた。もし会えたらどんな話をしよう。天気が良い日だったら、散歩もいい。今日みたいな秋晴れの日に、将紀も連れて。
 真っ青な空に、白い雲が浮かぶ。ゆっくりと、ゆっくりと前に進みながら。










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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)   
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1522/門屋・将太郎/男性/28歳/臨床心理士】
【2371/門屋・将紀/男性/8歳/小学生】



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           ライター通信          
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どうも、はじめまして。緑奈緑と申します。今回はシチュエーションノベルの発注、有難う御座いました。
多重人格というポピュラーながら難しいテーマでしたが、何とか頑張りました。将紀くんが少ししか出せなかったのがちょっと残念でしたが、楽しんで頂けていれば嬉しいです。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
佐伯七十郎 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年11月04日

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