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『望郷 』
オーマ・シュヴァルツ1953

 沢のほとりで〔それ〕と対峙してなお、オーマ・シュヴァルツは心を決めかねていた。
 三叉の角の生えた頭と長い尾は豹に、胴体は羚羊に似て、すらりとした脚は三対。鹿のようにぴったりとした毛並は煉瓦色の縞模様の走る緑がかった薄い褐色で、腹の部分だけが闇の黒。
 賑やかしと荷役を兼ねて、旅芸人の一座が連れまわしていた辺境の獣である。
 五日ばかり前、所用で訪れた山あいの町で、オーマはその姿を目にしていた。小屋掛けしている広場の片隅で、一座の少年がかいがいしく世話を焼いていたのを覚えている。
 その後から今日までの間になにがあったのか、オーマは知らない。
 午睡の悪夢を悲鳴に破られ、冷汗にまみれて寝床から飛び起きたのと、投宿先の主が六ツ脚の獣が暴れていると助けを求めてきたのはほぼ同時であった。
 ろくろく服もまとわず往来に立てば、人だかりは存外に近い。居合わせた者をつかまえ、被害は座長他数名でいずれも軽傷と知れたが、それで済まなくなるのは時間の問題だろう。そう思うそばからどよめきとともに人垣が崩れ、躍りあがる獣の姿が見てとれた。温和な駄獣のおもかげは欠片もなく、重い蹄を打鳴らし枝角を振り立てて、まさしく狂乱の態である。人々がいっせいに後じさったため、いまや走り出したかの獣とオーマとを隔てるものは、あの一座の少年のみであった。
 少年が金切り声でなにごとか叫ぶ。獣につけていた名であろうか。だが、止まらない。
 あわや、というところでオーマが子供の肩をつかんで引き倒し、体でかばう。
 その上を、獣が跳び越える。
 駆け寄る大人達に少年を託すと、オーマは身を翻した。



 集落裏手からしばらく登った、清水の湧きいでる苔むした岩の上に〔それ〕はいた。
 悪風のごとく疾駆する異境の獣とそれを追う異相半裸の大男という組合せは、純朴な住人達はもとよりすれっからしの芸人達の目にさえ、常の季節より強く容赦なく照りつける太陽と相俟って白昼の天魔とでも映ったものか、オーマに続く者は誰一人いなかった。
 もっとも、へたに加勢などないほうがよい。
 獣が頭上を跳んだ瞬間、ヴァンサーとしての全知覚が彼に異にして同たるウォズの存在を告げたのだ。
 にもかかわらず、オーマは困惑を隠せない。
 すずやかな水音を荒い呼吸で乱している獣の目は血走り、口の端には黒ずんだ泡がこびりついている。脇腹にざっくりと、あきらかに刃物による深手を負っており、追跡を容易なものにした血の滴りは止まるふうもない。すぐに手当てをして半時もつか、どうか。具現による擬態ではない、本当にソーンの生き物なのだ。つまりはウォズが憑依していることになる。
 そこまではいい。いやな話だが、よくあることだ。
 だが、利用価値のなくなったであろう宿主に寄生し続ける理由がわからない。
 と、
「ク、ァ……ル」
 獣の喉から、奇怪な音が漏れた。じれたように頭を振り、もう一度。 
「ア……ェル。帰ェ、ル」
 オーマの眉間に剣呑なしわが寄る。
「そうか、あれは、おまえか」


   ごうごうと風が鳴る。
   たてがみをなびかせ、力強いはばたきで雲を蹴散らし、
   抑え難い衝動に追い立てられて、はるか高みを飛ぶ。
   山を越える、海を越える。
   街を、都を、廃虚の埋もれた砂漠を越える。
   遠目に奇岩の屹立する荒野が見えてくる。
   あとすこし、もうすぐ。
   焦燥まじりの歓喜と安堵。
   転瞬、翼が消滅し失速する。墜ちる、墜ちる、墜ちる――!


 午睡の結末、ぶざまに大地に叩きつけられた感触を思いだし、オーマは軽く身震いした。
「しゃらくせぇ真似を。俺に用があるなら出てきな。そいつの喉は、お喋りには――」
 向いてねえ、と言い終わらぬうちに獣が身をよじり、ひきつった叫びをあげた。
「ィイ怖イ痛、イ帰ル帰、ルッ」
 視点の定まらぬ目を見開き、裂けあがった口からは涎をたらし、あぐあぐと空気を噛む。
「おまえ……」
 もはやヴァンサーの意識への干渉もままならず、ただむきだしの感情を人語にあてはめ、人語の発声に適さぬ器官を酷使するばかりの同郷のモノを、オーマは痛ましげに見やった。
「……巻込まれたのか」
 ウォズは異中の異だ。憑きこそすれ、混じりあうなどありえない。けれど単純――もしくは純粋――であるほど計り知れない磁力となる強い〔想い〕に引きずられ、操るはずの対象と己を混同することも、稀にはある。
「怖イ痛イ帰ル帰ル、帰ル、アア嫌ダ怖イ帰ル帰ルゥァァ!」
 一語吐き出すたび、傷からぼたぼたと血が滴った。苦痛によろめき、苔に蹄をとられてどうと倒れ、起きあがれずに更なる恐慌に陥って脚をばたつかせもがく様は凄惨であり、哀れでもあった。
「聞けよ、おまえは死なないし……好きなところに行けるんだ」 
 無駄と知りつつ、オーマは口にせずにはいられなかった。
 その死によって周囲の生ことごとくを侵すがゆえに封印にとどめざるをえぬ特質を挙げるまでもない。具現能力そのものでありいかなる姿をもとりうるウォズには、そもそも肉体という有限の枷がないのだ。不死と呼んでもあながち間違いではないだろう。
 ともに異世界ゼノビアよりソーンに降り来たりし同族。
 異にして同、同にして異の因縁深き存在。
 空を駆け、水を走り、地を滑り、望みさえすればどこなと自在に赴くことのできるそのウォズが、目の前で一頭の獣として故郷に焦がれ死に怯えていた。もう足掻くだけの力もなく、双眸には昏い幕が引かれつつある。
 何故と問うすべもなく。
 かくなっては、できることは一つしかなかった。
 オーマはヴァンサーの証たる胸のタトゥに念を凝らした。召還に応えて出現した虹色の霧は意志あるがごとく宙を舞い、ヴァンサーの巨躯を覆うや忽ちヴァレルに変じる。
 いつの日か、とオーマは思った。
 いつの日か、ヴァンサーとウォズの共存の成るその時がきたら、おまえは墓から立ちあがり、塵となる前の姿に具現して三叉の角を振りたたせ、三対の脚で地を蹴り天駆けて、意気揚々と帰るがいい。山を越え海を渡り、街を、都を、廃虚の埋もれた砂漠を越えて、ソーンの何処かにある辺境の地の、あの奇岩の荒野で待つ群れのもとに。
 こときれた獣の体にくるまれたウォズを沢のほとりに封印し、オーマ・シュヴァルツは踵を返した。


<了>
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はじめまして、三芭ロウです。
頂戴した設定よりもお任せ部分が全面に出てしまいましたが、どうぞご勘弁を。
一瞬で終わってますが、オーマ氏のヴァレル召還がやりたかっただけかもしれないのはここだけの秘密です。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
三芭ロウ クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年11月01日

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