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『抱擁 』
清芳3010)&馨(3009)

 ――唐突に目が覚めた。
「……」
 少し身体を起こし、周囲に目を配る。
 闇とは言え光を漏らさず密閉した場所ではない。こんな場所でもごく僅かながら光は存在する。
 けれど、身を起こした清芳の目には何も映らなかった。気配も、自分と――そして、今日も当たり前のように添い寝を要求し、隣で寝入っている馨のものしか存在しない。
 ふうっ、と息を吐いて苦笑する。戦いに身を置いていた修行の時でもないのに、目覚めた瞬間で戦闘態勢に入りかけていた自分にも、そして何事もなかったのに目覚めてしまった事にも。
 たまにはこういう事もあるか、と、相手を起こさないよう首をゆっくり下ろして、すぐ近くにある馨へと目をやった。
 片手は清芳の首の下にあり、そこから伸びた手は彼女の背中に回されている。それに慣れてしまった自分がとても不思議だったが、これはこれで不快ではなかった。
 きっと、寒くなったからだ――そう思いながら、じぃ、っと無防備に寝入っている馨へと目をやる。
 閉じた目から伸びる睫毛が長い。もしかしたら自分よりも、と思ってちょっとむぅと口を尖らせかけ、それじゃまるで自分が馨に嫉妬しているみたいじゃないかと気付いて慌てて口を元に戻す。
 それにしても、気持ち良さそうに寝ているなぁ……。
 隣に清芳がいる事がとても当たり前のようにしている馨は、とても不思議な存在だった。最初からあしらわれていたから、余計にそう思うのかもしれない。
「……」
 閉じた目蓋の下には、透き通った緑の瞳がある。
 いつも清芳の事を子ども扱いし、軽くいなしている唇からは、規則正しい寝息しか聞こえて来ない。
 そうやって見ているうちに、馨がほんの少し身じろぎし、さらりと髪が額にかかった。少し眉を寄せているのを見れば、痒いのだろうか。
 半ば無意識に手を伸ばして髪を掻き上げようとして、清芳は身体を持ち上げた。そのままさらさらの髪を指で漉き、顔を寄せて――空いた額へと。唇を。
 ――――え?
「わ。私は何を……」
 かすれ声は聞こえなかった、らしい。思わず出してしまった声に、じぃぃと馨を見てみるものの、寝ている姿に変化は無い。
 ――大丈夫。気付かれていない。
 ほうと息を付いて、相手が変に勘ぐらないうちに寝なおそうとした清芳は、ぴくりと動いた馨の手が背中から腰へと回されていた事に気付かなかった。
 そして。
 ついさっきまで少し離れた位置にあった和装の襟に、自分の頬がしっかりと押し付けられていた――要するに引き寄せて抱きしめられていたのだが、あまりにも突然で清芳にはそうとしか認識出来ていなかった。
「な、な……何……っ」
 ぐるんぐるんと回る思考には、巨大な?と!がフォークダンスを踊っている。
「……駄目ですよ、清芳さん。そういうのは起きてる時にやるものですよ」
 含み笑いが耳元で聞こえ、そこでようやく清芳が馨に抱きしめられている事に気付いた。
「というわけで、お返しです」
 ――ちゅっ、と額に柔らかなものが触れる。それが馨の唇だと分かった途端、清芳から全身の力が抜けていた。
「はい、腕はここに。そうしてぎゅーと」
 一瞬意識が飛んでいたらしい。何だかいつの間にか馨の背に清芳は手を回しており、世間で言う『熱い抱擁』を交わしていた。
「ちょ、ちょっと、待て、これは……」
 こう言うのは起きてる時にやるもんじゃないっ、と言おうとしてはたと止まる清芳。そう言えば、確実に「じゃあ寝ている時なら良いんですか」と、とても嬉しそうに返事を返す馨の笑顔までが浮かんで来て、その場でどう言ったら良いのか悶える。
 ……が。馨はそんな様子を見ながらにこにこと微笑んで、更にぎゅうと抱きしめていたのだった。

*****

 ――身体の動きで、目が覚めたのは気付いていた。
 どんな夢を見たのか、それとも習性で目覚めてしまったのかは分からなかったけれど、辺りへ目を配る彼女の様子は目を閉じていてもありありと浮かんでいる。
 何もない事を確認した途端、ふっとその肩から力が抜けたのも分かったが、そこから何故か自分へと視線が流れて来るため、口元がぴくりと動きそうになるのを止めるのが精一杯。
 どうやら、清芳は馨が完璧に寝入っていると思い込んでいるらしいが……そうして、清芳がまた静かに寝る姿勢に戻ろうとした時、ほんの少し動いたためだろうか、ちくちくと髪が額をくすぐって来た。
 思わず眉を寄せたのはほとんど無意識の行動だったが、清芳が手を伸ばしてくるとは想像だにしていなかった。
 ましてや――身を乗り出し、普段はぶっきらぼうにしか言葉を発しないその小さな唇を押し当てるなんて。
 大人しく寝たふりをしていよう、なんて意識が吹っ飛んでしまったとしても、誰が馨を責められるだろうか。いや、誰ひとりとして責めようとはしないだろう。そんな言い訳が頭の中で渦巻いていたが、そんな事よりも手の動きの方がずっと早かった。

*****

「いやあ、まさか不意打ちして来るなんて思ってもみませんでしたよ」
「ぐぅ…っ」
 じたばた。
 普段なら決して自分から相手の身体に手を回したりしない清芳が、潰れた蛙のような声を出しながら、今の状態から離れようと動いている。
 と言っても、自分が馨の背中に回している手はそっと添えられているままなので、本当に離れたがっているのかどうかさえ疑わしいのだが。
「油断できませんねぇ」
 ぎゅー、と抱きしめたまま、笑いを含んだ声が清芳をくすぐっている。それに何か言い返したいのだが、自分がやってしまった事実に打ちのめされて、なかなか口から言葉が出て来ない。
 抱きしめられたまま、ゆりかごの赤ん坊のようにゆらゆらと左右に揺らされている清芳は、まだ半ばパニックに陥ったままだった。
「や、やろうとしてやったわけじゃないんだから」
 そうして、ようやく出た言葉がそれ。言い訳にも何もなっていない上に、無意識にやってしまったと認めているようなものなのだから、清芳の顔のすぐ上から馨の柔らかな笑い声が聞こえて来るのも仕方ないと言うものだろう。
「いえ、責めているわけじゃないですよ。ただ、不意打ちをするくらいなら起きている時にしましょうね、と言う事です」
「起きてる時って……だ、誰が、二度とするかっっ!」
「……しないんですか?」
 しょんぼり。
 そんな音さえ聞こえてきそうなくらいに沈んだ馨の声に、え、あの、と清芳が言い淀み、
「――そ、その。馨さんがどうしても、と言うのなら、やらない事もない、と、思う」
 慌ててフォローするように声を上げる。
「そうですか。それなら安心です♪」
 途端、先程よりも強くぎゅうっと抱きしめられ、笑い声と共にそんな言葉が聞こえ。
「だっ。騙したなっ!?」
「何の事ですか?」
 馨さんが寂しそうにするから――と言わなくても良い事を言い、どんどん墓穴を掘っていく清芳の頭に、ふわりと馨の手が置かれ。
「私は嬉しかったですよ?」
 からかうような、そんな声が耳に届いて、清芳は今が暗闇の中だと言う事に感謝しつつ、それでもその真っ赤な顔を隠すように俯いた。
 それが、いっそう馨に擦り寄っていく動きと同じだと気付かないままに。

*****

「おはようございます」
「……おはよう」
 気付けば、朝になっていた。
 どうやってあの抱擁から解き放たれたのか、いつの間にまた添い寝の状態に戻っていたのか、清芳の記憶には残っていない。
 きっと混乱し過ぎて、その辺りの記憶が吹っ飛んでしまったのだろう。
「今日は良い日差しになりそうですね」
 そして。
 昨夜起こった事も、今までよりも近くに互いが寝ていた事にも何ら動揺の気配が見えない馨が、にっこりと清芳へ笑いかけていた。
 ……その事が、清芳には何故だか少し物足りないような気がしたが、どうしてなのかはいくら考えても分かりそうになかった。


-了-
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聖獣界ソーン
2005年10月31日

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