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『その声の主や知れず 』
芽代・武蔵5579)&芽代・浅間(5772)


 辛うじて舗装されている山道に、ぽつりと、停留所のスタンドが立っている。木々の合間をすり抜けて差し込む西日に照らされて、スタンドの足元からは長く影が伸びていた。
 バスのステップから降り立ち、その影を踏んだ青年が一人。
 半日に一本の路線バスが行ってしまうと、辺りに彼以外の人の気配はない。
「……変わらねえなあ、ここは」
 悪態をつき、青年――芽代・浅間(めじろ・あさま)は頭を掻いた。髪は短髪、眉のはっきりした精悍な顔立ち。ミリタリー調のカーゴパンツを着崩して、上着はファイヤーパターンの派手なスカジャンという、いかにも都会の若者然としたファッションに似合わず、浅間は慣れた足取りで山道を奥へと進んでゆく。
 鳥の声が、樹木と土が醸す濃密な山の気を震わせた。
 あれは何の鳥の鳴き声だったか。
 浅間がそれを思い出す前に、目の前の木立が途切れ、視界がぱっと開けた。
 眼下に広がるのは、収穫を終えたばかりの見事な棚田だ。その中心に、ぽつぽつと人家の集まる小さな集落が見える。
 そこが、浅間の故郷だった。


       +++


 生家の敷居をまたいだとたん服装について父親にどやされた浅間は、着替えを終えてやっと囲炉裏端(いろりばた)に座ることを許された。
 どっかりとあぐらをかいた浅間の膝の先で、土瓶(どびん)の口が湯気を立てている。怒鳴りがてらこれを投げつけられたのだから堪らない。浅間が空中で取っ手を握って受け止めなければ大惨事だったところだ。
「ったく。ありゃあ、わざわざ帰郷してきた息子にする仕打ちかね」
 しかも、あの程度をまともに食らうようなら、追い返された上に勘当を言い渡されていただろう。そう思うと、まったくどういう家だと、ぼやかずにはいられない浅間であった。
 苦笑しながら兄が横から差し出してきたのは、この家に住んでいた頃に浅間が愛用していた湯飲みだ。
 勝手に土瓶を取ると、浅間は湯口を湯飲みに傾けた。中身は、煎じ薬のような匂いのする野草茶だ。
「うぇ。久しぶりに飲んでみても、やっぱり美味くねえや」
 一口すすって、浅間は顔をしかめながら湯飲みを膝の横に置いた。
 ふう、と息を吐くと、特殊鋼を細く編んだ帷子(かたびら)が黒い装束の下で小さく鳴る。帰郷も数年ぶりならば、浅間がこの忍装束を身につけたのも数年ぶりだった。
 大学進学に伴って東京に出て以来、正月すらロクに顔を出さなかった実家に、浅間が戻って来たのには理由がある。
 忍の一族である芽代の家には、代々受け継がれる儀式があった。「あやかし憑き」と呼ばれるその儀式は、その呼び名から察せられるとおり、あやかしを契約で縛り、一族の子に憑ける儀式だ。
 その手伝いの為に、浅間は呼び戻されたのだ。
 幼い頃、浅間も通った道だったが、古い儀式をいつまでも当然のように行われていることに、浅間は賛成をしていない。
 確かに、儀式を通じて強力なあやかしと縁を結ぶことができれば、その力を意のままに使役することができるようになる。反面、儀式には多大なる危険を伴った。
 ましてや、対象が物心つくやつかずの子供ときては――。
「あさまオジ、お茶、ニガい?」
 まだ少し舌足らずな、幼い声がした。兄の背中から顔を覗かせたのは、黒い装束を着せられた小さな子供。
「いや、俺はもう大人だからな。平気だよ、武蔵(むさし)」
 無理やり笑顔を作って、浅間はその子――武蔵の頭を撫でた。
 不自然な表情の浅間を、武蔵はきょとんとした顔で見ている。人の感情をよく察する、聡い子だ。しかし。
 兄の子、つまり浅間の甥に当たるこの武蔵は、今年でやっと3つになったところだった。
「……なあ、兄貴。どうしてもやるのか」
 浅間の問いに、兄は頷く。浅間は何か言おうとしたが、兄の表情を見て飲み込んだ。
 もともと、忍びとしての鍛錬を怠らぬことと、芽代の家で何事かがあれば必ず戻ってくることを条件に、東京に出ることを許されたのだ。浅間に、父兄からの命をたがえる権利はなかった。
「だいじょうぶだよ、いっぱいお話きいたもん。こわくないよ」
 武蔵は、無邪気な目で浅間を見上げる。
 浅間がそうであったように、武蔵もまた忍者としての心得を子守唄代わりに聞かされて育っているのだろう。
 浅間は、重い溜息を吐いた。
 父はもう、今夜の儀式の用意をするために山に入っている。


       +++


 その場所は、山深く、道なき道を進んだ先にあった。
 樹木を排し、小さく開けた地面には、月光が青白く差していた。そこに描かれているのは、一族が古来より儀式のために用いてきた円陣だ。
 石を並べて描かれた紋様の中心に、武蔵が座っている。
 冷えた夜気に、低く、呪言を唱える声が木霊していた。あやかしを召還するのは、儀式を受ける子の直系の父祖である。
 浅間の仕事は、儀式を見守り補助することだ。円陣の外で神経を研ぎ澄ませながら、浅間は正直なところ、手を貸す必要がないことを祈っていた。
 あやかし憑きの儀式では、円の中心に座った子の能力に応じた妖物が引き寄せられてくる。通常ならば、浅間が出るまでもなく、調伏と契約はそう難しくはないはずだ。
 稀に手におえないモノが現れることがあるが、それは子が潜在的に持つ資質が高い場合に起こることだった。武蔵がそうではないという保証はなにもないので、油断はできない。 やがて、独特の韻を踏む呪の声が途切れた。
 風はなく、葉擦れの音すらしない。耳がおかしくなったような気すらする、無音だ。
 そうしてどれくらい時間が過ぎたのか。
 変化は、まず空に現れた。
 月光が陰り、見上げれば黒雲が垂れ込めている。
 来た。懐の中でくないを握り、浅間は低く身構えた。
 武蔵は、緊張した面持ちで身じろぎ一つせず背筋を伸ばしている。
 ヒョオウ、と声がした。
 金属同士を擦りあわすような、耳に不快な声だった。
 ヒュウ、ヒョウ。声は、はるか頭上から。
 浅間は視線を上げ、そして黒い雲の切れ間から現れた金色の稲光が、恐ろしい速さで落ちてくるのを見た。
「何……?」
 目を射る閃光の後、円陣の中に居たのは、墨よりもまだ黒い影。
 ヒョオウ。四足の獣が鳴いた。雲の切れ間から月が覗き、巨(おお)きい虎の足に白い爪が光った。
 ヒュゥウ。サルのような顔の中に、光る目がある。ゆらりと揺れたその尾は蛇、吐き出した舌が火のように赤い。
「鵺(ぬえ)!?」
 あやかしの正体を見極め、浅間は声を上げた。
 正体の知れぬもの、夜への畏れがそのまま容を得たような獣。鵺の光る目が、座ったまま蛇に睨まれた蛙のように動けないでいる武蔵を見る。
 ヒョォウ、と鳴いたのは雄叫びか。鵺が振り上げた爪の先には、武蔵の顔がある。
「チッ!」
 気合と共に、浅間はくないを投げた。同時に、円陣の中に飛び込んでいる。
「あさまオジ!」
 投擲された刃を深々と受け、血を迸らせる鵺の前肢の下から、浅間は武蔵の小さな体を助け出した。
「あっぶねえな! だからこんな儀式にゃ反対だってんだよ!」
 片腕で武蔵を抱えながら、浅間は続けてくないを投げる。
 その時には鵺も体勢を持ち直しており、二撃目三撃目は傷を負っていない前足と、蛇の尾によって叩き落された。 
「クソ! でかい図体の割に速ぇし!」
 舌打ちし、浅間は更なる追撃を加えようとしたが、叶わない。
「うわ!」
 首筋のあたりに、嫌な風圧。紙一重で避けた雷が、浅間の足元を抉る。
 口惜しげに、猿の顔が黄色い牙を剥いた。儀式で突然召還されたことで、気が立っている。
 父と兄が鵺の相手をしている間に、浅間は武蔵を円陣から離れたところへと運んだ。
「なあ、武蔵」
 腕の中で身を硬くしながら、それでも泣き出しはしない甥に、浅間は語りかける。
「話で聞いてたより、ずーっとずーっと怖いだろ」
「……、う……」
 恐怖で喉が干上がっているのだろう、掠れた声を出して、武蔵はこっくりと頷いた。
「よし、怖いってのがわかったんだから、まあ、収穫だな。今からやっつけてくるから、俺らが戦ってるのをちゃんと見てるんだぞ。そんで、あの怖いのと、この先一生付き合うかどうか、自分で決めろ」
 言い置くと、浅間は武蔵を残して駈けた。
 鵺とこの先一生付き合うかどうか――即ち、契約を結び、忍者として生きるかどうか。三歳児には酷な選択だろうが、今は意味がわからなくとも、いつかわかれば良い。
 懐の奥から新たにくないを一本取り出して、浅間はその刃を眉間に当てた。気を込める時の所作だ。
 ひやりと冷たかった鋼が、念を受けて内側から熱を持ち始める。
「おい、鵺! こっち向きやがれ!」
 挑発に応じ、鵺が浅間を振り向いた。狙うのは、その眉間。
 浅間の手から放たれたくないは、夜気を裂き、あやまたず狙った場所に到達した。
 耳障りな悲鳴を上げ、獣は身悶え、倒れる。
「ま、これくらいじゃ死なねえだろうけどな」
 浅間の呟きが余韻を残して消えると、静寂が戻ってきた。
 

       +++


「世の中、上手くいかないのか、上手くいかないのが、世の中なのか」
 テレビの前、しみじみと呟いた浅間の手元を、うしろからひょいと覗き込む者がある。
「あー、要するにまた全滅ってことか。なーにカッコつけてんだよ」
 ちゃぶ台の上に広げられた競馬新聞の上に真っ赤な×印が乱舞しているのを見て、ケラケラ笑ったのは武蔵だ。
 武蔵が鵺との契約を結んだ、儀式の日から十数年。
 幼かった武蔵は一丁前のことを言う年頃に成長し、東京にやってきて浅間の家に住み着いてしまった。
 元気の良いこの甥に兄は手を焼いているフシがあり、どうも押し付けられてしまったのではないかという気が、浅間にはする。
「じゃ、俺、任務行ってきまーす」
 帷子の上に学ランをひっかけて出てゆく武蔵を、渋い表情で浅間は見送った。
 扉が開いたとき、外からあまり聞き覚えのない小鳥の声がした。
 あれは何の声か――このところそんなことを気にかけることすら忘れている、日々に流されっぱなしの自分に気付き。
 年月の残酷さを感じた気がして、浅間は赤エンピツを放り出し、溜息を吐いた。


                                         END

 
 






<ライターより>
 お世話になっております。担当させていただきました、ライターの階です。期日ギリギリの納品、失礼します。
 鵺は、古い時代の、夜への畏れがそのまま形になったような、得体の知れない、不気味な感じが特徴であり魅力だと思い、力いっぱい書かせていただきました。
 設定から、なんとなく浅間さんと武蔵くんの関係はこんな感じかな……と想像を膨らませてしまいました。 儀式についてなど、イメージにそぐわない部分がありましたら申し訳ありません!
 では、ありがとうございました! 楽しんでいただけましたら幸いです。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
階アトリ クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年10月28日

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