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『抱く痛みと抱かれる温もりと 』
エトワール・雛社5301

 どこの小学校でもきっとそうであるように、終業のチャイムがどこかのんきに響き渡った。
「起立――」
 日直のかけ声で生徒たちが一斉に立ち上がる、その音にも開放感が溢れている。
「礼――、さようなら」
 挨拶が終われば、弾かれたように喧噪が広がる。
「ねえ、今日遊びにこない?」
 女子生徒が友人を誘うのも、どこの小学校でも見られる光景だろう。
「えっと……」
 が、声をかけられた少女、エトワールは、戸惑いがちに友人を振り向いた。
 見事な金髪に、抜けるような白い肌、瞳は透き通るようなマリンブルー。父親の血を濃く受け継いだフランス人形のような容貌と華奢な体つきは、たくさんの子どもたちの中でも一際人目を引く。
「ごめんなさい、今日はダメなの」
 エトワールは軽く首をすくめ、すまなそうに口にした。
「そっか。習い事? 大変だねぇ」
 どこかませたところのある友人は、一人で納得してそう呟くと「また今度」と手を振った。背中のランドセルがかたかたと元気のよい音を鳴らす。
「またね」
 エトワールも手を振ると、家路についた。
 いつもの学校。いつも会う先生。いつもしゃべる友達。
 そう、それはごくごく普通の光景だった。

 エトワールの家は少し大きめの日本母屋だった。表札には「雛杜」の文字が見える。フランス人形のような少女と純和風の建物という取り合わせの妙はあっても、そのつくりが多少の風格を漂わせている以外は、ごく普通の家だ。
「ただいま」
 エトワールはきちんと声をかけて中に入った。
「おかえりなさい、エトワール」
 母が優しく出迎えてくれる。これもまた、ごくごく普通の光景のはずだった。
「……お客様がお見えよ」
 けれど、母のその一言で世界ががらりと色を変えた。
 その言葉が意味するのはただの来客でも、ましてや遊び友達でもない。
 雛杜の家は、代々人に仇なす悪霊や妖怪といった妖(あやかし)を退治する役割を負っている。つまりは、「そちら」の仕事の客だということだ。
 そして、その仕事を受けるのは、まだ11歳のエトワールなのだ。雛杜の家は、遠い昔、祖先が意志を持つ双刀「幻心」と交わした契約により、第一子が刀の使役能力を持って生まれてくる。エトワールの母もそうだったし、その一人娘のエトワールもまた例外ではない。エトワールが雛杜の仕事を継ぐのは生まれながらに定められたことではあった。
 とはいえ、この年で家業を継ぐことまでが定められていたわけではない。数ヶ月前、なぜか母が力を失ってしまい、修行中であったエトワールが急遽後を継ぐことになってしまったのだ。
 長年家に伝わってきた仕事とはいえ、まだ幼いエトワールが刀を操り、命のやり取りをしなければいけないことに、母が心を痛めているのはエトワールも感じていた。
 だから、エトワールは神妙な顔をして、母に頷いてみせる。その戸惑いは胸に秘めたままで。

 客間で待っていたのは、きっちりとした背広に身を包んだ、40代くらいの男だった。眉間に深いしわをよせ、いかめしい顔をした男は、エトワールの姿を見るなり、あからさまに眉を寄せた。いかにも、こんな小娘に、と言わんばかりの顔だ。
 エトワールは、ぎゅ、と唇を噛んだ。心臓が激しく高鳴り、白い頬が一気に紅潮する。
 傍らの母が、今の雛杜の仕事はエトワールが請け負う旨を毅然とした態度で告げた。
 それに気圧されてか、男は値踏みするような目をエトワールに向け、憮然としたままではあったが、文句を口にすることもなく状況を説明し始めた。
 男が経営する建設会社の現場の1つで作業員たちの怪我が相次いでいるのだという。不穏な影を目撃した者もおり、妖の仕業ではないかというのだ。
 男は、苦虫をかみつぶしたような顔で忌々しげにそう語ったが、ふとその瞳に心配の色がかすめたのを、エトワールは見逃さなかった。こんな話し方をしていても、この人は会社の人のことを心配しているのだ。それに気づけば、エトワールの心もだいぶ楽になった。
 そのエトワールの変化に気づいてか、男の顔にやや怪訝な表情が浮かぶ。が、それはもはや怖い印象を与えるものではなかった。

 都会の夜空は濁った闇色に沈む。上弦の月の冷たい光に浮かぶ建設現場は、組まれた鉄骨に、覆い布だけがかけられた殺伐としたものだった。
 現場が、いかにも、といった状況なのはエトワールにとっては却って幸いだったのかもしれない。
 仕事を継いでまだ日が浅いために、学校に通い、友達と遊ぶ、穏やかで明るい日常生活と、人の恨みつらみや悪意を目の当たりにし、そしてかつて人であった妖の命を断たなければならない仕事との落差に混乱しがちなエトワールにも、自然と心構えができていく。
 それでも、戦いへの戸惑いは消えない。
 たとえ今は人に仇なす存在となっていようとも、かつては自分と同じ「人」だったのだ。何かを守るためとはいえ、それを傷つけ、殺すことには、決して慣れることができなかった。ましてや、それを「仕事」とし、「正しい」ことだとすることには。
 エトワールは、硬く唇を噛み締めたままそこに佇んでいた。腕の中には雛杜の力を継いだ証、組刀「幻心」。「鳥」「蝶」と名付けられたそれには、ひとたび目覚めれば間違いなく敵を貫くその秘められた力とは裏腹に、少女心を惹くような美しい装飾が施されている。
 エトワールと付き添ってきた母親を敵と認めたか、闇の中から低い、低い、うなり声が聞こえてきた。剣呑な気配が一気に膨れ上がる。
 そこには、かつて人であった名残は感じられなかった。感じられるのはただ、あたかも手負いの獣が誰彼構わず敵意を向けるように、エトワールたちに向けられた憎しみと怒りだけだった。ここで働く者たちにも、それは同じように振りまかれたのだろう。
 それでも、今から戦って殺さなければならないのかと思うと、エトワールの胸は激しく揺さぶられた。
「エトワール」
 その戸惑いを察してか、母が短く声をかけた。
 つい最近までこの役目を負っていた母は、同じようなことを感じなかったのだろうか。仕事だからと割り切って、あるいは、人に仇なす者は抹殺すべきと考えて、この組刀を駆ったのだろうか。エトワールの胸にふとそんな思いがよぎる。
 それでも、今は戦うしかないことを、エトワールも知っている。戸惑えば、自分ばかりか母親まで危険にさらしてしまうことも。
 エトワールは、きつく唇を噛むと、顔をあげた。腕の中の双刀に、自らの生命力を注ぎ込む。自らの右目が赤く赤く染まっていくのが、見える気がした。
 組刀がゆっくりと宙に浮かび、円を描くようにエトワールの周囲に舞った。この双刀は術者の生命力を分け与えられることで、術者と魂を共有し、自らの意志を持つのだ。
 それとほぼ同時に、闇の中から黒い影が現れ、エトワールへと襲いかかる。幻心「鳥」が主を守るように、その姿を槍へと変えてその影を迎え撃つ。槍の一撃を受けて、影は再び闇へと逃げ込んだ。
 ――あああああ。痛い痛い痛い。憎い苦しい痛い許さない苦しい痛い辛い。
 もはや言葉をなくしたであろう妖の、その悲鳴じみた妄執だけが直接伝わってくる。
 それはエトワールの胸をきりきりと締め付けた。強く、強く、エトワールは小さな拳を握り固める。
(どうして。ここでお仕事する人を守るため。お母さんに怪我をさせないため。でも、どうして、こんな……)
 今までも何度となく頭をよぎった考えが、ぐるぐると勢いよく回り始める。
 再び妖が、獣じみた動きで闇から飛び出してきた。その鋭い爪がエトワールを引き裂こうとする寸前、幅広の剣に形を変えた意志ある刀「蝶」がそれをがっちりと受け止めた。そして槍の形をした「鳥」が、ためらうことなく妖の身を貫く。
 聞くも凄惨な断末の悲鳴が、夜の空気を震わせた。
 エトワールはきつく唇を噛む。胸がずきずきと痛んだ。
 そして妖は、風に吹き散らかされていくちりのように、崩れ去っていく。
 それを遣りきれぬ思いで見守るエトワールのまぶたも急速に重たくなった。組刀「幻心」の使役は術者の消耗も激しいのだ。ぐらり、と上体が揺れるのを感じたころには、潮が引くようにエトワールの意識は遠のいていった。

 身体が、心地よく揺れる。優しいぬくもりがじんわりと伝わってくる。
 しばしの後に目を覚ましたエトワールは、母の背に負われているのに気づいた。
「……お母さん」
 エトワールは、小さく母を呼ぶ。
「なに?」
 柔らかな声音が返ってきた。
 つい数ヶ月前までこの仕事をしてきた母は、こんな戸惑いを感じたりしなかったのだろうか。
 エトワールはその問いを口にしようとして、けれども言葉にすることもできずに、ただ黙っていた。
 心地よく、身体が揺れる。そして、母の背はじんわりと温かい。
 ――そのままで。エトワールはエトワールのままでいいのよ。
 なぜか、そう言ってもらっているような気がした。
 迷いが晴れたわけではない。戸惑いが去ったわけではないけれど。
 心がじんわりと温かくなって、今までより少しだけしっかり自分の足で立てそうな気持ちになれた。
「……あったかい」
 エトワールは小さく呟いて、頬を母の背に寄せた。

<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
沙月亜衣 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年10月26日

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