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『或いは、共に遭った熱砂の災厄を 』
早津田・玄5430)&城ヶ崎・由代(2839)



 早津田の家の書庫は、抱えている蔵書の種類の多さや数の多さも手伝って、本宅とは別に建てられてある。一見すれば倉庫然とした見目ではあるが、蔵書にとり良い環境が整えられているし、手入れ等もきちんとなされている。が、やはりそれでも若干カビ臭さが感じられるのは、仕舞われてある巻物やら蔵書やらの持つ歴史の故でもあるのだろうか。
 その書庫内で、玄は積み上がった回覧の紙の束を前に、どっかりと座っている。
 かたかたと音を立てて回っているのは、少しばかり時代を思わせるような古びた扇風機。扇風機が巻き起こす風は時折紙の束を吹き流していったりもするが、書庫内にこもった夏の空気から身を守るためのただひとつきりの味方でもあるのだ。
 味方が流してくる若干温もった風に不快を見せつつも、玄は手早く回覧に目を通していく。
 玄の父は裏稼業にも従事しており、その関係上こういった回覧は案外高い頻度で回されてきているのだ。
 悪霊とされる存在、俗に鬼と分類されるであろう存在、そういった諸々の怪異。中にはろくでもない雑事な回覧なども含まれていて、それを引く毎に玄の機嫌は不快を増していくばかり。
「……俺の思い違いだったか……」
 呟き、腹の底で毒づく。
 回覧の束はその底を覗かせ始め、反して玄が望む情報は一向に得られそうにもない。
 かたかたと回る扇風機を睨み据えた後、玄は残った回覧の束に視線を向けた。――――そして、彼はようやくそこに求めていた情報を見出したのだ。
『南東の風が東京に上陸した。熱射病で倒れる者が出る前に回収希望』
 記されていた文字は存外にあっさりとしたものだったが、それでも玄の心を充たすには充分足り得るものでもあった。
「南東の風……熱射病……間違いねェ、あの石像だ」
 呟いた言葉に自らうなずくと、玄は片付けもそこそこに書庫を後にした。
 
 回覧に記されていたその一文に、玄は心当たりがあった。玄が通う学校の教師が、旅行土産にと携えてきた小さな石像が、それだ。
 ――あれには得体の知れねぇモンが憑いていやがる。それは間違いねぇんだ
 眉根を寄せながら電話の数時を回す。数回響いた呼び出し音の後に電話を受けた見知らぬ相手は、玄が早津田の名を名乗ると幾分か訝しがりながらもその一文に関する詳細を告げた。
『ペルシア湾岸から吹く風を知っているか』
 電話の向こうの男はそう問いて、玄が「知らねぇ」と返すと、
『ペルシア湾岸から吹く風は熱病を運ぶと口伝されてきた。彼の石像はその暴風の神であり、風と共に疫病をももたらすのだと云われる』
 なるほど。玄はそう返し、
「ようするに、その石像にそのヤベェのが憑いているってわけか」
 そう訊ねると、男は少しばかり間を置いた後に唸るように応と述べた。

 用件ばかりの短い電話を置くと、玄は廊下の窓から見える夜空に向けて視線を遣った。
 既朔が、赤錆色でぬらりと瞬いていた。


 翌日。いつもよりも大分早く登校した玄は、自分の眼に映った光景に驚愕した。
 学校を中心にした辺り一帯が、既に見えない泥の中にあるようだと表現すればしっくりくるのだろうか。霊感といった感の素養がある者ならば、恐らくはまともに立っている事さえもままならないだろう。大袈裟に例えるならば、まるで違う世界にでも放りこまれたかのような、そんな感覚に襲われる。
 そこかしこを浮遊している魔に与する者を横目に、玄は異界然たる学校の中へと踏み入った。
 案の定、この日は不調を訴えて倒れる生徒も続出し、授業としてはまるで形を成す事もなく、一日を終えた。
 件の石像を持っている教師はと云えば――――
 この日はその教師が担当している課目が無かったために、直に対面する機会は得られなかったのだが。だがしかし、玄は購買にパンを買いに行く途中、その教師を遠目にではあるが確かに見かけたのだ。
「……憑かれてやがる」
 呟き、腹の底で毒づいた。
 その教師は、見目こそ人間のものをしていたが、しかし中身は明らかに人間のものとは異なっている。
 禍そのものといった気味の悪い空気が、教師を取り巻いて渦を描いていたのだ。

 放課後を迎え、学校を取り巻く気配はいよいよ異界足り得るものへと変容し始めた。今はまだ不可視の存在である魔共も、明日には恐らく形を伴って万人の目に映ることだろう。その前に、この現況を打破しなくてはならない。
 教師を探し、人気の失せた学校の中を巡り歩く。
 魔はそこかしこに蔓延り、薄暗い廊下は、歩く度毎にその存在を知らしめる。耳を澄ませば聞こえる笑い声等は、しかし玄にはただの不快な音にしか過ぎないのだけれど。
 広がっている魔の気配を辿り、その空気が一層淀んでいる場所を目指す。そうして辿り着いたのは、校舎の一番上階部分にある図書館だった。

 図書館は余所の学校のそれに比べれば、規模も大きく、場所も広めに作られている。無論抱える蔵書も非常に充実したものとなっている。
 が、実際のところ、玄にはあまり縁のない場所でもある。
 あまり滅多に開けた事のないドアに手を掛ける。静かに、極力音を鳴らさぬようにと配慮して、ゆっくりと足を進める。
 夕暮れとは思えないような漆黒が図書館の中に広がっていた。否、それは無論、錯覚だ。図書館は西日で赤く染まり、並ぶ書架の影が細長いものとなって床に伸びている。  
 空気の悪さに辟易しながらも足を進める。ゆったりと広くとられた書架の間を確かめながら、やがて玄はふと足を止めて書架の影に身を潜ませた。
 図書館の一番奥――図書の貸し出しなどをするための机だろうか。その机を前に、ふたつの影が揺れている。その影の主を確かめて、玄はしばし目を見張った。
「城ヶ崎――――」
 呟き、わずかに体を動かした。その時、ふたつの影が同時に玄の方に顔を向けた。
「早津田くん?」
 玄の存在に気がついた由代は、束の間険しい表情を浮かべたが、しかし次の時にはもうそれは穏やかな笑みへと変容していったのだ。
「どうしたの、早津田くん。キミが図書館へ来るなんて、珍しい事もあるものだね」
 穏やかで人懐こい笑みを浮かべる由代を、玄は書架の影から歩み出て真っ直ぐに睨み遣った。
「城ヶ崎、てめえ、そいつとグルだったのか」
 唸るようにそう吐き捨てて、由代を睨みつけていた眼差しをそのまま持ち上げ、その奥にいる教師へと投げ遣る。教師はどこか艶然とした笑みを浮かべ、その両手で件の石像を抱え持っていた。
 教師は玄の視線に対し、笑みを滲ませながら首を捻ったりしている。教師の所作を確かめながら、由代がひどく穏やかに笑った。
「グル? ……キミが何を誤解しているのか、それは検討がつくけれど、残念ながらそれは大きく的を外しているよ、早津田くん」
「うるせえ! そいつが持ってるその像が、この辺を胡散臭ェ場所に変えちまったんだろうが。てめえはそうやって涼しげなツラしてやがるが、疫病だかなんだか分からねェヤロウの仲間なんだろうが!」
 怒鳴りつけ、由代の襟首に挑みかかる。が、由代は穏やかな笑みはそのままに、やんわりと首を振って口を開けた。
「残念だけど、キミの想像には否と返すしかないな」
「――――アァ?」
 襟首を掴みながら睨みつける。
「ほら、見たまえよ、早津田くん」
 古武道を体得している玄の力は相当なものであるはずなのだが。由代は少しも堪えた様相を見せず、アゴで教師を示してみせた。
「……アァ――――?」
 由代のその余裕めいた態度にも気分を害しながらも、玄はちらと教師を見た。
 
 教師は、体こそ人間の容を成しているものの、その顔つきは既に人間を逸したものとなっていた。
 垂れ流されている涎は泡を形作り、それは床に滴り落ちては硫酸のようにシュウシュウと熱気を漂わせる。見開かれた眼は白くひん剥かれて落ち窪んでいる。顔の色はどす黒く、吐き出す息は触れれば焼けそうな程に熱い。

 玄は由代の襟首から手を離し、忌々しげに舌打ちをひとつ吐いて教師を――否、教師の姿をしているものを睨み据えて口をつぐんだ。
「……てめえ、誰だ?」
 睨み据えながら訊ねるが、当然のごとく返事はない。
 目の前のそれはもはや人間とも思えない形相で玄と由代を見遣り、熱風を吐き、唸り声のように何事かを呟いている。
「なに言ってんのか分かんねえよ」
 怯む事なくそう述べて、玄は今度は教師の襟首に手をかける。が、噴きかけられた熱風に、思わずその手を離して眉根を寄せた。
「……なるほど、やはりそうか」
 玄のその反応を確かめて、由代が静かにうなずいた。
「さすがに場所が遠いから、まさかとは思っていたけれど」    
 告げながら、自分の言葉に納得すると、由代はすと足を踏み出して恭しい所作で腰を折り曲げた。
「お会い出来て光栄です。砂漠を渡る風、熱砂の王よ」
 恭しく頭をさげながらも、その表情はどこか悪戯めいた笑みを浮かべている。
「城ヶ崎、てめっ、」
 玄が口を開きかけると、由代はそれをゆったりとした動作で止め、目を一度しばたいた。
「東方に入られたのは、ひとえに偶然のなせるわざであったのでしょうが、さて、御身の坐す国とはまた異なる場所なれば、その御心を僅かにでも充たすようなものはありましたでしょうか」
 高校生にしては低音の部類に数えられるだろうか。由代はゆったりと落ちついた声音でそう声をかけ、一歩、一歩と教師の傍に歩み寄る。
「さて……ごゆるりと東方見物を御堪能くださいと云いたい処ではあるのですが――――」
 教師の傍らで自分を睨みつけている玄の隣で足を止め、由代はそこでちらりと首を傾げた。
「城ヶ崎、てめえ、こいつの」
 発せられた言葉の続きを解したのか。由代は玄の顔をちらりと一瞥すると、にこりと笑んでかぶりを振った。
「残念ながら、あなたはその身体に寄生される際、その宿主の許可を得られていない」
「――――!」
 由代の言葉に、玄は咄嗟に教師を見遣った。
 教師の中に収まっているであろうものは、由代の言葉に息を荒げて身を震わせている。
「城ヶ崎、てめえ、知っていたのか、」
 知っていたのか、やっぱり。そう続けようとした玄の言葉を、由代は小さく微笑む事で肯定してみせた。
 その微笑みに腹立たしさを覚えた玄は、大袈裟な舌打ちをひとつ吐き、そうして再び教師を睨み遣った。
「てめえ、そいつの生気を喰ったな」
 吐き出すようにそう告げると、教師の身体を乗っ取ったそれは口を大きく開き、恐らくは笑い声なのだろうと思われる音をげたげたと鳴らした。
 噴き出される息は疫病と熱病をもたらすもの。異様な熱さが充ちていく図書館の中、玄はゆっくりと息を整え、古武術の構えをとった。
 由代は玄の動きを横目にとらえ、ゆったりと微笑みながら肩を竦める。
「契約を行わない状態で、あなた程の存在が世界に居続けるのは難しい。新たな身体を……波長の合う者を探していたのでは?」
 地鳴りに似た笑い声が窓を揺らす。ガラスはびりびりと小刻みに震え、所々に小さなヒビが走る。
 ――――と。その時、教師の中のそれは、そのあぎとを大きく開き、解せない言葉で何事かを発した。
 図書館の全ての窓ガラスが割れ、砕ける。雪のごとくに降るその破片が西日を浴びて禍の光を映した。
 図書館が――否、校舎の全てが大きく揺らいでいるのだろうか。書架の幾つかが一斉に倒れ、その中に整然と並べられていた書物が床に撒き散らされる。
 玄は教師を真っ直ぐに見遣り、口の端を堅く結ぶ。
 由代はその腕をゆっくりと持ち上げて、玄の方を見る事もなく告げた。
「早津田くん、先生の身体から彼を追い出せるかい」
 落ち着いた、いつも通りの声だった。
 玄は小さな舌打ちをひとつ吐き、それから鼻を鳴らして口を開ける。
「城ヶ崎、てめえはあれをどうにか出来るのか」
 問うと、間を挟まずに返事が返された。
「キミが出来るというならね」
「――――ッハ」
 横目に由代を確かめる。由代もまた玄を確かめていた。
「ともかく、やってやるさ」
 返し、踏みこむ。

 魔を打ち払うには――――確か、そう。この前買ったあの本に載っていたはずだ。

 腹の底で呟くと、玄は振り上げられた教師の腕の下をくぐり、鳩尾を一撃突いた。同時に施したのは、最近足を運ぶようになった胡散臭い古書店で買った西洋魔術に記されてあった術式だ。
 玄の一撃の次の瞬間、図書館の壁に何かが激突した。それは目には映らない、禍の塊である魔たる存在。
 魔が張り上げた怒号で、空気が大きく歪む。
 辺り一帯に集っていた魔たるもの達がその怒号に呼応して声を張り上げた。校舎は、既に魔たるもの達の巣窟だった。その中央を担う、今、この場所は、まさに魔たる連中の胃の腑の中であるのだ。
 
 しかし。
 由代は少しも慄かず、振り上げたその腕をゆったりと揮った。
 指揮者が指揮棒を揮うがごとく、悠然とした品のある挙動。その手は宙に青白く輝く線を描き、やがて大きな円陣――シジルと呼ばれるものを描き出した。
 空気が大きく揺らぎ、空間が歪む。魔たるもの達は怒号を張り上げ、口々に呪いの言葉を吐いている。
「残念ですよ。――――今度はきちんとした段階を踏んで、あなたと対面したいものです」
 由代の口元が薄い笑みを宿す。その刹那、それまで空気を震わせ、空間を歪める程にまで広がっていた魔の気配が、一斉に凪いだ。代わりに広がったのは、嘘のような静寂だったのだ。


 割れた窓から涼やかな風が吹き込んだ。西日はひどくのどかに校舎を染め上げ、遠くからは豆腐屋が鳴らすラッパの音が鳴り響いてくる。
 しばしの沈黙の後、由代が小さな笑みをこぼした。
「この散らかり具合。……僕らのせいにされたら、コトだね」
 喉を鳴らすような笑い声。
「――――知るか。俺は片付けなんざごめんだ。てめえが一人でやれ。じゃあな」
 由代の笑い声に顔をしかめつつ、玄は気を失っている教師を抱えて歩き出した。
「ああ、僕も手伝うよ、早津田くん」
 由代の手が伸ばされ、教師の片腕を掴む。
 玄は大きな舌打ちをして、由代の顔に一瞥した。
「てめえは胡散臭ぇんだ。これが済んだら二度と俺に寄るんじゃねえ」
 そう毒づき、歩く。
 由代が喉を鳴らして低く笑っている。
 舌打ちを返す玄の頬もまた、かすかに緩んでいた。



―― 了 ――
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年10月25日

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