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『その身に刻まれたものは 』
オーマ・シュヴァルツ1953

「……ふぅい」
 うるうると目を潤ませながら、何度目を拭ってもじわりと溶ける天井を眺め続ける。普段は全身伸ばすと足がはみ出るベッドは、特別にと悠々足が伸ばせるよう、唯一キングサイズのベッドを持っている家人のものを使わせてもらっていた。
 ……周辺に散らばるいかにも女の部屋と言う雰囲気を見せる品々にはあまり目を向けないようにして、熱い息を吐くのはオーマ・シュヴァルツ――この病院の主。
 先日どうしたわけか、夜中にふらっと外に出て行ったオーマは、朝まで戻ってくる事はなく、そして戻って来た時には熱で全身が火のように熱くなっていた。
 ぐしゃぐしゃに濡れていた靴や靴下を見て、水の中に浸かっていたのかと人々を呆れさせながら、一家の主は有無を言わさずベッドの中に押し込まれ、自らが処方して保管していた薬を無理やり飲まされ。
 今も、ふつふつと玉の汗が沸いている。
 脱水にならないようにと傍に置かれている漏斗と水差しが何を意味するのか分かっていても突っ込む気力すらない身体をベッドに深々と沈めながら、オーマはこれで何度目になるかの浅い眠りに落ちていた。

*****

 ――素質を持っていた異端たちが、ヴァンサーとして正式に認められるためには、ある儀式を行わなければならなかった。
 それは、極僅かの例外を除き、ほとんどの者が受けていた。
 ひとつ目は、ヴァンサーとして活動するために必要な、ヴァレルの支給。最もこれは、具現を操る上で力の暴走を避けるために、ヴァンサーでなくとも異端ならばほぼ皆持っていたのだから、特別な区別のしるしにはならなかった。それよりも重要なのは次。
 オーマたちの身体に刻まれた刻印――タトゥの存在である。
 それは、正式には『ヴァレス』と言った。見た目が刺青のためにほとんどの者がタトゥと呼び習わし、正式名称を覚えていない者も少なくなかったのだが。
 その、ヴァンサーソサエティの門をオーマがくぐったのは、殲滅戦争が終わって少し経った頃の事。
 人と異端が表向きは戦争を終結させ、友好の証として、また異端がほとんど唯一優遇される職場として、ソサエティが正式に国の許しを得て開設されて間もなくの事だった。
 タトゥ…『ヴァレル』を彫る位置は人それぞれ違う。それは、人間側からしてみれば個人の好みで選んでいるように見え、ヴァンサーとしての証とは言ってもファッションのようなものではないのか、という批判は今も数多く挙げられている。
 だが、それは大きな勘違いである事を、上層部だけは知っていた。これが部外秘となったのは、タトゥの重要性が見た目の問題だけではなく、特にオーマのようにほぼ自在に具現を操れる者とは違い、素質はあるが実力はさほどではない異端たちの、具現波動を使いこなすための『道』を通じさせるのにも効果的だったからだ。
 そして、その『道』に一番近い個所は人それぞれ違う事も一部の者には知らされている。逆を言えば、その個所こそが異端たちの内部へ力を送り込むのが容易であるため、秘されているようなものだった。
 人間がその事実を知ってしまえば、悪用する事も容易いだろうという配慮からである。
 ところが、オーマが飛び込んだ当時はソサエティが門を開いてまだ僅かな時間しか経っておらず、一部を除いてはほとんどの設備や規則がきちんとした形で確立していなかったため、その当時の者に限って言えば、タトゥにしろヴァレルのデザインにしろ、かなり自由に決める事が出来たらしい。
 もちろん、ヴァレスの意味や効果をヴァンサー候補の者に伝え、そのためにほとんどの者が一番力の道が通じている個所に望んだのだったが。
 そして、オーマは、と言うと。

 ――心臓に一番近い個所を。

 聞かれて答えたのは、ソサエティの者もヴァンサーとなる者もあえて言わずにいた個所だった。
 心臓部にタトゥを彫る事は可能だが、そこから多く力を出し入れするとなれば、当然その真下にある心臓に負担がかかる。まして、封印する度に代償を負わねばならないヴァンサーには一番勧められない場所とされていたからだ。
 それでもあえてオーマがその場所をと願ったのは、オーマによって生きる道を変更せざるを得なくなったかの人に感化されたからであり、おぼろげながら自分の進むべき道を見据えるようになっていたからなのだろう。
 その思いが強固になるにも、そして本当の意味で守るべき者と出会うにも、まだ気の遠くなるような年月が必要ではあったが、オーマが不殺主義を漠然とだが考えるようになった始めがこの当時だった事は間違いが無い。
 その後、ソサエティが足場を強固なものにした頃には、タトゥはとある異界へのパスポートと言う形にもなり、確実に無ければならないものと決められるようになったのだった。

*****

「……夢か」
 延々心臓の上にタトゥを彫り続ける夢を見ていたオーマが、じわりと視界の中に戻って来た天井を見てぽつりと呟く。
 彫った理由はありゃ感傷だったよなぁ……と感慨深げに漏らすと汗でじっとりと濡れているパジャマを着替えようとゆっくり起き上がった。
 あれから、正直に言ってしまえば、オーマは散々後悔した。心臓の上に彫らせた事を軽率だと自らを詰った数は数え切れない。
 自在に操っていた自分の力にかなりの制限がかかったのだから、そう言いたくなるのも無理はなかっただろう。一度など、心臓にかなりの衝撃を受けてそのまま昇天するかと思った程だ。
 最も、そのお陰で異様に細かい力の使い方も可能になったのだから、人間成せばなるといういい見本かもしれない。
 今は当時のように意識する事はほとんどない。意識しなくても能力を行使出来るだけの技は身に付けられるようになったからだ。
 サイドテーブルに置かれた水差しから直接口を付け、喉を鳴らして喉を潤すと、ふうと息を吐いて再びもそもそとベッドに戻っていく。
「しまった。シーツも変えた方が良かったか」
 パジャマは良いとしても、汗を吸ったシーツはしっとりと湿っていてとても気持ち悪い。が、首だけ起こして見てもシーツが出されている様子は無く、ぽふ、と枕に顔を埋めて、シーツを変える事は諦めた。
 ――朝からずっと眠りつづけていたせいか、それとも寝具の湿り気が気になるのか、眠気は一向に来ない。
 そうしているうちに、天井を眺めながら、
「そういや最近昔を思い出す事が多くなって来たな…」
 ぽつりと、そんな事を呟いた。
 そう言えば、このタトゥを巡る不審な噂を聞いた事もある。
 あれはヴァンサー仲間の間でも特にソサエティに批判的な若者だった。当時、とっくの昔に古株になっていたオーマにしてみれば、理論先行型のあたまでっかちな子どもに見えたのだが、その若者の姿がある日突然消えた事があった。
 事故に遭ったともウォズに敗れたとも、まして引退したとも聞かなかったのだが、ある日、ソサエティから情報が流れてこなかった理由が判明した。
 ――その若者は、封印時の失敗が元でウォズ化してしまったのだと言う。そして、具現暴走を起こし、当時もその姿を見る者がほとんどいなかったという噂の部隊、ヴァレキュライズに『絶対法律』を施されたと、裏の情報から聞いたのだった。
 確かにヴァンサーにとって不祥事であり、異端を嫌う人間たちには聞かせてはならない情報ではあったのだが……その時はそれだけで一応納得したオーマだったが、こうして滅多に無い風邪を引いた状態の頭で考えると、何故当時それだけで納得したのか疑問に思う。
 あの若者は実戦経験をほとんど積んでいなかった。そんな彼が単独でウォズ退治に出る事がまずおかしい。――と言うのも、新人ヴァンサーは中堅どころと常に組まされ、あるいはもう一人新人を入れた3人という単位で移動する手はずになっていたからだ。
 第一に、そんな状況で新人ヴァンサーが封印を施す事は稀だとオーマは知っている。それが不審の一。次に、そう言う状況に陥り、やむなく新人が封印を施し結果的に失敗したとしても、少なくとも組んだ中堅ヴァンサーがその情報を知っていなくてはおかしい。それが不審の二。
 そして最後に、中堅ヴァンサーが口止めされ、情報統制が敷かれていたとしても……ソサエティで古株になっていたオーマの耳に、例え欠片でも情報が届いていなかった、それが最大の不審だった。
 あの時は滅多に無いヴァレキュライズの出番と言う話題があったために、オーマも気付かずにいたが、天井を眺めるしかする事が無いと暇で余計な事まで考えてしまう。
 オーマの不審に一番すっきりするのは、彼が無断及び単独で出立し、出先で一人失敗してたまたま通りがかったヴァレキュライズに場ごと封印されたと言う、一番あり得ない回答しかない。
 ――でなければ、若者が単独でウォズ化し、それをヴァレキュライズが知っている――あるいは、ヴァレキュライズに命令出来る者が知っていると言う、考えたくない答えを導き出してしまうからだ。
「……」
 しかし――。
 オーマはそこで、天井を睨み付けた。
 ソサエティにこの身を捧げるために飛び込んで来て、長い長い月日を過ごしていたオーマだったが、この世界に来て、実質的にソサエティの枷から外された位置から眺め、決してそこは清い世界でなかった事に気付いている。
 ――タトゥを彫らせる事を提言したのは誰だった?
 ヴァンサーと只の異端との区別を付ける為、そしてその能力を行使しやすくする為、そう言って全てのヴァンサーにタトゥを強制付けたのは――誰だった?

 もし、そこに『上』の、何らかの意図が含まれていたのなら。

「……そん時は……どうしてやろうか」
 タトゥは自分だけが彫られているのではない。大切な家族にもそれはある。
 もし――は、考えたくなかったが、今のオーマは自由な分、全てのものへの目配りが必須となっていたため、考えたくないからという理由だけで可能性のある道を消す事は事実上不可能になってしまっていた。
 こんな時、僅かにだが、オーマの目や気配は過去の彼の姿と重なっていく。最も、それは家族や身内には決して見せない姿ではあったけれど。
 ようやく、また眠気がやって来たオーマがゆっくりと目を閉じる。
 今はまず体力を取り戻す事だと思い。

 それからいくらでもこの先の事を考えてやろうと決めて。


-END-
PCシチュエーションノベル(シングル) -
間垣久実 クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年10月24日

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