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『『彼岸花の恋』 』
藍原・和馬1533


 昨夜の雨が、舗装されていない道をぬかるませていた。黒スーツに合わせた黒い皮靴には、容赦無く泥がまとわりつく。畦道を一歩行く度に靴底の型押し模様が残り、ズボンの裾には細かい飛沫が汚れを作った。
 藍原・和馬(あいはら・かずま)は仕事を終え、東京へと戻ろうとしていた。村長に教えられたバス停までは徒歩20分と言う。バス道路が古道と平行して存在するが、気持ちの陰鬱さが裏道を選ばせた。
 和馬の仕事には二種類ある。外見年齢30歳の青年として、コンビニ店員やティッシュ配りなどのアルバイト。そしてもう一つは、ワーウルフとして、警察が関与しないような命のやり取りを請け負うこと。今回は後者の仕事だった。
 依頼は無事にこなした(つまり、トラブルの元はめでたく死亡した)。澄んだ空が秋の始まりを感じさせた。既に裾野は茜に染まりつつあり、腹が立つほど綺麗だ。和馬は無造作にズボンのポケットに手を突っ込み、泥道を征服する勢いでずんずんと進んだ。撥ねも臆せず歩を進める。道の四方には田しか無く、風が吹くと一斉に稲穂が揺れた。
 一箇所鬼火のように炎の赤が揺れた。畦道の片隅に、彼岸花が群れて咲いていた。花びらも細長く鋭利な刃物のようだが、雌蘂雄蘂はそれよりも長い。血が滴り落ちるようにさえ見える。きりりと茎が伸びた先に毒々しいまでの赤い色の花が、破裂した傷口のようにぱっくりと開花していた。
 この花に葉は無い。花が落ちてから葉が出てくるのだ。曼珠沙華という名は有名だが、『ハミズハナミズ(葉見ず花見ず)』という別名もある。韓国では『相思華』という美しい名で呼ばれる。「花は葉を想い、葉は花を想う」ということか。
 花は決して葉に会う事はないし、葉も花を抱くことはできない。



 事件の主は、今までは村で平穏に暮らしていた。村長の話では、3年ほど前に東京から流れて来た青年だと言う。
 和馬を依頼したのはこの村長だ。青年は人質を取って立て籠もっているが、警察を呼んでも信じて貰えそうにない事件だと言う。彼は、既に一人に重傷を負わせていた。バス停に和馬を迎えに出た村長は、現場に案内しながら話を始めた。のどかな田園に不似合いのアスファルト道路が、埃だけを舞い上がらせていた。
「この村は老人ばかりだ。農業を手伝う青年が来てくれて、ありがたいと思った」
 青年は『東京から逃げて来ました』と率直な瞳で語ったと言う。無口だが真面目に働く男で、老人達も彼の過去を詮索しなかった。
「仕事が終わると、家に籠もったきりだった。村には遊ぶ場所も無い。バスで小一時間の駅の周辺とて、繁華街とは呼べぬ代物だ。若い人には面白くもないだろうし、村の者が酒に誘っても来ないのは老人達と話してもつまらないからだろう、それぐらいに思っていた。山の中だが、テレビもあればインターネットとやらもある」
「でも、籠もっていたのには、理由があったのですね?」
 和馬は先を促す。
「一年も過ぎた頃、隣家の者が、翌朝の寄り合いの場所が変更になったのを告げに行った。在宅のはずが、呼んでも返事せん。田舎の年寄りなのでな、居留守などとは考えん。具合が悪くて倒れているんじゃないかと思ったそうだ。裏庭に回って勝手に縁側から家に上がった。
 部屋で娘が一人でテレビを見ていた。恋人でも訪れたかと驚いたそうだが・・・娘は目を見開いて、訪問者の名を呼んだ」
「夜になると性別が反転する?」
 和馬の問いに、村長は頷かず眉を寄せて複雑な表情を見せた。
「青年、いや話をしてくれたのは娘だったが、『魔に魂を売った』と言ったよ。病気で死を待つ女を生かす為に、自分の夜と引き替えたのだそうだ」
「・・・つまり、夜の間は、体がその恋人のものに変わるのですか?」
 村長はやっと頷いた。
「見ていたテレビでは、昼の青年がカメラに向かって喋っていたそうだ。二人は・・・いや、二人と言っていいのかわからんが、ともかく彼らはビデオレターと交換日記でやり取りしていると言った。記憶は共有しとるそうで、村の皆のことも知っておった」
 まるで遠距離恋愛のカップルだ。ただし、この二人は永遠に会うことはできない。二度と唇を重ねる事も、髪に触れることさえできないのだ。
 和馬の同情が顔に現れたのだろう。村長は柔らかく微笑む。
「私らも、気の毒に思う気持ちが強かった。普通に私らはそのことを受け入れたよ」
 以来、日が落ちた後にも娘は時々老人達と夕餉を楽しむようになったと言う。田の仕事をしながら青年も『つらくないことは無いが、一緒に暮らしているという充実感もありますから』と静かに語っていたそうだ。
 だが、少しずつ、青年の心は追い詰められていったのだろう。村長は、ハンマーのようなもので叩き割られたビデオカメラが庭に捨てられていたのを見たと言う。
 目覚めたシーツの中に、愛する女の残り香だけがある。鏡の前に、ゆうべ女が使った紅が転がる。テーブルに置かれたままのコーヒーカップ。・・・その痛さは和馬にも想像はついた。

 垣根辺りに老人達が取り囲むので、それが問題の家とすぐわかった。和馬は老人達の頭の上から容易に中を覗くことができた。部屋に籠城するので無く、青年は庭に居た。後ろ手に縛った老人を抱え、首にナイフを突きつける。白いシャツが返り血で汚れているのは既に一人斬ったからだ。

 数日前に、村の老人の元に、二人の孫がやってきた。30歳を少し越えた位の兄弟で、東京で何かトラブルに巻き込まれたようだった。
「見るからに堅気じゃなかった。老人の世話になりながら、働くでもなく、退屈そうにブラブラしておったが・・・。若い娘が一人で暮らしているのに気付き・・・二人がかりで乱暴した」
 和馬は目を見開き、村長を振り返った。村長は堅い表情で続けた。
「夜が明けて自分に戻った青年は、そいつらの祖父の家へナイフを握って飛んで行った。一人を斬ったが兄の方は逃げた。祖父を捉えて『もう一人を差し出せ』と条件を出したと言うわけだ」
 兄は既にこの村から逃亡した。差し出したくてももう居ない。そう言っても彼は信じなかった。
「人質だけ無事に保護してくだされ。奴が、もう一人を追って村を出ても、それはそれで」

 和馬は平屋の建物の屋根に昇り、庭の様子を伺った。遠く山裾が夕焼けに染まり始めていた。女と対峙すると冷徹になり切る自信が無い。野郎を殴る方がマシだ。
 青年は背中への注意はがら空きだった。喧嘩さえしたことがない男だろう。和馬が人間のままで闘ってもナイフをねじ伏せるのは簡単そうだ。
 掌に納まる程度の石を和馬は背広のポケットから取り出し、握り直す。老人の顔近くでナイフが陽に反射する。青年の背の影から、柄を握った指が見えた。
『今だ』
 素早い動きで和馬は石を手の甲に投げつけた。
「!!」
 青年が痛みで屈み込んだ。ナイフは離さなかったが、老人と切っ先に距離が出来た。和馬は屋根から飛び降りると、さらに青年の手を蹴り上げた。ナイフが地を踊り、敷石の上でカツンと鳴って止まる。
 まずは人質の安全だ。ナイフを追う青年より、和馬は老人の前に立って壁となった。彼がナイフを再度握っても恐くはない。斬りつけて来ても、腕を取ってナイフを奪う自信があった。
 青年は土まみれの柄を拾いあげた。が。刃は和馬には向けられなかった。
「しまった!待て!」
 和馬が叫ぶより早く、青年は自分の喉を掻き切った。

 隣の町から20分かけて救急車が到着する頃には、雨がぽつりぽつりと降り出していた。土に出来た血だまりに雨が撥ねた。雨雲と日暮れで辺りは急に暗転となった。命の絶えた青年は、日が落ちてももう女の姿に変わる事は無かった。

 

 風に彼岸花の花びらが翻り、和馬は顔を上げて昨日の出来事から現実へと戻った。古道が激しい赤に染まっている。空が澄んでいる分、夕陽の鮮度もきつい。
 最終バスの時刻はもうすぐだ。葉が無くても悲しむ風も無い血の花に苦笑し、和馬は歩みを早めるのだった。


< END >
PCシチュエーションノベル(シングル) -
福娘紅子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年10月20日

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