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『『an ill―omened day』 』
シン・ユーン2829)&セイ・フェンド(3608)


 空の下に広がるのはきっと世界の涙を受け止める受け皿だ。
 それが耐えられなくなった時に世界に雨が降る。受け皿から涙が零れ出るのだ。
 俺があいつの涙を受け止めたいと想うのは、それは俺があいつと同じ想いを共有しているからで。
 だからいつかは俺もこんな日が来るような予感、覚悟はあった。
 もしもあいつが独りで居たのなら、今もまだあの子を失った苦しみに呑まれているのなら、ただ死ぬのを待っているのなら、それなら俺は別にあいつを止めはしなかっただろう。
 別に良いさ。死に場所ぐらいは自分で決めればいい。
 死期の近い猫は旅に出る。
 旅の先で見つけるのは安寧の死に場所か、それとも死ぬには最悪の場所なのか、それは運次第。
 もしくはやってきた事柄次第、っていう事か。
 この世は因果応報だからな。
 それでもあいつが、ユーンが行く場所は死んだと想っていたあの子の場所なのだから、あの子が居るその近くで、あの子の腕の中で死ねるのならそれでいいと想う。それがあいつの幸せなのだから。
 俺にそれを止める権利はねー。嫉妬をしててもな。
 だけど今は違う。
 今はあいつにも居場所があって、家族が居る。
 あいつが居るのは日溜りだ。
 温けー場所。あの子を失って、そしてその果てに得た場所。
 なあ、ユーンよ。おまえはそこを終着駅に選べねーのかよ?
 そこを終着駅にしちまえばいいじゃねーか。
 それは悪い事じゃない。
 この世には永遠、不変、だなんて物はねーんだからよ。
 あるのは限りなく続く今だ。
 未来を夢見ようが、結局は今日の明日でしかなく、明日は今日でしかない。過去には意味はねー。
 そうだ。過去には意味はねー。
 今日は明日を変えられる。
 だが過去は心を縛るだけだ。邪魔なだけだ。重荷になるだけだ。いらねーだろうがよ、過去なんざ。
 おまえには笑えている今があるんだからな、ユーン。
 ああ、そうさ。過去に囚われて今日を生きられない、明日を夢見れない俺とは、おまえは違う。



 +++


 呼び出したのはユーンの時計屋『羈絏堂』の近くにある造りかけのまま放置された立体駐車場。バブルの負の遺産だ。
 その最上階、ただ四方に墓標のように鉄筋の支柱が立つそこで、俺はユーンを待つ。
 懐にはくしゃくしゃに丸めたあいつからの文がある。
 普段なら男からの文なんざ読まない。
 その相手がユーンだというのならなお更だ。『羈絏堂』に押しかけてあいつのクソ不味い飯を食いながら直にあいつの口からそれを言わせる。
 だがこの手紙、『羈絏堂』に来い、そう書かれたユーンの愛想の無いつまらない手紙を読めば、そんな気は失せた。
 普段なら読まないはずのユーンの手紙に目を通したのは、前に珍しくあいつがクソ不味い飯と茶を持って『琳琅亭』にやって来た事があったから。
 苛められた幼い子、まんまそのままの今にも泣きそうな面であいつが語った、その出来事に、言われた言葉に、俺は不快感や怒りよりも恐怖と心配が先に立ったから。
 俺は覚悟は出来ている。
 こいつが死んだらその欠片を拾ってやる。
 涙は見せない。そんな儚い関係じゃない、こいつとは。もっと奥深くで、人によってはそれは眉根を寄せるようなそんな感情を俺はこいつに抱いている。
 ―――何度かこいつを殺してやろうと想ったことがあった。その方がこいつのため。こいつもそれを望んでいる、と。
 それは根っこでは変わってはいない。
 俺も過去に囚われて、今日を生きられず、明日を夢見れないから、過去に囚われ続けるその痛みは知っているから、死ぬ事であの子の傍にユーンを行かせてやれるのなら、それがユーンのためにも想えるから。
 だが俺は知っちまった。
 ユーンを想う二つの魂を。
 多くの魂を。
 人とは望まれた時にその存在の本当の意味を持つのだ。
 ユーンはそれを手に入れた。
 この世に不変は、無い。
 今は、今日は、変わり続けるのだ。
 ならユーンの今日が、明日があの子のためになくともいいのじゃないだろうか?
 俺はそう想う。
 運命の相手、仮にそうだとしても、今世でそれに出逢えずに死んでいった魂を俺は多く知っている。
 それでもその魂が不幸せで、愛に満たされなかったかといえば、それは違う。出逢った魂に愛され、愛に満ちた人生を送れた。
 ―――俺はそれでいいと想う。
 そこにある幸せ。
 運命で縛られた幸せに妄執して、それを壊せば、そいつはただの馬鹿だ。
 大馬鹿だ。
 本当に大切なモノが何一つわかってはいない。
 だから俺は逆にユーンをここに呼び出した。
 あいつをぶっとばすために。
 あいつの今を壊さないように。
 今を捨てて、再び過去に囚われようとしているあの盲目を止めるために。


 そう、今は壊れてしまう。
 大切な物は容易に、想像してないぐらいに簡単に壊れてしまうのだ。
 ユーンの馬鹿はそれを何もわかってはいない。


 俺は二度大切な物を失った。
 あの子と、
 妻。


 三度目は考えたくない。


 三度目はユーンが居る今。
 あいつの居る日溜りは俺をも優しく包み込む。
 包み込んでくれるその温もりを俺は守りたい。
 その大切さはきっと当の本人のあいつよりも、いや、当の本人で無いからこそわかっている。
 だから俺はあいつをここに呼び寄せた。
 あいつの今を壊さないように。



 +++


 ほんの数時間前には立体駐車場があった。
 しかし今はその残骸があるだけ。
 その瓦礫の山の頂上で俺はしとしとと降る雨に打たれて、寝そべっている。
 身体はダメージが大きすぎた。
 死ぬまでには至らないが、あの大馬鹿を止めるだけの力は残ってはいない。
「やれやれ。動けるようになるまでにはもう少し時間が必要か」
 その時間がどれほどのモノであろうか?
 それはわからない。
 それは今すぐに可能なのかもしれないし、
 ひょっとしたら数百年、数千年を要するかもしれない。
 だがどれほどの時間を費やしたとしても俺があいつが居なくなってしまった事を上手く説明する文句は、宥めるやさしい言葉は紡げそうも無い。
「ユーンのクソ馬鹿野郎がッ」
 悪態なら、どれだけだって吐き捨てられるのにな、そう想えたら笑えて、実際に笑ったら、それは身体に堪えた。
 だが俺はこれも知っている。
 ユーンは大馬鹿でクソ野郎だが、ちゃんとモノを見ていたということも。
 見ていたからあいつは俺にすべてを押し付けて(託して)いきやがったのだ。
 そう、あいつも、痛がっている………。
 痛がりながら、あいつは、俺に全てを押し付けて、行っちまったんだ。



 ―――――――――――――――――――――――そう、あいつは行っちまったんだ。死に場所に。
 あいつが以外は誰も望まない、あいつだけが望む場所に。





 ―――数時間前。

 雨が直に降り出す。
 世界の涙を受け皿が受け止めきれずに。
「フェン」
 あいつは俺をフェンと呼ぶ。
「ユーン」
 俺はあいつをユーンと呼ぶ。
「こんな所に呼び出して何の用だ? 俺はおまえに『羈絏堂』に来いと伝えたのだがな」
「そうだな。伝えられたよ。なあ、ところで、『羈絏堂』っておまえにとって何だ?」
「何を言い出すかと想えば、何だそれは?」
「質問さ。答えてみろよ、ユーン」
 挑発するように言ってやれば、あいつは眉根をわずかに寄せながらも口を開いた。
「俺が師匠から任せられた時計屋(いばしょ)だ」
 俺は拍手をした。生徒をねぎらう教師のように。
 ―――本当に出来の悪い生徒で苦労をする。
「そうだな。あそこはおまえが託され、そして今はおまえを中心に動いている場所だ。かつておまえが貰ったもの、あの子に。それをおまえも今はあそこであげている。なら、わかるんじゃねーのか、置いていかれる者の気持ちが?」
 目をそらすと想った。
 悪戯をして、親の前に引きずり出された子どものように。
 ばつが悪そうに。
 泣き出しそうな顔で。
 だけどユーンは俺の顔を見ながら笑った。
 ―――――――――――それはひどく自嘲に満ちた表情。
「自己満足は今に始まったことじゃない。エゴにならなきゃ何も手に入らないだろう、フェン? だから俺はエゴを貫き通す。もともと他人同士が寄り集まっていただけの場所だ、『羈絏堂』は。だから俺が俺のやりたいように…あそこから抜け出してもかまわないはずだ、そうだろう、フェン? だからおまえだって二つの大切な物を無くしてからは、独りで居る。いつでも、死ねるように」
 見透かされている、と想ったと同時に、
「やっぱりてめぇは何もわかっちゃいねー。俺もまた、あの『羈絏堂』という日溜りの中の一員だ。おまえが居て、俺が居て、そしてあそこがあるんだ」
 ………届くとは想ってはいねーさ。
 ただ、言わずにはいれなかった、俺の気持ちを。
 しかしそれにすらユーンは笑ったんだ。
「おまえのそれだってエゴだよ。この世に不変は無い。永遠には今は続かない。だから俺はもう絶対に変わらない過去を取り戻しに行くんだ。今日も、明日も、俺はいらない」
 二つの顔が思い浮かんだ。無邪気にユーンという日溜りの中で笑う無垢な笑顔が。
「てめぇ、一発殴らせろ」
 俺は拳を握り締めて、それをユーンの左頬に叩きこんだ。
 ユーンはそれをよけなかった。
「てめぇ………」
「気が済んだか、フェン」
「はん。済むかよ。俺の、拳の方が痛てーぜ」
 俺の愚痴にユーンは力の無い笑いを零した。
「俺は、心が痛い」
「ユーン」
 どさりとユーンはその場に崩れるようにして座り込んだ。そして片手で顔を覆う。
 俺はユーンに背中を向けた。こいつはそれを望まないと想ったから。
「悪い」
 ぼそりとユーンが言う。
「だけど自己満足だろうが、あの子は俺の主なんだ」
「銅像にでもなっちまえ」
 俺は吐き捨てる。
 切り捨てる。
「言うまでもねーだろう。残されるヤツの気持ちは。残されるヤツの気持ちを考えた事があるのか?」
 それは自分でも驚くほどに静かな、語りかけるような声だった。
 そう。俺は知っているから、誰よりもこいつを。
 だからそれは質問ではなく、最後確認。
「俺はただあの子に逢いたい、ただそれだけなんだ………」
 ―――そう、だからこそ、性質が悪い。
「ちッ…。…勝手にしろ」
「すまん」
 ユーンは立ちあがる。
 そのユーンの背後から、俺は蹴りを放つ。
 弓なりのように身体を後ろにそらせながら衝撃に吹っ飛んだユーンは、しかし空中で身体をひねり、こちらを見る。
「…フェン、何のつもりだ?」
 俺は笑う。
「おまえが行くのは認めるさ。だがな、『羈絏堂』を受け継ぐのは真っ平ごめんなんだよ。どうしても行くというのなら、俺を倒して、それで俺に押し付けろ、『羈絏堂』を。それが俺がおまえに示す道さ。これ以上はもう言わん。さあ、ユーンよ。おまえはどの道を選ぶ?」
「決まっている。貫き通す」
 雨が激しく降り出し、そして俺たちは同時にコンクリートの床を蹴って、拳を突き出しあい、互いの顔面を真正面から殴り合って、その衝撃で後ろに吹っ飛んだ。
 着地するのも同時。
「本気だな、フェン」
「てめぇこそ」
 ユーンはもう笑わなかった。懐から銀時計を取り出す。
 だが俺はそれの音を止める。
「封じたぜ、てめぇの十八番をよ」
 これは殴り合い。
 殴り合いの喧嘩だ。
 駐車場頂上の真ん中で互いに両足を踏ん張って立って、両手で殴り合う。ガードなんか考えない、殴り負けた方が負けのガチンコ勝負。
 男は馬鹿だから、拳を突き合わせないと分かり合えない。
 俺はあいつが置いていく物の重みを拳に乗せて、
 ユーンはあいつの心の痛みを俺に叩きこむ。
 そしてもう何十回と殴りつけたユーンの顔面に拳を叩きこんで、揺らぐユーンを俺は罵倒する。
「その程度か、ユーン。てめぇの覚悟は、想いはァ。なら、もうてめぇはいい。死んじまえ」
 揺らぐユーンの左胸に拳を叩きこみ、そして能力を開放する。ユーンの鼓動を止める。
 殺す覚悟で―――
 そう、これでユーンが死ぬのであれば、こいつはこの程度。一生『羈絏堂』に居ればいい。
 だが、その時、雨雲の隙間から夕日の光が零れ落ちて、墓標のように佇む鉄筋の支柱が、コンクリートの床を文字盤にして、日時計を、作り出す。


 時を、示す―――


 その時を、ユーンは見逃さなかった。
 そうして立体駐車場は壊れ、俺はその瓦礫の上に転がっていて、ユーンは再び空を覆い隠した雨雲が降らせる雨に濡れて、立ち去っていった。
「ユーン。死ぬんじゃねーぞ。てめぇは絶対に生きて帰ってきて、俺やあいつらに殴られなきゃならねーんだからな」
 視界からユーンの姿が消えた時、あいつが絶対に生きて帰ってくる、そう約束した声が聞こえてきたのは、絶対に聞き間違いじゃねー、俺はそう想った。


 そう、絶対に生きて帰ってこいよ、ユーン。
 俺たちに殴られに………。



 ―――――――――――――――――『an ill―omened day』


「それにしてもよ、ユーン。仏滅の日に旅立つんじゃねーよ。縁起が悪いじゃねーか。ったく、おまえはよ」
 俺はやはりどうにもどこか抜けているあいつに苦笑しながら冷たい雨に降られながらどうにもやはり永遠に想いつかぬであろうあいつらを諭す文句を考えながら、暗雲が立ち込める空を見つめ続けた。
 やはりもう少しあの仏頂面を数発殴りつけておくのだった、と後悔しながら。



 ― END ―


 ++ライターより++


 こんにちは、シン・ユーンさま。
 こんにちは、セイ・フェンドさま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回はご依頼ありがとうございました。


 とうとうユーンさんは旅立っていかれるのですね。
 残され、すべてを託されたフェンドさんは確かに大変で、色々と考えてしまう事があるでしょうが、それでも彼だからこそわかる事、苦しみ、悲しみ、葛藤があると想います。
 今回のノベルではそんなフェンドさんの視点にスポットを当てる事で、ユーンさんの覚悟とか苦悩、苦しみ、そしてふっきり、などを書き表してみたいと想いました。
 男ならば言葉ではなく背中で、行動で示すべきですしね。
 だからユーンさんはフェンドさんに見せたのだと想います。一度は泣き言を言ってしまったけど、でも行動で。運も彼に味方を、いえ、きっと彼が選んだから奇跡が起こり、日時計の時を力に変えられたのですし。
 この先何が起こるのか、すごく楽しみです。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、ありがとうございました。
 失礼します。


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2005年10月17日

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