▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『眠り姫とナイトのジレンマ 』
藍原・和馬1533)&藤井・葛(1312)

(それがさァ。ここんとこいろいろあって、ロクなもの食べてないんだよ。哀れと思ったら、何か作りに来てくれよ、葛サン)
(ふーん? いいよ)
(……やっぱり駄目だよな。断られると思ったんだ、うん)
(だから、いいってば)
(わかってる。慰めてくれなくてもいい……って、今、なんて言ったァ!?)
(和馬が冷蔵庫で腐らせかけてる食材を、適当に料理すればいいんだろ? それくらいやるよ)
(ええー? いいんスかー?)
 ――以上は、とある肌寒い秋の夜、ネットゲームの作戦会議をチャットにて行っていた、藍原和馬と藤井葛のやりとりの一部要約である。話題の流れが「会議」の趣旨から逸れるのはままあることで、だからそれは、傍目には何気ないできごとかもしれない。
 だが、和馬にとっては、モニタの前でガッツポーズをしてしまったくらいの大イベントなのである。
 憎からず思っている女性が自分のアパートを訪ね、あまつさえ手料理を作ってくれる――と言うのは。
 
「どうすっかな。葛が来る前に少しくらい掃除した方がいいのかなァ」
 約束のその日。
 むーん、うーんと唸りながら、和馬は檻の中に入れられたばかりの野生動物のように、六畳一間をうろうろぐるぐると歩き回っていた。
 ささやかな一人暮らしの場は、独身男の惨状ここに極まれりという散らかりっぷりである。磨いていない窓ガラスから射し込む真昼の日射しは、舞い上がる埃をきらきらと浮かび上がらせている。
「いや、ま、でもあれだ、別にどうってことないよな。こー、気合い入れすぎるのも、何かヘンだし」
 器用で強靭な和馬は、それが仕事であれば何でもこなす。運送会社からの委託による引っ越しの後片づけ、不動産管理会社から斡旋されてビルの外壁クリーニング、その他エトセトラ。
 であるからして、自分の部屋を掃除して整理整頓し窓ガラスをきれいにするくらい、理屈からいけば楽勝のはずだが――理屈どおりにならないのが人生だ。
 ことに最近は、いつにも増して忙しかった。『白銀の姫』という奇妙なゲームの世界へ赴いたり、帰ってきては単発のアルバイトを連続してこなしたりする日々である。そして平凡な仕事と思われた場合でも罠がないとは言えず、先日は某派遣会社のビルの窓拭きをしていたら、身の毛もよだつ出来事に遭遇し……。
 和馬は思わず身震いし、壁に手を付いた。
(もう当分、シチューは食いたくない……)
 そうやって放心している間にも、時間は過ぎていく。やがて。

 ぴぃ〜ん……、ぽぉう〜ん……。

 非常に控えめに、チャイムが鳴った。
 なお、チャイム音が微妙に怪しげなのは、押した人間の所為ではなく、最初から音程が狂っているのである。もっとも、築年数のやたら古いこの木造アパートにチャイム機能が付いていること自体、奇跡的であるのだが。
 ともあれ、それは葛の到着を意味する。
 しかし放心中の和馬は、しばらく返答を失念していた。やがて、しびれを切らした葛にどんどんどんと豪快にドアを叩かれて、ようやく我に帰る始末だ。
 当然ながら、部屋は少しも片づいていない。
 
 ◇ ◇
 
 葛は葛で、ここまでの道のりはそれなりに平坦ではなかったのである。
 気軽に約束はしたものの、もしかしたらこれは、安易に返事をするたぐいのことではないのではと、恋愛ごとに疎いなりに考えたのだ。
(だけど、料理しに行くくらいで緊張したり意識したりするのも……。昨日今日のつきあいってわけでもないし)
 和馬は、ネットゲーム上では常に頼もしい相棒であり、オフラインで会うことも多い相手だ。去年のクリスマスにはプレゼントを贈りあったし、バレンタインデーもホワイトデーも一緒に過ごした。
 ――ええっ? そういう男のひとを、普通、「彼氏」って言うんじゃないのぉ? 恋人扱いしてもらえないなんて可哀そー!
 などと、ほんの少し話したことがあるだけの、同じ専攻の院生に呆れられたことがある。
(そんなものなのかな)
 彼氏、恋人。そんな関係性が自分に発生する日があろうとは信じられないが、和馬のことは決して嫌いではない。
(それに、いつも何かと世話になってるし……うん、そういうことでいっか。ふあぁ)
 何となく納得して、葛はひとり頷いた。欠伸をしたのは、このところ寝不足が続いているせいだ。
 歩道に沿って続く商店街に、小さな花屋があった。その品揃えに目を惹かれ、立ち止まる。
 同じく花屋を経営している実家とはまた趣の違う店先に、秋の花々が溢れていた。
(そうだ。花、買っていこう。気を使わせるといけないから、実家の店で余ってたって言って)
 トルコキキョウとリンドウに吾亦紅をあしらってアレンジした花束が「店で余る」わけはないのだが、そこはそれ。
 葛は、剣を構える勇者さながらに花束を抱え、和馬のアパートへと向かったのだった。
 
 ◇ ◇
 
「遅いっ! いつまで外で待たせる気だよ」
 ようやくドアが開き、怒ったのはもちろん葛の方である。
 和馬は平身低頭するしかなかった。
「すみませんごめんなさい。つい、そう、掃除、部屋の掃除に夢中で」
「……これで?」
 乱雑な室内を見回して、葛はため息をつく。持参した花束は、見事なほどに似つかわしくなかった。
「花瓶ある……? とか言っても無駄だよね」
「ありますとも。ほらここに、ワインの空き瓶とウイスキーの空き瓶が! いやァ、すごいすごい。淋しかった俺の部屋に花が咲いたみたいだ」
 動揺のあまり、そのまんまな、しかもどこかで聞いたようなことを言いながら、和馬は酒の空き瓶をテーブル(正確には家具調こたつ)に並べ始めた。
 取りあえず葛も、手近なところから片づけることにした。でなければ自分の座る場所も確保出来なかったのである。

 小一時間ほどの奮闘ののち、どうにか人心地のつく状態になった。
 ワイン瓶にトルコキキョウを、ウイスキー瓶にリンドウを、日本酒の一升瓶に吾亦紅を生けてから、和馬は、腕まくりしたままの葛にぱちぱちと拍手した。
「やァー。女手があるっていいなぁ」
「ふう。働いたらお腹すいた。お昼つくろっと」
「よっ、待ってました、葛シェフ! 日本一!」
「いっとくけど、つくるのは和馬の分だけじゃないからね」
 クマのイラストがプリントされたエプロンをつけて、冷蔵庫を開けた葛は、しかし、またもやため息をつく羽目になった。
「……あのねえ、和馬」
「ん?」
「これで何を作れと?」
 隙間なくぎっちりと入っているのは、ワインボトルにウイスキーボトルに純米酒の一升瓶に缶ビール。食料らしきものはといえば、チーズひとかたまりと、食べかけのサラミソーセージだけだ。かろうじて冷凍室には、ステーキにしようと思ってそのまま放置した牛ヒレ肉400gが鎮座ましまししているが。
(しまったァー! 食材買い込んどくの忘れた)
 本日のメインイベントが根底から覆る事態に、和馬は青ざめる。
「あ、何だ、根野菜がたくさんある。デミグラスソース缶も。これ使おう」
「へ……?」
 冷蔵庫横にある紙袋を覗いて言われ、和馬は首を捻ったが、すぐにああ、と頷いた。
 おとといのバイト先であるところのレストランで、まかない用の食材を、良かったら少し持っていけと言われたのだった。
 袋には、人参、じゃがいも、玉葱、店頭販売していたシェフ特製のデミグラスソース缶(賞味期限ぎりぎり)が詰まっている。これに冷凍庫のヒレ肉を合わせれば……。
「よし、ビーフシチューが出来るな」
「………!!! シチューっ?!」
 根野菜を抱えて狭い台所スペースに向かう葛に、和馬は涙目で追いすがる。
「あのー。葛シェフ。他に選択の余地は?」
「あるわけないだろ。えっと、皮むき器……も、あるわけないか」
 台所にあった調理器具は、包丁と鉄のフライパン、ステンレスの両手鍋のみであった。
 ヒレ肉を解凍して、これだけはふんだんにある赤ワインに漬け込んでから、野菜の下ごしらえを始める。
 葛は着実な手つきで、じゃがいもの皮を剥いていく。その白い指先に、ふと和馬は見入った。
「上手だなァ」
「ちょっと。そんな覗き込むと危な……」
 果物ナイフが不意に、剥きかけのじゃがいもの上を滑る。
 その拍子に、切っ先は葛の指先を掠り……。

「つッ!」

 人差し指に、すうと、紅い筋が走った。
「すまん! 切っちまったか?」
「大したことない。カットバンでも貼っとく」
「ちょっと見せてみろ」
 引っ込めようとした左手を、すばやく和馬は捉えた。引き寄せるやいなや、ためらいもなく切り傷に口を当てる。
「大丈夫だから――」
 咄嗟のことで、葛はどうしたらいいのかわからない。動転して、顔が真っ赤になっているのが自分でもわかる。
 足元がふらつく。気が遠くなる。
 指先が熱いのは、傷のせいだけじゃない。
「おっと、倒れるなよ。鍋引っくり返したら、今度は火傷すんぞ」
 支えながら囁くその声は、いつもの軽口と変わりないはずなのに、限りなく優しく聞こえる。
「……和馬」
「はいな」
 胸にもたれかかり、全身を預けて言う台詞は、本来ならば甘くあるべきだろう。
 ……しかし、そうはならないのが、葛の葛たる由縁である。
「眠いんだけど。ものすごく。気絶しそうなくらい」
「何ィー?」
「たぶん、ゲームのやりすぎだと思う。最近、根を詰めてたから」
「ちょい待ち。シチュー作りかけのまま寝るなァー!」

 ◇ ◇
 
 陽が傾くにつれ、秋空を覆う雲は厚みを増していく。
 夜も更けた今、冷たい雨が降り始めた。
 葛はすうすうと寝息を立てて、ベッドで毛布にくるまり熟睡している。
 作りかけのビーフシチューは、結局、和馬が完成させた。
「まさか、ホントに眠っちまうとはな……」
 所在なげに、和馬はテーブルに肘を突く。
 何時間も弱火で煮込まれたシチューの香ばしい匂いと暖かな湯気が、部屋いっぱいに漂っている。
 
 雨音がふっと、追憶を呼んでくる。
 セピア色に変わった写真にさえも残っていない、遠い昔に出会った歌姫。
 もう顔はおぼろげで、名前も思い出せないけれど。
 翠の瞳と、迦陵頻伽もかくやとばかりの歌、そして、ときおり和馬をからかっては、喉の奥で笑う声。

 ――どうするの? 眠り姫を、起こさなくていいの? 

 想い出の中の女が、歌うように笑う。

 ――ねえ。いつまでナイトでいるつもり?

「……こっちが聞きたいよ」
 肘を突いたまま目を向ければ、葛はちょうど寝返りを打ったところだった。微笑む口元は幼子のように幸せそうで、いっこうに起きそうな気配がない。

 信頼されているのだと、喜んでいいものかどうか。
 無防備な寝顔を見せて、恋を知らぬ姫が眠る。
 
 
 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年10月13日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.