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『伝説は焉道を行く 』
天祥胤・陽5524)&‐・焉(5523)


 アメリカ合衆国では、年に90万人が行方不明になっているという。しかし、天祥胤陽がいま住んでいるのは、アメリカでもなければ、祖国ロシアでもない。治安の良さがとりえの日本だ。ここのところ10代の少年少女の失踪が相次いでいるが、平和な国だ。
 今日もまたひとり、消えてしまったらしい。ここのところ立て続けに消えていく少年少女たちは、いるのかいないのかはっきりしない、影の薄いものがほとんどだった。インタビューに答える者たちは、口をそろえる。失踪者は「大人しくて、あんまり目立たない子」と。
 消えてしまった少年が大写しになり、テロップで名前が表示された。暗鬱に、陽はテレビを見つめていた。その名前と顔を、自分はいつまで覚えていられるだろうか、と。

 影が薄い者の失踪、と言えば。陽には思い当たる節がある。失踪した少年の名前を忘れてしまうのではないか、という危惧を抱いてしまうことにも、わけがある。すべては、ある怪異そのものが教えてくれたのだ。
 悶々と思案に暮れながら、陽は勤務先の高等学校に赴き、職員室に向かっていた。いつもはやわらかな笑顔で行き交う生徒たちに挨拶をするのに、今朝はうわの空だった。それでも、生活習慣というのは恐ろしいもので、意識が飛んでいても、陽は一応生徒たちに挨拶を返していたのである。
「おはよ、センセ」
「おはようございま――」
 だが、その生徒の挨拶だけは、つまずいた。足を止め、振り返った陽の視界に入った生徒こそ、いま陽を思考の渦に飲み込んでいる怪異そのものであった。
 目鼻立ちがはっきりしない、白い顔。横たわる三日月のような、笑む口。この学校の制服である学ランを着て、学校にすっかり溶け込んでいるこの少年は、『少年』ではなかった。
 怪異・焉。彼は――ひょっとすると、とても慈悲深い存在なのかもしれない。クラスの誰からも注目されず、孤独を孤独と思わなくなってしまった寂しい生徒を、連れて行ってしまうのだ。影が薄いことを哀しむことも忘れた者の、背中を押す存在だ。彼はまったく、存在すること自体が自然であり、どこからか突然転校してきて、気づけばまたどこかに転校していく。彼の存在もまた、誰かの記憶に特別なものとして残ることはほとんどない。
 焉の恐ろしいところは、その『自然』な存在感であった。陽がこの焉を『特別』なものとして認識できる理由としては、彼自身の能力のおかげもあるが、焉に気に入られているという点が大きかった。
「あれえ、センセ。僕には挨拶してくれないの? 悲しいなあ」
「焉。また、きみの仕業ですね?」
「なんのこと? 具体的に言ってもらわなくちゃ、こっちも困るよ」
 ケケケともカカカともクククともつかない笑い声を上げて、焉があからさまに陽の質問をかわした。この少年が少年ではなく、危険な怪異であることはわかっている。しかしこの場では、陽以外の人間にとって、焉はごく普通の男子生徒にすぎない。それに、陽は――魔を浄化する力を持っていることを、表沙汰にはしたくなかった。ここで氣をもって焉を退けることが出来るならば、とっくに実行に移している。
「ほら、センセ。そろそろ職員会議の時間じゃない? いいのかなあ、こんなところで油売ってて。いいのかなあ、教師が遅刻だなんて……」
「……あまり油断しないほうがいいですよ。きみの出方によっては、皆の前だろうと容赦はしません」
「そんな度胸があったら、もうとっくに僕をぶってるはずだよね。あはは……センセってのは、いつだって口だけさ」
 本当に、そろそろ職員会議がはじまってしまう。
 焉にはなにも言い返さず、陽は職員室に足を向けた。再び歩き出した彼の足取りは、いささか荒々しかった。
 今朝の職員会議で取り沙汰されたのは、巷を騒がせている例の事件に関することだった。こう続発していれば学校側も警戒をし始めるというものだ。しかし、教師たちが取れる行動はと言えば、「生徒の様子に気を配る」くらいのものである。
 ただ、学校関係者と警察だけが掴んでいる情報が、陽にももたらされた。
 消えた少年少女は、大半がインターネットの趣味を持っていたというのである。
 インターネット。笑う怪異。以前は、学ランのみならず、学生帽にマントも身に着けているという、時代錯誤的な格好だった焉だ。時代の最先端で進化をつづけるネットとは、なんの因果もないように思われた。


 チャイムが空に吸いこまれていく。
 ほんの3日後、天祥胤陽が副担任をつとめるクラスの生徒が、ひとり、消えた。


 確かにその生徒もまた、大人しく、友人も持っておらず、休み時間は読書と予習で過ごしていた。
 陽が、最後に名前を覚えた生徒だった。完璧に名簿を覚えるまで、その生徒の名前を呼ぶのが怖かった。呼びかけようとして、名前が出てこなかったら。出てきた名前がまったくの他人のものであったなら。
 緊急に職員会議が開かれたが、陽は会議に出なかった。胸騒ぎを確信に変えるために、消えてしまった生徒の家を訪れたのだ。背中に、暗い視線と平べったい哄笑を感じながら。

 突然の副担任の訪問にも、生徒の母親は驚くことはなく、逆にすがるような面持ちで、陽を出迎えた。この家は母子家庭で、母親はちょっとした企業の重役だった。金に不自由はしていないが、母親は多忙で、生徒はほとんど自炊をしているようなものだったという。母親がかっきりとしたスーツ姿でいることが、証拠のようなものだった。職場から慌てて取って返してきたのだろう。
「すみませんが、お部屋を見せていただいても? その……インターネットは、やらせていましたか?」
「はい。中学の入学祝にパソコンを与えてから、ずっと趣味にしていたはずです」
 陽の胸騒ぎが、確実なものになっていく。陽は2階の生徒の部屋に入った。確かに、デスクの上には、高校生が持つにしては高スペックなデスクトップが据え置かれていた。
 電源を入れて、ブラウザを開く。履歴を開いて、生徒が最後に見ていたページに飛んだ。
 そこは、匿名掲示板。『影の薄い人たちが肩を寄せ合うスレ』。
 自分の影が薄い、誰も相手にしてくれない、誰にも気づいてもらえない――けれど、いまさら輪の中に入っていくのは怖くて出来ない。
 スレッドには、消えていく人間たちが集まってきていた。薄い影を重ねて、漆黒の影を作ろうとしているかのようだった。


378 名前:名無しさん 投稿日:2005/10/03(月) 18:25:40
私が突然いなくなっても、誰にも気づいてもらえないのかな

379 名前:名無しさん 投稿日:2005/10/03(月) 18:51:46
いなくなって確かめてみればいいじゃない
みんなそのために消えてるようなものだよ

380 名前:名無しさん 投稿日:2005/10/03(月) 18:59:10
気づいてもらえた人は良かったね。


 陽は呆然としていた。スレッドには虚無感と絶望が満ちていたが、息をひそめてこちらをうかがう、『希望』も確かに存在していた。これは、パンドラの函だ。皆、函の中から出る勇気を持てずに、差し伸べられる手を待っている。
 それが悪いことだとは思わない。世の中には、気が弱い人間もいるし、言いたいことを呑みこんで我慢してしまう人間もいる。
 陽は、手を差し伸べた。
 低い唸り声を上げるパソコンの筐体と、無言のネットワークの流れから、そのとき確かに、あの哄笑が聞こえたのである。


「気がついたみたいだね、センセ」
「はい。彼らは、きみが消したのではないということに」
「そう。この子たちは、みんなみんな、自分で消えたいと願ったんだ。僕はそのお手伝いをしてあげただけ」
「けれど……誰ひとり帰ってきていない。きみが捕らえてしまっているからです」
「僕ってほんとはいいヤツなんだよ。センセみたいな人に憎まれたりするし、お手伝いをしてもお礼なんか言われない。それでも僕はかわいそうな子たちに力を貸すんだ。……だから、ちょっとだけ、スネたくもなるってものさ」
「みんな……心配しています。彼らを解放しなさい!」
「僕を信じる力より、現実を求める力が強くなれば、簡単に僕の意地悪から逃げられるはずだよ。まだこの子たちは逃げていたいんだ。僕にすがりたいんだよ。センセより僕が好きなのさ。あははは……センセ、そんな怖い顔してたら、生徒は怖がるよぅ?」
ケケケ、
カカカ、ククク……。
 

 陽はパソコンに手を伸ばし、筐体を抱いた。具体的にどうしたらいいのか、わからなかった。ただ、その金糸のような髪がさわさわと浮き上がるほどに、彼は全身の氣を高めたのだ。
 ――僕は、心配です。帰ってきてください。あなたのお母さんも……お仕事を休んで、あなたを探しに、帰ってきましたよ。彼の手を……離してください。
 びびび、とLANケーブルが光を帯びた。光は稲妻のように筐体を走り、ばちばちと咆哮を上げる。けれども、陽は稲妻を恐れなかった。彼は手を伸ばして、しっかりと稲妻を握った。稲妻は、たちまち――あの、怪異の姿を取った。
『僕は無数にいるんだ。信じている人の数だけいるんだよ。僕は必要だからここにいる。センセ……全部の僕を、こうして消してあげられるのかなぁ?』
 ケケケケケケ、クククククク……。
 パソコンがぼふんと煙を吹いたとき、陽が抱きすくめていたのは、消えていたはずの生徒だった。
 そして、代わりに、焉が消えた。



556 名前:名無しさん 投稿日:2005/10/08(月) 18:00:21
お願いです。戻ってきて下さい。僕は教師をやっています。あなたたちは、僕たち教師のことがきっと嫌いでしょう。僕たちはいつだって口だけで、それに、あなたたちにひどいことをした。名前と顔を覚えようとしなかった。声をかけようとしなかった。真面目だから、なんの心配もないと思ってた。
でも、わかって下さい。僕たち教師もあなたたちの同じ人間で、反省することが出来るし、願うことが出来る。
これは僕の勝手な望みです。僕は深く反省して、調子のいいことに、願っているのです。
あなたたちに戻ってきてほしいと。



 どれくらいの生徒が、その書きこみを見て、決意したか。
 焉の手を振り払えたか。
 確かなのは、その書きこみがあった日から、確かに――戻ってきた少年と少女が、いるということだった。
 陽は忘れない。鴉の羽毛をばさりと脱いで、自分に抱きついてきた生徒。部屋に飛び込んできた母親が、娘の名前を叫んで泣き出したこと。その泣いている母親に、生徒が泣きながら抱きついたこと。
 そして彼女が、「ありがとう」と言ったことを。
 あの哄笑とともに、記憶にとどめておくことを誓った。




〈了〉
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2005年10月11日

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