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『セッション・プリーズ 』
高杉・奏0367)&光月・羽澄(1282)


 打ち合わせに一区切りがついて、ぎしりと椅子の背もたれに体重を預ければ、窓ガラスにくっきりと映し出された自分の顔が視界に飛びこんできた。
 いつしか、窓ガラスに姿が映る時間になっていたのだ。日が暮れ始めた頃から歌手Lirvaとの打ち合わせに入り、気づけばすでに空は漆黒色。漆黒の窓に、漆黒の髪の高杉奏と、白銀色の髪のLirvaが仲良く映っている。ふたりとも、少しだけ疲れた顔をしていた。
「さあ……て。疲れたな」
「そう? 私はまだ大丈夫」
「若いってのはいいね」
「……うん、カナちゃん、確かにちょっと老けた」
「おい……」
「人間てね、疲れると少し老けるんだよ。続きは明日にしよっか」
「こういう打ち合わせのお開きって、号令かけるのは普通、プロデューサーのほうだと思うんだが」
「じゃあカナちゃん、号令かけてよ」
「よし。今日は終わり!」
 その言葉がかかれば、謎めいたLirvaという歌手は姿を消して、代わりに光月羽澄という高校生が現れる。高杉奏はLirvaのプロデューサーであるが、光月羽澄の親役もつとめていた。羽澄はしっかりした高校生であったから、手がかかることもなく、最近は奏が世話になることさえあるほどだ。
「羽澄、今日これから予定あるか?」
「ないよ。もっと打ち合わせ長引くと思ったから、空けておいた。……どっか連れてってくれるの?」
 満面の笑みで奏の思惑を読み取る羽澄は、小首を傾げて奏に詰め寄った。
「新宿の知り合いのライブハウスでジャズライブがあるんだ。今夜な。良かったら一緒に行かないか?」
「行く!」
 音楽のこととなれば、甘いものに飛びつく子供のような表情を見せるのが羽澄だった。彼女が断るはずもないことは、訊く前からわかっていたことだが――それでも奏は、その笑顔が嬉しかった。
「決まりだな。まだ時間があるけど、俺はオーナーと少し話があるから……もう出よう」
「ジャズは久し振りだなぁ。予定空けといてよかった」
羽澄の笑顔に、嘘偽りはない。ここのところ羽澄は多忙で、どんなジャンルの音楽もまともに聴く時間はなかったはずだし、ジャズとはなにかと奇妙な縁があるのも確かだ。
Lirvaが所属する事務所を出たふたりは、半ば意気揚々と、コルベットでライブハウスに向かっていった。


 着いた先は、ライブハウスと若者が聞いて想像するものよりも、はるかに小さなものだった。しかしジャズライブは、こういった小ぢんまりとしたところでしっとりと催されるほうが趣があっていい――というのが、奏とここのオーナーの心情だ。べつにビッグアーティストを批判するつもりはないが、ジャズに武道館や東京ドームはあまり似合わない。そんなジャズへの想いで意気投合し、オーナーと奏の付き合いは20年来ちかくのものになっていた。
 小さなステージには、すでにジャズメンが上がっていて、酒や女の話をしながら、時折音を出していた。ステージと観客席との隔たりはほとんどない。誰がジャズメンで誰が観客なのか、下手をすると区別がつかない。ひょっとすると、この場に集まっている者全員が、何らかの楽器を持てば名曲をそらで弾けるような、生粋のジャズメンなのかもしれなかった。
 ここには、ジャズを愛する気持ちだけが集まって、ひとつの魂を形成している――羽澄には、そう感じられた。
「なにか飲むか?」
 オーナーとの話を終えて羽澄のもとに戻った奏は、自分のグラスを示して、そう尋ねた。奏はすでに、スコッチを一杯やっていたところだ。
「お酒しかないでしょ?」
 羽澄が悪戯っぽく笑う。奏も笑って、オーナーに大声をかけた。
「おーい! こいつにミルク!」
「ミルクなんかねーよ! ……カルーアミルクならあるぞ!」
 皆が皆、どっと笑った。ステージの上のジャズメンも、客席のジャズメンも。
 しかしその笑い声に、きいんと鼓膜をかすかにつんざく高音と、シンバルのつまびきが混じったのを、羽澄は聞き逃さなかった。


 ざわめきと談笑が嘘のように静まりかえり、演奏が始まった。琥珀色の酒と照明がよく合う、シックな曲が繋がっていく。ここには、歓声も手拍子もない。しかし確かな安らぎと喜びがあって、曲の合間には拍手が流れた。
けれども、観衆の中のふたりは時折顔を見合わせる。

音がひとつ、多いのだ。

 選曲は明るいものではないが、けして暗いラインナップだというわけでもない。ただ、静かな曲が続いているということだ。その中で、その余分な音は、言いようもない寂しさを、羽澄と奏に伝えてくるのだった。不快感はなく、やりきれなさだけを伝えるための音だった。
 羽澄は目をこらしたが、あやしい存在はまったく見えない。それは、ただ音の中だけに存在し、少しだけ拙い音で、
 仲間に入れてくれ、
 確かにそう言っているのだ。
 ライブも終盤に差し掛かった頃だろうか、不意に客席の間を縫いながら、オーナーが奏のもとにやってきて、背中をつついた。
「なあ、高杉。よかったら一曲やってくれ。おまえのこと知ってるやつもいるんだ」
「……俺はかまわないけど、ステージの上のメンツがなんて言うかな」
「大丈夫だ。ピアノのあいつはおまえのこと知ってるから、替わってくれるさ」
 奏は口をへの字に曲げてしばらく思案したが、羽澄を見下ろし、その笑顔を見て、首を縦に振った。
「わかった、お言葉に甘えるよ」
「おう、悪いな!」
「そのかわり、こいつも上がらせる」
 奏は羽澄の頭にばふと手を乗せて、わしゃわしゃとその銀髪を撫でまわした。オーナーは目を丸くし、羽澄も目を見開いた。
「ちょっ、なにするのカナちゃん! セットが乱れる!」
「その子もジャズやるのかい?」
「音楽ならなんでもイケるやつなんだ。その、な――あいつの娘なんだよ」
 奏はオーナーに、耳打ちをした。羽澄の母の名前だ。いまはもう亡き、才能ある歌手だった。その名前を聞いて、ああ、とオーナーも納得する。
「それじゃ、音才あってもおかしくねーわな」
「いいだろ? ――羽澄、そゆことで」
「か、カナちゃん……そんないきなり……」
「なに言ってんだ。演りたいオーラ出しまくってるくせに」
 図星を指されて、羽澄はぷうと頬をふくらませ、少しだけ赤くなった。
 こんなやり取りの間にも、余計な音は続いている。奏と羽澄しか気づいていない、孤独な音だった。

 ふたりのミュージシャンの飛び入り参加を、ジャズメンも観衆も、快く迎え入れた。ピアノ奏者は席を奏に譲り、ライブハウスの備品として壁に立てかけてあったウッドベースを手に取った。羽澄は――思案に暮れてから、ウッドベースのそばに置かれていたヴァイオリンを取った。
「おっ、ねーちゃんツウだね! ジャズヴァイオリンか!」
「若いのに、ほんとにツウだ」
 ステージや客席から上がる声に笑みを返して、羽澄は弦に弓を当てた。
 ――さ、一緒に……演りましょう?
 いまは押し黙る『音』に、羽澄は声をかける。
 ――キーは高めに。私はアドリブをやるわ。大丈夫。あなたに合わせるから。
 羽澄はそっと目を動かして、奏を見た。奏は頷き、音をとる。
 少しだけ明るい、ブルースがはじまった。

 はじめのうち、音は、ついてきた。
 奏と羽澄が奏でる音には、存在感がありすぎた。ふたりはすぐに加減をし、『余分な音』を引き立てて、他のジャズメンの音に溶かす。音は自然に、乗っていく。たったふたりだけでも、その音の存在に気がついてくれたから、音は音としてライブハウスを満たした。寂しげな音は、いつしか少しだけ明るいブルースになっていく。
 寂しさを、無理に薔薇色に変える必要はない。
 明るいエピソードというものは、ほんの少しの翳りがあってこそ、輝くものだから。
 音は、消えていく。ほんの少しだけ明るくなって。
 奏と羽澄は、セッションの中で、姿も意識もおぼろげになってしまった者の、礼を聞いたかもしれなかった。
 気づけば歓声と口笛、拍手が起こっていた。
 ――ねえ、聞こえた? この拍手は、あなたのものでもあるのよ。


「いやぁ、よかったよ。やっぱり高杉に来てもらってよかった」
「おまえもしかして、最初っからこのつもりで――」
「まーっ! まーまーっ! いーじゃねーか! 今回のライブは大成功だったんだから。な!」
 ばしばしとオーナーに肩を叩かれながら、その言葉にふとした違和感を抱いて、奏は訊き返した。
「今回『の』? ……失敗したライブでもあったのか?」
「途中でサックスが帰っちゃったことがあるんだよ。『余計な音がする』ってね。目玉で来てくれたプロだったから、ありゃ痛かった。まあ、たまーに聞いてたんだよな。そういう、妙な音が聞こえるって噂はさ」
「……ふうん。大変だったな」
「おまえにも聞こえたか?」
「さあ。『余計』だって感じる音は、なかったぞ」
 奏は肩をすくめて、本音を言った。
 どの音も、大切だった。それは、確かなことだ。
 だからこそ、観客もジャズメンも、満足げな顔でライブハウスをあとにしていくのだ。ステージを見れば、ヴァイオリンをそっともとの位置に戻している羽澄がいた。彼女も奏も、結局一曲だけの演奏ではすまされず、フィナーレの一曲にも加えられたのだ。
「よう、羽澄。時間あるか?」
「え?」
 銀髪をひらめかせて、物思いにふけっていた羽澄が勢いよく振り返る。見開かれた緑の目は、相も変わらず澄んでいた。
「今晩はジャズをハシゴと行こうぜ。ばーちゃんの店に行くぞ」
「え、だって、あのお店はバー……」
「いいんだよ、あの店にはミルクもオレンジジュースも置いてあるんだから。ばーちゃんにジャズヴァイオリン、聴かせてやれ。……俺はおまえの新たな才能を見い出し、いま猛烈に感動しているぅ!」
「……カナちゃん、そんな状態で運転なんてしないで。すみません、オーナーさん。代行呼びたいんで、電話貸して下さい」
「俺は酔ってないって!」
「だーめ!」
 コードレスの受話器を奪い合う、若々しい親子。やはりそこには、寂しい音などない。
 なにも心配は要らない。ここの音は、ここを訪れるすべてのもののためにある。
 ――だから、大丈夫だ。もしおまえがジャズメンの魂なら、安心してリードしろ。もしおまえが音痴な天使なら、ここで練習するって手もあるぜ。

 音の正体は、わからない。
 だがそれきり、そのライブハウスから、『余計』な音はなくなった。
 或いははじめから、余計なものなど、なにもなかったのかもしれないけれど。




〈了〉
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年10月11日

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