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『秋色、夏からの続き 』
橘・沙羅2489


 この夏、新しい友人ができた。
 彼女――いや、ひょっとすると「彼」かもしれないが――の名は四陽(しひろ)。まるで生きたヌイグルミのようなアフロウサギ。
 アフロなウサギ。少し考えただけだと奇妙な違和感に捕われそうだが、実物は極めて愛らしい。
 そんな四陽が橘・沙羅(たちばな・さら)の元にやってきた詳しい経緯は割愛するが、夏に出会った一人と一匹――「一羽」ではなく敢て「一匹」――の生活は、ぐるりと季節を回して秋へと辿りついていた。
 世間は衣替えのシーズン真っ盛り。


 秋の日暮れは早い。
「涼しくなるのは嬉しいけど、帰り道が暗くなっちゃうのは困るよね」
 オレンジ色をした太陽は、遠いビルの谷間に姿を隠しつつある頃、ベレー帽を頭に乗せた沙羅は、軽やかな足取りで帰路を急いでいた。
 ぽつり、ぽつりと灯り始める街灯の温かな光が、薄暗くなりはじめた世界に優しい色の花を咲かせる。
 帽子の際、白いリボンで結われた髪が、微かに夏の名残を残した風にふわりと踊って宙に流れた。
 体育祭の喧騒は一段落したものの、文化祭という多くの学生にとっては最も気合が入るイベントがすぐ間近に控えている。
 もちろん、部活動にだって熱が入るし、学業だっておろそかにできない。これにピアノのお稽古まで加われば、日々は目まぐるしく過ぎ去るばかり。ともすれば、余裕皆無の切羽詰まった毎日を過ごさねばならなくなるところだが――そんな中にあっても沙羅は笑顔を忘れない。
 目指す先、暖かな我が家まではあと少し。
 ひょっこり顔を出したご近所さんに、会釈とともに挨拶を済ませ沙羅は足を速めた。
 自然と零れる歌声が、夜の帳が降り始めた住宅街に優しく響く。
 その声を聞きつけてか、隣の家の犬と向かいの家の猫が、タイミングよく見事な歌声を披露した。
「ただいま!」
 元気よく玄関の扉を開けた途端、沙羅の鼻をくすぐったのは甘いシチューの香り。ふわりと溶けそうになる心地よさに引き寄せられ、キッチンを覗き込み帰宅の挨拶。
 それから、くるりと反転。
 行く先は自分だけのお城――つまりは、自分の部屋。
 以前はなんとなく向うだけだった道のりが、今はうきうきと心弾む。
「ただーいま…………四陽ちゃん?」
 驚かせないよう細心の注意を払ってそっとドアを押し開く。
 目に飛び込んできたのは見慣れた光景。
 白を基調とした内装に緻密なデザインのレースのカーテン。他にも随所に女の子らしいふわふわ感がちりばめられている。
 それをきゅっと引き締めるのは、部屋の隅に置かれたピアノ。
「みーつけた!」
 花柄のカバーのつけられた室内灯のスイッチを入れて、ぐるっと部屋の中を一見回り。ベッド上のぬいぐるみ達に紛れ込むように、じーっと此方の様子を伺っているそれに、沙羅は破顔した。
「四陽ちゃんはかくれんぼが大好きだもんね」
 手にしていた鞄を机の傍らに置き、被っていたベレー帽をハンガーフックにひっかける。それから満面の笑顔でベッドに向けて腕を差し伸べれば、柔らかな感触が飛び込んできた。
「今日も一日、お利口にしてた?」
 ふわふわもこもこの頭を優しく撫でると、赤い瞳が嬉しそうに沙羅を見上げる。
 この夏から、沙羅の部屋で同居するようになったそれ――アフロウサギの四陽は、沙羅に抱き上げられて、甘えるように身を摺り寄せた。
「わわっ、ちょっと待って四陽ちゃん」
 思わずぎゅっと抱き締め返しかけ、沙羅は自分がまだ制服を着たままだったことを思い出す。別に四陽が汚れていたりするわけではないが、そこはやっぱり生き物だから抜け毛がついてしまう。その上このままジャレてしまっては、あちこち皺になってしまうのは間違いない。
 それは年頃の少女にとっては、紛れもない一大事。いつだって一番ぴかぴかの自分でありたいと思うのは、当然の論理――というか、少女としての約束事のようなもの。
 おまけに恋する乙女ともなれば――
「って、違う違う。今はそうじゃなくって!」
 突然、首を左右に振り始めた沙羅に、四陽が驚いたように目を見開いた。
「四陽ちゃん、ちょっとだけ待っててね」
 弾かれたように四陽をぬいぐるみ達の中に戻し、沙羅は小走りにクローゼットへ駆け寄る。背中にじーっと自分を見つめる視線を感じたが、それは敢て気付かぬフリを決め込んだ。
 頬に残るかすかな朱は、沙羅の心の中に住んでいる誰かの事を思い出したから。
 だから、乙女は何時であろうと気を抜くことは許されないのだ。
 素早く部屋着のワンピースに着替えて、制服を丁寧にしまいこむ。これで明日の朝、大慌てしてアイロンを引っ張りだす心配はなくなった。
「お待たせ、四陽ちゃん。今日はね、文化祭の準備があったんだよ」
 ぽふりと軽く身体を弾ませて、ベッドの際に腰を下ろす。ふわっと立ち昇ったのは温かなお日様の匂い。
 拗ねたようにぬいぐるみ達の中に埋まりこみ、背中を丸めたアフロウサギを再び腕の中へと誘う。指先が触れた瞬間、びくりと震えた毛並が、沙羅の膝の上に乗る頃にはご機嫌にこそこそ動く。
 その様が愛らしくて、沙羅の両頬が自然と弛む。
「あのね、沙羅のクラスではね喫茶店をすることになったんだけど、今日はその衣装を選んだの。エプロンとかやっぱり可愛いのがいいと思うでしょ?」
 四陽が来る前、一人きりで過ごすこの部屋ですることといえば、机に向っての宿題とか、迷惑にならない時間を選んで友達に電話すること。それ以外はただぼんやりするだけだった。
 そのことを寂しいとか、つまらないとか感じた事はなかったけれど、今の「楽しさ」から比べると、味気なく感じてしまうのは当然で。
「沙羅はねフリルがついたのがいいと思ったんだけど、なかなか良いのが見つからなくってね」
 沙羅の言っている事を理解しているように、言葉の一つ一つに小さな動作を返す四陽。耳がくるりと動いたり、尻尾がぴくぴく揺れたり。そのどれもが沙羅の気持ちを嬉しくさせる。
 それはどんなに疲れているときにでも、沙羅をあっという間に元気にさせてくれる特効薬。
「……そう言えば」
 衣装、という話をしていて、ふっと何かが沙羅の思考に引っかかった。
 ひょいっと四陽を目の高さまで抱き上げる。
 四陽が着ているのは、もらったときに着せてあったウサギ柄の浴衣。それも充分可愛らしいのだが、これから先の季節は寒そうに見えてくることは間違いない。
「四陽ちゃんも、そろそろ衣替えの季節かな?」
 我ながら素晴らしい事を思いついた! と沙羅の瞳が輝く。
 家のどこかに自分が小さかった頃に着ていたワンピースがあったはずだ。
 都合の良い事に明日は土曜日。
「明日、四陽ちゃんに新しいお洋服、沙羅がつくってあげるね」
 額と額を軽くぶつける。
 すると四陽が嬉しげに笑ったような気がした。


 そして翌日は朝から大騒ぎ。
 まずは四陽にサイズが合うような洋服を探すところから始って、次はどれが似合うか頭を悩ませる。
 最初にコレ! と気にいったベビーサイズのピンクのワンピースは、ウェストのあたりが少し苦しそうに見えて泣く泣く断念。
 次に沙羅が選んだのは、シンプルなデザインのセーラーカラーのシャツ。なんとなく色合いが今の制服に似ている事に気がついた瞬間、ステキな考えが閃いた。
「四陽ちゃん、ちょっとだけだから、ね、ね?」
 撫でられたり、遊んでもらったりするのは大好きなようだが、どうやら『採寸』という作業はお気に召さなかったらしい。
 どうせならぴったりお似合いに作ってあげたくて、メジャー片手に四陽を追いかける沙羅の手を、ひらりひらりとアフロウサギは逃げ回る。
 なんとか必要なサイズを計り終える頃には、沙羅の息もすっかり上がってしまっていた――が、勝負はここからが本番。
 苦手というわけではないが、学校の授業でしかあまり触れることのないミシンと縫い針に果敢にチャレンジ。たまにうっかり針の先が、沙羅自身の指先を掠めたりするくらいはご愛嬌。
 小さな悲鳴が沙羅の口から上がるたびに、先ほどまでは逃げ回っていた四陽が心配そうに寄り添い顔を見上げる。
「大丈夫よ、沙羅に任せておいてね」
 親指の先端にぷっくり浮かび上がった血の玉を、ちゅっと舐めとってから四陽の頭を撫でた。
 大丈夫、きっと可愛く仕上がる。
 完成形を脳裏に描き、沙羅の作業は昼過ぎまで続くこととなった。


「そういえば、四陽ちゃんはお散歩するのは初めてだっけ?」
 普段はぬいぐるみ達を入れているラタンバスケットに四陽を入れ、落葉が間近に迫った並木道を沙羅は振り仰ぐ。
 暑い盛りに涼しげな木陰を提供してくれる木々も、すっかり冬支度を始めているようだ。
「この公園も沙羅のお気に入りなんだよ、四陽ちゃん見える?」
 バスケットを胸元に抱え、おどろいたように頭だけ縁から出している四陽。その頭にはフェルトと余った生地で作られた小さなベレー帽。
 沙羅の足元で靴音が響くたびに、もこもこの頭に乗せられたそれが、不安定にふわふわと踊る。
「学校帰りとかにね、ここにくるとちょっと落ち着くの――今は四陽ちゃんが待ってるから、立ち寄ることは少なくなったけどね」
 並木道から一歩内側に入ると、そこは芝生が一面に敷き詰められた緑の公園。石造りの噴水の前には、暫しの休憩にもってこいの白いベンチ。
 周囲では駆け回る子供達と、それを目を細めて眺める母親達らしき一団の姿。彼女たちが身に纏う服装も、すっかり秋色めいていた。
「四陽ちゃんを学校に連れて行けたら、きっとみんな喜んでくれるんだろうな」
 レースのハンカチをひいてからベンチに腰を下ろし、バスケットを自分の隣に置いて四陽だけを膝の上に移す。
 新しい世界に耳をぴくぴく動かしながら興味を示す四陽が着ているのは、もう夏の浴衣ではない。
 さきほど沙羅が作り上げたばかりの、セーラーカラーのワンピース。それは沙羅の通う学校の制服によく似ていた。
 襟元やリボンに使われている茶色が、まさに秋にぴったりな雰囲気。
「うん、やっぱり可愛い」
 相変わらず沙羅の膝の上で周囲の様子を伺っている四陽の頭を撫でながら、沙羅は満足気に微笑んだ。
 その言葉を聞きつけたのか、四陽が沙羅を見上げ、前足を軽く上げる。まるで「ありがとう」と言っているような仕草に、沙羅の頬に刻まれた笑みが深くなる。
 見上げた空には積乱雲ではなくひつじ雲。
 夏から秋へと目にも鮮やかに季節が変わり行く時期。
「もう少し寒くなってきたら、今度はおそろいのマフラー作ろうね」
 これから続いていく時間に思いを馳せ、沙羅は四陽に頬擦りした。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
観空ハツキ クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年10月11日

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