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『しあわせなひと 』
小石川・雨5332)&榊・遠夜(0642)


 気づけば、彼の目の前に、小石川雨が働くパン屋。
 最近は、こうして気がつけばそのパン屋にたどり着いていることが多い。……あまりにも、多すぎる。榊遠夜という学生は、学校帰りに買い食いをする少年ではなかった。小食で、はっきりとした食欲を持たない。パン屋はけして、遠夜の生活にとって、不可欠なものではなかった。
 なのに、気づけばこうして、足を向けている。パンを買うくらいの金ならいつも持ち歩いているから、結局いつも、なにか買って帰っているのだ。
「いらっしゃいませー……あ!」
 ドアの向こう側には、パンの香ばしく甘い香り。
 そして、喜びを隠さない雨の顔がある。
 遠夜はこの笑顔に、いつもと変わらない無表情で、会釈を返すのだった。

 カボチャ。
 オレンジ色のカボチャ。
 カボチャ。
 レジのまわりに、カボチャ、カボチャ。
「……」
「あ! これね、うまく出来てるでしょ? うちのチビたちが作ったんだよ。ほら、このいちばんきれいなの、私が作ったんだ。どう?」
 雨はひときわ大きなカボチャを手に取り、勝ち誇ってみせた。オレンジ色のカボチャは、ただのカボチャではなかった。どれも中身をきれいにくり抜かれ、目と口の形の窓が開けられている。ジャック・オー・ランタンというものだ。
「いい表情だと思う」
 遠夜は相変わらずの、覇気のない声で答えた。彼は歯に衣着せぬ物言いをする。その言葉も、本心からのものだった。どちらも、確かにいい表情だ。笑う雨も、笑うランタンも。
「期間限定のパンプキンデニッシュ、一個だけ残ってるの! どう?」
「……うん、じゃ、それひとつ」
「パンプキンマフィンもあるよ」
「いらない」
「また、一個だけなんてそんな。榊くん『薄い』んだから、もっと食べなきゃ」
 遠夜はかぶりを振って、マフィンはいらない、ともう一度言おうとした。しかしその台詞は、雨の手を叩く音と、「あ!」という叫び声にかき消されてしまった。
 雨は持っていたランタンを半ばカウンターに叩きつけ、遠夜に詰め寄る。もう、鼻と鼻が触れ合ってしまいそうなほどに。遠夜はわずかに、無表情でのけぞった。
「……なに?」
「榊くんがたくさん食べられるシチュエーションがあるの」
「シチュ……?」
「10月といえば? カボチャと言えば? ……ハロウィンでしょ? 今度、うちでハロウィンパーティーやるんだ。榊くんにも来てほしいの」
 ハロウィン。和を重んじる血統の遠夜ではあるが、ハロウィンのなんたるかは知っている。小石川家のハロウィンパーティーと聞いて、彼の脳裏に浮かぶのは、たくさんの仮装した子供たちだった。甲高い声の渦と、クラッカーの音色に、プレゼント交換。遠夜の頭の中は、次第にカボチャのパーティーの中にクリスマスの光景を混ぜこみ、混沌としはじめていた。
「いや、僕は」
 パーティーには不慣れ。人ごみは苦手。大勢で騒いで飲んだり食べたりするのは、好きではない。
 しかし、遠夜が表情を曇らせ、そうして言葉を濁すのは、雨が想定していた通りの反応だった。
「チビたちのことは気にしなくていいから! 唐揚げとかたくさん作るんだよ。ごちそうだよ、唐揚げとか! せっかくだから、ね?」
 無言。口が開けば、飛び出すのはきっと、「でも」。そうはさせるかと、雨はたたみかける。
「夏祭りでうちのチビたちに会ったでしょ。あれからあいつらうるさいの。あの背がたかーいおにーちゃんに会いたい、って。みんな気合入れて衣装作ってるのよ。榊くんが見てやってくれたら、きっと喜ぶと思うんだ」
「そう……」
 気づけば、遠夜は後ろに倒れそうなほどにのけぞっていたし、雨はカウンターから大きく身を乗り出していた。その雨の気迫にいつものように圧倒され、遠夜は小さく頷いていた。
 決まりだ。
 遠夜の10月31日の予定は、これで埋まった。


 木枯らしが吹く中に立ちすくむのは、小石川学園という名の孤児院と、榊遠夜。しかし肌寒いのは外ばかりだ。孤児院の中ではモンスターに扮した子供たちがちょこまかと――いや、どたばたと駆けずりまわり、園長夫婦と雨は料理の準備に明け暮れている。そう大きくもない施設の中は、揚げ物と子供たちが上げる熱気で、暖房などまったく必要のない状態だった。
「雨ねーちゃん、外におにーさんがいるー」
「え?」
「背えおっきーおにーさんだよう」
「あ! 榊くんだ。入ってくればいいのに、もう」
 雨はエプロン姿のまま、孤児院の門まで駆けていった。子供たちの証言の通り、そこには目をぱちくりさせている遠夜が、電柱のように突っ立っていた。手にはメモを持っていた。雨が、自宅の位置を地図にして渡したメモである。
「いらっしゃい! 上がって上がって」
「小石川さん、あの……」
「ん? なに?」
「ここ、小石川さんの、『家』?」
「うん、そうだけど。……あ。……もしかして、言ってなかったっけ、私」
「聞いてない」
 小石川雨の自宅が、孤児院であるということなど。
 榊遠夜は聞いていない。雨も、べつに隠していたわけではないが、確かに話していなかった。話す必要がないと思っていたし、話すきっかけもなかったからだ。以前、夏祭りで、雨の『弟』や『妹』たちを、遠夜は見た。兄弟にしては数が多いし、顔つきも気配もあまり似通っていないとは思っていたが、まったく血の繋がっていない、しかも孤児たちだったとは、思いもよらなかったのである。
「気にしないで。さ、上がってよ」
 雨は相変わらずの笑顔を見せて、遠夜の腕を引っ張った。わずかな驚きを浮かべた無表情で、遠夜は半ば強制的に、小石川学園の敷居をまたいでいた。


 ちいさなヴァンパイア。ちいさなフランケンシュタインの怪物。ちいさな魔女。ちいさなシーツ……いや、ゴースト。典型的だが、だからこそ微笑ましい仮装の子供たちが、きゃいきゃいとじゃれ合っている。子供たちのテンションの高さは相当なもので、まったくの普段着である遠夜は、隅のほうで圧倒されていた。園長夫婦に挨拶も忘れていたし、しばらくはまばたきまでも忘れていたほどだった。
「そうだそうだ! ごめん、榊くん、ちょっと手伝ってほしいんだけど」
「なにを?」
「こっち来て!」
 またしても腕を引っ張られ、遠夜が雨に連行された先は、キッチンだった。テーブルの上にはカラフルな包装紙と、クッキーやキャンディの山。遠夜は椅子に座らされ、包装紙とお菓子をどさどさ手の上に置かれていった。
「準備が間に合わなくって。チビたちにあげるお菓子なの。適当でいいから包んでほしいんだ」
「包むって……」
「ほんと、適当でいいから! あー! もうパイ焼き上がってる! 焦げちゃう焦げちゃう!」
 雨はどたばたとオーブンに駆け寄った。あとに残された遠夜は、……素直に、お菓子を包み始めた。ここまで来ては、もはや、そうするしかなかったからだ。


「はい、せーの!」
「「「「とりっくおあとりーーーーと!!」」」」
 雨の号令に合わせて、ちいさなモンスターたちが元気よく叫んだ。天井が崩れ落ちるのではないかと(鼓膜が破れるのではないかと)思われるほどの大絶叫だ。
 おかしくれなきゃいたずらしちゃうよ、ときたものだ。このパワーでは、いたずらどころか骨を折られる可能性もある。
 遠夜は意識がどこか遠くへ飛んだままの無表情で、先ほど包んだばかりのお菓子を子供たちに配り始めた。お菓子は子供たちの人数分よりも、ひとつ多かった。あまったな、と無言で手の中の包みを見る遠夜に、雨はころころと笑いかける。
「それ、榊くんのぶんだよ。持ってって」
「……」
「ほら、まだ食べないの! ごちそうのあとでね! 唐揚げとミニハンバーグ、たっっっくさん作ったんだから!」
 わーい、と歓声を上げる子供たちは、ポケットにお菓子を突っ込んで、広い遊戯室のテーブルに群がった。テーブルの上には、クリスマスに匹敵するレベルのごちそうが並べられている。雨は手づかみで唐揚げを食べようとしている子ゾンビや、たまごサンドイッチをめぐってケンカをしている魔女っ子と子ヴァンパイアを注意していた。その傍らで、まだ箸の持ち方もままならず、エビフライを取るのに苦労している子ウェアウルフの手伝いもしてやっている。
「……」
 遠夜が入りこむ余地はなかった。遠夜の箸とコップもあったが、モンスターたちの笑顔と喧騒で、ただでさえ希薄な食欲はすっかり吹き飛ばされていた。雨も、『弟』と『妹』の面倒をみているばかりで、ほとんどなにも口にしていない。
 それでも、よかった。
 ちっとも寂しくはない時間だった。
 見る見るうちに減っていくごちそうを見るのが楽しかったし、楽しそうな顔を見ているのも楽しかった。お菓子の包みを開けてクッキーをかじる顔を見るのも、喜びだった。


 テーブルの上の料理があらかたなくなり、また次の仕事が出来た。後片付けだ。終始無言に等しかった遠夜は、今度はすすんで動いていた。食器を下げ、食べ残しをつまみ、或いは捨てて、テーブルの上を片付けていく。満腹のモンスターたちの相手は、園長夫婦がつとめていた。
 ふたりだけになったキッチンで、遠夜がぽつりと呟く。
「知らなかった。小石川さん、ここで育ったんだね」
「うん、そうだよ」
 いつもの調子で、事も無げに雨は答えた。あまつさえ、皿を洗う手をとめて、遠夜に微笑みかける。
「ここって……孤児院、だよな」
「うん。私ね、この学園の前に捨てられてたんだって。うんと小さい頃だったみたいだから、私、ぜんぜん覚えてない。でも、言うじゃない? 『産みの親より育ての親』って」
「……」
「どんどんどんどん弟と妹が増えてっちゃって、ちょっと大変だけど。……だけど、楽しいから」
 雨の表情には、なんの翳りもない。彼女はここにいることが、なによりの幸せなのだ。幸せであるために、必ずしも実の父親と母親が要るわけではない。雨のこの言葉と表情がその証だ。
「榊くん来てくれて、みんな喜んでた。よかったら、また来てよ」
「つぎは、クリスマスかな」
「イベントにこだわらなくたっていいのに。いつだって大歓迎!」
 遠夜はろくに喋らなかったし、いつものように小食だった。それでも、子供たちと雨は確かに、喜んでいたのだ。少しだけぎこちなかったが、遠夜は皿を拭きながら、微笑んだのだった。

 トリック・オア・トリート。
 遠夜は悪戯をされた気分だ。
 けれど彼は、またあのパン屋に立ち寄る。
 そして雨は、あのパン屋で遠夜が来るのを待っていた。




〈了〉
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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2005年10月11日

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