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『sots 』
水城・司0922)&上総・辰巳(2681)

 水のように流れる静かなジャズバラード。
 時間の流れを示す音楽の下を、声量を押さえた会話はたゆたい、触れ合うグラスが立てる音が弾ける泡沫となって消える。
 目に穏やかな暖色の照明、殊、光量を抑えた光は映し出す影をぼかして人の輪郭を曖昧にし、変わって穏やかな空気を纏わせるショットバーの一画……否応なく目を引く存在感からその定義から外れた水城司と上総辰巳がカウンターに肩を並べ、言葉少なに杯を重ねていた。
「……物好きな男だったな」
口火を切った司に、辰巳は軽く眉を上げる事で同意を示す。
 それだけで意図が通じるのは、互いに同じ事柄に思考が及んでいたからに他ならない。
 両者は共に仕事帰りだ。
 それは司が生業とするトラブルコンサルタントでも、辰巳の塾講師のそれでなく、副業、というにはアルバイト的な、某興信所調査員の肩書きを負っての業務だ……割りの善し悪しが時により、定期的な仕事が望める訳でもなく歩合制の感すらある仕事だが、今回はまともと呼べる取り分が懐を暖めて、打ち上げも兼ねて報告を終えたその足で飲みに繰り出した次第である。
「正気とは思えないな、全く」
上総の投げ遣りな一言で、会話は終わりまた音楽が心地よく沈黙を埋める、かに思われたのだが。
「それとも不自由すると、見境がなくなるものなのか?」
己で吐き出した疑問に、有り得ない、と上総は首を横に振る……同時に深く、吐き出された息の虹色が、少なからぬ酔いが回っている事を示していた。
「そう……なのか?」
司もまた、心持ち熱を帯びた息を吐く。
 ザル、酒豪。呼び名はどうでもいいが、アルコールは水も同然という両者に酔いの徴候が見られるのは珍しい。
 最も、会話もなくただひたすらに黙々と、ストレートのウィスキーを空け続けていればそれは自明の理というものだ。
「僕ならあんな女は御免被る……」
酔ったとはいえいつになくナーバスな上総の言に同意して、司もまた深く深く深く頷く……それ程までに二人にダメージを与えたのは他ならぬ、本日解決を見た依頼である。
「取って食われそうな存在感だったな」
しみじみと司に言わしめた依頼主は女性、限りなく金に近くなるまで脱色した髪は緩やかに波打ち、身体にピッチリと沿ってラインを強調した豹柄のスリップドレスは足を組み替える動きに深いスリットから肌を覗かせる……求める所は理解出来る。それどころかとても分かり易いスタイルに、彼女の貫きたい路線は明確だ。けれども。
 推定、80キロに及ぶと思われる豊満を通り越した体格が、全ての意図を裏切っていた。
「依頼主じゃなかったら、廃棄物処理場送りだ」
半ば以上、言に本気を込めて上総は何時になく些か荒く、手にしたグラスをカウンターに音を立てて置く。
 産業廃棄物に喩えられる迫力を持つ女性が『怪奇現象にだけ強いんじゃない興信所』の噂を聞きつけ、身辺に出没する男の正体を突き止めろと依頼に訪れたその場に、何の因果か風聞の責任者である辰巳が出会したならば押し付け……もとい、引き受けさせられるのもまた流れから言って当然と言える。
 その場に居合わせた司もまた、トラブルコンサルタントという横文字の響きに、強引に連れ去られた訳なのだが。
 五秒に一度は辰巳か司に向かって情熱的なウィンクを繰り返す依頼人に、どちらかがキレずに居られたのは実際、お互いが牽制しあっての事とは言え奇跡に近い……そもそも、依頼主が言うカメラのフラッシュは近隣の住宅の窓硝子に反射した太陽光であったし、イヤガラセの手紙はダイエットを促すダイレクトメール(しかし量が尋常でなかったあたり、関連商品を大量に購入した過去があると思われる)、ベランダに行き倒れていた鳩は階下の住人が飼っていたペットが逃げ出し、迷って踞っていただけという調べが即座に取れた。
 身も知らぬ男の影に怯え……というには些かどころでなく自意識過剰というか演出過剰な不安に震えてしなだれかかられても、その体重を支えるだけで精一杯になる事態に辟易するしかない。
 しかし、司と上総の互いが互いに押し付け合うという未だ嘗てない困難な事態に終止符を打ったのは……第三の男の影だった。
 被害妄想を納得させようと言を尽くしている最中、部屋に飛び込んできたのはひょろりとした体格に栄養不良を思わせる男。
「目を覚まして下さいーッ!!」
と、唐突すぎる闖入者は叫んだ。
 遠くで見ているだけで満足していたが、貴方があまりに変わっていく様が切なく狂おしく……幾度となく警告の文面(遠慮深く5センチ四方の紙に虫眼鏡でないと読めない文字)を投函したが聞き入れては貰えず、迷い鳩をベランダに置いて嘗ての優しさを取り戻して貰おうと思ったがそれも徒労に終わり、果ては男を二人も部屋に連れ込むなどともう辛抱がならない。どうか昔の純粋な貴方を思い出してくれと……ビクビクおどおど、そして切々と訴えて男は、隠し撮りと思われる嘗ての依頼人の写真を取り出した。
 清らかに白い……それでなくとも大きい体格の表面積を更に広げて膨張させる、フリルに埋もれるような、否、フリルの塊の中に埋まった彼女。
 確かに、清純だ。路線だけは。
 其処から今のイケイケに変わってしまったというなら確かに落差が大きすぎてついていけないだろう。
 全く唐突に、そしてあまりな事態に言葉を失う司と上総を放って、二人の間で話はずんずんと進み、依頼者と男とが真実の愛を見つけ出したあたりで漸く茶番に終止符が打たれた。
 その後早速幸せを見出した二人して興信所を訪れ、調査費用を心づけと共に置いて行ったのだという……耳にした結果は携帯で、所長が労いと共に報告してくれたものだ。
 その折にちゃっかりと報酬に関する交渉も、増額の方向で済ませているあたりは抜け目ない。
「今なら普通の女も好ましく見えるだろう?」
「厄介事は御免だ」
意見は即座に両断される。
 あの女性……というには奇怪な人物と、ごく一般的な女性像、比較対象としてこの上なく、月とスッポンの差を正しく認識出来る例があって尚、一刀に伏すとは……。
「過去に女性関係で何か問題でも?」
そう、勘ぐらない方が不思議だ。
 それにあからさまにむっとした上総が答えず、目の前のグラスを開ける様に何故だか優越感を覚えて司は口元を笑いの形に引いた。
「手を焼く厄介さが楽しいんだろう」
それは間違いなく彼女持ちの余裕……であるのだろう。
 先の笑いは意図的なそれではなく、自然に口元が緩んでの物だ。
「手を焼く……厄介」
ぽつりと呟いた脳裏にも、御多分に漏れず同じ女性の像が結ばれたのか、妙に感慨深い呟きで上総は頷いた。
「確かにあれなら退屈しないだろう」
 男二人が等しく思いを馳せたのは黒い髪と瞳を持つ一人の女性。
「だろう?」
素直な同意に、僅かだが自慢げに胸を張った司を見、上総が頬杖をつく。
「だから今度貸せ」
「断る」
こちらも即答だった。
 だが、気分が直滑降したのもあからさまに、不機嫌さを表に出す司に、我が意を得たりとばかりに上総は余裕を取り戻す。
「いいだろう、減るモノでなし。新しい経験は人間必要だぞ? マンネリ化は脳を馬鹿にするからな」
説き伏せるように繋ぐ言を聞きながら、司もまたグラスを干した。
「……面倒だ、厄介だと忌避している奴の経験がどれ程活きるかは知らないが」
上総が手にしたグラスと……多分、自尊心と呼ばれるだろう何かにピシリと罅が入る。
「そういうお前に関しては、彼女から悪口雑言しか耳にしないけどね。満足させれてないんじゃないか?」
グラスを置こうとした司の手が滑り、縁から氷が転げ落ちる。
 カトーン……カラカラカラ。
 カウンターの上から滑り、氷が床に転げ落ちる、音。
 それを合図にか、店内の空気が絶対零度にピシリと凍り付く。
「あいつとの経験もない癖に何を」
「ないからこそお教え願いたいですね経験豊富な方に」
わざわざ男の沽券に係わる話題で応酬を続けなくともよいと思うがそこはそれ、二人ともいいだけのアルコールが回っている。
 店員、他の客の動きを醸し出す冷気で止めながら、二人は尚も黙々と呑む。
「……あいつとはそんな話をよく?」
また口を開いたのは司だった。
「よくという程じゃない……けど」
よくと言える程会う訳ではないが、顔を見る度に必ずその手の発言があるのは頻繁と呼べるのではないかと、酒に鈍った判断に上総が首を傾げた間に、「そうか」と短い答えが返ってしまう。
 その折に漸く、凍っていた空気が揺らいだ。
「いつまでも照れ屋だな」
違う!と、本人及び他の関係各位が居れば即座に反応した事だろうが、この場に事情を知るのは上総のみである。
「……照れてるのか、アレは」
「そう、照れてるんだ」
金属バット振り回して大暴れ……なんとも分り難い照れがあったものだ。
 納得が行ったのか、絶対零度の感情からすっきりと脱した司を見、上総は一つ、息を吐く。
 やはり女性は厄介だ、と心中にしみじみと……ほんの少しだけ司を羨ましいような感情も過ぎったが、それは本人の自覚なく呑み込んだウィスキーの喉を通る熱さに紛れた。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年10月04日

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