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『それは静かな、秋の空 』
本郷・源1108

 青く晴れ渡った空。静かな陽射し。まだそれ程涼しくなってはいないものの、空の色も流れる雲も時折頬を撫でていく風も、盛夏のそれとは違っている。本郷源(ほんごう・みなと)は屋根の上でぐうっと伸びをすると、ふうう、と息を吐いた。
「気持ちよいのう、嬉璃殿」
 隣に寝転ぶ白髪の少女に言うと、彼女もまた同じように伸びをして、ほんに、と微笑む。
「嬉璃殿は、秋が好きか」
「好きぢゃ。源は?」
 問い返されて、無論、と笑った。
「少なくとも、夏よりは好きじゃ。銭の音がたんとする」
「なるほど。冬はおでんの季節ぢゃな」
「その通り。さすがは嬉璃殿、よう分かっておられる」
 源は小学生でありながら、おでんの屋台を経営するいっぱしの経営者でもある。暑い夏もその才覚と強引さで何とか毎年乗り切ってはいるものの、やはりおでんのメインステージは冬だ。これからは黙っていても客が来る。千客万来、何よりだ。
「冬と言えばおでん。ぢゃが、秋と言えば何であろ」
 嬉璃のその一言が、その後の展開の契機となったと言えるだろう。
「秋と言えば、やはりマツタケかのう。それから…」
 考えながら源が言えば、嬉璃も
「栗に芋、か。ほんに食い物には事欠かぬ季節ぢゃ。天高く馬肥ゆる、とも申すが」
 と言い、源がそうじゃの、と相槌を打つ。
「馬肥ゆる、か。馬も食い時と言う事かの。じゃがわしは馬よりは…」
 二人は同時に空を見上げた。すうっと長い雲が見える。
「秋刀魚が良い」
「秋刀魚ぢゃ」
 異口同音にそう言って、顔を見合わせる。
「秋刀魚と言えば、目黒ぢゃ」
 と言い出したのは、嬉璃だ。普通の小学生ならばきょとんとする所だろうが、祖父に可愛がられて育ったお陰か、見事に偏った知識を持つ源には、すぐにぴんと来た。
「目黒か。なるほど、目黒の秋刀魚。…じゃがあれは」
 言い掛けた源に、嬉璃が案ずるな、と笑う。
「わしとて話の顛末は知って居る。ぢゃがな、源。火の無い所に煙は立たず。秋刀魚の居らぬ所に秋刀魚の話は起こらぬものなのぢゃ」
 かくして二人は、あれやこれやを袋につめて、仲良く目黒に向かったのだ。

「嬉璃殿、ここに秋刀魚が居るのか?」
 源が首を傾げたのも無理は無い。秋刀魚の殿様の時代は既に遠く、のんびりとした田園風景の代わりにあるのは、都会の雑踏だ。無論、海などある筈も無い。だが、嬉璃は余裕の笑みで、
「なあに、任せておくのぢゃ。呼べば良いのぢゃ」
 とばかりにぱん、ぱん、と大きく二つ手を打った。通りを行く人々が振り返り、と同時に何かがどこかでわさわさと蠢くような気配がした。それは瞬く間に近付いてきて…。
「嬉璃殿、あれは…」
 源が全ていい終わるより早く、それは目黒の町に襲来した。凄まじい数の、秋刀魚である。呆然と空を見上げ、辺りを見回す人々の中で、嬉璃と源のただ二人だけが歓声を上げていた。
「おお、凄い!秋刀魚じゃ!」
 源が叫べば、
「そうぢゃ!秋刀魚ぢゃ!獲り放題ぢゃ!」
 と嬉璃が叫ぶ。街に降りてきた秋刀魚の行動は実に様々で、空を飛ぶものあれば地を走るものあり、びちびちと音を立て青銀色の背を輝かせながら辺りを跳ね回る秋刀魚の群れの中に、二人は勢い良く飛び込んだ。
「嬉璃殿、わしは空を行くものを!」
 と言って、源が取り出したのはクロスボウだ。
「では、わしは地を行くものを捕らえるのぢゃ!」
 懐から呪符を取り出して、嬉璃が宣言する。二人の少女の秋刀魚狩りが始まった。源のクロスボウが連続して秋刀魚を落とせば、嬉璃の呪符が秋刀魚達を捕らえる。
「縛!!」
 嬉璃の声と同時に、秋刀魚がぴょんと跳ねて彼女の籠に入った。
「ほう、中々」
「造作も無い」
「ではわしも…」
 と、源が背から取り出したのは、折りたたみ式の薙刀だった。シャキンシャキンと心地よい音を立てて瞬く間に組み立てた薙刀を、はっ、と気合と共に一振りすれば、数匹の秋刀魚が落ちる。地面に落ちるより早く、嬉璃がそれを籠に収めた。地を走っていた一団がいきなりばあっと空に飛び上がったのを見て、クロスボウを取り出そうとした源だったが、既に矢が切れているのに気づき、ショートボウに持ち替えた。
「くっ…ここからでは少々遠い」
 と呟いて、自分も飛び上がる。おおっとどよめく人々を他所に、源は店の壁と屋根を踏み台にしてぽおんと空に舞った。振袖がふわっとなびいたと同時にショートボウを連続発射する。秋刀魚に逃げ道は無かった。地上では相変わらず嬉璃が小気味良い狩りを続けている。
「さすがは嬉璃殿、無駄が無い」
くすりと笑うと、源はまたぽんと空高く飛び上がり、回転しながら薙刀を一閃させた。

「ほう、これくらいあれば、もう良いのぢゃ」
 籠一杯の秋刀魚を見て、満足そうに嬉璃が言う。源も同意見だった。二人は呆然としている通行人たちを尻目に悠然と目黒の街を後にして、今は元のあやかし荘の庭に居る。管理人に炭火を焚くよう頼んだのは、嬉璃だ。源も思いつく限りの食材と道具を持ち出して、調理の準備を整えていた。空は相変わらず青く澄み渡り、少し陽が傾いて来たからだろう。風も涼しくなってきた。たらいに入れた一杯の氷に載せた秋刀魚を、源は手際よく刺身用に捌く。炭火の前では、塩焼き用の秋刀魚に嬉璃が塩を振っていた。
「楽しいのぢゃ!」
 楽しげに塩を撒く嬉璃を、心配そうに見ているのは管理人の少女だ。他の住人達も何事かと外に出て、いきなりの秋刀魚祭を珍しそうに見ている。炭火が用意で出来、大きな七輪に塩をたっぷりまぶした秋刀魚を数尾乗せた。刺身は既に出来ていて、大皿に綺麗に盛り付けられていた。おお、と歓声を上げる住人達の前で、まずは源が味見をする。
「うん、美味じゃ!!嬉璃殿も一口」
 と、勧める。嬉璃が美味いのぢゃ!と叫んだのが契機となって、皆が一斉に箸を取った。刺身を平らげた頃、丁度塩焼きが焼ける。塩のよくきいた秋刀魚を一口味わい、源はふう、と息を吐いた。沢山あった秋刀魚は何時の間にか半分に減っていて、残りのうち半分は、今鍋の中で梅肉煮になろうとしている。これは少し日持ちがするからと、皆それぞれお弁当に持って帰るらしい。かく言う源も、冷蔵庫にたんまりと入れてある。勿論、商売用だ。ついでに言うと、残りのもう半分はつみれにする予定で居る。言うまでもなく、これまた屋台で出すものだ。どんな時も銭儲けを忘れないのは、源の主義と言うより習性と言えた。それにしても…この秋刀魚、何にしても美味い。
「うむ、絶品じゃ」
 箸をおいて、満足げに呟いた。見れば、何時の間にか隣に嬉璃が腰掛けている。
「なあ?源」
 言わんとする事を察して、源も微笑む。
「うむ。やはり秋刀魚は目黒に限る」
 我が意を得たりと嬉璃がぽんと手を叩き、二人はまた顔を見合わせて、にっと笑った。さらりとした風が、微かに庭の木々を揺らしていく。仲良く秋刀魚を味わう二人の少女を見下ろしているのは、どこまでも高く、静かな秋の空だった。

<終わり>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
むささび クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月26日

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