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『降りやまぬ白妙の 』
高遠・弓弦0322)&ジェイド・グリーン(5324)


 遠目にもその建物はすぐに分かる。
 特徴的な尖塔に十字がひときわ高く聳えている。夕景に映えるそのかたちを確かめるように今一度眺めてから、ジェイド・グリーンはゆるやかな坂を駆け下りた。朱い日輪に染められて、青年の金の髪は輝きを増したよう優と揺れ、坂下からの心地好い風が撫でてゆく。
 長月を過ぎてまだ日中に残る暑さ、それも夕暮れ時の今頃は、夏も終わりかとしみじみ思うほどには薄れている。
 夏の名残を曳きながら――季節は秋、である。
 ジェイドは鼻歌でも聴こえてきそうなほどの軽い足取りで、建物の前に立つ。既に何度か訪れたことのあるそこは、カトリック系の教会だった。アプローチへ続く石畳の小道を進みながら、周囲を見渡す。ミサの時間はとうに終わっているはずで、それを示すように辺りに人影はない。そして目的の人物の姿も見当たらなかった。
(するとまだ、中かな?)
 数段の階段を二歩で上がって、片側のみ開かれた扉の間から、教会のなかを覗き込んだ。
 まず視線のゆく、中央奥に静かに掲げられた聖母子像は、光の加減で足許の辺りがぼんやりと存在を伝えてくるだけだった。建物の灯りは落とされていて、ステンドグラスを透いて射す夕陽の色が、不思議な光彩を堂内に投げ込んでいる。
 彼女はもう帰ったのだろうか、と思いかけたジェイドだったが、会衆席にふと、銀の煌めきを捉えた。
 ああ、居た――見つけると同時に、頬が緩む。
 左右対称に置かれ連なる会衆席の左なかほど、ただひとり腰掛ける少女の姿がある。こちらに背を向けているため何をしているのかまでは知れない。祈りを捧げているのなら邪魔してはいけないと、ジェイドはそっと扉から離れようとした。
 しかし、こういった場面で何らかの失敗をするのが、最近のこの男の常だった。
 ――キィ、ガ、ガタンッ、バサッ。
 どれかひとつの擬音でも十分に人気のない堂内に響いたことだろうが、ジェイドはご丁寧にそれを四、五回ほど繰り返してみせた。
 左側だけ開いていた扉から離れようと、無意識に右の扉に添えていた手に僅かに力を籠めたところ、てっきり固定されていると思ったその扉は容易に内側へ向かって開いたのだ。バランスを崩したジェイドは扉に頭から突っ込み、前のめりに教会に闖入することになった。
 そうして今、俯けに倒れている次第である。
「……ジェイドさん?」
 さすがに気づいたよなあ、と当然のことを思っていたジェイドに、やわらかな声音が降る。視線を向けると、席から立ち上がった高遠弓弦が、目を丸くしていた。やあ、と倒れた姿勢のまま片手を挙げると、はっと表情を改めて駆けつけてくれた。
「大丈夫ですか?」
「うん、平気。ちょっとびっくりしただけだから」
「びっくり、したんですか?」
「うん、自分に」
 答えながら身を起こす。よく磨かれた床には汚れなど見られなかった。
 まだ驚いているのか、それとも心配しているのか、弓弦は唐突に現れた同居人をおろおろと眺めている。
「あの、どうしてここに……?」
「え? ああ」やや派手な登場となったが、ジェイドは本来の目的を思い出して、自分より低いところにある紅い眼差しに笑みを映した。「弓弦ちゃんのこと、迎えに来たんだよ」
「もう、そんな時間でしたか」
「陽が暮れるの、早くなったからね」
 頷いて、ジェイドは問い返した。
「ところで、もう帰れるの?」
 弓弦は教会の手伝いで来ているはずだ。ミサなどの後片付けは済んだのだろうか。
「はい。……あ、神父さまに声掛けてきますね。少しだけ待っていてくれますか」
「了解。ここに居るよ」
 すぐに戻りますから、と言って弓弦は小走りに堂から出てゆく。走らなくてもいいのに、とその背を見送りながらジェイドは思って、自分以外誰も居ない堂内を振り向いた。
 何度かこの教会は訪れていたが、こうして中に入って眺めるのは初めてだった。

 ***

 弓弦は神父への報告を終えると、教会堂へと戻る。
 陽ははっきりと沈み始め、天空を藍色の夜がそろそろと染めかえようとしている。朱と藍と玄と、刻一刻と表情を変えるその競演に、しばし弓弦は見惚れて足を止めていた。しかしすぐにジェイドを待たせていることを思い出し、堂へ続く階段を駆け上がる。
 開いたままの扉のなかへ声を掛けようとして――止まった。

 堂にひとり、佇む男の面影が一瞬、見知らぬ男のものに見えた。

 きっと光の加減のせいだろう。あるいは、あまり見たことのない表情だったからかもしれない。
 彼の横顔にはいつもの笑みはなく、ただぼんやりと、否だからこそ熱心ともいえるような面差しで、何かを仰ぎ見ていた。
 彼に降る青い光。それは教会の窓に嵌め込まれたステンドグラスを通う光だ。
「ジェイド、さん……」
 なぜか微か、呼び声が顫えた。
 音にしてから、彼に気づかれなかっただろうかと不安になる。余計な心配は掛けたくない。
 ジェイドはその声に、ゆっくりと首を回らせると、まっすぐに弓弦を見て微笑んだ。
「おかえり」
 その笑顔に安堵する。僅かに詰めていた息を吐いて、思わずじっと彼を見つめていた。
 そんな弓弦の様子に、ジェイドは幾度か瞬いた。「どうしたの?」
「いえ、いいえ……何でもないんです」
 ゆるく首を振って、弓弦はジェイドに近づいた。足音が堂内に響いて、静寂を伝えている。
 彼の傍らまで来ると、恐らく先ほど彼の視線の先にあったその青を、改めて眺めた。
「マリア様を、ご覧になっていたんですか?」
「え? いや、窓の方を」
「ステンドグラスでしょう? これは、マリア様が天使に祝福されている図柄なんです」
「ああ、そうなんだ……天使と聖母と……白い花は、百合かな」
「ええ、マドンナリリーですね」
 背に白き翼を背負った天使が、マリアの許へやってくる。その手には純白の花。祝福の証のように、マリアは花を受け取る。
 意匠化されているが、そのような場面の絵だろう。全体を青系の色合いで統一させているため、外界からの光は自然青みを帯びて堂内を照らす。
「……綺麗な絵だけど、寂しそうだなあ」
 不意に、ジェイドが面をステンドグラスに向けたまま、そう呟いた。
 唐突な言葉に、弓弦はジェイドを振り仰ぐ。
「なぜですか?」
 そう問い返されて初めて、ジェイドは言葉にしていたことに気づいたようだった。いや、とか、ええと、とか少しの間口を濁していたが、やがて諦めたように溜息を落とすと、静かにまた繰り返す。
「……寂しそうだと、思ったんだ」
 弓弦は首を傾ける。それ以上問いを重ねることはしなかった。何となく、それ以上の理由はないのではないか、彼自身もうまく説明はできないのではないか――と、そう思った。
「ジェイドさん」
 うん? とジェイドは振り向いて、いつものように真摯に弓弦の視線を受け止める。
 紅と翠の交差。
 弓弦はそっと手を伸ばして、ジェイドの手を取った。自分でも不思議なほどの自然さで、その掌を両手で包む。彼の体温は、弓弦のそれより少し高く、深い。おおきな掌は男性らしい硬さを具えていたが、ずっと触れていたいという心持ちがじんわりと、弓弦のうちに湧いた。
「マリア様は、幸福だったんですよ」
 囁くように紡がれた言葉は、祈りにも似て。
 ジェイドは衝かれたように目を瞠り、弓弦の手がゆるゆると己の掌から手首、腕を辿ってゆく様をなかば呆然と眺めていた。
 やがて肘の辺りまで到達すると、弓弦はそこで初めて躊躇うような素振りを見せたが、ゆっくりと、ジェイドの腕に自分の腕を絡めて、促すよう僅かに引いた。
「……帰りましょう」
 ジェイドからは、伏目の弓弦の表情は窺えない。ただ銀髪の間から僅かに覗いた愛らしい耳が、赤みを帯びているのは分かった。色のとくべつ白い弓弦のそういった変化は分かりやすい。
 じわじわと満ちてくる幸福感を噛みしめつつ、ジェイドは出し抜けにひょいと長身を折り曲げて、下から弓弦の顔を覗き込んだ。
「な、何ですか?」
 いきなり眼の前に現れた翠眸に、みるみる赤さを増す弓弦のうろたえた表情が映る。
「いや、かわいいなあと思って」
「あ、あの、放してください」
「えー、勿体ない。弓弦ちゃんの方からせっかく繋いでくれたのに」
 不満げにそう改めて言葉にされると、恥ずかしさがまたこみ上げてくる。腕を解こうと身じろいだが、逆にぎゅっとつよく掴まれた上で、手までしっかりと繋がれてしまった。
「ね。もう少し、このまま」
「……はい」
 小さく頷いた弓弦を促して、ふたり寄り添ったまま教会を後にする。
 彼のぬくもりがとても近い――弓弦は少しでも落ち着こうと、大きく深呼吸した。息を吐き出したところで、ふとそれまでになかった甘い芳香が過ぎった。
「あ……」
「うん? 何?」
「花の、香りが……」
 言いながらさ迷わせた視線に、その正体を突きとめる。教会の敷地の隅の樹木。緑葉繁るその枝先に、白く小さな花が寄り集まって咲いている。風はほとんどないのだが、それにも構わず白花をはらはらと零していた。
「銀木犀、ですね」
 もうそんな季節になるのだろうか。
「ギンモクセイ? 金じゃなく?」
「銀木犀は金木犀ほどの匂いはありませんが、控えめで、やわらかな香りがするんです」
「控えめだけど、やわらかくていい香りかあ……弓弦ちゃんみたいだね」
「だ、だからそういう……!」
 腕を振り解こうとする弓弦の肩を、ジェイドは笑いながらなだめるように優しく叩く。弓弦の方も本気で腕を解きたいわけではない。抵抗はすぐに止んだ。
「さあって、帰ろうか。お腹も空いたことだし」
「お腹、空いたんですか」
「うん。ぺこぺこ」
 弓弦は背けていた顔をジェイドへと戻した。
「何か食べたいものはありますか? 帰りに材料、買っていきましょう」
「じゃあねえ――」
 一息に並べ立てられた料理名の多さに、弓弦は一瞬きょとんとしてから、やがてふうわり、笑みを浮かべた。

 そんなふたりの後姿を見守る早咲きの銀木犀の白き花は、夕闇のなか、いつまでも降りやむことはなかった。
 祝福、するかのように。


 <了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
香方瑛里 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月22日

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