▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『あちこちどーちゅーき 〜二人舞踏会〜 』
桐苑・敦己2611

 ねっとりとする暑さも引き、近頃では夜になるとほっとする様な風が吹く。
 秋の到来は、そんな風に知るのだろう。
 「……気持ち良い」
 そんな中、ぽつりと呟いたのは、すらりとした長身を持つ二十代後半の男性だった。
 「今くらいだと、何処で寝ても大丈夫ですよね」
 確かに野宿をするには、まだ随分楽な季節ではあるだろう。
 だがしかし。
 「まあ今は、野宿どころの話ではありませんけど……」
 優しげな黒い瞳を悩ましげに屡叩かせ、ほうと溜息を吐いたのは、桐苑敦己(きりその あつき)と言う。
 彼は柔らかな茶の色をした髪を掻き上げ、背負っている鞄をよいしょとばかりに背負い直した。
 彼が溜息を吐きたくなったのは、日が落ちた頃から着いてくる足音にである。
 「何処で憑かれたんでしょう……」
 ちょっと泣きたくなってくる。
 日頃の行いが悪い訳でもなく、そして何か験の悪いところを通った訳でもない。
 うんうんと悩んでいる敦己を尻目に、未だかつかつと言う足音は聞こえていた。かつかつと言えば、固い底の靴だろうか。しかも、何となくリズム感があると言うのが、ちょっとばかりイヤかもしれない。
 『せめて、盆踊りみたいなリズムなら、ちょっとは楽しいかも知れないんですけれど』
 すぐさま逸れそうになる思考だが、漸く一つのことを思い出した。
 「あ。験は悪くないけど、心当たりを思い出した気が……」
 恐らく、本日の敦己の行動を、つぶさに観察している者がいれば、『遅いっ』と突っ込んだろうことは間違いがない。
 彼には、昼間コイントスの結果が示すままに訪れた場所があった。だが、何となく止まる気がせず、回れ右で、去ったのである。
 考えられるとすれば、そこだろう。
 「でも、そんなにイヤな感じはしなかったんですけれど……」
 そう、イヤな感じと言うより、何だか淋しそうだった。
 ずっと立ち止まっていると、滅入りそうだったから、敦己は何かありそげだと思いつつもそこを去ったのだ。
 昼間である所為か、立ち去った際には、足音などは聞こえなかった。
 何とはなし、誰かがいる様な感じがして、幾度となく振り返ることはあったのだが。
 それにしても。
 そんな風に思う。
 何故人気がないのだろう。
 確かに昼間から人通りは少なかった。野中の一軒家とまでは行かないが、住宅街でもないし、ましては繁華街でもなかったから、夜になれば更に落ち込むことは予想できる。だが、それにしても、静かすぎたのだ。
 あるのは、明滅しているレトロな街灯と、それに群がる羽虫達。そして、あまり思考に入れたくはないのだが、あの足音だけである。
 どうしようと考えつつ歩いていたからか、それとも……。
 「……呼ばれたんでしょうか」
 敦己の目の前にあるのは、昼間回れ右で去った、あの洋館であった。



 「……不法侵入ですよねぇ、これ」
 困った様に呟きつつも入った中は、外から見た通り、当然ではあるだろうが、お世辞にも綺麗な状態とは言い難かった。いや、お世辞云々を言うより、はっきり言って汚いと言う方が早いかもしれない。
 観音開きの扉を潜ると、人が住んでいた頃は、大層豪奢であったことが解る様なフロアが広がった。玄関と呼ぶよりも、そう、広間の様だ。
 本来なら、靴を脱いで上がるのだろうが、流石にこの状態では、そんな気にはなれない。一段高くなっているそこを、『ごめんね』と言いつつ靴のまま上がった敦己は、真正面の廊下を進んだ。
 両脇には、重たげな木製のドアが両脇に二つずつ並んでいる。その廊下の突き当たり、一際大きな扉が見えた。
 何となく、そんな気がして、敦己はその扉をゆっくりと押し開けた。
 ぎぎぃっと言う、長らく使用されていないのがありありと解る音がして、その扉は左右に開く。
 入った先は、どうやらこの家の居間らしい。
 何故なら、斜めに落ちた角材が覗くマントルピースが見えたからだ。
 マントルピースを作るのに一番相応しいのは、やはり居間だろう。勿論ながら、例外もあるが。
 未だ家具はそこにおかれ、埃避けのつもりの布が張られている。近寄って、ソファにあるそっと布を捲ってみると、少しは布をかける意味があったことが解った。
 だが流石の敦己も、試しにぽんぽんと叩いてみる気にはなれずにいる。
 止まった置き時計は、三時過ぎを指していた。その横には、在りし日であれば花が生けられていただろう花瓶が、少し欠けた姿を見せている。
 「もう、出てきてくれても良いでしょう?」
 驚かさない様に、優しくそう呟いた。少しばかり備わっている霊感故、明後日の方向へ呼びかける様な、オマヌケさんな真似を晒さずに済んだ様だ。
 不意に、マントルピースの前に光が射した。
 それは目を射る様なものではなく、ほんのりと暖かな、正にマントルピースから覗く灯りである。
 ふわり。
 そんな風に照らされたそこから、赤い靴が浮かび上がった。
 しかしそれは、きちんと揃えられたものではなく、忙しなくリズムを刻んでいる。
 丁度敦己が聞いていた、足音の様だ。
 「踊って……いるのですか?」
 足下だけを見ると、そんな風に思える。
 敦己が声をかけると、灯りが足下だけでなく、徐々に上へと広がった。
 現れたのは、まだ十を過ぎたかどうかと思える少女である。
 淋しげな大きな瞳が、まっすぐ敦己を見ていた。
 『止めて欲しいの』
 声は聞こえても、唇は動かない。
 『くつが、足が、とまらないの』
 黒い大きな瞳から、じわりと涙が滲んだ。
 小さな子供に泣かれるのが得意な人間も、あまりいないだろう。例外なく、敦己だって困ってしまう。
 どうしようと思いつつ、脳裏に過ぎったのは、アンデルセンの『赤い靴』だ。
 一度履いたら死ぬまで踊り続けると言う、赤い靴。
 確かあれは、主人公の女の子が、教会に赤いエナメルの靴を履いて行ったことから始まった物語。それを咎められた女の子は、教会の入り口にいた赤髭の老兵に呪文をかけられるのだ。その上、天使にまで何時までも踊り続ける様に言われてしまい、踊り疲れた少女は、挙げ句、首切り役人に足を切って貰う様頼む。
 まさか自分に、その首切り役人の役をやれと言うのだろうかと思い、敦己は微かに身震いした。
 だが決まってもいない未来に震えるなど、あまり意味がないだろう。今はともかく、彼女の話を聞くことだ。
 「どうして、そうなったのか、教えてもらえますか?」
 敦己が聞くと、少女は微かに頷いた。



 その赤い靴を一度見てから、少女はそれを忘れられずにいたのである。
 そんな少女を見て、両親が誕生日のプレゼントとして買って来た。
 『さあ、履いてご覧』
 赤々と灯るマントルピースの光の元、その小さな足を、真新しい赤い靴へと、そっと差し出す。
 恐る恐るその靴を履き、鏡の前に立つと、くるりと一回転。
 何処かで見た覚えのあるステップを、赤い靴と共に軽やかに踏む。
 『可愛いわ。本当によく似合う』
 『お前は踊るのが、本当に上手いなぁ』
 褒められて嬉しくなった少女は、新しい靴の履き心地を確かめるかの様に、家の中でありつつもあちこちを駆けめぐった。
 廊下を駆け、階段を上がって二階に、そして更に屋根裏へ。
 ぐるりと一周を楽しんで、階下の両親に手を振りながら駆け下り……。
 ──悲鳴が上がる。
 次の瞬間、暗い暗い闇を、少女は彷徨っていた。
 冷たくて寒い。
 誰もいない。
 何もない。
 永遠に闇が続くかと思った矢先、ふと気が付くと、光が見える。
 まるで誘われる虫の様に、少女は光を目指して進んだ。
 現れたのは、泣き疲れた様な両親が、少女の家を離れていく姿だった。
 待って欲しいと声を上げるも、優しかった母親に聞こえず、頼もしかった父親の身体は擦り抜けてしまう。
 去っていく二人を呆然と見送って、どれ程の時間が過ぎたのだろう。
 少女はまたもや、あのマントルピースの前に戻っていた。
 そこには一揃えの靴が、あの赤い靴があった。
 今はもう誰もいない家の中、それだけが少女の想い出だ。
 そんな想い出をなくしたくなくて、少女はそっと足を入れる。
 その瞬間。
 赤い靴が、ステップを紡ぎ出した。



 「それから止まらないのですね……」
 敦己は何とも言えぬ顔のまま、少女をじっと見ている。
 少なくとも、ここに惑っている彼女は、この世の者ではないから、足を切るなどと言うことはしなくても良いだろう。
 だが、止める方法が解らない。
 そもそも、何故赤い靴を履いた途端、踊り出したのだろう。
 彼女の心の問題で、赤い靴は踊ったままなのだろうか。
 それともまやかしの靴の方に、問題があったのだろうか。
 「もしかすると、両方なのかもしれませんね」
 だとすると、例えここで少女に働きかけたとしても、実際の赤い靴がなければ、足を止めることは出来ないかも知れない。
 少女が光を求めて見つけた赤い靴は、マントルピースにあったと言う。けれど今、そんなものはこの部屋の何処を見ても見つけられない。
 もしや未だ残る家具の何処かに仕舞い込まれているのだろうか。そう思い、敦己は『ちょっと待って下さいね』と声をかけてから、仕舞い込むスペースを探し始める。それでもここにはない。靴だから靴箱かとも思い、そこを見るもやはりない。
 では少女の部屋だろうか。
 あちこちを探し回り、更に能力で違う気配を感じ取ることで探しもしたが、それでもやはり、この家にはない様だ。
 ここになければ、現存する可能性は限りなく低い。もしかして、廃棄されたのかもしれないのだ。
 「何処にいったかなんて……解らないですよねぇ?」
 困り果てた敦己がそう問うと、少女は少し考える風に小首を傾げ、一方向を指さした。
 「その方向にあるのですか?」
 やはり少し考えるかの様な仕草の後、少女はこっくりと頷いた。
 あるのならば……。
 「どれ程かかるかは解りませんけど、頑張って見つけてみますよ」



 暫しの時が流れ、敦己は再びあの洋館の前に立っていた。
 その手には赤い靴が見える。
 時刻は黄昏。
 あの少女が足音を立て、敦己を追い掛けていた頃合いだ。
 以前と同じ道筋を辿り、あの時と同じ様な軋み具合を聞き、扉をぐっと押し開けた。
 そのまま、あの少女のいた居間へと向かう。両脇に部屋のある廊下を抜け、一番奥の扉に手をかけた。
 視界に入ったのは、マントルピースと──。
 「漸く、見つけることが出来ましたよ」
 敦己に答え、ふわりと少女が現れた。
 そして。
 『お兄ちゃん、……ありがとう』
 安堵にも似た少女の微笑みは、敦己の心に暖かい何かを運んでくれたのであった。


Ende

PCシチュエーションノベル(シングル) -
斎木涼 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月22日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.