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『as the price of justice 』
天祥胤・陽5524

 その日聞いた鐘の音は、非道く心に沁みた。
 正午を告げる教会の鐘、村でただ一つのそれは程近い位置で、沼の水面が震える程の音量を発している。
 その深い音が、流れる時の存在を彼に教える……それでも時が、止まったかのような錯覚を覚える程にゆっくりとした情景を瞳が捉える。
 眼前で、少女の細い身体が。
 異形の手に、水に落ちる様を。


 退魔を生業とするその組織は、隠れ蓑として企業としての顔を持っていた。
 隠れ蓑的、と称するには羽振り良く一等地にビルを有し、退魔のそれと関連せず副産的に手に入る情報がどれだけの益を生むかを推測させるに容易だ……形のない、情報一つに如何ほどの値がつくのか見当も付かないが、商売繁盛で結構な事で、と些か斜に構えた心情で、天祥胤陽は限界まで首を傾けてそのビルを見上げた。
 所属するこの組織から、陽が人を攫う妖魔を狩り出すよう依頼を受けたのは先日……妖魔自体は浄化し、報告も既に終了した事件であるのだが、その後の詳細を問い合わせる為に陽は本部に出向いたのだ。
 真っ白い外壁の一面を覆い、ある一定の角度を持ったミラーガラスが陽光と風景とを弾く様は色素の薄い青い瞳に痛く、陽は閉じた瞼に指を添えて上から揉む。
 四分の一とて色素の濃い東洋の血を引くのならば、もう少し光に強くても良いだろうとは思うのだが、生まれ得た色合いばかりはいかんともし難い。
 ビルに近付く人間を狙って設計されたとしか思えない、意地の悪い光の反射が目に直射するのを出来るだけ片手で遮りつつ、陽は自動ドアを抜けて屋内へと足を踏み入れた。
 事前の連絡が功を奏して、受付に名前を告げるだけで応接室に通された陽は、既に室内で待っていた相手に迎えられる。
「お待ちしていました、天祥胤さん」
革ソファにゆったりと腰掛けていた相手が腰を上げ、親しみを示して両手を広げる……挨拶の抱擁の仕草を、けれど陽は動かずに眼差しのみで姿を捉えた。
「……どうかなさいましたか?」
訝しげな相手の問いに、陽は吐息のような、深い息に乗せて言葉を吐き出す。
「お伺いしたい事があります。先日お請けした、依頼について」
固い雰囲気と重い口調とに、相手……このビルを土地ごと有する会社の社長であると同時に、退魔組織の幹部であり、組織に属する術者の管理を受け持っている男は、ご不明な点は何でもお教えして差し上げましょう、と気易さと寛大さを合わせた器用な笑みを陽に向けた。
「天祥胤さんはお仕事熱心だ。終わった仕事に対しても誠意を持って頂けると、次からの依頼も安心してお願い出来るというものです」
椅子を勧めるも、陽が首を横に振って固辞するのに、自身は再び深くソファに腰掛けて少し、眼差しを遠くにやった。
「先日の依頼は……そう、妖魔の始末でしたか」
膝を組み、肘掛けに肘を軽く預けて身体の前で指を組む。何処か芝居めいた仕草に、陽は僅か、目を細めた。
「適切な判断と迅速な処理。業務達成の最短記録と言って良い」
賛辞はそのまま、その采配を下した己へと向けられている。
「真に素晴らしい」
功労者を讃える声と言葉、しかし実のないそれを静かに受け流して陽は問う。
「被害者が出ていても、ですか」
感情を抑えた声の固さに、幹部は得心がいった風に頷いた。
「巻き込まれた少女は気の毒でしたが、貴方の失態ではありません。気に病まれる事はないのですよ」
目の前で水に落ちた、少女の姿を思い出し、陽は一度目を閉じた。
 その光景は未だにまざと思い出せる……異形と自分の間に割って入り、頑健な腕に容易に弾き飛ばされた細い身体を。掴めなかった、手の白さを。
 その陽の様子を後悔と判じてか、幹部は心からの憂いを声に乗せた。
「あの妖魔は私達が事態を掴むまでの間にも、4人の人間を殺しているのです……最後の一人が不幸にも、貴方の目の前で命を落としたとても、最早犠牲が出る事がない、今はそれこそを貴むべきです。どうか気に病まれぬよう」
力が足りなかった事は罪ではない……まるで神が定めたかのように抗えぬ、人の及ばぬ事象はあるのだと、労りに諦めを促す幹部の言葉に、陽は瞼を開いた。
「気に病んでいるように、見えますか? 私は」
「そうではない……と?」
当て推量が外れた事を暗に示され、幹部が軽く眉を上げる。
 陽は戸口から奥へ、戸外を望んで大きく開いた窓へと歩を進めた。
「……いえ、そうなのかも知れません。自分自身に対する、怒りは確かにありますから」
「ですから」
陽は見据える眼で、口を開いた幹部の言葉の先を折る。
「彼女は、確かに私の前で水に落ちました」
相対したのは水魔、水場を塒と餌場として、近付く人間を水に引きずり込み、溺れさせるヴォジャノーイ。
 人を食うそれは、陽にとって場所と方法を選べば難のない相手であるのだが、奴隷として水に引き込まれた幾人かが図らずも盾となる形になり、苦戦を強いられた折。
 攫われた弟を助けるのだと、同行した村の少女が……妖魔の気を逸らせる形で間に飛び込んだのだ。
 視界を塞いだ彼女を、ヴォジャノーイが払い避けた、陽から気を逸らした瞬間が勝機となり、陽の気は水面に出た妖魔の身体を打ち据えた。
 そして怪異の原因は消え、虜となった人々……少女の弟を含めた何人かは家に戻る事が出来たのだが、彼女だけは再び姿を見せる事はなかった。
「組織の者も手を尽くしたのですが、妖魔の壊した堤から流されてしまったのか……遺体を回収する事も出来ず、残念です」
陽が妖魔を倒すとほとんど同時、周辺に控えていた組織の数人が即時、生き残った人々の救出に向かったのだ。
「妖魔を倒して直ぐ、私は水に飛び込むべきでした」
悔いに、陽は始めて声に感情を込めた。
 その様に、幹部は眉を曇らせ、緩く首を横に振る。哀しみを癒す言葉を見出せない、ただ痛む心を察するしか出来ないと、いうように。
「彼女は、家に帰しました」
陽は幹部を見据えたまま、簡潔に告げた。
「……何を?」
訝しげに問う、幹部がソファから半ば腰を浮かせる、一挙手一投足を見守りながら更に続ける。
「彼女は確かに、水に落ちました……ですが、私が妖魔を倒した時には自分で、岸に向かっていました。私に向かって笑いかけ、大きく手を振ってくれたのです。その彼女を組織の人間が迎えて、私は安心してしまいました」
その場では慌ただしさに流され、声を交わす間はなかった……思い返して陽は拳を握った。
「彼女が、妖魔の犠牲となって死亡したと、御礼に参った彼女のお宅でご両親から伺って直ぐ調べさせて頂きました」
幹部の顔色が目に見えて変わる。
「貴方が、妖魔に殺されたと偽って拐かした子供達は、先程、全員助け出させて頂きました」
「何を……ッ!」
相手が良識の仮面をかなぐり捨て表情を歪め、呻くようにそれ以上の声を失うのを見、陽は怒りを込めた目を据わらせた。
「何故、あんな事を」
 攫われた子供達は、人身売買に用いられたのだと調べが付いている。
 陽が初めて向けた責めが……抑え込まれていた感情が向けられるのに幹部は笑おうとしてか口の端をぎこちなく上げた。
「綺麗事だけで組織が回っていると思っているのか」
声を上げようとしたらしいが、喉の奥から奇怪な声が漏れたのみに止まり、幹部は怒りに顔色を赤黒く変化させた。
「放っておけば多くの犠牲者を出す妖魔を狩ってやって居るのだ。一人や二人、妖魔のせいにして攫ったとて、何の問題がある?」
握られた悪事を、弱味を認める事が出来ずに正当性を主張する……卑小さは陽の感情に油を注いだ事も知らず、幹部は指先を突きつけた。
「こんな事をして無事で済むと思うな! お前のような青二才の言う事など誰も信じるものか! 私の権限で二度と生意気なその口をきけぬように、臓器毎に売り飛ばしてやる!」
優位を疑わず、歪んだ笑みを見せながらの脅迫は、陽を怯えさせる所か更なる怒りを呼ぶ。
「……外道が」
吐き捨てる、声は激する余りか、感情に反して冷たい。
「どちらにせよ秘密を知った者は放っておけんのだ。お前だけじゃない。逃げた子供達も全員口を封じてやる、生かしてなどおくものか!」
それに気付けなかった幹部は、陽の地雷を踏みしめた。
「……許せません!!」
欲に塗れた手が再び子供達に類を及ぼす、可能性だけで陽の押さえに抑えていた怒りが爆発した。
 一度頭上まで持ち上げた手、その掌を地面に叩き付ける形で強く振り下ろす。
 その際、床との間に生じた幾筋もの烈光は青白く光る稲妻のそれ……同時に天井の蛍光灯が弾け飛び、ガラスの破片が降り注ぐ。
 地下に埋設された電力設備をショートさせ、ビル全体の機能を麻痺させた陽は、衝撃に弾き飛ばされ、ソファと一緒に床に転がり、小さな痙攣を繰り返す幹部を見下した。
「事態の詳細な情報は、各所に流してあります……保身の弁明をなさるならそちらにどうぞ」
果たして認識出来ているかどうかは別として、すげない声で用件を告げ、陽はソファを踏み越して部屋を出た。
 蛍光灯の破片が散らばる暗い廊下を抜け、混乱に陥った内部の人間に咎められる事なく戸外へと逃れる。
 思っていたよりも訣別は派手になったが、組織の情報を一手に担う、このビルの電気系統を潰した痛手は大きいだろう……電気施設の更に地下、ホストコンピュータが配されている事は調べがついている。
 子供達に再び手を伸ばそうにも、基幹となる情報に欠け、各機関に流した情報にそう簡単に動きを取る事は出来まい。後は組織の手が己にのみに向かうよう、気を払わねばならない。
 怒りの中でも冷静な判断を下した陽は、ふと顔を上げた。
 何処かで鐘が鳴っている……時計のそれである為か、音は大きくはないが、よく響く。
 組織の人身売買にはマフィアも深く関わっていた為、この国から逃れるが得策だろうと、考えながら何気なく鐘の音を数え、時でもないのに十二回、告げた鐘に陽は思わず苦笑した。
 あの日、長く尾を引く教会の鐘……その余韻に重なる想い出は誇らしげな少女の笑顔だ。助け出した時、眠らされていた彼女とは結局言葉を交わさぬままだったが、知人に頼んで間違いなく、家に帰り着く事が出来ただろう。
 あの得難い笑顔を得ただけでも、国を追われる価値はあると真実思って陽はその瞳と同じ色の空を見上げた。
 その日聞いた鐘の音も、彼の心によく沁みた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月22日

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