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『 あちこちどーちゅーき −紅梅の囁き− 』
桐苑・敦己2611
 
 おかえりなさい。
「え?」
 誰かに声をかけられたような気がして、足を止める。
 車一台がどうにか通れるほどで、決してすれ違うことはできない細い道。その両側には黄金色の稲穂と用水路。真っ直ぐに伸びた道の先には山を背景にそれなりの民家が並ぶ。黙々というほど懸命に歩いてきたわけではないが、のんびりと散策するように歩いてきた道の前方、そして、後方にも人の姿は、ない。
 強いて言うならば。
「何か、言いましたかー?」
 口許に手を添え、田に向かって叫ぶ。田で稲刈り機だろうか、それに乗り作業をしている初老の男は小指ほどの大きさ。とてもではないが声をかけて聞こえる距離だとは思わない。
 しかし、どどどどどという低い音をさせながら初老の男は稲刈り機と思われるものに乗ったままこちらへと向かってきた。そして、敦己のまえでエンジンを止めると稲刈り機と思われるものからひょいと軽快に飛び降りる。
「何か言ったかね?」
 首にさげた手ぬぐいで軽く汗を拭いながら初老の男はそう言った。
「いえ、あー……」
 それを聞きたかったのは自分の方だったりするわけだが、とりあえず自分に声をかけてきたものは目の前の男ではないということははっきりした。しかし、周辺には他に人の姿はない。声は気のせいだったのかもしれない。
「おまえさんは……ああ、田中んところのコウちゃんか? 随分と大きくなったなぁ」
「いえ、俺は桐苑の敦己です」
 誰か……つまり、田中さんという家のコウちゃんなる人物と間違えられている。しかし、敦己は気を悪くすることなく、男の言葉に則って、やんわりとそう訂正した。すると、男はこくこくと頷く。
「おうおう、桐苑んところの敦己ちゃんだったか。男前になったなぁ」
 からかっているのか、逆にこちらにあわせてくれているのか。男はあっさりと納得するとそう返してきた。……ここへは初めて訪れたわけだから、自分を知っているはずなどないというのに。
「いえいえ、それほどでも。まだまだ男前には程遠いですよ」
 穏やかに答え、そろそろ黄昏てきた秋の空を見やる。そして、男へと視線を戻した。
「何か面白い……変わったこととかってありますか? このあたりに訪れたのであれば、是非、抑えておきたい地元の隠れた名所とか」
 せっかく声をかけたのだからと参考までに訊ねてみる。男は少し考えたあと、民家の向こうに見える山並みを指差しかけ、その手を止めた。
「なら、あれだな……っと思ったが、季節がよくねぇな」
 そう答え、ぼりぼりと髪をかく。
「季節がよくないんですか……。何があるんです?」
 季節限定な名所なのかとその言葉だけでわかったが、それでもなんであるのかが気になり、そう訊ねた。ものによっては旬な季節ではなくとも楽しめるかもしれない。
「梅がそりゃあ綺麗なんだけどよ。今は季節じゃねぇからなぁ……行ったところで枯れ木状態だ」
「そうでしたか。では、もう少ししたら見頃ですね」
 秋が過ぎ、冬になれば。同じ場所へ二度訪れるつもりはないが、べつに訪れてはいけないという決まりもない。旅の日程、および方向、すべては自分が決めること。梅が見頃な季節になったとき、またここへ訪れればいいだろう。敦己はそう思い、にこやかに答えたのだが、何故か男の表情は晴れない。
「? 何か問題があるんですか?」
 男の表情を見ていると問題があるようにしか思えない。差し障りのないようにやんわりと訊ねると、男は小さくため息をつき、梅があるであろう方向を見つめた。
「幹線道路とかいうのができるんだとよ」
 遠くを見つめながら男は答える。
「ほれ、そこに看板が見えるだろう。第二なんちゃら道路とかいうやつだ」
 男が示す場所には確かに看板があるのだが、距離が遠すぎて何が書かれているのかまではわからなかった。
「言ってみりゃあ、二足三文な土地を高額で引き取ってくれるわけだからな、喜ぶ奴は多かったよ。いい場所にいい家を建てられる。前の道路を作るときに土地を売った奴らはそろっていい家を建てていたっけな、御殿と呼ばれるような」
 看板を見つめながら男は小さくため息をつく。それから、黄金色の稲穂が揺れる田を見つめた。
「今年が最後の収穫なんだよ」
 男の呟くようなその言葉にこの土地が道路に変わることを知る。敦己は何も答えずに長閑な田園風景といったその光景を見つめた。
 ほんのりと茜色に染まる空。
 風に撫でられ揺れる黄金色の稲穂。
 遠い山並みとそれに対比される小さな家々。
 消えて行くそれらは。
「まあ、時代の流れなんだろうな」
 敦己は稲穂から男の横顔へと視線を移す。消えて行くそれらを時代の流れと言いきった男はどこか寂しそうな、苦笑いのような笑みを浮かべながら遠い眼差しで稲穂を見つめていた。
 ◇ ◇ ◇
 黄金色の稲穂が消えるように、地元では少しばかり有名な梅林もまた消えてしまうのだという。……次の冬を待たずに。
 足を運んだところで見るものなどないと言われたが、それでも足を運んだ理由は、消え行くものへの勝手な憐憫か、はたまた同情か、正直、自分でもよくわからない。
 なだらかとは言いがたい舗装もされていない道を延々と進むうちにほんのりとした茜色の空は次第に藍へと染まりはじめる。
 紅梅苑まであと……メートル。
 丘の上に向かって矢印のかたちをした看板が建てられている。ほとんど塗料が剥がれ落ち、あとどれくらいなのかがわからない。そこが、そこだけが重要だというのに。
 あとどれだけの距離があろうとも、進めばいつかは辿り着く。そう信じてひたすら進むうちに、陽は山並みの向こうに姿を消した。身体が疲労を感じ、そろそろ星が瞬きはじめたかという頃、不意に、梅の香りが鼻腔をくすぐった。
 香りが漂ってくるくらいなのだから、あともう少しなのだろう。ほんのりと漂う芳しい梅の香りに疲労というよりも気力が回復する。
 が。
 ふと、思い出す。
 季節ではなかったはず。花を咲かせるわけはなく、梅の香りが漂ってくるはずがない。
 しかし、今も梅の香りは漂っている。匂いに誘われるように歩む速度は次第に増していき、やがて走り出す。丘を越えたそのとき、目の前に広がった光景は。
「紅梅……?」
 一面に広がる紅梅の林。仄かな香りははっきりとしたものへと変わってはいるが、決して厭味な匂いではない。
「おかえりなさい」
 鈴のような声音。何故か、呼びかけてきたあの声だとすぐに思った。声のした方向に顔を向けると十代半ば、いや後半だろうか。見知らぬ少女がいた。長く黒い髪、澄んだ瞳、血色のいい唇とは対照的に白い肌。清楚でありながらどこか艶やかな印象を与える。
「?」
「きっと、来てくれると信じていたわ」
 嬉しそうに少女は言う。しかし、ここへ訪れたことはなく、少女に見覚えなどない。考えられることは、少女の勘違いだろうか。
「俺は……」
 敦己が答えるよりも早く少女は動いていた。ふわりと体重を感じさせないような軽やかな動きで気がつけば、もう目の前に、胸に飛び込んできている。抱きとめた途端、強い梅の香りがした。
「おかえりなさい、あなたともう一度、会いたかったの」
 自分を見あげる黒い瞳はどこまでも澄んでいる。嘘をついているようには思えないが、少女とは今日が初対面。やはり、会ったことなどない。
 誰かと勘違いしている。自分から間違いだと訂正するべきだろうか。それとも、相手が気づくまでやんわりと受け答えするべきだろうか。
「もう、あまり時間は残されていなかったから……」
 敦己の胸に頬を添えながら少女は小さく呟く。そのか弱い呟きに、敦己はほんの少し、目を細めた。
「そう……待たせて、ごめんね」
 敦己が少し困ったような笑みを浮かべ、答えると少女は顔をあげ、穏やかに微笑んだ。
「ううん、いいの。来てくれた、約束を守ってくれた……それだけで」
 陽が落ち、夜の帳に包まれた紅梅の苑は月の光と星の瞬きのせいか、それほどには暗いと感じない。そのなかで、少女は昔のことを語る。そのなかで、少女が本来待っている人間とがよく似ているらしいことがわかった。
 ほとんど相槌を打つだけで、自分から話題らしい話題などまるで振らなかったが、それでも少女は嬉しそうに自分が知らない自分と彼女との思い出を語る。
「穏やかで優しくて聞き上手。そういうところも、あの人にそっくりよ……」
 そう言って少女はやわらかに微笑んだ。
 ◇ ◇ ◇
 ちゅんちゅんという鳥の声と朝の気配に目を覚ます。
「ん……」
 伸びをしたあとに立ちあがる。枯れ木にも等しい梅の林のなかにひとりきり。梅の香りなどせず、花が咲き乱れていることもない。
 ひらりと何かが風に舞う。反射的にそれを手で掴み、そっと握った拳を開いてみる。
 紅の花びら。
 敦己は瞼を閉じ、もう一度、ゆっくりと拳を握り締めた。それから、手を翳し、握った拳を開く。風に煽られ、紅の花びらは軽やかに青い空へと舞いあがる。それが見えなくなるまで見送ったあと、敦己は眩しそうに空を見あげた。
 秋の空は、快晴。
「さて、次は何処へ行きますか」
 
 <完>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
穂積杜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月21日

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