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『第二話 重なり合う二つの旋律 』
伏見・夜刀5653

 伏見家の庭には、その場にそぐわない警察関係の車両がひしめいていた。
 静寂と調和を願って造園した製作者の意図は、あの日以来壊されてしまっていた。
 二人の刑事が屋敷から庭に出て、煙草を口に咥えた。
 亡くなった二人は別所に移動されていたが、調度品が粉々に砕かれ、そこかしこに血の飛んだ応接室に居るのは息が詰まった。
「息子さん、どうなるんでしょうね?」
 当主とその妻が何者かに殺害され、その場に居合わせた一人息子も心身喪失状態。
 殺害に使われた凶器も見つからず、目撃証言も得られない為捜査は遅々として進んでいない。
「あぁ……怪我は無いようだが一旦病院に運んだ後、心理療法でも受けさせるんじゃねぇのかな」
「可哀相に」
 年若い刑事がそう呟いて紫煙を吸いこんだ。
 ――息子を疑ってるなんて言えねぇか……。
 当主の息子、伏見夜刀の手には、何かを握っていた跡が残っていた。
 当主やその妻の血液も、その握り締めた手の上からかかっていた。
 しかし証拠が不十分だ。局地的に吹き荒れた嵐のような痕跡も説明できない。
 年配の刑事の思考を、もう一人の刑事の声が遮った。
「あ、すいません。ここ、今、部外者は入らないで頂きた……」
「許可なら頂いています」
 刑事の視線の先に、灰色の尼僧服に身を包んだ娘が立っている。
 白いケープの下の顔は若いが、きりりとした表情は神に身を捧げた者の潔さがある。
「夜刀様をお迎えにあがりました」
 そう言って娘は刑事たちに『保護観察を一任する』旨の書類を差し出して微笑んだ。


 慌ただしい出立の準備も、別れを惜しむ使用人の声も、夜刀にとっては遠い世界のように感じられた。
 足元で鳴いた黒猫に触れる事もせず、夜刀は娘に促されるまま自動車に乗り込んだ。
 全てが自分を置き去りに進んでいる。
 けれどそれにも、何も感じない。
 ――だって、向こう側の、皆が居る方に戻ったら。
 首筋が粟立つような感覚と、胸元にせり上がる嫌悪を押し殺す。
 ――僕が、何をしたか見なくちゃならない。
 娘の荒っぽい運転は、夜刀の意識を自然窓の外の景色に向けさせてくれた。
 屋敷を出てから、更に山奥の道を進んでいる。
「夜刀君、喉渇かない? 後ろの席のクーラーボックスに入ってるから、好きなの飲んでいいよ」
 敬語で話しかけられる事がほとんどの夜刀の耳に、娘の快活な言葉は新鮮に聞こえた。
 ぼんやりと娘の声を聞いているだけの夜刀に、
「あ、もしかして缶ジュース開けた事無いとか? 待ってて」
一旦自動車を止め、娘は身体を捻ってクーラーボックスから水滴の付いた缶を取り出す。
「いろいろあるよ。好きなの選んで」
 オレンジジュースを指差す夜刀に、娘は丸い爪の指先で缶を開けて渡した。
「夜刀君はまだ、ちゃんと『そこにいる』ね」
 娘は夜刀に、かすかだが自分の意志が見られる事を喜んだ。
 言葉の意味のわからない夜刀が首を傾げるが、にこりと笑うと再び車を急発進させた。
 いつも通りに礼拝を済ませた娘が、シスター長に呼び出されたのは早朝の事だった。
 修道院の奥、幾つもに別れた小部屋の一つに入った二人を、アーチ状にくりぬいた壁のニッシェからマリア像が見守る。
『<黄金の暁>が<世界を解く鍵>――クラヴィス・ウニヴェルサーリスに触れました。
まだ早すぎる秘蹟でしたが、これも神の導きと捉えましょう』
 <黄金の暁>と呼ばれる少年の存在は娘も聞き及んでいた。
 いずれ暗黒にふさぐ人の心を開放する夜明けの光となり、<世界の調和>――ハルモニア・ムンディをもたらすという予言にある少年。
 シスター長の老齢で縮んだ姿が、蝋燭に照らされ壁に長い影を引いている。
『<黄金の暁>が伏見夜刀としての意識を失くしては、真の<世界の調和>が奏でられる事はありません。
年若い夜刀様の心が失われるのも、幸いとは言えません』
 ふ、とシスター長は息を継いだ。
 長い年月が彼女を老いさせたが、その心は目の前の娘と変わらず敬虔な祈りと真摯な信仰に捧げられている。
『我らが<聖洞>――サクラ・グロクタへとお迎えするように命じられました。
シスター、引き受けてくれますね?』
『はい』
 応接室で何が起きたのか、シスター長を通して聞かされていたが、夜刀と実際に顔を合わせてみると胸が痛んだ。
 ――こんな小さな子が、このまま自分の世界を閉じちゃうなんてもったいないよ。
 黄金色の瞳は輝きを失い、目に見えるその先に広がっていたはずの未来までも拒絶していた。
「夜刀君、ほら湖の向こうに見える修道院。あそこまで行くんだよ」
 夜刀が興味を引いていなくても、車中で娘はずっと話しかけていた。
 自分自身が退屈してしまうのもあったが、少しでも夜刀の心を開きたかったのだ。
 碧の湖水がたたえられた畔の修道院へと、娘は自動車のアクセルを踏んだ。


 やや小高い一角、湖水が望む場所にその修道院は建っていた。
 木々が修道院を巧みに隠し、瞑想にこもる理想の修道生活を助ける形になっている。
 出迎えたシスター長は夜刀を骨ばった手でそっと抱きしめ、慈愛に満ちた表情を皺の深い顔にのせた。
「ようこそ、夜刀様。ここではどの部屋もあなたに解放されています。
ご自由にお過ごし下さい」
 そう言われても、夜刀は何も反応しない。
 ぼんやりと漆喰の壁を見ているだけだ。
 シスター長は夜刀の心を取り戻すには時間が必要と思っていたので、特に心を折る事もなく娘に言った。
「シスター、夜刀様を案内して下さい」
「わかりました。どうぞ、夜刀様」
 窓から湖が見える部屋に着替えなどを置いた夜刀は、娘の案内で隅々まで修道院の内部を歩いた。
「こっちが食堂で、その向こうが蔵書室。
部屋はみんな狭いけど、一人で考え事するにはちょうど良いよ」
 修道院の入り組んだ通路を進み、二人きりになると娘は車中と同じく気安い口調で夜刀に話しかけた。
 時折他のシスターとすれ違ったが、夜刀に対して奇異や好奇の視線を向けず、軽く会釈して去ってゆく。
 同じ修道院にいる者は、家族と同じだと彼女らは考えていたのだ。
「天井を見てみて」
 瞑想用の個室に入った娘が、振り返って夜刀に言った。
 夜刀が促されるままに木組みの天井を見上げると、そこにはインプレーザが装飾されている。
 インプレーザとは何らかのモットーを様々な図像で象徴した文様だ。
 円と四角形の組み合わされた中、見慣れない記号が連なっている。
「これ、音楽記号なんだって。何を表してるか、いろんな説があるんだよ。
『生命のリズムの起伏』とか『知的に秘匿された作曲法』……『時間と休止』とかね」
 魔術記号にも似た模様を夜刀は見続けていた。
 ――音楽が聞こえてきそうだ。
 シンメトリーに配置された休止符と反復記号。
 ゆっくりと静寂の世界に身を置く夜刀に、音楽のように心を震わせる何かが伝わってくる。
 天上に存在する神への祈りをのせたものか、それとも限りある命の鼓動を刻んだものか。
 この場所には夜刀にも感じられる魔力が満ちていた。
「過ぎ行く時と静寂。帰らぬ時。そして反復……ちょっと難しくなっちゃったね。
きっと答えは考える人の数だけあっていいと思うけどね。もう戻ろうか」
 静かに娘はそう言って、夜刀の手を引いた。


 ――音楽が聞こえる。
 夜刀は夢の意識の中で、音の方向を探して森を彷徨っていた。
 パイプオルガンの荘厳な調べにも聞こえるし、軽快なピアノの旋律にも聞こえる。
 その不思議な音は、昼間案内された音楽記号の描かれた瞑想の間から流れてくるようだ。
 いつの間にか、夜刀が彷徨う場所は修道院の内部に変わっている。
 扉を開けた部屋の中央に、もう一人の夜刀が立っていた。
 つい最近、誕生日に撮った写真で見た自分の姿と同じ少年がにこりと微笑む。
 子供の服ながら仕立ての良い三つ揃えのスーツで、革靴は窮屈だったが光沢が美しかった。
 ――父さまと母さま、三人で出かけて買った靴だ。
 両親の姿を思い出した瞬間、惨劇の記憶が重なってよみがえる。
 叫びだしそうな夜刀に、もう一人の夜刀がゆっくり近付いて肩を抱いた。
「怖がらないで、<黄金の暁>」
 ――君は、僕なの? それとも、君が夜刀で……僕が<黄金の暁>?
 夜刀と呼ばれてしまうと、あの日両親の命を奪ったのがこの手だと思い知らされる。
 それならいっそ、まわりの大人が呼ぶ<黄金の暁>となってしまおうかとも思う。
「僕は君だよ。伏見夜刀で<黄金の暁>。そして誰にでも眠る普遍的意識」
 そう言って夜刀の姿をした少年は、夜刀を側の椅子に座らせた。
「君があの日<世界を解く鍵>――クラヴィス・ウニヴェルサーリスと呼ばれる剣を手にした時、封じられていた意識が君の身体を支配した。
あれは人と呼ばれるものがまだ自意識を持つ前から存在した、『支配者』の意識の名残だよ」
 ――水底の支配者とあの男が呼んでいたのは……。。
「邪悪ではないけれど、人が取り込むには大きすぎる意識だ。
完全にそれと意識が融合したなら、世界も変えてしまえる力がある」
 ――僕は、持ち主と呼ばれた。
「人の中でも、『水底の支配者』の意識を引き出せるのは、黄金の瞳を持つ者だけだからね」
 少年もそこで夜刀の前の椅子に座った。
 自分と同じ姿なのに、どこかが違って見える。
 ――ああ、目が金色じゃないんだ。
 少年の瞳は安息をもたらす夜の闇色だった。
「君はこれから先、幾つもの意識をその身の内に宿す事になる。けれど怖がらないで。
どんなにたくさんの意識を抱えても、君は伏見夜刀だから」
 諭すような声に、夜刀の頑なな意識もゆっくりと解れていった。
 穏やかな温かさが夜刀の意識に広がる。
「大切な人に手をかけてしまった、それは哀しいけれど。
君の世界はもう開かれてしまったんだよ、夜刀」
 過ぎ行く時と静寂。帰らぬ時。そして反復。
 ――僕も変わっていけるのかな。
 変わってゆけるのなら、もう一度。
 今度は誰も哀しませないような自分になりたい。
「時が流れ続ける限り、人は同じ場所に留まる事は出来ない。人の意識もまたね。
変わっていく先に安息を求めるなら、君は哀しさを越えられるよ。
……もう、大丈夫だね、夜刀」
 す、と少年の姿が薄らいでゆく。
 ――もしまた会えたら、君を何て呼べばいい?
 少年は驚いたように瞳を丸くしたが、「好きに呼んでいいのに」と笑った。
「夜刀と呼ぶのが嫌なら……<黄金の暁>に対なす者。<紫紺の黄昏>とでも呼ぶといい。
君がいつか奏でる<世界の調和>を、僕も楽しみにしているよ」
 そう言い残して消えて行った。
 新世界の朝日が頬にかかり、夜刀が夢から目覚めるまでまだしばらく、静寂という夜の旋律が修道院に流れ続けた。

(終)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
追軌真弓 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月20日

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