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『■+ 嬉しい誤算 +■ 』
マリオン・バーガンディ4164)&セレスティ・カーニンガム(1883)

 ぱたぱたきゅっ、と言う軽快な音は、林立した書棚の中から聞こえる。
 その音を聞きつつ、ここを管理している男がくすりと笑った。
 「もう、笑ってるなら、ちょっとは手伝って欲しいのです」
 くしゃくしゃとした黒髪を揺らせつつ、金の瞳を眇ませた少年──マリオン・バーガンディが、頬を膨らませつつそう呟いた。
 その手には掃除用のモップが握られているが、その笑みを見たところで、マリオンの足は止まる。
 モップの上に両手を載せ、そのまた上に顎を乗せると少しばかり恨めしげに、図書館管理人を見た。
 「まあでも。……お掃除は仕方ないのです。ちゃんと後には、お茶の時間もあることですし」
 更に吐く溜息は、一度目のものよりも大きい。
 マリオンがそう思うには、きちんと訳があったのである。



 「ねえマリオン。人にはそれぞれ適正と言う物があるのを、知っていますか?」
 そう言った絶佳の美貌を誇る銀髪の紳士は、マリオンの主であるセレスティ・カーニンガムである。
 涼やかな青の瞳は、何時も通り優しくマリオンを見つめていたが、実のところ、視力が弱い為に、あまり見えてはいないのだ。けれどセレスティには、その視力よりも役に立つ能力故、それほど不自由さは感じていない。
 セレスティに問われたマリオンは、『はて?』とばかり、その問いかけた相手を見返している。
 「例えば、何かを探求することに向いている者、または創造するのに向いている者」
 全く以て訳が解らないとばかりに見返す顔を見て、セレスティは優しげな笑みを浮かべた。
 「マリオンの場合は、そうですねぇ……、やはり管理や修復、そして物事や事象への追求でしょうか?」
 最後のは、自分にも言えることだが、それは話の流れには関係ない為においておく。
 台詞の意図がまるで掴めてはいないだろうマリオンは、だがしかし、何処となく不穏な空気を感じ取ったのだろうか。徐々に上目遣いになっている。勿論、セレスティの方が背が高いからと言った理由ではない。二人とも座っているのだし。
 セレスティの私室にて、テーブルを挟み向かい合う格好で、まるで世間話をしている様に見えると言うのが、現在の風景である。当然の様にして、二人の前には薫り高い紅茶が置かれており、時折、セレスティが喉を潤しているのだ。
 そして。
 ここからが本題となる。セレスティ的に。
 「君が様々なことに興味を持ち、それを知る為、様々な場所へと赴き、または書物を紐解き、そうして知識を増やし、または好奇心を満たすのはとても良いことだと思いますよ。以前も申し上げた様に、好奇心は人が生きていく為にも、そして日々を前進する為にも必要であると思いますからね」
 微笑みに凄みが増しているのか、マリオンの背が丸くなっている。
 「しかし」
 びくんと、マリオンの身体が跳ねる。
 ちなみにセレスティは、穏やかに紅茶を口にしていた。
 喉を潤した彼は、再度ゆっくりと口を開く。
 「君も私の所有する美術品を管理する立場の者として、そう言った場所を乱されるのは心穏やかではないでしょう?」
 どうですかとばかりセレスティが問いかけると、マリオンは蚊が鳴く様な声で返答した。
 「……はい」
 宜しい。
 彼は反省しているらしい。
 そうセレスティは察し、満足する。
 ……その反省が、幾日続くかは定かではないが。
 「マリオン、私が何を言いたいか、聡明な君は解りますね?」
 他の誰かが『賢いお前なら、解るだろう? なあ?』とやれば、『イヤミかよ、それ』と言いたくなるだろうが、セレスティが言えば、何故か『ごめんなさい、私が悪う御座いました……』と返したくなるから不思議だ。
 こっくりと頷くマリオンに、『それで宜しい』とセレスティは視線で返す。
 「では、マリオンにお願い致します。先日君が散らかした、図書館の掃除をしてきて下さいね」
 『そんな……』と言う視線を受けつつ、セレスティは念を押す様に続けた。
 「勿論、マリオンが散らかしたものは、既に片づいていますからね。そちらのことではありませんよ。今回は、図書館の全体的なお掃除です」
 「……。はい」
 解っていてもちょっとばかり不満があるらしく、返事が少し遅れた。
 それでもやはり、自分が悪いと思ったのだろう。彼は持ってきた本を抱え直して席を立つ。
 「ああそう言えば、何か用事があったのではないですか?」
 そう問うが、マリオンが何かを返す前に、嫣然と微笑んで言葉を続ける。
 「まあそれは、お掃除が済んでからに致しましょうか。秋ですから、旬のマロンを頂きながら」
 マロンのくだりで微かに微笑みを浮かべたものの、項垂れつつも去っていくのを見て、セレスティは『ちょっと厳しすぎたでしょうか?』と思いつつ、小首を傾げたのである。



 「セレスティさま。終わりました」
 取り敢えず、綺麗に机も掃除して、モップだってかけてきた。
 更に本棚の整理までしたのだから、もう充分だろう。……最後は飽きて、そこそこの出来ではあったが。
 「ご苦労様です」
 そう労うと、マリオンに席を勧める。
 図書館から連絡は入れたあった為、セレスティはすでにサンルームでお茶とお菓子を伴って、そこでスタンバイOK状態であった。
 秋の気配もしているそこでは、優しい日差しが燦々と降り注ぎ、けれど空気は完璧な空調を備えている為に快適な状態になっている。
 『良かったのです。もしももう一回と言われたら……』、そう想像し、肩を竦めた。
 「本日のスイーツは、マロンの焼きプリンと豆乳入りマロンロールだそうですよ」
 ふわりと取られたレースの覆いの中からは、セレスティの言葉通り、二種類のスイーツが現れた。
 『マロンの焼きプリン』は、生クリームと卵黄をたっぷり使ったそれの中に、マロンが見え隠れしている。微かに着いている焦げ目が、何とも美味しそうだ。
 対する『豆乳入りマロンロール』は、スポンジに豆乳を使用し、生クリームにはマロンを磨り潰したものを混ぜ合わせ、更に甘露煮にしたそれを巻き込んでいた。ふんわり柔らかな口当たりと言い、通常のロールケーキよりも僅かばかり強い黄味と言い、流石は彼の料理人が心を込めて作った品である。
 合わす紅茶は、ヌワラエリヤ。
 水色は淡いオレンジ色、香りは緑茶を思わせる青々とした若葉を思い起こす様な一品だ。
 「とっても美味しそうなのです」
 セレスティは勿論、マリオンもまた、うっとりとそのスイーツ達に見惚れた。
 頂きますとばかりに、まずはロールケーキを頬張ると、その繊細且つ程良い甘みが口の中へと広がる。
 見ると、プリンを口にしたセレスティも同じく、とても幸せそうな顔をしていた。
 軽くお喋りを楽しみつつも、それ以上にスイーツと紅茶を楽しんでいる。
 『これなら、切り出しやすいですね』
 マリオンは心の中で、握り拳をちょろっと上げる。
 「あの……セレスティさま?」
 「何ですか?」
 返すセレスティは、大層機嫌が宜しい様だ。
 マリオンは『行けるっ』とばかりに、頷いた。
 「えーと。……お願い事があるのです」
 何でしょうかと、小首を傾げるセレスティに、何時の間にやら取り出した分厚い本、否、オークションカタログを差し出した。
 「……、オークションですか? 何か興味深いものでも?」
 こくこくと肯き、ページを繰った。そして目当てのページを開けて見せ、セレスティへとおねだり開始だ。
 「この本なのです。とっても綺麗な稀覯本を見つけたのです」
 「ほう……」
 マリオンの手から、オークションカタログを引き取ると、セレスティはしげしげとそれを見つめた。
 「これが欲しいのですか?」
 「はいっ!」
 元気良く声を上げるマリオンだが、次の瞬間、すこしばかり固まってしまう。
 「あの……セレスティさま?」
 何故だろう、セレスティのほっそりとした繊手は、次のページを捲っていた。
 「何でしょう? ……おや、こちらの品も、なかなかですねぇ」
 一旦はマリオンに視線を向けたものの、セレスティはそっとページを捲っては、本にある内容を読み取っている。
 ふむふむと感心した様に、そして興味深く、彼の主は本へと没頭していく。
 「あのーーー。あの本は……」
 「ああ、そうですね。よろしいですよ」
 ほっと安堵したマリオンは、満面に笑みを浮かべて声を上げる。
 「ありがとうございますっ!」
 やったーと付け加えたい衝動に駆られるも、セレスティの言葉に少しばかり腰が引けた。
 「なかなか良い出物がある様ですね。私もご一緒いたしましょうか」
 「え?」
 穏やかに言うも、何処か心が弾んでいるのが解ってしまうのは、やはり付き合いが長いからだろう。
 マリオンは、うきうきとオークションカタログを見ているセレスティに聞こえぬ様、ぽつりと小声で呟いた。
 「……。あり得ないのです」



 半ば目眩にも似た感覚でオークション当日を迎えたマリオンに対し、セレスティは心弾む思いでその日を迎えていた。
 二人を乗せた黒塗りの高級リムジンは、滑る様に街中を抜け、郊外の瀟洒な洋館の門を潜る。
 オークションは様々な場所で開催されるが、こうした珍しい一品が出される際には、人目に付かない場所で行われることも少なくはない。
 所謂、常連様専用と言ったところだろう。
 リンスターに関わる者達であれば、通常のオークションは元より、こう言ったシークレットオークションに招かれることも多々ある。レアな品を気が向けば、惜しげもなく引き取ってくれる相手でもあり、何よりトップクラスの者を呼ぶことによって、格を上げることも出来るのだ。
 当然セレスティ達も、その意図は十分すぎる程承知している。
 ステータスがどうのと言う話は、彼らに取ってどうでも良いことだ。興味深いものを鑑賞出来、尚かつ欲しいものを手に入れることが出来るのであるのだから、そんなことは二の次だった。
 この世は退屈であり、または好奇に満ち溢れてもいる。
 相反するこの事象は、何とも摩訶不思議な話だった。
 そしてその不可思議の一つは、ここ、オークション会場にある。
 未明に始まったオークションでは、一般には流通しない、もしくはしたとしても、殆どの者に手の届かない価格でやりとりがなされていた。
 定番とも言える絵画や、壷、テーブル、楽器、アクセサリ、そしてマリオンの目的であると言う稀覯本など。
 品の良い紳士淑女達が、リザーブプライスだけでも目を剥く様な一品を、面白い様に競り落としていく。
 ちなみに現場不在でもオークションに参加は出来るのだが、そんなことしても意味がないと、セレスティは考えていた。美しい物は、実際に見て決めるべきだ。カタログがあろうと、実物を見ないことには話にならないし、また楽しみだってない。
 こうしたオークションに自身が参加するのは、心と目の潤いを求めてと言う意味合いもあったのだ。
 ロットナンバーが勢い良く上がり、百五十を向かえた頃。
 どうやらマリオンの目的の品が持ち出された様だ。
 「セレスティさま」
 よろしいですかと言った視線が、セレスティを見た。
 勿論、構わない。その為にここに来たのだから。いや、セレスティは、既に幾品かを落札して楽しんではいたのだが。
 ビッドナンバーの書かれたバドルを提示すると、バトル開始だ。
 秒単位でつり上がる価格は、マリオンの闘志を燃え燃えさせている様だ。日頃は怠惰な猫の様な彼でも、興味のあることに関しては、別なのであろう。
 もっとも、セレスティの元にいる者達で、自身の好奇心を抑えることが出来るものなどいよう筈もないのだが。
 主であるセレスティにしても、優雅な容姿に似合わず負けず嫌いだし、好奇心も行動力も多大である。
 だからマリオンが、真剣な容貌で値をつり上げていても、全く以て、文句を言うつもりもなかった。
 もしも競り負けてしまったのなら、萎びた青菜になるだけでなく、後でこっそり何かをやらかしそうな気もするし。
 そう考えて、セレスティは暫しあらぬ方向へと視線を集中させる。
 「……。まあ、そうなれば、私が何とかするべきなのでしょうか」
 「え? 何ですか? ああっ! ダメですっ! ……やりましたっ!!」
 ふとマリオンが気を逸らせた瞬間、更なるバドルが上がり、危うく逃しそうになったのだが、何とか落とせた様である。
 セレスティも、安堵の溜息を漏らした。
 だがしかし。
 それから勢い着いたマリオンは、セレスティが唖然とするくらいに競り落としまくった。
 銅版画や、それが散りばめられた絵本、油絵を数点と扇に書に掛け軸、置き時計や絵皿。果てはやたらとでかい大理石像まで買い付けている。
 まるで箍が外れた様だ。
 「……。新たに場所を空けなければならないのでしょうかねぇ」
 今もまた、マリオンは版画を落とし始めている。勿論版付きだ。
 しかも、現在ではあまり見られない石版であるから、マリオンの気合いも入っている。
 そんな彼を見つつ、セレスティはくすりと笑った。
 「まあ、たまにはよろしいですね」



 結局、日も暮れる頃に、彼らはそのオークション会場である洋館を後にした。
 勿論手ぶらで。
 競り落としたものは、別途配送になっているのだ。
 と言うより、流石の高級リムジンであっても、あの大理石像や、あの後買い付けたペルシャ絨毯などは、持ち込むことは出来ないだろう。
 適温にされたリムジンの中、マリオンはほくほく顔で口を開いた。
 「今日は本当に楽しかったのです」
 そんなマリオンを見て、クスリと笑みを零したセレスティが頷く。
 「ええ、そうですねぇ。なかなか興味深いものが沢山ありましたし」
 「はい。私も、最初はあの本だけと思っていたのですが、気が付いたらあんなに買い付けてしまったのです」
 そう、マリオンの目的は、確かにあの本だけだったのだが、何時の間にやら手が動いていたのだ。
 熱気に当てられたのかと言えば、そうとも言えない。ただ、惹かれたのだ。
 そんな時は、手に入れるに限る。要は縁があったと言うものなのだから。
 「あ、そう言えばですね」
 本のことを思い出していたら、ふと脳裏を過ぎったことがある。
 「何ですか?」
 セレスティは、小首を傾げつつマリオンを見ていた。
 「この前、とても素敵なところを見たのです。……と言っても、中には入っていませんけれど」
 そう、マリオンが思い出したのは、あのチョコレートを買い求めて世界を歩いた時のことだ。
 「素敵なところ……ですか?」
 「はい。マラテスタ図書館と言うところなのです」
 少し考える様なセレスティであったが、すぐに何かを思い当てた様で、柔らかに微笑みつつ口を開く。
 「ああ、あの現存する最古の図書館と呼ばれるところですね」
 「ご存じなのですか?」
 「ええ、まあ」
 「また機会があれば、行ってみたいのです。あそこでのんびり本を読むのは、とっても気持ちよさそうなので」
 その風景を想像し、マリオンの瞳が幸せそうに細められた。
 「ええ、良いかもしれませんねぇ」
 セレスティからも同意見が聞けて満足であったマリオンだが。
 「しかしね、マリオン。そこを散らかす様なことは、してはいけませんよ」
 「う゛」
 泰然と微笑むセレスティにそう釘をさされ、マリオンはぐうの音も出なかったのである。


Ende

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
斎木涼 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月20日

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