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『秋霖 』
水上・操3461

 ――いつかこの日が来る事は。
 分かっていたのかも、しれない。

*****

「――ッ!」
 取り逃がしたのは一匹の鬼。それが、思いも寄らない俊敏さで闇の降りる路地裏へと逃げ込んで行く。

 比較的簡単な仕事の話が回ってきたのはつい先程のこと。いつものように水上操が通っている学校から帰り、夕餉の支度に取り掛かった所へやって来た『指令』に、操は作業を中断して仕事の支度に切り替えた。
 仕事内容は、個人宅に棲み付いた小鬼達の退治。電気系統の小さな故障から始まり、住人へのいたずら、ポルターガイスト現象等を引き起こし、始めは霊障かとも思われていたのだが、調査した結果鬼の仕業と分かり、その始末に操が選ばれたのだった。
 操の所へ指令が来る直前には、乗用車のブレーキパイプが壊されると言う出来事もあり、単なるいたずらの域を越してきていると分かった操がすぐさま依頼主のところを訊ねたのだが――。

 操が、路地裏へ逃げ込んだ鬼を小走りに追いながら、懐の中のストックを手で探って確かめる。
 ――ほとんどは調査報告の通りだった。家に住み着き害を成す小鬼達の処分はそれほど時間を置くこと無く出来た。だが、最後の一匹を倒したその直後、操の目の隅を通り外へと飛び出したソレは、いたずらが目的の小鬼ではなく、人を喰らう事もある所謂『鬼』だった。
 たまたま現れたのか、それとも同じくそれも棲み付いていたのかは分からなかったが、操の仕事は鬼を退治る事。それ以外は考える必要も無い。
「待て」
 凛、と空気を震わせながら告げた声に、一瞬びくりとしたものの、鬼は一向に足を止める様子の無いまま、ばたばたと奥へ走って行く。
 下水から漂う空気は、風が入り込まないのか淀んだままむっとした臭気を辺りに漂わせている。そうしたじめついた暗闇の中でかろうじてぽつぽつと点いている街灯だけが、この場の情景を浮かび上がらせていた。
 そこここで僅かに人の気配がする。それらを避けたのか、鬼が角のひとつを曲がった。操がその後を付いて角を曲がると、

 ひゅうっ。

 針のようなものが顔ぎりぎりのところを飛び、咄嗟に身を縮める。見れば、そこに蟠る『気』は、ひとりの鬼が出せるモノではなく。

「…待ち伏せ、か?」

 呟いた操の目の前で、暗闇にいくつもの赤い目が開いた。

*****

 操の手には、残り数枚足らずになった札がある。そして、闇の中に居るのは2、3匹の鬼達。
「――はあっ!」
 鬼の吐き出す瘴気の塊を、手に持つ札のひとつを消費して障壁で食い止め、残る札の中でも強力な雷を吐き出す呪札を投げつけた。

 ぎぃぃぃぃィッッ!

 瞬間、弾ける光と、耳障りな悲鳴。とどめをさし切れなかったものの、残された鬼達はもう瀕死で――その様子を見た操が、手首に巻き付けた数珠を解放して、ゆらりと現れた刀を手に近寄って行く。

 その時。

「…なんだ?こんなトコでドンパチやってんのか?」
「おいおい、これから寝ようってのに何だよ」
「っ!?」
 人影の無い路地裏を選んだのだが、物音に近づいて来た人間の気配に気付かなかった操が目を見開き、鬼がその声に気付いて人間を襲う前に、と鬼と人の間に立つ。
「――お?誰かそこにいるのか――」
 向こうにある街灯で逆光を浴び、顔も見せない男が操に気付いたか声をかけながら近づいて来る。
「こちらは危ない、来るな!」
 背中へ鋭い声を飛ばして、鬼へと向き直った、その時。
 ざわり。
 ざわり。
 首筋から脳天へ突き抜けるような寒気と共に、視界の隅をよぎったモノを見て、操が目を見開く。

 ――男達は。
 『鬼』へと変貌していた。

「がああああ…あああああっっ!!」
 叫びと共に、たった今まで人だったモノが人間とは思えない跳躍を見せて、操へと飛び掛る。
 がぢぃぃぃん!
 咄嗟に手にした刀に、爪が、牙が、跳ね飛ばされた。その衝撃に操もまたたたらを踏みながら構え直し、懐から呪符を取り出して、男の背後から飛び上がり、上から操へ爪を立てようとした鬼に呪符を叩き付ける。
 路地に浮かぶ激しい光――そして、黒こげになった『鬼』から距離を取り、後ずさる操。
 きぃきぃきぃ、きぃぃぃぃッッ!!
 すぐ後ろには、瀕死でありながらもまだ鬼の力そのものは失っていない鬼達が、操がすぐ近くまでやって来るのを手ぐすね引いて待ちかねている。
 ソレとも距離を取らなければならない。
 手には一刀、もう片方はまだなんとか残っている呪符を握り締め、そして歯噛みする。
 ――懐にはまだ符はある。あるが――今の操には使う事が出来ないのだ。
 符に気を込め、行使すること。
 操クラスの腕を持つ退魔師であれば瞬時に行える筈のその行動は、純粋な人間の生まれではない操にとって、新米並み、いやそれ以上に複雑で時間のかかる儀式を経て行わなければならないという枷を付けられていた。

 がああっっ!

 がちがちと刀を噛んでも、刃が奥へ食い込んで口が裂けても、鬼は操に対し敵意と殺意を剥き出しにして突き進んでくる。
「――『雷』!」
 人差し指と中指を揃えて、鬼の額へ符を貼り付け、叫ぶ。
 路地へ、これで幾度目かの激しい光と衝撃が弾けた。

 これで――あと、一枚。

 残るは手に持つ刀、前鬼、そして後鬼のみ。それすら、今の操には使いこなすなど無理な話だ。それなのに、鬼はまだ始末しきれていない。
 操へ明確な殺意を向けて飛び掛ろうとする鬼――その中へ最後の呪符を投げ込んだ操が、両手へ刀を下げて、周辺に漂う鬼の気へ鋭い眼差しを投げかけた。
「――おい…なんだ、さっきの」
「やべぇって、帰ろうぜおい」
「ケーサツ呼んだ方が良くねえ?」
 先程からの呪符の連続使用によって、路地の外からも気付いた者がいたらしい。物見高い人々のざわめきに、操は嫌な予感がして、鬼が飛び掛ってくるにも構わず路地の中へ人を入れないよう、走り出した。
 ――それなのに。
 操の目の前で、明るい場所から足を踏み入れた者達が、悉く鬼へ変貌し――ぎらぎらした目を操へ向ける。
 目の前の、柔らかそうな獲物を見る、赤い瞳。
 それは――もう、人のものではなかった。

 じり、じり、と、間合いを詰めながら近寄ってくる鬼達。その後ろにも、ぐるぐると喉を唸らせて、操への溢れんばかりの殺意を漲らせているモノがいる。
「誰――だ」
 そんな中。
 両手の刀を前後に構えながら、操が呟く。
 …これは、仕組まれた事だと。
 何者かの意思がそこに介在していると、確信したからだ。

 恐らくは、依頼が出た時点で既に。

「…仕方、ない」
 いくら操の身が軽くても、この二刀のみで対処出来るのは数分が限度だろう。
 頼みの綱だった符は、役立たずの懐にある紙切れ以外無い。
 仕事用の顔として、冷えびえとした表情をしていた操が、だらりと手を下げる。それを降参の印と見たのか、鬼達の目に歓喜の表情が宿った。
「――闇へ堕ちる道連れを――」
 そんな中、何故かかたかたと鍔鳴りを起こす二刀を持つ手を緩めた操が、俯きながら呟く。
 じりじりと包囲網が狭まり、唸り声が叫びに変わったその場に、二つの、きぃん――という澄んだ音がこだまする。
 その途端。
 路地に、何かが詰まった布袋を切り裂くような、そんな音が響き渡った。

*****

 ――つん、と鼻を付く血の匂いが、腐臭を覆い路地裏に充満している。
 最早そこには生きている者の気配は無く――いや、たった一つを除いては無く。
 アスファルトによって血を吸う事が出来なくなった地の不満気な叫びを聞く者はいない。
 コンクリートの壁は、真新しいペンキを塗りたくったようなぬらぬらとした赤で彩られ、その場に散乱したモノは、足であり腕であり頭であり――千切られた胴体であり、そして赤々と剥き出しになった肉片であった。
 はあ――はあっ、はあっ――
 その、むせ返るような臭気の中で、必死に空気を追い求めて悲鳴のような呼吸を繰り返す人影があった。
 両手で刀を握り締め、支えにしてようやく立つ事が出来る少女。
 巫女姿のようだが、袴はどっぷりと赤い色の液体を吸い、白い胸元には点々と飛沫が飛び散っている。
 そして何より――その刀を握り締める手は赤く染まり、口元は紅を塗ったように赤く、その目は、興奮によるものか爛々と赤い光を湛えていた。
 はあ――は、あ――
 呼吸が次第に整って行く。それに合わせて、少女の目は艶々とした髪と同じく、深い黒へと戻って行った。
 ぺたん、と、体重を支えきれずにその場に膝を付く操。その顔は仕事上の無表情とは違い、虚無に満ちた表情で。立つ事も、その場から去る事も出来ずにいた。

 ――ぽつ。
 操の頬に、冷たい、季節の訪れを感じさせる雨が当たる。
 ぽつ――ぽつ、ぽつ。
 さああああ……と、急に勢いを増した冷たい雨が、匂いもその場に広がる色も消し去ろうとするように叩き付ける。
 それでも、僅かに開いた口を閉じもせず、刀を唯一の拠り所としてその場に座り込んだままの操。
 だから、気付く事が出来なかった。

 ――遠くから自分を観察している、何者かの視線を。


-END-
PCシチュエーションノベル(シングル) -
間垣久実 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月20日

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