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『天使の衣 』
海原・みなも1252)&鈴木・太郎(5690)




「さぁ、出かけよう。今日は普通の服を是非プレゼントさせてくれ」
 いつも通りの突発的なお誘いに、少女は寝乱れた青い髪を手櫛で整えながら、きょとん、と首を傾げた。それから、相手の顔をまじまじと見る。十三年間見慣れた父である事を確認し、今度は時計のライトをつけて時間を確認した。
 只今、午前二時半。
 大抵の学生は、ぐっすりと眠っているはずの時間であるが、彼女の父は、懐中電灯で顔を下から照らしながら、満面の笑みでもってそうのたまった。
 澄んだ海を思わせる青い瞳を二度三度瞬き、皺の寄った眉間を解すことしばし。
「お父さん?」
「そうだよ。愛しのみなもよ。父の顔を見忘れたなどという、悲しい事は言わないでくれよ」
 とりあえず最終確認をして、頷いたのを確認してから。
 ―――ぼふっ!
 思い切り枕を投げつけて、もう一度布団に丸くなった。






「私の可愛いみなもよ! 笑っている顔も、喜んでくれる顔も当然全部愛しているが、泣いている顔や困惑している顔も、それどころか寝起きのぼんやりした顔も可愛くて仕方がないというこの気持も偽りのない愛なのだよ! 何もかもは愛のなせる業だ! 聡明で慈愛に満ちたお前にそれが解らないはずがないだろう? 否、解るはずだ。我が愛しの娘よ。どうか、どうかこの気持ちを理解してくれとまでは言わんが、せめて休日くらい一緒に過ごそうという親心を解ってくれ!」
 翌朝六時十六分。父は一応弁解してくれた。人が歯を磨いているにも関わらず相槌を求めてくる辺り、嫌がらせとしか思えないのだが、恐らく気のせいではないだろう。何が性質が悪いかと言って、彼の行動は全て、『娘が可愛いから』という一語に尽きるからだ。
 結局の所、娘を愛してくれる父を、本気で嫌えるわけがない。
「つまり、お父さんは仕事が終わってその足で、私の部屋に来たわけですね? 常識外の時間であると知っていながら、折角の休みを一緒に過ごそうと」
「そのとおり」
 口をすすいで洗面を終えたみなもの後ろで、彼は天晴れなほど胸を張る。それが何故解るかというと、鏡に映っているからだ。あぁ、と溜息一つ。今日も良く張れた日曜日。先週の悪夢がようやく記憶から薄れたというのに、今日もまた何らかのよろしくない思い出を作ってくれるつもりらしい。どうでもいいが、こうも連続して日曜に休みが取れるものだろうか。
 みなもは父がどんな仕事をしているかはよく知らない。知っているのは、あまり家には居ないけれども、とても愛してくれるということだけ。だから、休みを一緒に過ごそうと言ってくれるのは非常に嬉しい。ただ。
 昨日の土曜日にバイトを入れた為、明日提出の宿題をまだしていない。それは由々しき問題であった。
「宿題が終わってからでは駄目ですか?」
 そっと聞いて見ると、父の背後が真っ暗になり、『がーん』という妙にあほらしい気分になる文字がでかでかと書かれた。
「苦節十三年、蝶よ花よと、掌で珠を慈しむように育てたわが娘が……この愛を拒むというのか。あぁ、人生は何たる悲しみの連続か。この愛が理解されるとは思わんが、それでも、だからこそ、どうか! 私を捨てないでくれ! 我が心のよりどころ! 愛の泉! 最後の良心! 愛しいみなもよ!」
 そして、崩れ落ちる。
 どうしたものだろうか。
 若干寝不足の頭で、みなもはその打ちひしがれた父を見た。見下ろすのもなんなので、しゃがみこんでつついてみる。その手を、がし! と掴まれた。
 落涙して、期待に満ちた目で見てくる。
 う、と言葉に詰まって今更体を引こうとしたが、もう遅い。捕まれば逃がしてくれるわけもない。
 落涙が号泣に変った。ハンカチなど噛んで見せる。
 あぁ、と天井を仰いだ。少しだけ埃の積もった洗面所のライトが目に入り、何故か急にどうでもよくなってしまった。
 そもそも、みなもは父が好きだった。大好きだと言っても過言ではない。本心で言えば、どんな態度を取ろうと―――どんな態度をとっても父は愛してくれるのだという甘えであって―――共に出かけるために、二時半まで仕事をして帰ってきてくれた父を邪険にして、宿題などを理由に断ることなど、出来はしない。
「解りました。一緒に出かけましょう」
 海原みなもは、今日も彼女で遊ぶ性質の悪い中年の罠に、あえて踏み込んであげるのだった。







 魔法の服ですっかりご立腹だったみなものために、父は今日は普通の服をプレゼントしてくれるらしい。そろそろ季節は変る。秋服も欲しい所だったから、嬉しさは二倍。
 折角早起きしたのだから、と父は店が開く時間まで、ドライブに連れていてくれた。海の見える場所で朝食を済ませ、あれこれと話しながら流れていく景色を楽しむ。どうもレンタカーらしいが、妙に高そうなのが気になる。
 だが、父は一切そんな事に頓着しない。みなもも、追及するのは後にして、今は取り合えず楽しもうと心に決めた。
 やがて車が向かったのは、東京都心にある巨大ショッピングモール。オープンしたのは二年前だが、新しい建物と洒落た構造が若者の心を掴んで、着々と売り上げを伸ばしていると聞いた事がある。
「うわぁ!」
 半円の自動ドアを潜って中に入ると、そこで大きな声を上げてしまった。十二階ぶち抜けの吹き抜けが一番上まであり、遠くに空が見えた。エレベーターが半透明で、中を回っている赤いキャタピラが面白い。
「すごいです!」
 初めて来たのと、振り返れば大好きな父がいるという状況で、はしゃぐなというのは無理な話しだった。
「あ、あれ!」
 駆け出したい気分を抑えて、人込みから僅かに見える店を指差した。以前バイト先でおいしいと聞いた事があるアイスクリーム屋だ。後ろからのんびりと歩いてくる父の腕に捕まった。
「ねぇ、お父さん、買ってください」
 素直に甘えてみる。父は蕩けそうなほど優しい笑みで頷いてくれた。
「よし、マンゴーと小豆チョコのダブルでいいかい?」
 しかし、どうしてそう言うチョイスをするのか。みなもには今ひとつ理解できない。いや、人の好みに文句をつける気はない。ないが。
「あの、見て、自分で選んでいいですか」
 何も言わないと嬉々として言ったとおりのものを買ってくれそうな雰囲気だったので、釘を刺す。残念そうな顔をしたのを見逃さない。
 少し並び、ワッフルコーンでバニラの上にストロベリーを載せてもらった。父は言ったとおりのものを食べている。ミスマッチがおいしいのかもしれない。これも深く追求しない事にして。
 二人でアイスを食べながら、幾つか階を上って、本来の目的の服を見て回った。
 最近の流行らしい、可愛らしい花のコサージュのついたブラウスや、控えめな柄も存在感のあるフリルも綺麗なスカート。これからの季節にぴったりな落ち葉色の帽子。
 目移りしながら、父と二人でウインドウショッピングを楽しむ。間で昼食も奢ってもらった。
 そして、更に幾つか階を上って、不意に店の雰囲気が変った。何というか、エキゾチックというに相応しい、アジアンを意識した店ばかりになる。
「民族衣装を取り扱う店を集めたようだね」
 父が感心したように声を上げた。みなもも頷く。
「ん? あれはウズベキスタンの品だね。シルクのショーイー地だ。クルタという」
 何か専門的な事を説明されたが、少しばかり専門的過ぎて良く解らなかった。その服も、民俗学的には意味があるのだろうし、芸術品としては綺麗だろうが、日本で着て歩くには向かない気がした。首を傾げて足を進める。
 その階で、カンボジアの王朝に伝わるクメール染織文化の至宝だとか、ラジャスターン・グジャラートの西部砂漠遊牧民の刺繍芸術だとか、はっきり言って耳慣れなさ過ぎて何語かわからない父の説明を聞き流し、あれこれと興味本位でのぞいてまわる、と。
「あ」
 声を上げる。これは知っていた。
「アオザイ、か。ベトナムの民族衣装だ。本当に日本は何でも手に入る国だね」
「そうですね」
 しみじみといわれた言葉に返事を返しながら、足を止める。
「きれい……」
 何気なく呟く。ウインドウに飾ってある濃紺のアオザイはシルクだろうか。その光沢と相まって、色とりどりの花の刺繍が胸元に飾られていて、うっとりと魅入る。
「着てみるかい?」
 それが致命的なミスだった。がし! とまたしても肩を抱かれ、問答無用で店内に引きずり込まれる。
 「いらっしゃいませ」と涼やかな女性の声が響いて、父が「あのウインドウにあるのを出してくれ」と言って、気がつけば先ほどのアオザイを手に押し付けられ、広々とした試着室に押し込まれていた。
 今更反論も空しい。仕方なく―――と言いながら、顔は思いっきり笑っている。実はとても嬉しい。自分ひとりでは絶対に入れない店だ―――着ていた服を脱いで、そのシルクの手触りのものに手を通した。
 ピンクパールの腰履きボトム。その上から上着をきる。胸元のボタンを少しばかり覚束ない手つきで留めて、腰までスリットの入ったのを引っ張ってみる。姿見で色々と角度を変えてみてみた。
 流石は民族衣装。大抵の人間には似合うようになっているようだ。だが、少しばかり袖が長い。
「どうだい?」
 待ちかねたらしい父の声に「はぁい」と甘えた声で返事を返し、少し躊躇ってからカーテンを開けた。
「おぉ!」
 喝采の声が上り、まぁ、と横から品のいい驚きの声が上る。
「よく似合うよ」
「ありがとうございます」
 ちょっと照れながらいい、出してくれていたミュールを履く。それは白で淡いベージュの刺繍が入っており、品のいいものだった。サイズはぴったりである。
「少し袖が長いね」
「はい」
 それを少しばかり残念に思って引っ張ってみる。自分の青い髪とこの濃紺のアオザイは良くあうと思う。だが、店内を見回してみると、どうも、この胸元にある刺繍は派手な気がしてきた。
「だががっかりする事はないよ。色々ある。ゆっくり見るといい」
 すっかり買ってくれる気らしい。ちょっと値段を見たいような、見たくないような。なんだか、安売りと書いてある赤いプレートに二万とか三万とか書いてある気がするのだが。
 とりあえず気を取り直して店内を見て回った。
 アオザイと一口にっても様々なものがある。袖があるもの、ないもの。生地もコットンからシルクまで。透かしが入っていたり、レースで飾ってあったり。刺繍やペイント、生地に小紋が織り込んであったり。変ったものでは、ベルベッド生地で丈の短い、パンツスーツを思わせるようなものもある。買ってくれると簡単に言うけれど、眼移るするのは仕方がない。
 そして。
「みなも、これはどうだい? こっちの水色もいいね。これなんかは刺繍がきれいだよ。こっちは胸元のビーズがキュートだ。これはチャイナボタンだね。おぉ、これは花ではなく竜だよ。このピンクも淡くてきれいだ。淡雪を思わせるシルバーもいいね」
 めまぐるしく様々なものを渡され合わされ。
「これを着てみてくれ」
 とか。
「これもいい」
 とか。
「これはサイズが合うかな?」
 など。
 ゆっくり見ている暇もない。唯でさえ眼が回りそうなのに、それを加速させるような事をしてくれる。頭がぐるぐると回ってきた頃、店員さんが奥から一つ箱を持ってきた。
「ではみなも、これを」
 押し付けられて、反論も思いつかないままに箱を抱えて試着室に戻る。なん往復したのか数えていない。
 そして、箱を開いて驚いた。
「きれい」
 純白というに相応しいパールホワイトのシルク。長袖で、足元まできっちりと丈がある。正装としても着られるような正規のものだ。胸元には淡いベージュのチャイナボタンがあり、裏地には細かい刺繍が入っていた。上から微かに透けて見える。裾には同じ色の花の刺繍が入っていた。どこかで見たものだが、今日はあれこれ見すぎて思い出せない。ワイドパンツ風のボトムも同じくシルクのパールホワイト。なんだかウェディングドレスのようだ。と、箱を更に探ってみると、下着一式と腿までのストッキングを発見。これもまたシルクだ。鞄がついており、服とお揃いの淡いベージュの刺繍が入っていた。
 慌ててきていた水色の袖なしのアオザイを脱いでハンガーに戻し、下着一切を身に着けてみた。くすぐったいような気持ちで、シルクの下着などお目にかかることのない一般中学生には、妙にリッチな気分をくれた。肌触りが良すぎて、しているかどうかも少しばかり不安になるような、そんなもの。
 それから、アオザイを着てみる。ぴったりと体にフィットした。袖の長さも首まわりも、腰の辺りもぴったりだ。アオザイは動きの美しさで人気がある。少し広い試着室を歩いてみて、ひらひらと揺れる裾と袖ににっこりした。
 鞄を持って見ると、今からパーティーにでも行くような装いで。ふと、胸元を見た。シルクのブラジャーには細かい刺繍とレースがあった。それが、良く見れば透けて見える。今日の下着は淡い青だったので、それよりはましだろうが。
「みなも、どうだい?」
 父のせかす声に返事を返し、今度は覚悟を決めてカーテンを開ける。透けた下着も、模様と言い張れば。
「綺麗だよ」
 父の感嘆の声。店内から上った息を呑む音。そこで、みなもは最初に出されていたミュールが、この服とセットになっていたものであると気がつく。
「サイズはどうかな?」
 言うことなしだ。こくんと頷く。父はそれこそあまやかな笑みを湛えて、頭の上に手を置いてくれた。慈しむような、そんな想いが伝わってきてしまうような優しい手つきで、髪を背中のほうに梳く。
「本当に綺麗だ。まるで絵本から飛び出してきたようだね」
「止めてください」
 美辞麗句になれていないみなもは、困ったように頬を染める。本当にお姫様になったかのような、夢見心地で頬を押さえた。だが。
「さて、散歩に行こうか」
 その気分も、父の一言で雲散霧消する。ここまでくると本当にさすがとしか言い様がない。
「え? この恰好でですか?」
「もちろんだよ。愛しの我が娘。大丈夫。案ずることはない。既に会計は済ませてあるからね」
 どこか自慢げに言われて呆然とする。服を買ってもらうという話にはなっていたが、アオザイ一式(下着、鞄、靴込み)を買ってもらうとは予想だにしていなかった。
 そして、この下着は、胸元は透けて見えて、素肌に触れる感触がスルスルと軽く、穿いていると言う実感が薄くいというのに。さらに、汚れたらどうするんだ、というこの恰好で。
 夕暮れ時の東京都心を散歩しろと。
「む、無理です!」
 咄嗟にでたのはその言葉だった。
「何、恥ずかしがることはないよ。まるであつらえたように良く似合っている。それに、アオザイはベトナムでは制服としても採用されているような、由緒正しき民族衣装。その恰好を恥ずかしがるという事は、日本で言えば振袖を着て歩くのを恥ずかしがるようなものだよ」
 めっ、と何故だか怒られた。そして、その何故だか妙に説得力のある言葉に押されて、頷いてしまう。そもそも、みなもにとってこの父に乞われて逆らえるはずもない。
「では、参いりましょうか」
 父はいつもの恰好だというのに、ふわりと差し出された手はイギリスのジェントルマンを思わせた。その手を思わずとって、一歩踏み出す。肌触りが良すぎるシルクのアオザイ。くすぐったいような、嬉しいような。
 でも何より恥ずかしい。
 気のせいか、注目を浴びている気がする。ショッピングモールを出るまではある意味苦行。さり気なく持っているバックで胸元をかくしながら歩く。
 夕暮れ時の町中。
 淡い紫の空と、鮮やかな朱色の雲がたなびいて。立ち並ぶ高層ビルへの照り返しが町にオレンジ色の光を落とす。黄昏、というには鮮やか過ぎる夕焼け。
 その中を、父の肘に捕まって。
 一歩一歩、ゆっくりと踏みしめて歩く。
 まるで幸せをかみ締めるような、穏やかな仕種。そのたびに、パールホワイトの裾が翻って、さながら、天使が羽を遊ばせているような、そんな様子。
 アオザイが天使の衣と呼ばれる所以である。
 そして何より、青い髪と青い瞳をした少女が、これ以上なく幸せそうにバラ色の頬をほころばせていたから。だからこそ、まるで天使のようだと呟いた人間が、一人二人ではなかった。
 ただ、本人は。
「やっぱり恥ずかしいですぅ………」
 ふみゅぅ〜と鳴声を漏らして、真っ赤になって、父の胸元に顔を伏せていたという。








 その日の夜、父は仕事にとんぼ返りをして、一人で夕食をとり、部屋に帰ろうとしたらテレビで丁度アオザイの専門店の特集をしていた。結局テレビの前に戻ってそれを見る。
『アオザイは体にフィットしたラインが美しいことで有名で、そのために本当にその美しさを楽しみたいなら、オーダーメイドに限りますね。十五箇所にも及ぶ採寸を行って、本場ベトナムからの直輸送になります。お値段は張りますが、その価値はありますね』
 その後に出た値段に、彼女は今度こそはっきりと固まった。





END
 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
泉河沙奈 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月20日

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