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『宝物ものがたり 』
斎藤・智恵子4567

「えっと、買い忘れたものはないわよね」
斎藤智恵子は店を出る前に、もう一度メモを確認する。鞄と買い物袋をぶら下げた左手が重い。学校の帰りに買い物をしてきてと母に頼まれ、断れなかったのだ。
「軍手と、乾パンと、消化剤と・・・」
母が突然、うちにも防災グッズを揃えるのだと言い出した。まったく、すぐテレビの影響を受けるのである。
 学校帰りに通る商店街は、買い物のおかげで時間がずれたせいかいつもより人の数が少なく感じた。おかげで普段なら通り過ぎてしまう店の看板が目に映る。
「あら、あんなところに」
今まで気づかなかったが、小さな路地の奥に古本屋らしきワゴンが出ていた。本好きの智恵子は見つけてしまった以上通り過ぎることができず、つい立ち寄ってしまう。
古本屋の店内は薄暗く、主は外出しているのか、姿は見えなかった。智恵子は遠慮を感じ別の日にまた来ようかとも思ったのだが、狭い店内に一冊だけ、どうしても気になる本がありつい手にとってしまう。なぜかはわからないがその本に、名前を呼ばれた気がしたのだ。
それは外国の物語のようだった。古びた表紙には海賊の絵が描かれている。その船長と、水夫の一人に智恵子は目を奪われた。拙い筆ではあったが、アトラス編集部の不思議な雑誌で出会った二人にそっくりだった。
「チエコ!」
耳の奥に、最後の呼び声が蘇る。智恵子はずっと、気にかかっていたのだ。あの後彼らがどうなったのか。宝は見つけられたのか、その宝はどんなものだったのか。
 荷物を足元へ置くのも忘れ本を開く、しかし物語は語られようとはしなかった。なぜなら全てのページが、最初から最後まで、真っ青なインクの染みに覆われていたからだった。
「これは・・・」
だが、智恵子に呟きを与えたのは染みよりもむしろ、そのインクの匂いだった。ほのかに甘いその匂いは智恵子が学校で使っているものと同じ、魔法学校指定の特別なインクだった。
 魔法学校の道具はどんなものにでも魔力が込められている、たった一滴のインクでも例外ではなく、智恵子はその魔力に引きずられ本の中へ吸い込まれていく。抵抗の呪文を唱えようと、胸の中に言葉が浮かんだ。が、智恵子はそれを声に出すことはできなかった。
 別れたままの彼らに、再会したいという思いのほうが強かったからだ。

 気がつくと、溶岩から発せられる煙の中に智恵子は倒れていた。どうやら、仕掛けのあった足場の奥に隠し扉から続く薄暗い洞窟が隠れており、そこへ転げ落ちたらしい。まずは自分が助かったことに、安堵する。
智恵子はしたたかに全身を打ち、かすり傷を負ってはいたが歩けないほどではなかった。落ちていたメガネを拾い上げると、立ち上がる。
「あら?」
左手が、やけに重く感じた。自分がなにかを握っていることに智恵子は気づいた。手探りで確かめてみるとそれは学校の鞄と買い物袋、どうやら現実の世界からそのまま持ってきてしまったらしい。
こんなもの邪魔になるだけなのに、と最初はその場に置いていこうとした智恵子だったが、そういえば今日買ったものは防災グッズだからなにか役に立つものが入っているかもしれないと思い直し、買い物袋の中を探った。
「あった」
電池式の懐中電灯を見つけた。スイッチを入れると、薄暗かった洞窟の中が丸く照らされた。さらに簡単な救急道具で傷の手当ても行い、それからようやく進むことを始めた。
 道は一本しかなかった。戻ることのできない道であった。この洞窟がどこまで続いているのかはわからないがまずは脱出して、そして海賊たちに合流しなければならない。今が、あの火口へ飛び込んだときから何時間経過しているかはわからないが、海賊船の停泊している浜辺までたどり着かなければ。
「進まなくちゃ」
不安を押さえ込んで、智恵子は懐中電灯を握りしめた。そしてもう片方の手に下げたままの鞄と買い物袋も。なにがどう役に立つかはわからないので、持っていくことにしたのだ。
 しばらく進んでみてわかったことなのだが、この洞窟はどうやら人工に築かれた横穴らしかった。足場がやたら安定しているのもあったし、縦の長さがそう急激に変化したりしないのだ。ちょっと背の高い男、たとえばあの水夫なんかがすっぽり収まりそうなサイズなのである。
「多分、宝を隠すために掘られたのね」
智恵子は呟いた。
と、突然遠くのほうからなにかが近寄ってくる高い靴音が響いてきた。音は一つではなく、複数である。一瞬逃げ出そうかと後じさりしかけた智恵子、しかし逃げ道はないのだと思い出すと、近くに落ちていた小石をぎゅっと握りしめ懐中電灯を消して、音が近づいてくるのを待った。不意を討って、石を投げつけるつもりだった。
 洞窟の壁に、おぼろな灯りが浮かび上がった。智恵子は石を持つ手に力を込めた。だが、その灯りの主の声が聞こえた。智恵子の手から、石がこぼれ落ちた。

「チエコ!」
声の続きが聞こえた、とチエコは思った。それだけで涙が出そうだった。
「お前、生きていたのか!」
「どうしてこんなところにいるんだ!」
船長が、背の高い水夫が智恵子の頭を撫でまわし肩や背中を痛いほど叩く。幽霊ではないかと確かめているのだ。そのすべてが、智恵子には嬉しかった。ごめんなさい、ありがとう、と謝罪なのか感謝なのかわからない言葉を繰り返した。
 宝島に連なっていた二つの山は、間に細い洞窟が穿たれていた。片方の入口は山頂から下り、もう片方は火口の奥から緩やかに上っていた。穴をそれぞれに進んだ智恵子と海賊たちが出会ったのは、偶然ではなかったのだ。
「まさかお前が宝だとは思わなかったよ、チエコ」
船長が松明の灯りで顔に不気味な影を描きつつ屈託なく笑っていた。水夫も、それから後ろに従ってきた部下たちも同様に頷いている。ただ智恵子一人が驚いたように
「宝物・・・なかったんですか?」
「お前が今まで進んできた道になかったとすればな。どうやらこの穴は、先に島へ辿りついた海賊が掘った跡らしい」
「そうですか」
自然に首が、項垂れた。あんなに宝を楽しみにしていたのに、なにもなかったなんて。船長はまた別の宝を探せばいいなんて言っているけれど、せめてなにか、自分が船長のためにしてやれることはないのだろうか。目線の先には学校の鞄と、買い物袋しかない。
「学校・・・そうだわ」
しかし智恵子は、自分ができることを思いついた。学校の鞄を開くと中から一冊の本を取り出し、船長に手渡す。
「あの、これを使ってください」
「ん?こりゃ・・・妙な形の地図だな。書いてある土地の字が読めん」
「きっと、航海に役立つはずです」
「ふむ・・・」
船長は智恵子の顔を見て、それから
「お前がそこまで言うのなら、受け取ろう」
本をくるりと丸め、小脇に抱えた。
 智恵子が船長に渡したものは、学校で使っている地図帳だった。智恵子の生きる世界と船長たちの航海する時代は地形も場所の名前も違っているだろうけれど、当時の地図よりはよほど正確なはずだ。この地図があればきっと、世界中を航海することだって可能に違いない。
「きっと私、この宝物を渡すために来たんです」
わかったらなんだか、胸が軽くなった。同時に、体まで軽くなった気がした。
「チエコ?」
自分の体が、世界に溶けていくのが感じられた。魔法の力によって吸い込まれた世界だったが、今度は引きずり出されようとしているのだった。
「また、さよならのときです。だけど今度は、永遠にさよならなんかじゃありません」
きっとまた会えますよと智恵子は船長たちに手を振った。今度は泣かずに、別れを告げることができた。

 目を開けると、元の古本屋だった。
「おや、その本買うのかい?」
古本屋の主らしき老人が、智恵子に声をかける。はっと我に返った智恵子は、古いその本のページをめくった。すると、最初の十数ページだけ青いインクがまっさらに消えてしまっていた。代わりに現われたのは、この間とそしてたった今智恵子が体験した物語である。
「どうするんだい?」
老人がもう一度聞いた。
「買いますよ」
智恵子は、微笑んだ。
 残りのページに青いインクが染みている限り、物語はまだ終わらない。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
明神公平 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月20日

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