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『■+ チョコレートツアー +■ 』
マリオン・バーガンディ4164

 煙る様な雨が降る。
 こうして一雨降る毎に、徐々に涼しくなるのだと言うことを、彼は随分昔に教えられた。あまりに何気ない会話の一端であったのだろう、誰に聞いたのかは覚えていないが。
 「うーん、朝ですよねぇ」
 そう呟いていながらも、彼、マリオン・バーガンディは、ベッドから出ようとはしない。
 彼の黒い髪は、てんで好きな方向へと撥ねてはいるものの、それが愛嬌に見えるから不思議である。もしかするとそんな風に見えるのは、悪戯な猫の様な金瞳の影響かも知れない。
 くるりとした瞳を窓に向け、大きく溜息を吐いてみた。
 「雨が降っているのです」
 まじまじと見るが、やはり錯覚でもなければ、マリオンが見ているからとて止んでくれる訳でもなかった。
 再度、ほうと溜息一つ。
 「今日はお仕事、お休みにしましょう」
 別段、雨だから出勤するのが面倒と言う訳ではない。マリオンの仕事は、何処かに必ず出勤しなくてはならないと言うものはないからだ。
 彼の仕事は、絵画などの修復、そしてリンスター財閥総帥の個人的美術品を管理することであった。
 だから基本的には、自分の住まいにての仕事になる。特にと主に呼び出されたりすることもない限り、マリオンはゆったり自分のペースにて、仕事を進めることが出来た。
 では何故? と言う疑問が上がる。
 一応、マリオンが取り扱う品々は、それぞれにデリケートなものが多数を占める。
 屋敷内は湿度管理も完璧であるが、やはり何とはなしに気になってしまうのだ。
 無精などと、決して言ってはいけない。
 「お休みにするのは良いのです。でも、……うーーん、どうしましょう」
 ベッドの上で、ごろんと回転。勿論横にだ。でんぐり返しではない。
 淡いイエローで統一された天蓋付きのベッドでは、マリオンの小さな身体は、何度でもぐるんごろんと回ることが出来る。
 うーんうーんと言いつつも、ごろんごろんとしていたのだが、流石にそろそろ飽きて来た。ベッドサイドに設置されているサイドテーブルの上には、本が数冊乗っかっているも、それは既に読み終えたものだ。
 「あ、図書館に返さないといけませんね」
 図書館と言っても、公共の図書館ではない。財閥所有……と言うか、総帥所有と言い換えても良い、屋敷内の図書館である。目下の本は、そこから数日前に借りてきたもので、マリオンはあっと言う間に読み終えてしまっていたのだ。
 「うーーん、でももうちょっと後で」
 何処か悪戯っぽくそう言うと、ふと時計に目がいった。
 「そろそろ十時なのですね」
 十時。
 その時間に、マリオンの脳裏ではぴこんとばかり、ランプが点滅。
 「お店も開き始める時間なのです」
 ぺこんとベッドから身を起こし、マリオンはせっせと身繕いをした。
 顔を洗い、髪をとかし、服を選んで身につける。朝食の代わりに、シフォンケーキとロシアンティを。
 準備万端整えたマリオンは、自分で作った扉へと手をかけた。
 「ちょっと足を、伸ばしてみるのです」
 そう言って彼が開けた扉の向こう側は、異国情緒溢れる場所であった。



 ゴミ一つ落ちていないのは、やはり国策とも言えるのかもしれない。
 石畳を歩くマリオンの足は軽い。
 「前回は強行軍だったので、見ることが出来なくて残念だったのです」
 機嫌良くマリオンが歩いている場所は、実は日本ではない。
 正月に訪れたモナコであった。ちなみに時差など、マリオンの能力を以てすればどうとでもなる。
 マリオンの本日の目的は『ティータイムに食べる為のチョコレート』であった。
 色々と回ろうとは思っているが、取り敢えずは、正月行き損ねたモナコから。
 場所もちゃんと調べてある。
 モンテカルロ駅から徒歩十五分。旧市街へ向けて走るバスの終点にある広場を目指せば、迷うことはない。
 ないのだが。
 「やっぱり、歩き回るのはイヤなのです」
 迷うのはイヤなのですと言わないところが、ちょっとしたプライドなのかもしれなかった。
 人目に着かない場所に扉の出口を固定したマリオンは、思惑通り、全く迷わずその店、『ショコラトリー・ド・モナコ』へと到着していた。
 オフホワイトの壁と、それに合わせた丸いテントが可愛らしく窓を飾っている。
 流石は王室御用達と言われている店で、なかなかにセレブな雰囲気だ。もしかするとこう言った雰囲気に慣れない者であれば、少々気後れしてしまうかもしれない。
 しかし日頃からそう言ったものに慣れているマリオンが、戸惑う筈もなかった。
 扉を開けると、マリオンは強いカカオの香りに包まれる。
 「良い匂いですねぇ」
 うっとりと目を細めている様は、まるで縁側で日向ぼっこしている機嫌の良い猫の様だ。
 店員の方も、普通でならそんなことをしている者を見れば、怪訝な顔で見やるだろうが、ハイソな雰囲気を纏っている者を邪険にする訳もなかった。
 あちらこちらを楽しげに見回っているマリオンに声をかけ、どうぞとばかり、チューリップと呼ばれる小さなカップを差し出した。
 「これまでチョコレートなのです」
 食べてみてくれと勧められ、マリオンはカップになったプレーンのチョコを口に含む。
 「……美味しいです」
 プレーンでも頬が落ちそうに美味しいのに、店員は更にチューリップをマリオンに勧める。またもや同じように食べようとするマリオンを、にっこり笑って制すると、その中にチョコレートのクリームを二種類注ぎ、同じ形のカップで蓋をする。
 「? これを食べるのですか?」
 「ええ。どうぞ、召し上がって下さいな」
 小首を傾げつつも食べてみると、そのチョコは、それぞれに違った味を持ちつつも、互いが見事に調和し、何とも言えない美味である。
 どうぞどうぞと勧められ、既に幾つ試食したのか解らない。
 マリオンは試食した中から、複数のチョコレートを選ぶ。
 まずはプレーンなチョコレートで、ビターとミルクの両方を選択、更にオレンジピールを使ったもの、ピスタチオを乗せたもの、カラメルを使用したものなどを購入する。
 全て一口で食べてしまえる大きさのものだが、購入した数が半端ではない。普通なら、胸焼けしてしまう程の数である。
 「とても美味しかったのです。家に帰って食べるのも、とっても楽しみなのです」
 ほくほく顔のまま、彼はまたもや扉を開けた。



 次ぎにマリオンが訪れたのは、先のモナコとは一転、何処か気の抜けない街である。
 「自転車がいっぱいなのです。本当にここで良かったのでしょうか」
 小首を傾げるマリオンが来ている街は、イタリアはチェゼーナと言う。サッカーチームが有名ではあるが、マリオンの目的は、当然ながらサッカーではない。
 繰り返し言うことだが、今日の目的は『ティータイムに食べる為のチョコレート』だ。
 このチェゼーナと言う街にある小さな駅舎の前には旧工場街が見え、その街並みと共に、一見して古い町であるかの様な印象を受ける。けれど嘗めてはいけない。歴史もあるが、ハイテク技術もふんだんに取り入れている街でもあるのだ。
 しかしそんな街中、一瞬『中国か?』と言いたくなるのが、先にマリオンが気付いた自転車の数が多いと言うことだった。身分証明書さえ提示すれば、ここの住人でなくとも利用できるのが有難くもある。住人の足と言っても、過言ではないかも知れない。
 ちなみにこのチェゼーナは、ロマーニャ地方に古くから伝わる酵母を使わないパン『ピアディーナ』と言うもの名物の一つの様に知られていたし、現存する最古の図書館『マラテスタ図書館』と言う場所でも知られていた。
 ここでの目的地は、五十年以上前にジェラートコーン工場としてスタートを切り、今では名門と呼ばれているスイーツブランド『バビ』である。
 そこで一番人気のあるがは、ヴィエッネズィと呼ばれるチョコウェハースだが、その成り立ちから解る様に、当然ながらジェラードもあった。
 店舗の中へと入ると、やはりここでもカカオの良い香りが鼻腔を擽る。
 ここのチョコレートは、少々ビターテイストであるらしい。
 「やはり定番は抑えておくのです」
 目移りしそうになるも、抑えるべき処はきちんと抑えるマリオンだ。
 更に一口サイズのクレミニや、やはりヴィエッネズィと同じく、チョコでウェハースを包んでいるバッビーノにも手を伸ばす。
 基本的に『バビ』のチョコレートは、奇抜なものはなく、ごく普通のチョコレートと言った風だ。ただ、その組み合わせが多彩であり、ジェラード、果てはミネラルウォータまで売っていたりもする。
 「こんなものも売っているのですねぇ。あ、デザートの材料もあるのですか……。お家に帰って、これを元に作ってもらうのも良いかもしれないのです」
 だがしかし。
 確かに良い案であろうが、やはり料理人に向かって、『同じものを作ってくれ』と言うのは失礼なことでもあるかもしれない。
 そのことに思い至ったマリオンは、本来の目的であるそれだけを買うことに決めた。
 チョコレートを抱え、店から一歩出た彼は、ふと小首を傾げて思案する。
 「……やっぱり建物だけでも見て行きましょうか」
 そう言って向かったのは、マラテスタ図書館だ。
 二階建てだと思しき建物は、淡いオレンジ色の壁をしていた。窓枠もオレンジ。扉は当然の様に木製で、全体的に暖かな印象を受ける。
 「こんなところで、日向ぼっこをしながら本を読めたら気持ち良いでしょうねぇ」
 目を細めて言うマリオンは、暫くその図書館を見ていたが、思い出したかの様に踵を返した。



 その後。
 マリオンは足の向くまま気の向くまま、チョコレートショッピングを楽しんだ。
 両手いっぱいになったとしても、ちょっと扉を開けて、屋敷に置いておけば荷物もかさばりはしない。
 そうして気の済むまでショッピングをして部屋に帰った時には、すでに保冷庫は本日購入のチョコレートでいっぱいになってしまっていた。
 一つ開けては、口いっぱいに広がる甘さやほろ苦さ、そして予想もしない味わいに舌鼓を打つ。
 アーモンドの入ったクレミニを口に放り込んだ時、ふと部屋にある本に目がいった。
 「あ、返さないといけませんね。丁度良い機会です」
 今朝にも同じ様なことを言ったのだが、その時にはチョコレートの誘惑に勝てなかった。だが今、チョコレートは手の中にある。
 借りていた本を、まるでついでの様に手にとって、マリオンは屋敷内の図書館へと向かった。
 図書館でティータイムを洒落込むのも、良いかもしれないと思ったのだ。
 「チョコレートが甘いから、紅茶も同じく甘いと、チョコレートの味がなくなるかもしれないのです」
 そう考察したマリオンは、厨房へ行き、本日のお茶であるイングリッシュアフタヌーンを手に入れた。
 屋敷内では、あまり空間を繋ぐ様な真似はしない為、しっかり二足歩行で図書館へと行き、まずは本を返却。
 次いで、またもや新たに本を借り、この中でも一番綺麗に外が見える場所を陣取ると、持ってきたティーセットを置き、更にチョコレートをテーブルに並べる。
 「雨もすっかり上がった様です」
 今朝方降っていた雨は、どうやらマリオンがチョコレートと戯れている内に、すっかり止んでしまったらしい。
 重厚な読書机に、可愛らしいチョコレートと本が並んでいるのは、少々微笑みを誘ったが、マリオンはさほど気にしない。
 ぱらりと本を開き、チョコレートを口に放り込んでは目を細める。
 「ああ、何て幸せなのでしょう」
 うっとりしているマリオンは、はっきり言って本の内容など頭に入っていないだろうと思える。
 ページを繰る手よりも、チョコレートの包み紙が増える回数の方が多いのだ。
 オレンジピールの乗っかったチョコレートは、『ショコラトリー・ド・モナコ』で購入したものである。口の中で、爽やかな香りと共に、ビターテイストなチョコの味が広がった。
 次ぎに手に取ったのは、馬の顔が浮き彫りになっているヴィタメールのショコラ。
 七層にもなった『バビ』のウェハースとバニラクリームは、上品なチョコレートクリームでコーティングされ、口に入ると同時、ふわりと溶けて芳香を放った。
 次々に空くケースと、築かれていく包み紙。
 「もうこんな時間なのです」
 ふと気付くと、既に空は赤かった。
 粗方食べはしたものの、また明日も食べたいと思ったマリオンは、腹八分目あたりで終了する。
 全くページの進まなかった本を手に取り、少しばかり残ったチョコレートを大切そうに抱えて、その図書館を後にした。
 ほてほてと歩いては、先程まで食べていたその味を思い起こしてはにんまり笑う。
 行き交うメイドは、マリオンのその顔を見てぎょっとするどころか、微笑ましげに見ていた。恐らく慣れっこなのだろう。
 お茶セットも返却し、部屋に戻って聞いていた彼は、溶けない様にとチョコレートを保冷庫へと仕舞い込んだ。
 「明日のティータイムにも、美味しいチョコが食べれるのです」
 満足げにそう言ったマリオンは、安心した様に室内のテーブル前へと腰を下ろした。
 漸く、本の中身に没頭することが出来る。そう思って、本を開いた時だった。
 「………あ」
 彼の脳裏に、先程までいた図書館の風景が浮かび上がる。
 「……チョコレートの包み紙、そのままにしています」
 どうしようかと思案したのは数瞬だ。
 マリオンは次の瞬間、にっこり笑って結論づける。
 「明日綺麗にすれば良いのです」
 恐らく今日借りてきた本だって、明日にはすっかり読み終えてしまうだろう。返しがてら、紙を片付けてしまえば良い。
 自分の出した案に満足しながら、マリオンは借りた本へと視線を落とす。
 静かなる部屋の中、未だチョコレートの甘い香りをその身に纏ったまま、彼はゆっくりページを捲り始めた。


Ende

PCシチュエーションノベル(シングル) -
斎木涼 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月15日

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