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『よるのふたご 』
人造六面王・羅火1538)&二階堂・裏社(5130)



    「兄さんをさがしに行ってくる。
     きっと兄さんは、そとの世界がたのしいから、
     じかんがたつのもわすれてしまっているんだ。」
    「かみさま、すぐに帰ってきてください。」
    「もちろん。昼も夜もなくなったら、世界はとんでもないことになるもの。
     おれたちはふたごだから、おたがいのいばしょがなんとなくわかるんだ。
     だからすぐに見つけてもどってこられるよ。」


                       『たいようのふたご』より、抜粋


 ぱしゃ、と黒色の飲み物が床にこぼれ落ちた。
 それに唸り声を上げたのは、紙コップを取り落とした張本人――張本竜の羅火だ。アトラス編集部の給湯室で、誰も彼もが勝手に淹れて飲んでいるインスタントコーヒーは、おかわり自由だ。不特定多数の人間や人外が出入りするアトラス編集部であるから、飲み放題のインスタントコーヒーは重宝されていた。味のほうは、インスタントなのだから推して知るべし――しかしどういうわけか、決して底をつかないのだ。アトラス編集部における謎のひとつである。
 こぼしたところで、もったいない、と思う者はない。
 羅火はぶつくさと悪態をつきながら、その辺にあった箱ティッシュを取り、床にこぼれたコーヒーを拭いた。彼は、べつに落としたくてコップを落としたのではない。なぜ手からコップが落ちたのか、彼自身が誰かに問い詰めたい気分だった。
 なにか――これから、自分に不都合なことが起きそうな気がする。
 不吉だ、というのではない。いまは目にも見えず、重みも現実のものではない彼の『手錠』が、瞬間的に手首の自由を奪ったような感覚があった。
 今日の月は、上弦だ。手錠は消えも現れもしない。
 コーヒーを吸って、不愉快な感触と重みを持ったティッシュの山を、羅火は近くのゴミ箱に押し込んだ。
「……?」
 羅火は、今日の仕事を探しにここに来た。なにかの憂さを晴らすかのように、彼はいつも戦いを求める。血生臭い戦いとは無縁のように思える編集部だが、こまめに通って存在をアピールしておけば、いざというときの要員として記者の誰かには顔と名前を覚えてもらえる。
この、一見東京のどこにでもありそうな雑誌編集局は、実は毎日が血生臭い戦いの中にあるのだ。相手はオカルトそのものである。相手が霊だろうが化物だろうが、羅火は内容が戦いであれば、依頼を拒まなかった。文句をつけるとすれば、戦ってみて、相手に歯ごたえがなかったときだ。
「……」
 今日もそうした物騒な依頼を求めて、ここに来たのである。
 しかし、どうにも、おかしな胸騒ぎがするのだ。まるで、今日ここに来なければならなかったような気がする。誰とも約束をしていないはずだ。けして記憶力は悪いほうではないのだが――。もし約束をしていて、それを忘れているとなれば、“約束を違えるべからず”という矜持が折れることになる。
「……ええい、一体どうした、わしは」
 彼はいらいらと、赤い髪をかきむしった。ばりばりと豪快な音がした。
 ぱしゃ、と小さな音がした。


 振り返った羅火の世界から、編集部の喧騒が消える。
 きっと、そこに立つ偉丈夫の世界も沈黙した。それが、わかる。


 黒色の飲み物が、床に広がっていく。液体は、彼の靴を濡らした。音もなく。
 2メートル近い身長と、がっちりとした身体つき。闇のように黒い髪、金の眼。金の虹彩の中の瞳孔は、縦に裂けている。
「二階堂さん」
 近くを横切ろうとした記者が、彼に声をかけた。
「二階堂さん、どうしました? コーヒーこぼれてますよ」
 彼は硬直したまま、微動だにせず、目の前の男を見つめている。彼が見つめている男は、炎のように赤い髪と、金の眼。金の虹彩の中の瞳孔は、縦に裂けている――。
「兄貴?」
 乾いた口で、彼は尋ねた。


 羅火は知らない。目の前の長身な男が、二階堂裏社と名乗って、東京をふらふらと渡り歩いていることを。けれど、知っているのだ。自分そっくりの『気』と『顔』を持つ男が、生き別れの兄を探しているということを。その男の居場所は知っていた。けれども、いままで会うのを拒んでいたのだ。自分に弟がいるかもしれない、ということを考えると、身体と心は理不尽な苦痛に苛まれた。思い出そうとするだけで気が狂いそうになるというのに、実際に会ってしまったら――どうなってしまうか――。
 ああ、しかし、出会ってしまった。
 眼前の男の名は知らない。わからない。だが、自分と同じ『気』と『顔』と、『血』を持つ者であることはわかる。わかってしまう。
「……ぅぅぅおおおおおおおおーーーーーーーォォォォオオオゥゥウ!!」
 脳髄と手首に走る激痛が、竜の咆哮を呼び起こす。
 羅火の絶叫が、アトラス編集部のコーヒーや原稿を吹き飛ばした。

 裏社は、愕然とした。
 彼が抱いていた兄竜の偶像とは、あまりにもかけ離れた姿が目の前にある。双子なのだから、その髪の色をのぞけば、すべてが同じもので出来ていると思っていた。生き別れとはよく言ったもので、兄が裏社の前から姿を消したのは、随分昔のことになる。その古い記憶の中の兄は、所詮、色褪せた姿だったのか。
「兄貴」
 しかし、紛れもなく、中背のこの男は、裏社の兄なのだ。捜し求めていた『気』と『顔』と、『血』は――裏社と同じもので出来ている。
 会えばきっと、喜んでくれると思った。
 帰ろう、と言えば、すぐに故郷に帰ってきてくれるはずだと思っていた。
 この東京というまちに来て、このアトラス編集部に顔を出すようになってから、その確信は確かに揺らぎはじめていたのだが。
 兄竜の、断末魔じみた咆哮を、裏社は受け止めた。
 ――この赤い竜は、自分のことを覚えていない。自分のことを半ば拒否している。彼は、一緒に帰ってはくれない。帰ろう、と誘うことも出来ない――。
 くずおれる赤い髪の男を、裏社はさっと抱きとめた。さきに落としてしまったコーヒーは、この咆哮でたったいま手からこぼれ落ちたことにしよう。
 いまのはなんだなんだどうしたどうなってるんだ、とようやくざわつき始めた編集部に、裏社は引きつった愛想笑いをしてみせた。
「……どうもすいません、すぐ……連れてきますんで」
 裏社は、ゆっくり、そうっと、壊さないように……兄竜を支えて立ち上がろうとした。
 しかし、赤い髪の兄は、低い唸り声を上げ、うつむいたまま、裏社を突き飛ばしたのである。
「触れるな! ……わしに、触れるな!」
 腹の底から絞り出したような、苦鳴であった。
「……」
「……、おのれで歩くわ」
 赤い髪をかきあげ、その顔をあらわにした兄は、しかし――弟の顔を、見ようとはしなかった。のろのろと、頼りない足取りで歩き出す。
 弟は、しばらくぶりに自分にかけられた兄の言葉をかみしめて、ゆっくりとその後ろについていった。


 上弦の月。

 月にまるで導かれるかのように、ふたりは歩いていく。日が暮れ、夜の帳が下り、上弦の月が西に沈もうとする頃には――まちの喧騒と光が消えていた。ふたりの前に広がるのは、息をひそめる廃墟の群れだ。
 ここには、誰が殺されようと叫ぼうと、何かが壊れようと、あからさまに咎めたりする者がない。月が見下ろす殺し合いが、まともな観客もないままに繰り広げられる。
 ふたりとも、この廃墟を訪れたことがあった。
 竜の血が駆り立てる闘争心に抗えず、ここに足を運び、行きずりの女ならぬ魑魅魍魎を引っ掛けて、喧嘩を売るのだ。
 赤い髪の男が、15階建ての雑居ビルになるはずだった廃墟を見上げ、ばうっ、と赤い翼を広げた。生温かい風をかきまわして彼が飛べば、黒髪の男が、鴉のように黒い翼を広げて、あとに続く。
 ビルの屋上から眺める廃墟の群れは、混沌の神の立場でいえば、絶景だった。
 枝落としもされずに放置された街路樹たちの向こう側に、小さく光る繁華街の明かり。あれはまるで、地上にこぼれた星のようだ。
 絶景や星を眺めるわけでもなく、うつむいた赤髪の男が、ぽつりと呟いた。
「……わしは、羅火と云う。……ぬしは……」
「ここでは、裏社」
「わしの名は、羅火で正しいか」
「……。ああ。きっと、それでいいのさ」
 ウウウ、と羅火は唸り声を上げた。その手に、異様な形状の手錠と鎖が現れていた。彼は顔を歪めて頭を抱える。
 その肩、その二の腕、背、膝に、裏社は『余分な気配』を感じ取った。赤い竜は、その気配にねじ曲げられている。たまりかねて、裏社は口を開いた。
「ほんとに、……それで、いいんだ。俺は大丈夫……大丈夫だから」
「……すまぬ」
「俺はどんな兄貴でも……大丈夫。兄貴は兄貴として受け入れるよ」
「……すまぬ……」
 ぎりぎりと、兄竜は牙を食いしばる。
 苦痛は彼に、真実を伝えようとはしなかった。霞がかかった意識が、弟の存在を半ば否定しようとしているのだ。弟を思い出せば、自分は壊れてしまうから、と。
「ぬしを、何と呼べば良い?」
「なんでもいいよ。『やっしー』でも『おい、そこの』でも『弟よ』でも……『裏社』でも」
 裏社は兄の肩にそっと手を置いて、金眼を覗きこんだ。今度は、手を振り払われることはなかった。
 弟は兄の眼の中に、絶望と狂気と、苦痛をみつけた。兄は変わったのではない、変えられたのだ、ねじ曲げられて、もうもとには戻れなくなってしまった――兄は奪われてしまったのだと、知ることが出来た。
 ふつふつと、弟竜の心の中に憤怒が宿る。怒りはやがて、どうしようもない破壊衝動となってあらわれるだろう。
「俺は、大丈夫。兄貴がつらくない呼び方で呼んでくれ」
「……」
「兄貴、」

 いっしょに帰ろう。

 肝心の言葉が、出て来ない。

「ああ」
 羅火は、弟の黒髪に手を滑りこませて、また呻いた。
「ぬしを、何と呼べば良い――」

「兄貴」
 裏社は、言った。
「いっしょに、復讐しにいこう」


 下弦の月が沈み、真の夜が廃墟をつつむ。その光景はまるで、竜に滅ぼされたまちのようだ。誰もが見捨てたコンクリートの廃墟の屋上で、赤と黒の竜が吼えている。
 2頭の竜は、これから飛び立ち、きっと世界を変えてしまうのだ。月と太陽がいなくなり、この世界は――きっと、止まる。




<了>

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2005年09月14日

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