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『■+ 世界で一番愛しい夜 +■ 』
守崎・北斗0568)&守崎・啓斗(0554)

 ほんのりとした灯りは、周囲に妖艶な影を落としている。
 別段何時も何時も、この場所がこう言った灯りに包まれている訳ではない。通常であれば、皓々とした灯りが灯り、人々がそれなりに動き回っているのだ。
 今現在が暗いのは、ただ単に時間の所為であった。
 ここは多聞寺と言う寺に併設されている、芙蓉荘の名を持つ衆寮(旅館)である。
 山の上にぽつんとある為、日頃はのんびりとした時が流れているのだが、今日は違う。年に一度、寺が夏場に主催する施餓鬼会が開催されていたのだ。
 だがその施餓鬼会も今は終了し、夜勤の従業員や、静かに露天風呂に入る客、または宵っ張りの客と言ったものしか動いてはいない。
 そんなひっそりとした時間。
 上から続く階段から、一人の浴衣姿の少年がひっそりと足音を忍ばせて降りてきている。
 一般の皆様なら、階段に人がいると言うことも解らないだろう程、見事なまでの気配の断ち方であった。
 時折背後へ向け、過ぎる程の警戒心を籠めて視線をやっているのは、未来に起こる何事をかを予知しているかの様にも見える。
 「……食い足りねぇ」
 青い瞳を持つ少年は、腹に具合を尋ねる様に撫で上げ、ぼそりと呟く。だが即座に口元を抑え背後を振り返ったのは、夏場にも関わらず、何処かから人知れず流れてくる冷気を感じたからだ。空調から来るものでないことは、断言出来る。
 何も、そして誰もいないことを確かに確認した彼──守崎北斗(もりさき ほくと)は、安堵の溜息を漏らした。
 彼が目指すのは、ここから斜め前に見える露天風呂へと続くコーナーである。そこには電話や売店、自販機があった。
 北斗の目的はクローズした売店ではなく、そして当然の様に電話でもないし、露天風呂へ入ることでもない。
 彼は自販機を、いや自販機の中身を……いやいや、『二十歳未満はダメよ』と言われる酒類の自販機の中身、つまりは『酒』を目的としているのだ。
 「草間も兄貴も、みんな飲ませてくれねぇもんな」
 唇を尖らせてそう言うが、当たり前の話ではある。
 施餓鬼会を開催している多聞寺と縁のある者に招待され、守崎兄弟は草間興信所ご一行様として慰安旅行に来ていたのだ。
 だから草間は『一応』引率者で、未成年達を監督する義務がある。
 その監督者の立場上、そして身内以外が数多くいるそこで、諸手を挙げて飲酒を許可する訳にはいかないのだ。
 ……もっとも、草間は既に出来上がっており、北斗に酒を飲ませないのは監督云々以前の話で、未成年にまで酒を回していては、自分の飲む量が減ると言う何ともセコイ理由であったのだが。
 だからこそ北斗は、こうして抜き足差し足、自力調達を目指しているのだ。
 勿論つまみは、先程まで闌であった宴会場所より調達し、ひっそりと隠している。ブツを手に入れてから、それを取りに戻る腹づもりだ。
 北斗がいる階段横はバックヤードになっており、フロントと繋がっている。そのバックヤードからは、夜中であるも人の気配がしていた。どうやら夜勤の者が、何時客が来ても良い様に、そこで待機している様だ。
 北斗はそっと、愛すべき自販機ちゃんのある一角を探った。
 「良し」
 短くそう言い、握り拳も勇ましく、素早い動きで中へと入る。
 午前零時までならそのコーナーの一角には、人が常にスタンバイしているのだが、流石に丑三つ時も過ぎようと言う頃合いではいる筈もない。
 うすらぼんやりとした小さな光は、各種自販機の商品を照らすものである。
 時折消えているものがあるのは、既に販売時刻を超過しているからだが……。
 「うそぉんっ」
 小声ながらも、その声音は切実な色を帯びている。
 どうやら北斗は、販売時刻のことを失念していたらしい。
 「ななななんでだよぉ……。この赤ランプ、何でついてんだよ」
 頬に伝うのは涙である。それも滂沱と呼ぶに相応しい流しっぷりだ。しかも自販機に抱きついているその姿は、まるで恋人に捨てられまいと必死になっている未練たらしい男にも見える。
 だがしかし。
 唐突に迫るのは、背後からの凄まじい迫力。否、気迫。
 いきなり涙が引っ込んだ。脳裏に響き渡るは、ジョーズのテーマ。
 イヤな汗が、自販機を抱擁したままの北斗の背中を流れ落ちる。
 後ろを見たい。でも見たくない。
 北斗のその葛藤は、まるで目の前に並べられた満漢全席とフランス料理のフルコースを選べと言われているかの様でもあった。
 一、二、三っ。
 何とか気合いで振り返る。でも首だけ。
 「あ、兄貴……」
 浴衣姿で仁王立ちしているのは、やはり彼の兄、守崎啓斗(もりさき けいと)であった。
 茶色の髪の向こう側、ぴかーんと輝く瞳が怖い。笑顔般若発動まで、残りテンカウントと言ったところである。
 ぬっと伸びた手は、そのまま北斗の襟首をわっしと掴む。啓斗が引いた力のお陰で、北斗が抱え込んでいた自販機が動いたか様に見えたのは錯覚だろう。
 そのまま猫の子が連れ去られて行く様に、北斗は襟首を捕まえられたまま、自販機コーナーを退場したのであった。



 「な、兄貴」
 北斗が上目遣いで話しかけるが、啓斗はただ黙々と歩いている。勿論、襟首は捕まえたまま。北斗の曲げられた背中と足が、お利口さんの証明だ。
 「ちょーーっと喉乾いただけなんだって」
 冷や汗をだだ流しにしている北斗を見ていると、何故か笑いがこみ上げそうにもなるが、敢えて無表情を貫いた。
 「ほら、氷とかも欲しいじゃん。部屋のヤツじゃ、足りないからさ」
 エレベータなら大した時間も掛からず部屋へと到着出来るのだが、敢えて啓斗は階段を使う。
 「取り敢えず、今んとこ、買い食いしてないからっ」
 「今のところ、な」
 ちろーんと見てやると、北斗の首が、亀の様に引っ込んだ。
 『全く。素直に言えば良いものを』
 更に言い訳を繰り出している北斗に感心しつつ、啓斗は漸く階段を上り終えた。
 たかが三階、されど三階。
 いい加減腕も痛い。
 部屋の前で取り敢えず北斗を下ろしてやると、にっこり笑って一言。
 「逃げるなよ」
 顔面蒼白な弟は、冷や汗を通り越して脂汗をかいていた。
 ロックを解除し、北斗をひっつかんで中へと入る。スリッパを脱ぎ、前室へと進み目の前の障子を開けると、そこは八畳の和室であった。
 「どうした?」
 すたすた中へと入り込む啓斗とは対象に、その和室の入り口で立ちつくしている北斗である。目をまん丸に、口も半開きのその姿を見て、啓斗は心で会心の笑みを浮かべた。
 「兄貴……これ」
 北斗が驚いていたのは、和室の中央に置かれているテーブルの上を見たからだ。
 でんと乗っかっているのは、一升瓶。
 「『半蔵』って、何それ」
 「伊賀の地酒だそうだ」
 「伊賀って、ここ東京だぞ。……辺鄙だけど。ここの地酒とか言うんなら解るけど」
 黒い瓶に、これまた黒いラベルが貼り付けられ、そこには白文字で『大吟醸』、金文字で『半蔵』とでかでか書いてあった。山田錦をベースに、低温で醗酵させたのがこの『半蔵』である。
 「持って来たんだ。……偶には良いだろ?」
 「あの荷物、酒入ってたのかよ……。てか、家にあったか、そんなもん」
 「ここに来る前日、丁度見かけたからな。それで買っておいた」
 旅行の想い出になるかも知れないからと、啓斗はこっそり買っていた。当然、旅行準備費が経費になるのを知っていたからだ。
 呆れ顔の北斗を見つつ、啓斗は更に、部屋に備え付けの冷蔵庫を開けた。ちなみにその冷蔵庫、北斗の摘み食い摘み飲み防止の為、到着後即座に、鎖がまの鎖にてぐるぐる巻きしていたのだが。
 「こっちは東京産だ」
 出して来たのは、黒い瓶に白いラベル、紫で『吟雪』と書かれた日本酒だ。こちらも同じく、山田錦がベースとなっている。
 「そっちは?」
 「ここの下にあるのを見ていたら、住職さんに貰った」
 ただ単に貰ったのとは微妙に違うのだが、敢えて言う必要のないことは言わない主義である。
 「……」
 黙り込んだ北斗に、どうしたとばかりに小首を傾げた。何か不満でもあるのだろうか。あるのなら、やはりこれだろう。
 「つまみもあるぞ」
 やはり冷蔵庫から取り出して、テーブルの上へと並べていく。
 「ああっ!! それ、俺が隠して……っったぁった……、いや、あの、兄貴? これ何処で?」
 慌てふためく北斗だが、失言に気が付いたのだろう、舌を噛みそうになるも、何とか体勢を立て直している。それについては突っ込まず、啓斗は北斗にだけ解る笑みを浮かべて答えてやった。
 「俺が、解らない訳がないだろう?」
 そう、取り出したのは、先に北斗が隠しておいたつまみである。それを見つけ出し、冷蔵庫に入れていた分だけ、啓斗は北斗をふん捕まえるのが遅れたのだ。
 「うううっ……。俺の苦労って一体……。つか、もう……良いや……」
 「何が良いんだ?」
 「いや、だから良いって……」
 何が良いのか、啓斗にはさっぱり解らない。言ってみろとばかり、視線に含めて見てやると、彼の弟は、何処か照れた様に、そっぽを向きつつも口を割る。
 「……酒盛りするつもりなら、先言えっての」
 一人淋しく飲むことになるかと思ったと、北斗が小さく続けていた。
 「それはこっちの台詞だぞ。お前と来たら、宴会中こそこそと何かやってるし、終わって俺が風呂に入ってる隙に、何時の間にかいなくなるし」
 確かに自分は、堅物なのかも知れない。けれど偶には、そう、本当に偶には、酒など酌み交わすのだってやっても良いかなと思うのだ。その時には、自分達が未成年であることは目を瞑る気だ。
 啓斗は、少しばかり拗ねている。顔に出ているのは、眉間の皺だけだが、それだけでも北斗には解った様だ。
 彼は照れくさそうに、ぽつりと言う。
 「……ごめん」



 「んじゃま、カンパーイ」
 そう言い、北斗がグラスを掲げると、啓斗も倣ってグラスを掲げた。ちんと、硝子と硝子の触れあう音が響き渡り、名残惜しげにグラスが離れる。
 一気にそれを空ける北斗と、ゆっくり口に含む様にして飲む啓斗。
 ぷっはーと言う清々しい声と共に、北斗は舌なめずりをして酒瓶へと手を伸ばす。
 「これ、美味いな」
 言う酒は『半蔵』である。少し桃の風味を感じるそれは、フルーティと言う一言では終わらない味であった。
 「でもさ、伊賀の酒が『半蔵』なら、甲賀だったら何になるんだろ」
 「何をいきなり……」
 「いやだってさ、興味あるじゃん。何となく」
 別に何だって構わなかった。けれどこうして兄と二人、他愛のないお喋りをしているのが楽しいのだ。
 「『佐助』とかかな」
 「それは漫画の話」
 「え? マジ?」
 「大マジ。まあ言うなら『三郎』か? 甲賀三郎の。甲賀五十三家中、もっとも勢いが良かったとか言うしな。他にも山中俊房なんかが、勢いがあったとされてるけど」
 「三郎? なーんかしまんねぇよな」
 三郎とくれば、一郎と次郎がいる筈だろうなどと、どうでも良いことを考えてしまう。
 「望月出雲守のことだ。望月家屋敷跡に甲賀流忍術屋敷が出来てるな」
 「んじゃせめて『出雲』とか……」
 言ってながらも、何処のパクリなのだと自分突っ込みをする北斗。
 「仕方ないだろう。忍者と言う特性上、個人名が有名になってる方が、可笑しいんだから」
 服部半蔵は、色んな偶然と必然が重なって、後世に名が残る様になったのだ。
 ちなみに伊賀忍は体術に優れ、甲賀忍は幻覚剤や火薬を使用することに長けていたと言われ、更にこの二つは、漫画や小説で良く描かれる様な対立関係であったことは少なかった。
 とまれ。
 そんなことは、現在の二人には関係がない。
 「あ、でもこの『半蔵』って、桃っぽくねぇ?」
 くいと何時の間にやら五杯目を空けた北斗は、そんな風に呟くと、啓斗もまたそれを流し込む。
 「……確かに」
 その風味を味わって、北斗はふと宵の屋台を思い出す。
 「桃の水飴、もう一個喰いたかったなぁ……」
 しかし手にしているのは、ポン酒とつまみ。いや、つまみには豪華すぎるだろう生雲丹だが。
 「お前、イヤって程喰ってただろう」
 「えー、でもさ、夜店のヤツってさ、どれもこれも美味そうに見えるじゃんよ」
 「それはお前だけ」
 きりっとすっきり言い換えされてしまう。
 だが北斗は負けない。だって男の子だから。
 「違ぇーよ、みんなそうだって。ほら、あの雰囲気とかで、すっごく美味そうに見えるの」
 「美味そう、なんだろ?」
 「いやだから、美味いんだって」
 北斗は、啓斗に引きずられて食べることが出来なかった数々の美味しいご馳走を回想した。
 「大判焼きにベビーカステラ、焼きトウモロコシと綿アメとか……」
 「焼きトウモロコシと綿アメは喰っただろうが。四本も」
 もくもくトウモロコシのことを言っているのだとすぐに解ったものの、それはちょっと違うだろうと思う北斗が反論した。
 「だからー、フツーのヤツも食べたかった訳。焼きそばとかお好み焼きとか」
 想像力の旺盛な北斗は、熱々ソースの匂いまで嗅ぐことが出来た。思わずじゅるると涎が垂れそうになる。
 「それは家でも喰える」
 「だって肉入ってねぇじゃんよっ!」
 切実である。肉が高いと、啓斗の目は精肉コーナーを華麗にスルーするらしく、守崎家の焼きそばやお好み焼きには、豚肉が入っていることは少なかったりするのだ。
 「それにしても、全部食い物か?」
 「え? だって夜店の醍醐味ってそうじゃね? イカ焼きとか甘栗とかカルメラ焼きとかフランクフルトとかチョコバナナとかチュロスとかポップ……」
 「いや、もう良い、言うな。胸焼けがしてきた」
 げっそりとした啓斗に、何でとばかり小首を傾げる北斗である。
 それにしても口に出していたら、とっても腹が空いてきた。目の前にあるつまみへ手が伸びる回数が、格段に増えている。それに伴い、更に酒量も増えつつあった。二つ目の瓶の封は既に開き、つまみの姿も可成り消える。
 そんな北斗を見ていた啓斗が、更に一献煽って呟いた。
 「何か嬉しいな……」
 「あ? 何が?」
 冷めていても肉とばかり、石焼きステーキであったものを腹に収めつつ、北斗はそう聞く。
 「こうしてさ、お前と酒飲んで、話して、ちゃんと返事が返ってくるなんてな。俺、幸せだって、そう思う」
 穏やかに微笑む啓斗に、北斗は面を曇らせた。
 「何だよそれ。ヘンなの」
 ぼそぼそと、消え入る様になってしまったのは、あの時の啓斗を思い出したからだ。
 咲き誇る芙蓉の花の中、一人で消えてしまいそうに思えた兄。
 あの時。
 北斗に答えた啓斗と、そして今こうして嬉しいと言う啓斗は、似た笑みを浮かべている様にも見えたのだ。
 『何でもない』
 そう言った啓斗は何処か頼りなく、そしていきなりふいと消えてしまいそうだった。
 確かに啓斗自身も、そのことを思い出しているのかもしれない。けれど『嬉しい』と言うそれは、花闇の中、見つけた北斗の姿に安堵したと言う事実を思い出し、そしてその喜びを感じたからこその言葉だ。
 あの時の不安、そして恐怖は、北斗がいる、側にいると言うそれだけで、啓斗にとって安心感を呼び覚ますことになる。全て拭えたとは言い切れぬとも、それでも救いはあったのだ。
 だが北斗には解らない。
 兄が自分の救いになっている様に、自分が兄の救いになっているのかどうか、自信が持てずにいるのだ。
 北斗は微かに唇を噛む。そして誤魔化す様に、大きく欠伸。片目から微かに流れる涙は、きっと欠伸の所為になるだろう。
 「なーんか、眠くなってきた。……酔ったのかな」
 差し向かいに飲んでいた北斗は、つつっと膝立ちで啓斗の元へとすり寄って、その膝に両手を乗せる。
 「何だ?」
 顎を引いた啓斗は、北斗の様子に少しばかり驚いている様だ。
 「な、兄貴。昔みたいに膝枕して」
 「は?」
 「なな、良いだろ? 俺眠くなったしさー」
 更に驚く啓斗に、上目遣いにそう言ってみる。
 「眠いならベッドで寝ろ」
 「いやだから、ちょっと酔って眠くなっただけだし、膝枕してくれれば、酔いも抜けるかなーって」
 あくまで酔ったと主張するが、それは何処まで通用しているのか怪しいものだ。
 「お前、何歳だ」
 「なーなー、良いだろ? 偶には酒飲んでも良いなら、偶には膝枕してくれたっていーじゃんよー」
 まるで駄々っ子だと思いつつ、北斗はそう強請る。最初は渋っていた啓斗も、仕方ないとばかり微かに笑って頷いた。
 「今夜だけだからな」
 北斗はいそいそと膝に頭を乗せ、横になる。
 『ああ、兄貴の匂いだ』
 そう思ってほっとしていると、啓斗の手が髪を撫でていた。
 突然のことにびくりとするものの、その手の優しさに酔いそうになり、ぐりぐりと頭を膝にこすりつける。
 「こら、くすぐったいから」
 そう言われ、北斗は啓斗の腰にへとしがみつく。身体が胎児の様に、ぐっと丸くなるのを見て、啓斗が怪訝な声をかけてきた。
 「北斗?」
 「なあ、兄貴、幸せ?」
 「え?」
 伝わるのは、暖かな温もり。そして匂い。
 「本当にそれだけで幸せか?」
 問う声が、震えぬ様に、北斗はゆっくり噛みしめる様にそう言った。
 先程兄が言った言葉、こうして二人でいるだけで幸せなのだと言うその言葉。
 本当なのだろうかと言う不安が、北斗の心を撫で上げる。
 髪を撫でる手は止まり、一拍の間の後、啓斗はそっと呟いた。
 「どうだろうな……」
 どくんと。
 北斗の鼓動が鳴り響いた──。



 痛い程の沈黙は、けれど次への標を見つける為のものだったのかも知れない。
 啓斗と北斗、二人が同時にそう考えた時。
 不意に、何かがそっと混じり合う。
 それが互いの心だと、察するまでもなく感じていた。
 『北斗、お前が幸せなら、俺は嬉しいから』
 その思いは、哀しいまでの優しさを持っている。
 『……俺は嬉しいけどさ、兄貴はどうなの?』
 そっと、北斗の顔が上がった。それを見る啓斗は、真剣な弟の眼差しに微かな戸惑いを覚える。
 『北斗』
 迷いを含んだまま、そんな瞳で小さく聞いた。
 『幸せじゃないのか?』
 唇を噛みしめたまま、けれど北斗の思いは、啓斗の中へと流れ込む。言葉などなくとも、弟の声は啓斗の心へ直接響いた。
 『だから、兄貴は幸せ感じてるのかよ』
 焦れったい。もどかしい。
 そんな思いは、聞こえなかった。そう、聞きたくなかった。
 『俺のことは良いから』
 「『だから──っ』」
 その声で、深い深い海の底から、いきなり引きずり出される。
 ──そんな、気がした。



 視線にあるのは、困った様な啓斗の顔だ。
 「……北斗、痛い」
 反射的に捕まえた啓斗の手を、北斗は離したくはなかった。
 「なあ、北斗」
 そんな声ではなく、そんな言葉ではなく、もっと違うことが聞きたい。それを聞くまで、絶対に離してなんかやらない。そう決意を込めて、兄をじっと見つめていた。
 「北斗、痛いから」
 「俺は痛くないから」
 勝手だと思うけれど、啓斗だって勝手だ。自分の気持ちは、何一つ言ってくれない。
 解っているつもり、知っているつもり、そんなことは、きちんと言葉に出さないと解らない。
 言葉にしなくとも解ることだってあるけれど。言葉なんかただ単なる記号に過ぎないけれど。それでもちゃんと、言って欲しいことがある。
 なのに啓斗は言ってくれない。黙って自分を押し殺すのだ。
 「あのな、北斗」
 「俺は痛くない」
 「いやだから……」
 「ちゃんと話す?」
 身を起こし、まじまじと見つめていても、啓斗は溜息を吐くだけだ。
 「だから、俺のことよりお前が……」
 「じゃなくてさっ! 俺としては、兄貴がどう思ってるかをはっきり聞きたい訳」
 「さっきから言っている」
 あれで本当に答えたつもりなのだろうか。もしもそう思っているのなら、北斗は情けなくて涙が出てきそうになる。
 それを隠す為、北斗は再度、啓斗の膝にと頭を埋めた。手はしっかりと握ったまま。
 「なあ、北斗」
 反対側を向いたまま、しっかりと目を瞑って知らんぷりしてやると、啓斗は諦めた様に、先程と同じく空いた方の手で髪を撫で始めた。
 その手は、自分と同じ部品で出来ているなんて思えない程、繊細な動きで北斗の心を解して行く。ゆっくりと髪を梳くその手を感じながら、北斗は心でひっそり呟いた。
 『狡いよな、兄貴』
 こんなことで騙されてやらないと思いつつ、北斗の思考が混濁していく。
 『兄貴の手って、こんなに……』
 最後は思考にならなかった。
 弛緩していく身体であっても、握りしめた啓斗の手だけは離す気配を見せずにいる。
 眠りの奈落へと落ち込む寸前、確かに北斗は、啓斗の声を聞いた気がした。



 どんどんどんと、派手な音が聞こえている。
 だがしかし、その部屋の洋間にあるベッドでは、双子が仲良くお休み中だ。
 二つあるベッドなのに、何故か一つのベッドで二人が寝ていた。騒音にも関わらず、彼らは眉を顰めただけで、互いに揃って寝返りを打つ。
 あまりに反応がなかったことに焦れたのか、今度は怒鳴り声が聞こえて来た。
 「おいこら、守崎双子っ」
 それでも二人は寝倒したまま。仲良くもう一度寝返りを打つ。
 「朝飯なくなるぞっ!」
 がばりと起きたのは北斗である。
 「超過したら料金実費だぞっ!」
 次いで起きたのは啓斗である。
 「「……草間?」」
 互いに起きてみたものの、やはり脳味噌はあまり回っていない。
 顔を見合わせそう呟いて、漸く外で怒鳴っているのが、草間武彦三十才であることに思い当たった。
 「兄貴、起きよう」
 「そうだな」
 のそのそと起きだし、取り敢えずの騒音を何とかする為、二人揃って玄関に向かう。途中通り過ぎた和室には、昨日の酒盛りの余韻が漂っていた。
 それを目にした啓斗は、何かを思い出した様にクスリと笑う。
 「あの後、大変だったんだからな」
 「へ?」
 何時の間にか眠りこけていた自分が、一体何をしたのかなんて解らない。でも下手なことをすれば、これから一生言われ続けてしまうだろうことくらいは、良く良く解っている。北斗の口元が、微かに引きつっていた。
 「お前、俺の手を離さないからな。ベッドに運ぶの大変だった」
 「あー、うーー。ごめん」
 だから一緒に寝ていたのだと納得した。しかも自分の方が身長があるから、確かに運ぶのも大変だろうし、意識のない人間は、想像以上に重いのだ。
 しゅんとしている北斗だが、何時までもそうはしていられなかった。扉の向こう側から、再度声が聞こえて来たからだ。
 「まだ寝てんのかっ!!」
 「起きたっ! 起きたってばっ!!」
 思わず叫んでしまう北斗だが、外にこれが聞こえているのかどうかは定かではない。外からの草間の声が聞こえるから、きっと届いているだろうとは思いたいが。
 「草間、血管切れそうだな」
 ぼそりと言う啓斗だが、その声に思い出したかの様に、玄関へと進む。
 啓斗は扉に手をかける寸前、不意に振り返って北斗を見た。
 「また何時か、一緒に飲もうな」
 そう言う兄の顔には、弟だけに見せるふわりとした笑みが浮かんでいたのであった。


Ende

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
斎木涼 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月12日

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