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『美しさは野分の様に激しく 』
綾和泉・匡乃1537)&十ヶ崎・正(3419)

 整頓されたマンションの一室、生活と自身の仕事に必要なその最低限な物しか置かない住居で久々の休暇を綾和泉・匡乃は満喫していた。
 飾り気の無いシャツを着崩し、午後になる日差しに光るカップの中では紅茶が甘い琥珀色を照らしていて、自らが予備講師としてあちらこちらを転々とする多忙さが今だけはまるで抜け落ちてしまったかのように。
 柔らかな時間の中、テレビを観る習慣もそれ程無く、新聞の事件欄を覗き込みながら静かに革張りのソファに腕をかけ記事の一文字一文字を追っていたのだ。―――が。

(電話…?)
 ふいに鳴る無機質な電子音に漆黒の瞳だけを電話機に向け、自らの持つ携帯でない事からも仕事や至急の用ではないのだろうとすぐに思いつく。それでも、出ないでおくというのもおかしな話で、楽しんでいた紅茶と暇つぶしとして読んだ新聞をガラスの光るテーブルに置くと鳴り続ける五月蝿い音を止めるべく、受話器を持ち上げた。



「はい、はいっ! ではそのイラストレーター様の作品の買い取りですね。 了解しました!」
 時遡って匡乃が電話を受け取る日のまだ午前中。美術館の落ち着いた音楽と雰囲気に包まれ、絵画と彫刻に囲まれた中、十ヶ崎・正の場の雰囲気にそぐわない大きな声が、自らがオーナーを勤めるそこで酷く響いていて、かっちりと着込んだ紺色のスーツに耳と肩で挟んだ受話器から美術品買取の仲介を引き受け、内容を事細かに記した手帳を忙しなくシャープペンでなぞりながらやる気の塊のような声はその依頼を受ける返事を返し、ようやくあたりに静けさが戻る。

「ふう…」
 正の方も美術品買取の仲介という自らの仕事に気合と声を出しすぎたのか、少し考えるようにして溜息をついた後、先程仲介すると言ったイラストレーターの情報を改めて手帳から読み取った。
(名前はわかりますが…歳もどこで描いていらっしゃるかもわかりませんね…これでは…)
 誰の絵画を求められたのかはわかる。でなければ仕事にもならないのだからそれだけは。
 が、問題の仲介に関する重要事項は今手帳を見る限りではゼロ、全く何も無い。正自身もこのイラストレーターについての名前だけは聞いたことがあるような気はするが所詮『気がする』程度だ、美術館のオーナーとして、仲介業の人間としてその程度の記憶しかないという事は自らの記録には役に立ちそうな情報は無いと考えても良いだろう。
 それだけ、正の仕事に関する情熱は凄まじく、記憶力も良い方なのだから嫌な話だが自信を持って情報は今の所無いと言えた。

(情報が無いなら聞くまで…ですか…)
 いつもならもう少し簡単に仲介の仕事も進むのだが、名前がわかる程度にしか無い今回の仕事。本来なら断る事も考えるのだろうが仕事を請けたのは正であり彼のやる気と誠実の塊が一度引き受けた物事を投げ出す筈も無く、一度切った受話器を再び取り上げるとまた黒い手帳の今度はアドレスを引き、美術関係を扱う出版社で特に依頼の物を扱った事のある場所にボタンを手早く押していく。

「もしもし? すみません僕は…」
 一件目の出版社に必死に説明し、兎に角少しでも情報を掴まなければいけない。こうして正の長い情報収集は始まり、
「えっ? 教えられない? …どういう事です? あっ、ちょっと!」
 待ってください、そう言う暇も無く依頼のイラストレーターの名前を出し、さて何を聞こうかと言葉を発しようとしたとたんに教えられませんの一言と共に乱暴とまでは行かないが電話を切られる。

 そんな、やりとりと同じ事が正の知っている出版社で何件も続き、前途多難を示しだしながらも本当に少しづつ、情報は実りの方向に向いていくのだ。


 一通り知っている出版社、はたまた藁にも縋る思いで正が訪ねた美術館なりでも、イラストレーターの情報は矢張り得られず、まるで本当に意図的に皆が皆口を閉ざしているようで。
「少しは情報くらい…」
 あってもいいのに。と口にしようとして手帳のアドレスをよく眺める。
 今まで情報の事ばかり口にしていたが実際の所、そのイラストレーターを知っていると思われる出版社は確かに口だけは閉ざせども何かしら怪奇類の事件で一度は何かしら有名になった所。
 恐ろしい程の正義感の強さでそういう事件にも関わる事のあった正はふと、それで一人の探偵の事を思い浮かべた。勿論、怪奇という単語で思い出されて嬉しがるような男ではないが、数々の事件を担当し、そして出版社とは違えども何かしら『そういうもの』に詳しそうな人間は最早、草間・武彦その人しかいないのだから。



 先程から長い沈黙と重い空気が一歩間違えれば廃墟に近い草間興信所に横たわっている。
 休みの午後に突然呼び出された匡乃はそのラフなスタイルと人の良さそうな中性的な顔とは全く別の、向かい合わせに座った武彦への攻撃ともとれる威圧的なオーラが先程からびんびんと、怪奇探偵の感を刺激していて、確実に今この目の前の人物は怒りを覚えていると探偵はただひたすら自らの汗を拭う他無い。

「で? 僕を呼び出したのはそのイラストレーターの絵の所在を草間さんが『間違って』教えてしまった為だと?」
 ふ、と鼻で笑うように微笑む匡乃はまだ整った笑顔を崩していない。が、怪奇の類禁止だのなんだのと事務所に貼り付けておきながら結局関わり、大抵の情報には通じてしまっている武彦はまだ来ぬ人物、十ヶ崎・正の問いに答えてしまったのだ。

『そのイラストレーターの絵を所持している人物を知っている』

 勿論、その言葉に正が食いつかない筈は無く、何度もその人物を呼んで下さいという彼の願いを聞き入れ、今目の前の人物、綾和泉・匡乃を呼んだのだが、如何せん所持者にとっては漏らして欲しくない情報だったらしい。
 こういう時煙草というのはいいもので、元々ヘビースモーカーではある武彦も、いつもの二倍の速さで紫煙をくゆらせている。そうしていればとりあえず、匡乃の恐ろしいオーラを跳ね除けられるような気がするからだ。

「こんにちは、お待たせして申し訳御座いません! …あ」
 待ってました、という武彦の視線となんとも言えない微笑なのか、何かを含んだ匡乃の二人を勢い良く興信所のドアをくぐった正は見比べ。
「ええと、綾和泉…匡乃さん?」
 以前興信所の依頼で見かけた人物だと正の頭は即座に判断し、これはもしかしたら少しイラストレーターの絵の買取に光明が見えただろうか、と考える。
「こんにちは、十ヶ崎さんですね?」
 匡乃の方は元々武彦から来る相手の名前を聞いていた為、記憶と合い重なってすぐにもその名前が出てくる。ただここで買取に必死な彼と違うのは思い切りの作り笑顔で絵については語りたくないというオーラを微妙に発しているところだ。

「ま、まぁあれだな。 十ヶ崎も目当ての人物に会えたんだ、後は二人でゆっくりと…」
「いえ、草間さんも一緒にお話にとしゃれ込むのもいいと思いますが?」
 まるで見合いの席に居る世話焼きのような言葉でそそくさと退散したがる武彦を呼び止めたのは勿論匡乃で、正は商談に来たのにと少し不審がりながらも勧められながら探偵の隣に腰掛ける。

「では改めまして、綾和泉さん。 イラストレーターの絵の件なのですが…」
 ようやく本題に入る事が出来る。そう正は口を切ったのだが、どうも雰囲気が違う。
「ええ、件の絵は確かに僕が所持していますね。 と、草間さんそういえば来客だというのに紅茶の一つもでないんですか?」
 持っている。その一言が一瞬正の心をくすぐったが、すぐに匡乃は目の前のもう一人武彦に会話をしようと言いながらもちゃっかりと飲み物を催促していて。
「お前なぁ…。 俺のとこはコーヒーばっかりだ、紅茶までは出んぞ」
「使えませんね」
 ならばコーヒーでも、と本題だった筈のイラストレーターの絵については一切触れず既に匡乃と武彦の会話になってしまっている。
「僕はどちらもいりませんから。 ですからその、絵の件ですが買取りの仲介を頼まれまして…」
「そうですか? コーヒーだけでも頂いてゆっくりしていくのも良いと思いますが」
 買取の件は全く話したくないらしい、ここまで切り込んで返ってくる言葉がコーヒーというのは流石におかしく、正の眉間に皺が寄り、このムードにあまり付き合いたくない武彦の煙草の煙も倍増していて。

「綾和泉さん! 僕は真剣にこの件の仕事をしているんです! 真面目に答えてください!」
 午前から探し回った情報をやっと掴んで来てみれば、すぐになにもかもをかわされる。元が真面目な正にとってはそれが酷く耐えられないのか、一応本人としては落ち着いているつもりがほぼ怒声のようになってしまい、一瞬その場を凍りつかせる。

「おい、答えてやれよ…」
 まるでいじめられっこを庇うように武彦が匡乃に声をかけるが実際の所、この興信所であまり不穏な騒動を起こしてもらいたくないのが本音だろう。
「草間さんまでそんなくだらない事…。 いえ、まぁこちらとしても付き纏われるのは困りますしね」
 至極面倒だ、と語った猫かぶりな表情はあっという間に溜息に変わり、ようやく話す気にだけはなったのか正にあまり気乗りのしない、という顔を向けながらも。
「実際の所あのイラストレーターの絵を売る事は出来ないのですよ。 少々程度の曰く付きならばまぁなんとかなったでしょうが、あの原画は周りの負を集める性質を持たせて描かれた物で近いうちには処理する予定で置いてあるので」
 だから諦めてくださいと、最後まで口に出さずとも少しだけ冷たい視線で匡乃は語る。
「そんな…でも依頼人の方には約束してしまいましたし…少しだけでも!」
「わからない方だな」
 ふう、と溜息を一つ匡乃は吐く。だが正もこれが仕事だ、少し断られただけで下がってしまうようでは商売も自分の信念も何もなくなってしまう。

「そうですね、では百聞は一見に…とも言いますし見るだけは見てみますか?」
 見たならば諦めるだろう。匡乃はそう踏んだのか、今まで煙草の煙まみれになりつつ揉め事は避けてくれと言わんばかりの武彦に。
「色々とお世話になりました、それでは彼のご要望通りに原画の方に移るので」
 正はしっかりと自分の目で見ることが出来るとようやく笑顔が戻りつつあったが、匡乃の言葉には刺がありすぎる。矢張り面倒事で呼ばれた事には腹が立っていたという事か、爽やかな笑顔は射抜かんばかりの嫌味がふんだんに盛り込まれている。

「ああ、ああ、もう何処にでも行ってくれ」
 一人取り残される怪奇探偵。その声は安堵と矢張り怪奇の類には関わるべきではないという教訓のようなものが確実に刻まれているのだった。



 自らが申し出て貸し金庫まで相手の車で、などとは正の気持ちが許さない。
 美術館から興信所まで急いでいたものだから自分の車を動かすより先についつい停まっていたタクシーで来てしまい、今もまた匡乃の貸金庫まで適当にタクシーを停めてその場まで急いだ。

「あまり見る事はお勧めできませんが、確かにあの原画は美しい部類に入りますからね」
 ふと、タクシーから降り、貸金庫へと歩む匡乃は一人ごちるようにそう呟いた。
「僕もそんなに見た事の無い画です。 矢張り興味もありますよ」
 それにあわせる様に正も後をついて行く。思いの他頑丈で、しかも貸し金庫に来るまで随分と面倒な手続きがあり多少気を揉む事もありはした。
 が、それももうすぐ依頼の品だった物を見られると思えば随分と気持ちも弾んでくる。
「美しいのと曰く付きなのは別だね。 まぁ随分と面倒な物を描いてくれたものですよ」
 まるで自分のごくごく身近な知り合いが描いた物だとも取れる言葉を呟きながら、正も見たことの無いその原画の全貌は目の前に広がるようにして現われた。

 元々貸し金庫と言えば小さな引き出しを想像するがこの原画に限っては違い、少し大きめのクローゼット程度のスペースの中に一応画という事で飾られるようにして額縁の中に収まり『原画』という言葉が頷ける程線の精密さとこの一枚だけで何か表情が見えるような風景画である。
 ただ、その表情が見えるだけの意思や少し色の抜けたような雰囲気が匡乃の言う『周りの負を集める性質』をなんとなく物語っていて。

「諦めがつきましたか?」
 言葉も出ずこれが今まで捜し求めていた物だと食い入るように見つめる正に匡乃から苦笑交じりの言葉がかけられる。
「素晴らしいです…。 こんなに素晴らしいのに世に出ないのは勿体無い」
 けれどこれは確かに世に出して良い『物』ではないと正もその目でこの原画を見て思い知る。並大抵の力では消せないこの曰くは矢張り処分される運命にあるのだろう。
「良かった、ここまでして駄々をこねられたらと焦りましたよ」
 また少し嫌味交じりのような匡乃の言葉が二人しか居ない貸金庫内に響いたが。

「いえ、ここまでしてくださりとても感謝してます。 買い取りは出来ませんが、でも、この絵を間近で見る事が出来て良かったと思います」
 匡乃に向き直り肩をすくめて見せた正はありがとうございました。と礼をとり自らの手帳に依頼の否を書いたのだろう、一線ペンが走り、そしてまた原画への光は閉ざされた。
「どういたしまして。 多少なりとも処分される前に見て貰えただけ、あの絵も案外幸せ者だったのかもしれないな」

 正の言葉に返すと同時にどこか苦笑めいた、矢張りあの絵に関わりのある者としての言葉を発した匡乃はまたいつもの生活に戻るべく貸金庫を出る。明日からはまた予備講師の仕事が山積みになっていて、今日はその少し息抜きの、匡乃にとっては思い深い原画が最後に世に出た日。
 二度と見ることの出来ない絵画の感動は、ただ一人。正の心の中でひっそりと、だが激しく生き続けるのだ。




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東京怪談
2005年09月12日

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