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『紫紅解吹 』
相澤・蓮2295)&藤咲・愛(0830)


 後ろ手で戸を閉め、暖簾をくぐると溜息が漏れた。
「酔っても無いぜ」
 相澤・蓮(あいざわ れん)は、背中から聞こえる「またどうぞ」という声に答えるかのように呟き、再び溜息をついた。腕時計を見ると、とっくの昔に終電が出てしまったことがすぐに分かる時間となっていた。
「歩いて帰れってことだよな、これは」
 仕方が無い、と蓮は呟き、再び大きな溜息をついて歩き始めた。足取り重く、とぼとぼと。
 いつも通りに仕事を追えて、一人酒。ほろ酔い気分で足取りも軽く、道端の野良猫にまで「やっほう」と話し掛けるくらいなのに、今日は全く酔ってなかった。シラフだった。いつも話し掛ける野良猫が、びくびくとしながら蓮を見ていたが、蓮自身はそんな視線にすら気付かない。
(俺って、何なんだろうな)
 答えの出ないクイズを出され、出口の無い迷路に叩き込まれたかのようだった。記憶が無いだけではなく、自分が人間であるかどうかも分からない現実。それがもどかしく、苦しく、辛くてたまらない。
(どっちかにしろってんだよな、全く)
 人間なのか、そうではないのか。
(それくらいならば分かったって、罰ってもんは当たらないんじゃない?)
 蓮はへら、と笑おうとして口元が緩まないのに気付く。自嘲する事すら許されぬのか、と思うと何となく泣きそうになってきた。
「あんだよ、全く……」
 苛々しながら道端に転がっている空き缶を蹴ろうとしたその瞬間、後ろから「あら」と声がした。聞き覚えのある、高くて綺麗な声。蓮は思わずその声のほうに振り返る。
「蓮さん?蓮さんじゃない」
 そこにいたのは、藤咲・愛(ふじさき あい)だった。前に、蓮がべろべろに酔ってしまった時に介抱してくれた、赤い髪が印象的な妖艶な女性である。
「藤咲サン、何でこんな所に?」
「それはこっちの台詞よ。だってほら」
 愛はそう言って、一つの建物を指差す。そこにあったのは、SMクラブ「DRAGO」の文字。愛が勤めている場所だ。
「仕事帰り……にしては、早くないか?」
 終電を逃すような時間だが、夜の町はこれからが本番だ。愛はその問いに、ふふ、と笑う。
「たまたま早上がりなの、今日。……そうだ。ねぇ、良かったら……付き合わない?」
 愛はそう言い、艶っぽい目で蓮を見つめる。蓮は顔を真っ赤にし、ぶんぶんと手を大きく振りながらついでに首も大きく振る。
「おおお、俺には好きな子がっ!」
 大焦りである。愛はくすくすと笑い「やぁねぇ」と否定する。
「そんなんじゃないわ。飲みに行きましょうって誘ってるのよ」
「な、なんだ」
 蓮はほっとしつつ、次に財布を見た。さっきまで一人酒に浸っていたせいで、結構厳しい内容だ。愛はそんな蓮の様子に再びくすくすと笑う。
「奢るから、大丈夫よ。……ほら、いいお店を知っているの」
 愛はそう言い、くるりと踵を返した。
「藤咲サンがいい店っていうくらいだから……しっとりとしたバーか?それともホストクラブか?」
 蓮は呟き、もしもホストクラブならば負けないように気張らねば、と無駄な決心を固める。
「蓮さん、置いていくわよぉ?」
「あ、待って待って」
 蓮はびしっと背広を伸ばすと、慌てて愛の後をついていくのだった。


 愛がにっこり笑って「ここよ」と言ったのは、チェーン店系の安い居酒屋だった。蓮は多大に膨らませていた想像が、ほわわんと消えていくような気がした。
「ここ、あげだし豆腐がおいしいの」
 愛はそう言って、暖簾をくぐる。そして「始発までやってるしね」と付け加える。蓮が続いて暖簾をくぐると、威勢の良い「いらっしゃいませ」に囲まれる。
「何だか、意外だって顔しているわね」
「だって、藤咲サンがこういうとこくるのって」
 蓮がそう言うと、愛はにっこりと笑う。
「たまぁに、こーゆーところで飲みたくなるのよね。……あ、あたし、最初はビールで」
「俺も」
 つきだしを出しに来た店員に告げる愛に続いて注文しつつ、蓮は改めておしぼりで手を拭く愛を見た。
 こうして明るい居酒屋の中で見る愛は、何処にでもいるような普通の女性のオーラをまとっていた。女王様的なものではなく、綺麗には違いないが、心優しい暖かい女性。
(な、なんだか……いいのか?)
 愛の変化にドキドキした顔を諌めるように、蓮はおしぼりで顔までがっつりと拭く。まるでおっさんの行動だが、愛は特に気にしなかったようである。
 ビールが来て、適当におつまみを注文し、二人揃って乾杯をした。キンキンに冷えたビールが、喉にすうっと流れ落ちていく。
「こういうのって、仕事の後は格別なのよねぇ」
「あ、分かる分かる!こう、一日頑張ったぞーって感じがするんだよな」
「そうそう。この一杯の為に頑張ったといっても過言じゃないわって思っちゃうのよ」
 ふふふ、と愛は笑う。蓮も先ほどまでの一人酒とは違い、美味しく酒を摂取していく。
「蓮さんは、製菓会社だったかしら?」
「うん。この前なんて、悪い奴から助けた少年にお礼だって言われて、他社の菓子箱貰って大変だったんだぜ」
「あら、別にいいじゃない」
「そりゃ自宅だったらいいんだけどさ、会社に直接持ってきちゃって」
(ついでに、サボってゲーセンに行ったのがばれたし)
 蓮は心の中で付け加える。愛はくすくす笑いながら「それは災難だったわねぇ」と相打ちを打つ。
「蓮さんは、それでもいい事をしたのね。素敵だわ」
 愛はそう言い、ふふ、と笑った。蓮は照れたのを隠すかのように、おつまみの枝豆を口の中に放り込んだ。
「藤咲サンだって、俺の事介抱してくれたじゃん。そういうのって、中々出来ないと思うぜ」
 蓮はそう言ってにかっと笑う。愛は「あら」と言ってほんのりと顔を赤くし、ビールを一気に飲み干す。おかわりのカクテルを注文してから「そうそう」と口を開く。
「この間の傷は、完治したかしら?」
 愛のカクテルを持ってきた店員に続けて焼酎を注文しつつ、蓮は「うん」と答える。
「勿論!やー……でもさ、病院に行ったら3針も縫う大怪我でよぉ」
「うんうん、酷そうだったもの」
 蓮はやって来た焼酎を口に入れ、愛をじっと見つめる。愛はそれに気付き「なぁに?」と蓮に尋ねる。
「あのさ、あの時……痛くなかったんだ」
 蓮の言葉に、愛はそっと微笑み「そう」と頷く。
「何だったんだ?あれ。もしかして……」
 愛は蓮の言葉にじっと耳を傾ける。そっと微笑んだまま。蓮はごくりと喉を鳴らし、じっと愛を見つめて至極真面目な顔で口を開く。
「もしかして、催眠術師?」
 蓮の言葉に、愛はぶっと吹き出した。
「なぁに?それ。あはは、違うわよぉ」
 愛はそう言って笑った。蓮は真面目な顔を崩す事なく「だってさ」と呟く。愛は「ごめんごめん」と言ってうっすらと浮かんだ目尻の涙を拭う。
「あれは何て言ったらいいのかしらね。……特異体質、かしら?」
「特異体質?」
「そう。いつの間にか身についていた、あたしの能力なの」
「特異体質……」
 愛の言葉を、蓮は繰り返し呟く。呪文のように。
「役に立つわよ。お店のお客さんにも好評だし、ね?」
 愛はそう言って艶やかな笑みを浮かべた。普通の女性とは違った、妖艶な笑みに夜の女王の風格が宿っているかのようだ。そしてすぐ後で悪戯っぽく笑う。
「なんなら、今度蓮さんもどう?」
「え、遠慮しときますっ!ええ、そりゃもう!」
 涙目で訴える蓮に、愛は「あら残念」と言って笑う。悪戯っぽさの中に、半ば本気がうかがえたような気がした。蓮は「あはは」と笑った後、ふと笑うのをやめて俯く。
「でも、よ。不安にならないのか?」
「え?」
 小首を傾げる愛に、蓮は顔を上げる。切羽詰ったような顔をして。
「だって、普通の人間じゃそんな事はありえない。そんなありえない事ができるなんて……!」
(俺が何者かなんて事だって、分からないというのに……!)
 蓮の訴えに、愛は「そうねぇ」と呟く。蓮はそう言った後に少しだけ後悔の念を覚えたらしく、小さく「ごめん」と謝って俯いた。
 愛は蓮を見て小さく微笑み、カクテルのグラスの中に入っている氷をカランと揺らす。
「あたしもね、最初はどうしていいのか分からなかったのよ。だけど、最近割り切ることが出来たの」
「割り切る……?」
「ええ。家族が亡くなってから、私は割り切れたの」
 ゆっくりと顔を上げる蓮を見て、愛は優しく微笑む。蓮の目に浮かんだ救いを求める光を、察知したかのように。
「他の人間と違う能力があろうとも、あたしはあたしですもの」
(自分は、自分でしかない)
 愛の言葉を、蓮は心の中で繰り返す。が、すぐに首を振ってしまう。
「強いな、藤咲サンは。俺は……俺は、怖い」
 蓮はそう言い、ぎゅっと焼酎のグラスを握り締める。冷たいグラスの感触が、熱くなった蓮の手を容赦なく冷やす。
「俺は、怖いんだ。無性に、怖い。若い頃の記憶がぼやけているのも、俺がたまに記憶を失う事も、他人が……他人がまれに俺を怖がる事も……!」
(俺が人間かどうかだって分からないと言うのに)
 蓮の叫びのような言葉を聞き、愛はそっと蓮の肩を優しく叩く。
「ね、蓮さん。焦る事なんてないわ」
 ゆっくりと、蓮は顔をあげた。そこにあるのは、優しく微笑む愛の顔。
「あなたがどんな能力を持っていようと、信頼してくれる人がいるわ」
「信頼してくれる人……?」
 聞き返す蓮に、愛はにっこりと笑って頷く。
「あなたは、あなたなのだから。ねぇ、そうでしょ?」
「俺、は」
 愛の言葉が、ゆっくりと心に染みてくる。お酒を飲み込んだときのように、熱い道筋をつけていくかのように。
 そうして到達するのは、奥底から来る温もり。
「俺は、俺なんだ」
「蓮さんは、蓮さんでしかないわ」
「俺が何者であろうと」
「蓮さんっていう存在に、変わりは無いわ」
「例え、ただの人間じゃなかろうと」
「それでも蓮さんっていう事実は、決して変わらないわ」
 愛の言葉に、溶かされていくかのようだった。ぐちゃぐちゃに絡み合っていた糸が、心地よい風に吹かれてすうっと解かれていくかのような。そんな感覚が蓮の中でいっぱいになる。
「ほらほら、蓮さん。折角だから飲みましょ」
「……うん」
「すいません。カシスソーダと巨峰ソーダをお願いします」
 愛が店員に向かって注文する。蓮は「へ?」と小首を傾げる。すると愛はにっこりと笑って「イメージよ」と悪戯っぽく笑う。
「あたしがカシスソーダで、蓮さんが巨峰ソーダ。そういうイメージなの」
「イメージ、かぁ」
 蓮は妙に納得し、手にしていた焼酎のグラスを一気に煽った。
 冷たくなっていた手をすり抜けて体内へと入っていく焼酎は、やんわりと体の奥底を温めていくかのようであった。

<紅と紫の飲み物がやって来て・了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年09月12日

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