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『■奥深く■ 』
門屋・将太郎1522



 相談所の荷物の整理を優先させた結果、当然といえば当然なのだが門屋将太郎の住居、特に自室はいまだダンボール箱の支配下にあった。いくら弟子だの居候だのに手伝わせたところで一朝一夕に片付く訳も無い。
「――まぁ、相談所の方は随分と片付いたしな」
 己に言い聞かせるように小さく溢す。
 かろうじて確保した寝場所。そこにどっかりと腰を下ろして将太郎は何処を、という事もなくただ視線を投げていた。ぐるりと巡らせる室内はダンボールのくすんだ紙色ばかりが広がっている。
 ぼんやりと、日が暮れるにはまだ早いと教える眩しさが時折視界をちらつかせる中で、将太郎の視線は積み上げられたダンボールから離れない。
 じっと、ただじっと見る。
 ダンボールの向こう、以前の住居に置き捨ててきたつもりの自分の姿を。
 切欠らしい切欠はあっただろうか。
 気侭に、望む時に望むだけ、自由と言えば聞こえはいいが責任を負う事を拒んでいたとも言えるかつての自分。面白おかしく過ごせたら、と誤魔化していた自分。それと決別しようと思い立った切欠は。
(いや、どうだろうな)
 沈黙したままようやく視線を外して首を振った。ゆったりと、二度三度、横に。
 僅かに頭を垂れ、あるいは謝罪するかのようにも見えるまま赤い瞳を閉ざす。表情を削ぎ落とせば、求道者のようだと感じられるかもしれないその面差し。
 外界の音が遠く、微かな雑音となる程に深く頭を垂れ呼ばわる人。
「叔母さん」
 思い出すのはまだ若かった学生の頃。
 呉服屋を営んでいた叔母を当時の将太郎はちょくちょく手伝っていた。自然、和装にも慣れ親しんだが笑顔で差し出された着流しには途方に暮れたのだったか。
『いいトレードマークになるわよ、心理士が着物なんて』
 臨床心理士になると知って、笑顔で差し出した品も質も充分なそれ。
 バイト代のかわりね、と笑っていたけれど比べ物にならない程価値があった。いや、今もある。身に纏う今、将太郎の心にどれほどの想いをもたらしていることか。
 けれどその叔母からの品を、将太郎は脱ぐのだ。
 ダンボールの山から掘り出しておいた衣服を傍らに置き、立ち上がって帯を解く。手をかけたその刹那、指が、将太郎自身の感傷を示すように小さく引き攣れた。僅かに自嘲していっそ乱暴な程の勢いで腕を引けば、動きの大きさからは信じられない静けさでもって帯はただ在るだけの物に。
 着流しも、この帯も、ずっと将太郎と共にあった。
 気侭に、責を負う事を避けていた頃から共にあったのだ。
 胸を仄暖かく灯す記憶と同時、この日決別すべきそれまでの自分もまた甦らせるこの着流し。決意の証、というのは大仰だろうか。けれど間違い無く、将太郎の決意を示す最たる物なのだ。
(叔母さん、ごめん)
 思い出す笑顔に詫びて、着流しを畳む。丁寧に、皺の一つとして許さぬように。叔母の店に並べた商品でさえこれほど細やかに扱われた物は無いだろう。それほどに丁寧に。
(今日、この時が最後だ)
 帯も、余計な折り目がつかないようにと慎重に。
 寝場所だけ確保して、わざわざ昼風呂に入ってから身に纏った一式は、落ち着いた色を品良く陽の光に晒している。これも見納めだ。薄紙に包んで箱に入れて、そうして奥深くに仕舞い込もう。何も負わず気侭であった将太郎自身と一緒に、奥深くに。
(ごめん)
 記憶の中で変わらず笑う叔母に再度詫び、それを最後と箱を閉じた。かつて差し出されて、以来将太郎と共にあった色が布が手触りが匂いが、その狭い空間に隠れていく。織糸の一筋も逃すまいとそれを見据える。
 ふと、唇が何か言いたげに動き、結局何も溢さずに閉じた。胸中でだけ言葉は溢れる。
(俺は、俺は普通の服装が恋しくなってきたんだ。だから…新しい生活の初日である今日から)
 叔母に語りかけるつもりの言葉。けれどそれが何よりも自分に向けての言葉だと解っている。
 普通の服装、相応の責を負い真摯に過ごす。服装だけを指しての言葉は服装だけを意味するものではない。
 静かに閉じた箱に手を添えて瞑目する。決別は今終わる。
「……居るか?」
 それを促すように耳に届いた声は、聞き覚えのあるものだった。
 急ぐでもなく、ゆるりと目を開く間にせっかちなのか再度呼ばわる声の主。
「おい、門屋」
「開いてるぜ、入れよ」
 遠く「客だぞ」とか「無用心だなおい」だとか言う声が奇妙な程はっきりと聞こえて将太郎は笑った。普段の、男らしく太い笑みだ。
 それが幾分にやにやと人を揶揄う風のものに変わる頃、足音を殺しもせずに遠慮なく床板を踏み鳴らして客人が現れた。草間武彦――お互いに世話になっているが、おそらくお互いにそれを否定してみるだろう間柄の男。
「門屋、お前自分の部屋くらい真っ先に片付けたらどうだ」
「お前にゃ言われたくねぇな」
「ぬかせ――ほら」
 言うなり差し出された物は、草間という人間からはまるで連想出来なかった。
 さしもの将太郎も動きを止める。目の前にあるのは、花束。派手ではなく、特に洗練された色取りでも無いが随分な量の花々が纏められそれぞれに光を映しこんでいる。
「……草間、お前……これどこで恵んで貰ってきたんだ」
「殴られたいか。それはなぁ、俺が、買ってきたんだよ!」
 信じられない事を耳にした。そんな気持ちがそのまま顔に出ていたかもしれない。
 草間がこれみよがしな渋面を作り将太郎を見下ろした。どちらが持っても無骨な男の手では花もいまひとつ輝けないのではないかと思いながら、将太郎も呆然と草間の顔を見る。この怪奇探偵が、年中赤貧に喘ぐ男が、花!
「……夢だ」
「現実だ。お前が相談所移転したって聞いたんでな、祝いだよ」
「俺はお前に話してねぇ」
「だから聞いたと言っただろ。本気で秘密にするなら何処か無人島にでも建てるんだな」
「無茶言いやがる」
 呆然と洩らした言葉にも咥え煙草で――花束に灰が落ちるのを気遣ったのか、ここまで吸ってこなかったらしい――草間が返す。その人を食った、してやったりといった様子の笑いにようやく将太郎も現実だと納得する事にした。例え不似合いでも草間武彦が買ってきた祝いの花束だ、と。
 胡坐をかいた足の間に花束を置いて眺めると、成る程草間の選別だなと思わせる落ち着きがある。ただしまとまりは悪い辺りがまた草間らしいのだが、愉快な話だ。
「ありがたく、貰ってやるか」
「そうしとけ」
 いつの間にやら座るスペースを作り上げて草間も腰を下ろしていた。
 そうして何気なく草間は視線を壁の向こうへと投げて口を開く。
「で、なんだって急に移転なんだ」
「別に。ちょうど良かったからさ」
「たいして前と変わらねえんじゃねぇのか?」
「お前見てきたみたいに……こっちのが綺麗だろ」
「そうか?」
「そうだ」
 軽く言い交わして、一転沈黙。それが不快でないのはそれなりの付き合いだからだ。
 外から届く誰かの声。見知らぬ誰かを遠く呼ぶ声が小さく部屋に響いて、それが消える頃に将太郎はぽつりと洩らした――「ケジメだよ」と。
 草間は何も言わない。ただ煙草をふかしているだけだ。
 そう、ケジメだ。門屋将太郎という男が新たに生きる為のケジメ。
 男二人がそれぞれに壁の向こうへ視線を投げている。その部屋の中に、将太郎がたった今脱ぎ捨てた着流しの入った箱。ダンボールばかりの中で、それは目を引く。けれど草間は何も訊かないし、将太郎ももうそれは見ない。
「心機一転、てヤツさ」
「なるほどな」
 目線も合わせずの遣り取り。
 もうしばらく寛げば、草間も帰っていくだろう。いつまでも妹一人に任せておくような男ではない。
 草間が帰ったら、自分も部屋を片付けようか。もう少し片付けて、そうして。
 あの箱も。
 着流しと帯を納めたあの箱も奥深くに仕舞い込もう。
 気侭に、ただ日々を送っていた以前の門屋将太郎との決別として。
(ごめん、叔母さん)
 声には出さず、何度目だろうか。その言葉。

 ごめん。だけど俺が捨てるのは着流しに染み込ませた今までの俺だ。
 面白おかしく生きればいいと、そう振舞っていた今までの俺なんだ。
 だから、ごめんよ。俺は――

 思い返すうち、軽く触れていた筈の花束を気付けば強く握り締めていた。
 強張った指をじわじわと開いて、将太郎は天井を見上げて思う。



 ――着流しは、もう纏う事は無い。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
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東京怪談
2005年09月08日

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